第3話 幼馴染み♂を売る その7

 翌日の夜になっても、光からの詳しい説明はなかった。携帯メッセで何度か尋ねていたのだけど、


『メッセじゃ説明しにくいし、電話でもちょっと……』


 という、なんとも模糊とした答えしか返してくれなかった。

 光は一体、俺に何をさせたいのだろう? 話をするだけなら携帯でいいわけだが、


『とにかく、夜のいつもの時間にログインしてほしいんだ』


 と、念を押された。

 考えられるのは、昨日の“元ストーカー君誘き出し作戦”だ。作戦は図に当たって、元ストーカー君の別キャラが撮影できたはずだが、その別キャラに何か問題があったのだろうか……?


「……まあ、考えても仕方ないよな」


 などと思案したり、独りごちたりしているうちにパソコンも立ち上がった。いつものようにマウスを滑らせ、いつものように【ルインズエイジ】を起動させる。ログイン画面でパスを打ち込んで、キャラクター選択画面に表示されたクラッシュの画像をダブルクリック。いつものロード画面を経て、クラッシュは【ルインズエイジ】の世界に降り立った。

 さて、ログインしたことを光に伝えよう――と思ったのと同時に、ルミナからの個人チャットが飛んできた。同門の門人同士は、一門管理画面で互いのログイン状況を確認できるのだけど、光はどうやら管理画面をずっと表示させたまま待っていたようだ。


『やっと来たね。いまどこ?』

『溜まり場のロビーだよ。そっちは?』


 俺は聞き返したが、反応はない。返事を催促しようかどうかと躊躇っているうちに、返事じゃなくて本人が来た。つまり、ルミナ本人がホテルの玄関口にやってきたのだ。

 ルミナは無言でスキルを発動させた。胸の前で両手を合せたルミナを中心にして、淡い光の円が広がる。半径はキャラが三人立てる程度だ。範囲型の瞬間移動スキルで、この円内に入っていればルミナと一緒に瞬間移動できるのだ。


『乗って』


 ルミナの短いチャットとほぼ同時に、俺はルミナの隣に行く。すぐに俺とルミナの姿が消えて、ゲーム画面自体が暗転した。ごく短いロード画面を挟んだ後、画面には再び、ゲーム内の風景が映る。

 移動した先は、打ち捨てられた寒村の廃墟といった雰囲気のフィールドだった。街ではなく野外フィールド属性のマップだが、敵はほとんどいない。

 なお、街、野外、ダンジョンというマップ属性の違いは、耐久力の自然回復量に影響するくらいだ。もしかしたら他にもあるのかもしれないけれど、よく理解していなくても支障がないくらいのことだ。きっと。

 それはさておき――ルミナはすぐそこに建っている朽ちかけた掘っ立て小屋の中へと入っていく。俺もその後に続いた。

 掘っ立て小屋の中も、外見と同じくぼろぼろだ。床や壁の板張りには、そこかしこに穴が開いたりしている。システム的には別マップだから、穴から寂れた街並みが覗けたりはしない。真っ黒な背景が見えるだけだ。

 掘っ立て小屋の中には先客がいた。


『やあ、よく来てくれたね』


 そう発言して片手を挙げる仕草をしたのは、マスターさんだった。


『どうも、こんばんはです』


 俺は戸惑いつつも習慣で挨拶してから、続けて訊ねた。


『俺、なんでここに呼ばれたんですか?』

『それはだね、後で説明しよう』

『後で? 何の後でです?』

『すまない。それを説明している時間もないから、とにかくルミナ君の横に立っていてくれ』

『はあ……』

『黙って立っていてくれるだけでいいから。頼むよ』

『分かりました。でも、後で説明してくださいね』

『もちろんだ』


 マスターさんはさらに、


『もっとも、これからのことを見ていれば、その必要もなくなるかもしれないがね』


 と続けて発言し、肩を竦めて苦笑いする仕草をした。

 ……マスターさんにしてもルミナにしても、奥歯にものの挟まったような言い方をする。俺だけ仲間外れみたいで、あまりいい気分はしない。

 釈然としない気持ちを持て余していると、掘っ立て小屋の戸口に四人目のキャラクターが現れた。

 暗い紺色のボディースーツや腕甲、脚絆で身を固めた男性キャラだ。メイン職はたぶん斥候だろうけれど、むしろ忍者っぽい印象だ。きっと、×字に背負った二振りの短剣が、どちらも忍者刀だからだ。

