王都潜入

 私たちはパパのいる聖王国の城に向かって、ふよふよと湖の上を飛んでいた。空が薄らと明るくなってきて、急に自分がネグリジェ姿なことが恥ずかしくなってくる。

「うぅ~、どうしよう。こんなカッコ、人に見られたら……」

「何かマズいんですか? 氷燦名ひさなさま」


「だって、寝る時のカッコだよ。外に出るときは普通のカッコしないと」

「氷燦名さまからパジャマかネグリジェを探すよう言われ、寝るときに着るゆったりとした服のことだと教えて頂きましたので、そちらをご用意しましたが……、夜会に着ていってもおかしくないドレスでございますよ?」


「そうなの?」

「はい。ですが確かに、これから聖王国の宮城きゅうじょうに潜入しようというのに、そのようなお召し物ではいささか勝手が悪うございますね。魔法による防護がないのも、心許こころもとないでしょうし」


 そう言って、マヒナちゃんは腰に下げた皮袋に手を突っ込んだ。中から、マヒナちゃんのペットのハム魔ちゃんが顔をのぞかせる。

「ハムレット。氷燦名さま、幸四郎さまのお召し物と、髪を隠すお帽子を探してもらってくれる? それから、何か、お2人をお守りするアクセサリーを。私にも翼を隠せるローブをお願い」


 ハム魔ちゃんがチィチィと鳴くと、虚空から小さな杖が現れた。目をつぶり、小さな手でそれをぐるぐる回す。


「何してるの?」

「ハムレットに、お城のハム魔ちゃんたちと交信してもらっているのです。距離や重さにもよりますし、日に何度も出来るわけではありませんが、お2人のお召し物と、アクセサリーくらいなら、転送してくれますので」


「へぇ……。そんなこともできるんだ」

「はい。ハムレットが出来るのは仲間との交信や小物の転送くらいですが、ハム千代ちよやハムゴローは、お2人から漏れ出る魔力を吸っていますので、もう少し色々なことが出来ると思いますよ」


「ふぅん」

 私はいつの間にかついてきていたハム千代を見て、アゴの下を撫でてあげた。ハム千代が気持ちよさそうに目を細める。


「今から送ってくれるそうです」

 と、ハムレットが目を見開き「チィーッ!」と鳴いた。瞬間、私たちの目の前に真っ赤なお洋服が現れ、円盤の上にぽすんと落ちる。


「えー、ちょっと派手じゃない?」

「きっとお似合いですよ」

 ハム魔ちゃんたちが見つけてくれたのは、まるで鼓笛隊こてきたいのような衣装だった。羽根かざりつきの帽子と、針みたいに細長い剣もついている。


 私は木の下に円盤を停め、幸せそうに眠っている幸四郎こうしろうを叩き起こした。

「うぁ、もう朝かぁ?」

「幸四郎、ほら、これに着替えて」

「あれぇ? ねーちゃん、かみの毛、青くなってんぞ」

 幸四郎はまだ寝ぼけている。


「マヒナちゃん、私たち着替えてくるから。──ところで、ハムレットはお城のハム魔ちゃんと交信できるんだったよね?」

「はい、可能にございますが」


「そっか。じゃ、私たちが着替えてる間に、ママに謝っておいてくれる?」

「え゛」

 マヒナちゃんが絶句した。断られないうちに、私は幸四郎をつれてそそくさと茂みに入る。


 着替えて戻ると、マヒナちゃんが、なんというか──、白くなっていた。胸の前でぎゅっと両手をにぎりしめ、どこか虚ろな目をしている。


「マヒナちゃん? マヒナちゃん?」

「ひぃっ! お許しを、お許しを!」


「大丈夫? マヒナちゃん? 私だから、氷燦名だから!」

「……え、あ、あぁ」


「大丈夫だった? ママ許してくれた?」

「お、奥方様には聖王国の見学に行くと、お伝えしておきました。──ですが、帰りが遅くなりでもしたら、私は、ただでは済みません!」


 私はマヒナちゃんの肩に手を置いて、言った。

「大丈夫。マヒナちゃん。──そうなったら、パパに謝ってもらおう」


   ◆   ◆   ◆


「綺麗……」

 人目を避けるため、徒歩で聖王国の首都に入った。紫色のグラデーションがかかった街並みに、思わずため息が漏れる。


「ほんとだ、私たちのカッコ、そんなに派手じゃないね」

 周りを見渡すと、あちこちに私たちのようなカッコをした子供たちの姿が見える。マヒナちゃんが言うには、“巡礼者じゅんれいしゃ”というのだそうだ。お城にあるご神木しんぼくを参りに、小学生くらいの子供たちが親の助けなく、1人でここからお城まで登って行くのだという。


 子供たちは自分の両手をグーとパーで恋人繋ぎみたいにして、おかっぱ頭のおじさんにお辞儀をしていた。見れば、そこらじゅうにおかっぱのおじさんがいる。


 と、よそ見をしていたら、大人の人にぶつかりそうになった。


(げっ)

