最終話:幸せにすると決めた者たち

 ゲホゲホとむせ込むシンリュート王を見下ろす。


「おのれ……。神の法にまつろわぬ邪鬼どもめ……」

 いかにも苦しそうにあえぎながら、それでも、シンリュート王は彼を取り囲んだ魔族に対して、ただ憎悪に満ちた目を向けた。


 聖騎士たちは、飛行能力で難を逃れた魔族たちが抑えてある。魔法使いたちも、個々はそれほど能力が高いわけではなく、苦も無く制圧できた。バイストだけは力ずくで抑えることはできなかったが、魔族側にも魔法を使えるものがおり、眠らせてある。


 シンリュート王は天威てんいのつるぎを杖にして立ち上がると、その切っ先をオレに向けた。

「わしは……、たとえひとりになろうとも戦うぞ。魔王!」


 苛烈な視線を浴びながら、オレは別の話題を口にする。

「あの、つかぬことをお伺いしますが……、“伊坂いさか幸次ゆきつぐ”という名前に、心当たりはございませんか?」


「なに……? なんじゃと?」

「陛下は……、ある時を境に、魔族を憎むようになったと聞きました。聖爵せいしゃくを授かり、天より竜の声を聞いたとき、一体何があったのです?」


「し、知らぬ。わしは……、わしはただ、神より授かりし使命をまっとうせんとしているだけ」


「その神は……、果たして本当に信用できるお方なのですか」

「なんじゃと! 我が神を愚弄するか!」


 オレにはどうも、神、という存在があやまつことのない無謬むびゅうの存在であるようには思えない。それよりもむしろ、人間と同じ──、力を持った人間と変わらない、強欲な存在のように感じられる。

 初めは、我々の世界と違って“本当の”神がいるというのだから、その言葉はすべて正しく、善なのかと思っていたが……。


「失礼いたしました」

 と、頭を下げたオレの闇の衣のすそを、幸四郎こうしろうが引っ張った。


「なぁなぁ、父ちゃん! ゆきつぐってだれだ? 父ちゃんの知り合いか? しんせきの人?」


 オレは幸四郎の頭をひとつで、違う話をする。

「幸四郎の名前をつけたのはオレだって話、したよな?」


「おう! ねーちゃんの名前はかーちゃんがつけたって言ってた! ちゅうにびょーだって!」


「バカっ! ──あ、わ、私は好きだよ。この名前」

 弟の頭を1発張った氷燦名ひさなが、妙な気を回す。


「幸四郎の名前な、4人目の家族だから、幸四郎だって教えただろ? ──実は違うんだ。父ちゃんにとって4人目の、絶対に幸せにするって決めた相手って意味なんだ。本当は。家族のいなかった父ちゃんの、初めての家族」


「ん~、わっかんね~!」

「はは。その数字に父ちゃんは入ってないんだ。──氷燦名。氷燦名は、この話を聞きたくなかったら聞かなくてもいい。だけど、もし良かったら聞いてほしい。お前のお兄ちゃんの話だ」


「えっ」

「お前には、双子のお兄ちゃんがいたんだ。名前は“伊坂幸次”という」


 氷燦名はよろめき、1歩下がった。


「兄ちゃんが──いなくなってから、お前は全然笑わなくなった。当然だよな。まだ小さかったのに、目の前であんなことが起きたら。だから、父ちゃんは母ちゃんと相談して、お前の目から、兄ちゃんと関係のあるものはすべて隠すことにしたんだ」


「お、お、覚えてない」


「いいんだ。それでいいんだ。ただ、ひとつだけ教えておきたい。兄ちゃんは、本当に勇気ある子だった。お前を守ったんだから」


「お、覚えてないよ!」

 氷燦名が膝をついた。これ以上は、話さないほうがいいかも知れない。だが、あと少し──


「氷燦名。聞いてくれ。この王様の、右目の上のあざ──見覚えないか? お前の兄ちゃんにも同じ形の痣があった。単なる……偶然だと思うか?」


 どうしても、オレにはそうは思えなかった。確信があるわけではない。突拍子もないことを言っているということは充分わかっている。だが──、

 王が狼狽ろうばいした声を出す。


「な、何を言っておる! なんのことじゃ、双子の兄が、どうのと」


 オレは、王の話を聞いて以来、ずっと頭からこびりついて離れない、ある仮説を話す。

「もしや──、聖爵せいしゃくを授かるために、神に捧げたものとは、“前世の記憶”だったのではありませんか。神は、真実大切にしているものを捧げなければ、聖爵せいしゃくを授けてはくれないと聞きました。声や、知恵や……、もしかしたら、記憶など」


 王はそのころから、人が変わったようになったと言われている。もし、常に命を狙われていたような宮廷にあって、心の拠り所としていた記憶を失ったら──、人が変わったようになるのも、考えられないことではない。


「あ、ありえぬ! 何を言ってお……ぐぅっ! げふっ、げふっ」

 と、王が激しくせき込み始めた。


「だ、大丈夫ですか! 陛下!」

 片膝をついた王を支える──が、その手はむげなく払われる。


 その時、金髪長髪の騎士ジューリンが、魔族に肩を貸されながら、よろよろと近づいてきた。

「へ、陛下。そのお体では──、もう……」


 と、ジューリンが説明する。シンリュート王は重い病に侵され、もう長くはないのだと。

「黙れ、ジューリン。命の灯消えるまで、わしは魔族と戦い続けると、そう誓ったのじゃ。わしがいなくなれば、お主はログル公の遺志を継ぎ、魔族との融和を図るじゃろう。その前に──、わしは“魔王の時代を終わらせ”ねばならぬ」