 忍者の頭上に表示されているキャラ名は、タラカーンだ。


『やあ、タラ君。よく来てくれたね』


 マスターさんがこの忍者、タラカーンに、出迎えの言葉をかける。そのとき、俺はようやく気がついた。タラカーンという名前の横には、緑を基調とした小さな画像、【緑林亭】の家紋が表示されていた。

 あっ、そうだよ。この人、同じ一門の人じゃないか!

 言い訳させてもらうなら、俺はまだ【緑林亭】の一員になって日が浅く、メンバー一人一人の顔と名前が完全に一致しているわけではない。皮肉な話だけど、俺にぎりぎりアウトな個人チャットを送りまくっていた面々については顔と名前がほぼ一致してしまっているのだが。

 ということは逆説的に、タラカーンは俺にやっかみの個人チャットを送ってこなかった少数派の一人ということだ。というか、昨日の誘き出し作戦にも協力してくれていなかったか? 協力者の取りまとめはマスターさんにお任せしていたし、遂行中も俺はずっと一人でトレインしていたから、誰が協力してくれたのかをはっきりと憶えていなかった。……いやまあ、作戦終了後に溜まり場で顔を合せたはずだから、言い訳にもならないのだが。

 俺が申し訳なく思っている間にも、タラカーンは発言をしている。


『こんばんは、マスター。でも、どうして二人も一緒なんです?』


 タラカーンにとって、俺とルミナが同席していることは想定外のことだったらしい。つまり、マスターと二人だけで会うつもりだった……先ほどの挨拶からして、マスターのほうが『二人だけで会おう』と言って呼び出したのか?

 その疑問を文章にする前に、にマスターさんが言った。


『私がタラ君を呼び出したのは、彼が欲しがっている装備をたまたま手に入れたからだ。安く譲ってあげてもいいが、マスターが特定個人に便宜を図っていると思われても困るから、二人だけで会おう。そのときに装備を譲ろうと言って、呼び出したのだったな』


 微妙に説明口調なのは、事情をまったく飲み込めていない俺への配慮なのだろう。


『うん、そうですね。でも、』


 タラカーンは肩を竦める仕草を挟んでから、


『その言い方だとまるで、本当は違う理由で呼び出したみたいですね』


 と発言した。


『うむ、その通りだ』


 マスターさんが応じる。ルミナは黙って立っているままだ。発言する役はマスターさんに一任するつもりのようだ。


『私がきみを呼んだ理由、ひょっとして察しがついていたりするかね?』

『その言い方がもう、脅迫ですよね』


 タラカーンの返事に、マスターさんは少したじろいだのかもしれない。やや間があってから発言を返す。


『そうじゃない。私がしたいのは話し合いだ。だから、当事者だけで話せる場を用意したんだ』

『その二人が当事者ということは、ばれちゃったんですね』


 また、マスターさんの返事に間があった。まあ、長文を打ち込むのに手間取っただけかもしれないが。


『そういうことだ。分かっているのなら、逃げないで話に付き合ってくれるかな?』

『いいですよ。どうせこれで最後だし』


 タラカーンは肩を竦める仕草をして、同意を示した。

 ここまでの展開で俺は完璧に置いてけぼりだったけれど、隣に立っているルミナに倣って、とりあえず静観していることにした。マスターさんとタラカーンの間には、質問するのを躊躇ってしまう緊迫感があった。


