奴隷解放宣言

「おお! これは遠路はるばる、ようおいでくださった。早馬で一報を聞いてはおったが、なんとまぁ、立派な角じゃ」


 聖王国の国王は、禿げ上がった頭に王冠を乗せた、でっぷりとした小男だった。テニスコートほどはあろう食堂には長テーブルが置かれ、その上には豪華な食事がずらりと並べられている。席には先ほどまで一緒にいたジューリンや、ドレス姿のご婦人方が座っていた。

「そうですか? 私もまだじっくり自分の角を見ていないのでよく分からないのですが、そう言って頂けると光栄です」


「そうであったそうであった! 我が教師の申すには、魔王とは、別の世界より召喚されるものであるそうじゃな。こちらに来てまだ日も浅いのならば、そのようなこともあるじゃろう」


 王の傍らには、かぶとからのぞく眼光の鋭い、白髪・白髭の男。80歳ぐらいだろうか。しかし、こちらの世界の栄養状態等を考えると、さすがに現代日本と同じではないだろうから、もしかしたら60歳程度でもこのように髪も白く、肌にしわがよるのかも知れない。

 聞けば、王の身辺警護しんぺんけいごを務める近衛このえ隊長だという。


「なにか?」

「い、いえ」

 ふとそちらを見ていたら、ぎろりとにらみつけられてしまった。


「ささ、おかけくだされ。あなたの降臨祝いに、宴を用意させたゆえ。毒のことなら心配いらぬぞ。魔王を殺せる毒など、この世界のどこにもあるまいが……。ほれ、このように」

 と、王自らが毒見をしてみせる。


「あ、いや、疑ってなど。それでは、いただきます」

 この世界が我々の世界と同じような歴史を辿っているはずもないので、単純に比較しても無意味な話だが──、ナイフやフォークなどの食器や、調度を見るに、中世というよりは近世、少なくともルネサンス期程度の文明はあるらしい。


 牛肉らしき肉をつついて口に運ぶ。

 と、

「う、うまい!」


「そうじゃろう、そうじゃろう。元々、この地は牧畜が盛んでな。ほれ、こちらの葡萄酒ぶどうしゅもうまいぞ。我らが主、ゼニスター竜から下賜くだされた黒葡萄くろぶどうで作られた葡萄酒ぶどうしゅじゃ。このような高地でもよく育つ」


 そう言って、銀製のカップに王がしゃくをしてくれた。

「や。ととと、これはかたじけない。──その、ゼニスター竜というのは、入口にあった竜の像のモデルとなった竜ですか?」


「左様。あなたも見たじゃろうが、あの像に守られるようにして立っておる葡萄ぶどうの樹こそ、ゼニスター竜に頂いた黒葡萄くろぶどうじゃ。あの1本の樹より、農耕が始まったとも言われておってな」

 なるほど。とすると、ここは王国の中枢であると同時に、彼らの信仰の一大聖地でもあるわけか。


 それから、オレは居住まいを正し、国王に向き直った。

陛下へいか。今回は私の不注意で、このように美しい城を傷つけてしまったことを、どうか、お許しください。我らとしましては、皆様と敵対する意図はなく、これからも友好的な関係を築いていきたいと考えております」


「なに、お気に召さるな。単なる示威じい行為じゃろう。力を持つ者がそれを誇示こじするのは当然のことじゃ。下手になめられて、いらぬいさかいに巻き込まれても、つまらぬでのう」

 言葉の端々から伝わる、王者としての強烈な自負。あの程度の攻撃、歯牙にもかけぬということか。それとも、弱みを見せればつけこまれると、その胸のうちなどおくびにも出さないのか。政治や駆け引きに疎いオレでは、推し量ることすらできないが……。


「さて、どんどん料理を持ってこさせるゆえ、たんと食うてくだされよ」

 その言葉と同時、扇情的せんじょうてきな格好の少年少女が、盆を持って部屋に入ってきた。彼らにはひとつ、共通点がある。全員がコウモリに似た翼を生やしていた。


「……マヒナ?」

 と、どの顔も美しく整っていたが、中に見知った顔があった。マヒナだ。だが、声をかけてもマヒナは不思議ふしぎそうにオレを見返すばかり。


「おや、給仕奴隷きゅうじどれいのひとりが、お気に召しましたかな?」

「奴隷……ですか?」


「左様。我が王家は農奴のうどなど4000の奴隷を保有してござる。こやつら性魔せいまは見た目も良いので給仕奴隷として重宝ちょうほうしておっての。じゃが、むろん、こやつらの真価は夜伽よとぎの相手をさせてこそよ。何しろ、いくらまぐわってもはらむことがない。しかも、ひとたび契りを交わせば、過去にまぐわった者たちの記憶が消えるらしゅうての。生娘きむすめのようにも、娼婦のようにも楽しめる」


 と、国王が下卑げびた笑みを浮かべた。


 奴隷。

 ある程度、予想はしていたが……。まぁ、我々の世界でも、ほんの150年前までは当たり前のように奴隷はいたわけで。王権神授説とか、中央集権の時代であろうこちらの世界にも、奴隷ぐらいいたっておかしくない。リンカーンの奴隷解放宣言だって、自軍の解放した奴隷を南軍に返還したくないばかりに発した、苦し紛れだ。