「あ、あの……」

 氷燦名がか細い声を上げた。


「魔王の時代を終わらせることかどうかはわかりませんけど……、もう2度と魔王が召喚されないようにすることは、できます」


「なんじゃと……?」

「魔王城そのものが、魔王を召喚するための装置だったんです。そのシステムを作動させるための部屋を、私たちは見つけました」


「……ジューリン。我が天威のつるぎを授ける。行って壊して参れ」

 と、ジューリンは王から剣を受け取るや否や、馬に乗って駆け出して行った。


「え、え? いいのか? 召喚するための部屋ってことは、もしかして、あっちの世界と繋がってるんじゃないか? 戻ることも、出来たんじゃないか?」


「うん。繋がってたよ。だけど、戻ることは出来ない。こっちに来るだけ。私の“目”で見たから、間違いないと思う」


「で、でも、繋がってるなら、何か、戻るためのヒントがあったりとか、あっちと通信できたりとか、そういうことに使えたんじゃないのか? え、いいの? 壊しちゃって」


 だが、狼狽する父ちゃんを背に、娘は冷静である。


「あのね、王様。……王様は、お兄ちゃんなの?」


「知らぬ」


「右の首筋に、ほくろがあるよね。パパも知らない、ほくろ。お兄ちゃんの後ろをついて回ってた私は知ってる……。王様も、お兄ちゃんと同じ位置に、ほくろがあるの」


「偶然じゃ」


 にべもない王の答えに、氷燦名はめげずに続ける。


「私ね、お兄ちゃんのこと大好きだった。今、思い出したよ。お兄ちゃんは、転んだ私を助けて、車に轢かれたってこと。私のせいでお兄ちゃんは死んだんだって思って、怖くて……笑えなくなって……、パパとママに、すごく心配をかけた。そのうち本当に、いなかったんだって思うようになってしまったの」


 氷燦名の話を無言で聞いていた王は、おもむろに、腰に下げていた短剣を抜き放った。


「わしの誓いは、命の灯が消えるまで、魔族と戦い続けること……!」


「ひ、氷燦名! 危ない! 下がりなさい!」

「じゃが──、」


 と、王はその短剣を手放した。

「じゃが、これで、わしは神との契約を破りし、大罪人じゃ。聖騎士としての加護を失った以上、病に抗い続けることは出来まい」


 そう言った王は一層激しくせき込む。オレは王の体をその場に横たえた。


「なぜ……、なぜ今更になって……。ずっと、独りじゃった。誰も頼れるものなどおらず……、命を狙われ……、心を殺し、生きてきたというのに……」


 その時、背後でどーんという大きな音がして、オレたちは振り返った。魔王城が揺れ、一部が崩壊している。


 と、上空に、グリフォンに乗ったクロジンデの姿が見えた。グリフォンから降りるなり、クロジンデはすっころぶような勢いで、こちらに走ってきて、王の手を取った。


 王は、もう見えてはいないらしい。聞こえてもいないかもしれない。ただ、うつろな目を虚空に向けて、つぶやく。

「とうさん、かあさん……。ゆきは、ふたりのことが、だい……す……」


   ◆   ◆   ◆


 氷燦名がリビングで勉強をしていた。


「なぁなぁ、氷燦名。宿題ばっかしてないで遊ぼうぜ」


「……あのね、私も4月から中学生なんだよ。小学生の時みたいに遊んでばっかりじゃいられないの。中学からが出てるんだから。春休み、あんなことがあったんだから、ちゃんとしないと」


「春休みあんなことがあったんだから、もっと家族の時間を持とうぜ~。せっかくのキャンプが台無しになったんだから、どっか遊びに行こうって」


 すると幸四郎が、

「おれが! おれが遊ぶ!」

 と、オレの太ももに抱きついてきた。


 こっちはこっちで毎日遊んでばっかで、父ちゃんは心配である。

「コーシはもうちょっと勉強しようぜ」

「やだ! 勉強つまらん!」

「おっほ~! じゃ、父ちゃんはひとりで勉強しよ~っと!」


 と、仕事関係の本を取りに行くと、幸四郎が後ろから追いかけてきた。

「おれも! おれも勉強する!」


 結局、3人でリビングに座っていると、クロジンデがやってきて、

「みんナ~、カルピス入ったワヨ」

 と、優しい声を──


   ◆   ◆   ◆


「はっ」

 と、そこでオレは目を覚ました。体を起こし、ぼけーっとしていると、ドレス姿の氷燦名が入ってくる。

「おお、氷燦名。きれいじゃん」


「もう! 何言ってんの! 今日は色んな国から使者がくる大事な日でしょ! ちゃんとしてよ」


 ようやく、自分の職務を思い出す。慌てていつもの衣装に着替えた。


 家族を連れて、玉座の間に入る。

 ずらりと、魔族たちが列を成している。中には各国から集まった聖騎士たちの姿もあった。


 玉座に腰を下ろすと、魔族たちが一斉に立ち上がり唱和する。

「魔王陛下、万歳! 魔王陛下、万々歳──!」


<了>

――――――――――――――――――――

◇お疲れさまでした!


イセカー・インクレディブルはこれにて完結です。


Web版でお読みの方:このページのすぐ下

アプリ版でお読みの方:「小説の関連情報を見る」へ進むと、小さな文字で「この小説のレビュー」という項目があり、それを押した先


に、この作品の評価をつける「+」マークがございます。

面白いと思ってくださいましたら、1~3回「+」マークを押していただけるとランキングで上位に入れるなどの特典があり、作者にとって大変励みになります。

またもし、お邪魔でなければ、フォローは外さずにそのままにしておいていただけると、ポイント制度上、とても助かります。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

イセカー・インクレディブル(完結) 斉藤希有介 @tamago_kkym

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