『あ、そうだ』


 タラカーンがチャットの吹き出しを頭上に浮かべる。


『どうやって僕のことに気づいたのか、教えてもらえます?』

『昨日の作戦で、きみがクラッシュ君に近づいていくのを見ていたからだ』

『あれ? 僕は透明化してましたよね? ライトを焚かれた憶えはないんですけど』

『透明状態を無効にしなくとも看破する方法はあるだろう?』


 そこで少し長めの間が空く。


『まさか、オシリスの眼?』


 タラカーンが発言すると、マスターは返事の代わりに頷く仕草を取った。

 二人の会話は断片的な言葉ばかりで、全体像が未だに把握できない。俺はゲームを起動させたままブラウザを起ち上げて、一番意味の分からなかった言葉“オシリスの眼”を検索してみた。そのままだと該当する件数が多すぎたけれど、検索ワードに“ルインズエイジ”を追加してみると、すぐに求める情報が見つかった。オシリスの眼とは、透明状態になったキャラを普通に見ることができるようになる装備の名前だった。

 透明化しているキャラを発見するための一般的な方法は、透明化を解除させる効果があるスキルを使うことだ。代表的なのが光属性の魔術スキル【ライト】で、これを使うと自分を中心とした一定範囲内にいるキャラの透明状態を解除することができる。ただし、自分の立っている地点もスキルの効果範囲に含まれるため、自分の透明化まで解除されてしまう。さらに、相手や周りの者にも透明化の解除が行われたと伝わってしまうのが、秘密裏に事を進めたい場合には難点だった。

 その点において、オシリスの眼は優秀だった。透明化して潜んでいる相手に、自分のことがばれていると気づかせずに看破できるからだ。

 ただし、この特徴はMOB相手の狩りで活かされることはない。敵MOBの思考AIは、透明化を解除されようとされまいと、行動パターンが大して変わらないからだ。対人戦PvPでも、常に【ライト】などの透明化解除スキルを使っていれば、透明状態で奇襲されることは防げるから、オシリスの眼がなくとも困ることはない。

 こうした説明を読んでいると微妙な装備みたいに思えてくるけれど、あればとっても便利だし、なによりもボス敵が低確率で落とす稀少装備であることから、プレイヤー間での取引価格はとっても高い。俺の総資産では手が届かないくらいの高額装備だった。

 俺がゲーム外のブラウザで調べものをしている間にも、マスターさんとタラカーンの会話は続いていた。


『オシリスの眼って、値崩れしてましたっけ?』

『いや』

『じゃあ、かなりの出費だったでしょうに。身隠しの札も大量購入してましたし』

『値段はこの際、関係ない。必要なもので、買えるから買っただけだ』

『って、それが必要になると分かっていたということは、僕は作戦前から疑われていたってことですか』


 タラカーンはきっと自嘲の意味を込めて、肩を竦めた。その仕草に、マスターさんは頭を振る仕草で応じる。


『いや、君が真犯人だとは思っていたわけではないよ。ただ、諸々のタイミング的に内部犯がいる可能性も考慮すべきだと思っただけさ』

『なるほど。じゃあ、僕はじっとしていれば見つからなかったものを、自分からむざむざ炙り出されにいったというわけですか』

『そういうことだな』


 マスターさんの言葉に、タラカーンはまたも肩を竦める仕草で内心を語った。

 俺にもだんだんと話が見えてきた。

 マスターさんは昨日の誘き出し作戦を始める前から、いや計画しているときから、俺がトレインしている画像を晒し板に貼った真犯人が一門メンバーの中にいると疑っていたのだ。