「気に入ったのなら、今宵こよい、あなたの部屋に向かわせるが?」

「あ、いや、結構です! ──ところで、お尋ねしますが、陛下がお持ちの4000の奴隷のうち、魔族はいかばかりになりますでしょうか?」


「さて。昨今、人間の奴隷を持つとなると教会がうるさくてのう。おそらくはほとんど、魔族の奴隷じゃろうが。──あいや、何も不当に得たものではないぞ? こやつらはもともと、先代の魔王より譲り受けたものでな。先の戦争の折、我が軍が魔族軍を圧倒してのう。魔王の命を保証し、魔族の領土を安堵あんどする代わりに、貴国からは3000の奴隷が贈られたのじゃ」


「ほう……、安堵あんどですか」

 どのくらいのニュアンスまで“翻訳”されているのかは分からないが、領土を安堵あんどする、とは、まるで臣下に対する物言いだ。


「これ、そのように睨まんでくだされよ。単なる言葉の取り違えじゃ」

 言葉尻をとらえたオレに、王が慌てて言い訳をする。

 彼は少し決まりが悪そうな顔で立ち上がって、手を叩いた。


「ちょうどようござった。我がシンリュートとしても、貴国とは緊密な関係を築きたい。そこで、友好の証として、先代の魔王より譲り受けし奴隷たちを、今こそ貴国にお返しいたそう!」


   ◆   ◆   ◆


(まぁ、こんなもんかな)

 蛍光灯などない薄暗い部屋で鏡を見ながら、オレは思った。

 なんだかんだで、戦争は回避されたようだし。奴隷制など、現代日本人の感覚からは受け入れがたい問題もあったが──、そもそも、先代の魔王が自国民を売り渡したのが始まりだそうだし。その暗黒の歴史も、今日で終わるわけだ。


「しっかし、こりゃまた立派な角だよなぁ~」

 鏡の前で自分の角をぺたぺた触っていると、部屋のドアがノックされた。


「あ、どうぞ。開いてます」

「失礼いたします……」

 そう言って中に入ってきたのは──、先ほど見た、ドレス姿のマヒナだった。


「マヒナ? やっぱりマヒナだったのか? お前、家族を守るよう命じておいたはずだが、なんでこんなところに……」


「失礼ながら、陛下。もしや、私をマヒナ・ラ・イサクとお間違えで?」

「間違えるも何も……」

 と、彼女のピンク色の髪に、違和感を覚える。


「あれ、お前。そんな髪の色してたっけ?」

「やはりですか……。あのように品の無い女と間違われるとは心外です。わたくしの名はマカンナ・ラ・ブリオリッジ。よく似ていると言われますが、あの女とは単なる従姉妹同士。よくご覧ください、──この、胸を!」


 そう言うやいなや、ホルターネックの首元を素早くほどき、マカンナはぺろんと胸をはだけた。


「わわっ! やめろ、しまえ!」

 急いで目を覆ったが、悲しいかな、男のさがというやつで、オレの目は形のいい小ぶりな胸と、その頂にある柔らかなピンクの突起をしっかり認識していた。いかに奥さんに一途であろうと、見えちゃったものは仕方がないのである。……多分。


「いえ、きちんと見ていただかなければ困ります! わたくしの胸は、マヒナなんぞより、ひと回り大きいのです!」


「わわっ、分かった! 見えた! 見えたから! 確かに、あの絶壁と比べたら大きい! あなたはマヒナじゃない! だから、しまってくれ!」

 正直、クロジンデのグッドルッキングおっぱいに比べたら、2人とも大して変わらん気はするが……。分かってくれたようだ。ベッドがきしむ音。それから、しゅるしゅると布を縛る音がして、「ようございます」と声がかかる。


「ふ、ふぅ……。そ、それで? 初対面のマカンナさんが、オレに一体どういったご用件で?」


「むろん。シンリュート王に、陛下の夜伽よとぎの相手をせよと命じられまして。栄えある魔王陛下の精を頂ければ、我がブリオリッジ家の格も上がろうというもの」


「な!」

 あのハゲ! ちゃんと断ったはずだぞ! と、いきどおる間もなく、マカンナがオレのほうにしなだれかかってきた。

「陛下は着たままでなさるのがお好みのご様子。今宵わたくしは、陛下に抱かれ女になります……!」


「お、落ち着け! 話し合おう!」

 慌てて後退するが、ドアまで追い込まれて逃げ場を失う。


「さぁ、はよう、陛下の精を、わたくしに……」

 マカンナが背伸びをすると、熱っぽい吐息がオレの首筋にかかった。


 だが、


「いや、待て。──外が騒がしい」

 ドアの外で大勢が走り回る音がする。かすかに、「敵襲!」とか「侵入者だ!」とかいう声も漏れ聞こえた。その騒ぎが、だんだんこちらに迫ってくる。


「危ない!」

 オレはマカンナを抱えて、ドアから跳び退すさった。──次の瞬間、けたたましい音がして、今までいたドアは跡形もなく破壊される!


 逆光の先に立っていたのは、我が子・氷燦名ひさな幸四郎こうしろうだった。その後ろでは、ひと目で魔族と分かる魔獣や獣人たちが、騎士たちと交戦しているのが見える。


「パパ、何してるの? ──その人、誰?」

 なぜ、ここに? とか、これで戦争回避はまた白紙か、と思うより先に、オレの胸に去来した思いはただひとつ。


(マカンナが裸でいたところを、見られなくて良かった!)

 だった──。

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