生きてて文句は言わせねぇ

S・マーキュリー

第1話 病気になったら問答無用

2002年。ワールドカップの日韓開催で世間が盛り上がっていた頃、僕は病気になった。

病気といってもガンやエイズのような命にかかわる病気ではない。でも人間らしいあつかいをされなくなる点では、恐ろしい病気。精神病である。

僕に下された診断名は統合失調症。昔の呼び方だと精神分裂だ。だから僕自身は自覚はないものの、それなりにキテる人なのかも知れない。

うつ病やアスペルガー症候群ほど有名な病気ではないが、通院していると長いあいだ通院や入院している人たちの多くが統合失調症と診断されているのを見てきた。

もっとも統合失調症というのは、病状の幅が広く完全に自分の世界にイっちゃってる人も、比較的ふつうに話せる人も全部ひとつの病名で説明されているから病状のイメージがわきにくいと思う。

余談だが、精神病の患者の中には自称うつとか自称アスペルガー症候群がよくいる。統合失調症とか人格障害なんてのより、世間の認知度があって同情をひきやすそうな病名を自称しているわけだが、僕はこの手のやつらが大嫌いだ。

確かにアインシュタインはアスペルガーだったし北 社夫は後年うつをわずらって、この病気を有名にした。またアスペルガーやうつの方が社会復帰の症例が多いという間違った知識もしきりに流布されているから、そのせいもあると思う。だけど有名な人の病名を自称したところで、「アスペルガーなんですか?天才なんですね」とはならないし、「うつなんですね? ずいぶんマシな病気ですね」ともならない。少なくとも僕は、そんなふうには応じてはやらないことにしている。

そもそも病名だけでも他の患者より良く見られたくて単純なウソをつく、その性根が許しがたいのだ。

最近だと、発達障害やPTSDなんてのもウソつきたちの流行りだ。ようするにテレビなどで取り上げられていて同情をひける病名なら何だっていいのだ。

この手のやつらは、主に自分の立ち位置を良くして異性の気を引くために、こうしたウソをつくから女性の方は注意して欲しい。

同病でおたがいをあわれめればいいが精神病の場合は、そういうわけにも行かないことが多い。

ひとつには死ぬような病気ではないこと。

下手に残された寿命が長い分、最後くらい優しくなろう、などという殊勝な気持ちがわいてこないのだ。

もうひとつには、精神病になる人はプライドが高い傾向があるように思う。だから、おたがいに同情するよりも自分の考えやプライドを優先させる。

あとは、僕のもとからの性格で病名でウソをつくような卑怯なやつらが大嫌いなのもある。

なんだか話がそれてしまったが、とにかく僕は精神を病んでしまった。それも自分の意志とは関係なく。


話を2002年に戻そう。

そのころ僕は、どうにも両親との折り合いが悪く無理して東京にもどって一人暮らしをしていた。

もどっていたと表現するのは、僕がもともと東京で生まれ育ったからだ。

両親は、僕が18の時に破産して長野県に引っ越した。それから5年くらいはなんとか働いて一人暮らしをしていたが24の時に壊滅的に金のない時期があり、僕もやむなく両親と同じ家に住むことになった。

父親が最初のひと月でしたことは僕の携帯電話を解約して、自衛官になるか、放送大学なる何の学歴にもならない通信教育を受けるかの二択を僕にせまることだった。

僕は、どちらも自分には向いていないと感じて素直に家の窓ガラスを一枚たたき割って差し上げた。

ご多分にもれず、僕は子供のころから両親に暴力を振るわれてきた。その内容については、簡単に書くことができないので後回しにさせてもらう。

窓ガラスを割ったのは、24年間の我慢の限界だったと思う。

それから2年間は、無為の日々だった。

月に一万円を親からもらい、タバコを吸ってゲームをする。あとは、アダルトDVDを見るだけの毎日。くわしくなった事といえばAV女優の名前くらいだ。

食事は家族の食べ残ししかもらえなくなっていた。

そんな生活に嫌気が差して、26の時に無理をして上京した。

最初は父親の知り合いの家にいたが、ここでもわけのわからない理由で暴力を振るわれて、すぐに昔のバイト仲間のところに転がりこんだ。

ところが、そのバイト仲間もすでに生活保護で暮らしている始末で、すぐに出て行かなくてはならなくなった。

なんとか親に金を借りて、早稲田にある4畳半の下宿に住むことになった。上京してから、下宿に居つくまで3ヶ月だから、ずいぶん転々としたものだ。

ひと月は、なんとか近くの印刷所で働いたが、その金も尽きて万事休す。下宿の部屋でぼんやりしていた時に、凄まじい幻聴に襲われた。

幻聴だから内容は、意味がない。しかし、拡声器で流されているかのように、かなり大きい声として聞こえるので、たまらない。

こうなると働くどころではない。しかし、お金はすでになくなっているから、何日か絶食した後で、あきらめて親の家に出戻りすることになった。

題名にあるように、問答無用。本当に病気になる時には本人ができることは、あまり無いように思う。

このあと僕は、長野で入院させられる事になる。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

生きてて文句は言わせねぇ S・マーキュリー @shamrock

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る