 見上げた先にいたのは、やっぱりおかっぱ頭のおじさんだった。

 私も見よう見まねでお辞儀をする。

 すると、おじさんが大きな声を出した。


「シンリュートに栄えあれ! ゼニスター竜よ永久とこしえなれ!」


 それから、私に柄杓ひしゃくを渡して、おじさんも同じようにお辞儀する。

 どうしていいか分からず、あたりを見渡すと、子供たちが石畳の道に水をかけていた。多分、打ち水みたいなものかな。──それにしては、日本ほど暑くないというか、やや肌寒いぐらいな気もするけど。


 私も打ち水をしようとしたら、幸四郎が「おれも~!」と譲らないので、2人で水を打った。


「なんだったんだろ、あれ?」

「おれ、ひとりでかけたい! ちょっと行ってくる」

「まったく。ガキ!」


 それから、他の子供たちと一緒に延々と登り坂を上った。山頂に着いた頃にはすっかりお昼過ぎだった。


「はぁ、はぁ……。つ、疲れたぁ~。こっちに来て初めてキャンプみたいなことしたよ。私の氷に乗れば、ひとっ飛びなのに」

「目立ってはいけませぬゆえ。ご辛抱ください」


「だっらしねー! ねーちゃん! あのおっちゃんなんか、あんな重いもんかかえて歩いてるってのに」

 見ると、子供たちに混ざって、お城へと続く道に水を撒きながら上ってきたおかっぱおじさんたちの集団が見えた。子供たちも何人か、手伝っていたっけ。打ち水ではなくて、お清めとか、そういうことなのかも知れない。


「うっさいなぁ~。あんたはずっと寝てたけど、私はほとんど寝ないで氷を飛ばしてきたんだからね!」


「うおお~! すっげー! ドラゴン! ねーちゃん、見て見て!」

 私の話なんか聞きもせず、幸四郎は城の中に走っていく。


「はぁ……。まったく、ガキ!」

 中庭には白く巨大な竜の像がそびえ立っていた。その竜が体を巻きつけるようにして、1本の葡萄の樹を守っている。

 子供たちは竜の前でひざまずき、さっきみたいに手を組んで、何やらお祈りしていた。それから、ひとつぶだけ葡萄をもぎって帰っていく。


「なぁ、ねーちゃん! ぶどうもらえるみたい!」

「そだね、並ぼっか」

 私たちも見よう見まねで、葡萄をひとつぶもらってくる。──甘い。じゅわっとくる酸味が、ジャムみたいに濃厚な甘さを引き立てる。鼻に抜ける葡萄の香り。簡単に言うと、めちゃくちゃおいしい!


「うんめ~! おれ、もういっこもらってくる!」

「だ、ダメだよ! ひとり1個みたい。誰も並び直してないでしょ?!」

「え~」

「ダメったらダメ! それより、私たち、パパに会いに来たんだよ。どうやってパパに会うか、考えないと」


 それから、ぐるっと中庭を見渡した。そこかしこが金色に光っている。

「ねぇ、マヒナちゃん。あれ、さっき言ってた……」


魔金草まこんそうにございますね。あれほど見事に育っていれば、多少の攻撃魔法も受けつけないでしょう」

「へぇ……。あれって、確か、魔力を吸い取って無効化するんだったよね? 危険はないの?」

「さて。魔金草まこんそうが意志を持ち、魔族を襲いでもしたら別ですが。ただ、壁に張りついているだけなら、無害でしょう」

「ふぅん」


 と、中庭を出たところで、異形の人影に呼び止められた。

「待て。お前たち、魔族だな? この聖王国になんの用だ? 場合によってはただでは帰せぬぞ」


 大柄な魔族だった。紫色の肌は両生類のように湿っぽく、毒々しい斑点がいくつも浮かんでいる。トカゲのようにもカエルのようにも見える顔には大きな目がひとつしかない。その全身は、遠目からでも分かるくらい筋肉で盛り上がっている。


「魔王陛下のご息女・ご子息にあらせられる。控えよ、下郎。頭が高い」

「ふん。魔王がどうした? 魔王が俺たちに何をしてくれたっつうんだ?」

 私たちを守るように立つマヒナちゃんに、大柄な魔族は忌々しげに吐き捨てる。


 初めて、魔族の口からパパに対する批判的な言葉を聞いて、私はびっくりした。

「で、でも! 人間たちに奴隷にされるよりいいでしょ?!」


「ハッ! より強い者に従うのは、メリットもある。むしろ、魔族に生まれたからと言って、魔王に絶対服従を誓わなければならんのは、奴隷とどこが違う?」


「そ、それは……、そうだけど」

「なぜ、俺たちの魔力の一部を捧げてまで、魔王を召喚しなければならぬ? そのせいで魔力尽き、消えて行った仲間たちがどれほどいたか。初めから魔王などいなければ、少しはましな暮らしが出来ていただろうよ」


「そ、そんなこと言われても……」

 事情も分からないまま連れて来られて、そんなに怒られても……、困る。


「どけっ! 今のところは見逃してやるが、きさまら、ここで騒ぎを起こしたら、ただでは済まさんぞ」

 私がうつむいていると、トカゲみたいな魔族に突き飛ばされた。


 石畳の地面に尻もちをつく。

 私はしばらく立ち上がれなかった。敷き瓦のすきまから生えた小さな双葉が、太陽の光を受けて金色にきらめいていた──。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る