 いつからその疑いを抱くようになったのか――おそらく、元ストーカー君の犯行声明が晒し板に書き込まれたときだろう。

 冷静に思い返してみれば、あの書き込みは必要以上に詳しく書かれていた。書かれすぎていた。

 自分が何者かを声明するのはいいとしても、いかにしてトレイン現場を撮影したかという点について詳らかにする必要はなかったのではないか。今後も俺や、俺の周囲の者を盗撮すると宣言している以上、盗撮手段は秘密にしておこうと考えるのが普通なのではないか? そこに矛盾を感じたマスターさんは、こう考えたのだ。

 この書き込みは嘘の可能性がある。盗撮犯の名前も、盗撮の手段も、真実を隠すためにでっち上げた嘘だ――と。

 盗撮犯が元ストーカー君ではないかもしれないという可能性に、一門メンバーの画像が貼られたことを合せて考えると、真犯人が一門メンバーの誰かである可能性を考えないわけにはいかなかった。だから、俺たちメンバーにも内緒で【オシリスの眼】を用意して、不審な動きをする者がいないか見張ることにしたのだろう。


『私は、メンバーの中に犯人がいるとは思いたくなかった。だから、つい考えてしまったことが間違いであると証明したかったのだがな』


 マスターさんは長めの文章でチャットの吹き出しを一杯にする。気持ちを言葉にして吐き出すことで、平静でいようとしているのかもしれない――俺はマスターさんの内心をそんなふうに慮る。だけど、タラカーンは違った。


『言い訳しなくてもいいですよ。マスターは身内を疑って、罠に仕掛けた。それは正解だったんですから、いまさら自己正当化の言葉なんて』


 タラカーンはまた、肩を竦めた。

 マスターさんは言い返さない。気の利いた仕草を返すこともしない。でも、居心地の悪い沈黙は短かった。


『勘違いしないで!』


 言い放ったのはルミナだ。


『最初に身内を疑ったのは、わたし。マスターは、わたしに相談されて、少しだけ手を貸してくれただけだから』

『ああ、そうなんですか』


 タラカーンの返事は、俺にはお座なりなものに感じられた。ルミナも――光もそう思ったのか、発言が荒ぶる。


『そうなんだよ。だから、自分のしたことを棚に上げてマスターを責めるような真似は止めてよね』

『棚上げするつもりはないですよ。現に、証拠を出される前から自供しているじゃないですか』

『タラ君が透明化してクラッシュに近づいているところのSS、すぐにでもアップできるんだけど?』

『ああ、証拠SSがハッタリだと思っているわけじゃないですよ。でも、』

『でも?』

『いえ、べつに』

『言いなよ!』

『じゃあ言うけれど、そんなSSを出されても、しらを切るつもりなら簡単にできてましたよ』

『はあ!?』

『僕だって昨日の、架空の犯人捜しに参加していたんですよ。透明化してマップを動きまわっていても不思議はないでしょう?』

『それぞれ探す範囲は決めていたし、クラッシュに見えている範囲を探す必要なかったじゃない!』

『うっかりですよ、うっかり。動きまわっていれば、そうなってしまうことだってあるでしょう』

『そんなの言い訳!』

『はい、言い訳ですよ。でも、筋の通った言い訳だと思いませんか?』

『全然思わない!』

『それはルミナさんの想像力が清貧だからですね』

『馬鹿にしてるの!?』

『あ、それはちゃんと分かるんですね』

『怒るよ!!』


 どう見ても、すでに怒っている。

 旦那としては嫁に助太刀するべきだったのかもしれないが、俺は二人のやり取りにちょっと驚いてしまっていた。

 【緑林亭】の男性メンバーは基本的に、ルミナファンクラブの会員でもある。昨日の作戦に協力してくれたメンバーもほとんどは、


『ルミナちゃんの好感度を上げた……いやいや、手助けをしたいから!』


 が理由だったと思う。

 それなのに、このタラカーンという忍者風の男性キャラは、ルミナを馬鹿にしている。ルミナにこういう態度を取るメンバーは初めてだった。

 俺が驚いているうちに、見かねたマスターさんが仲裁に入る。


『二人とも、そのくらいにしておくんだ』

『先に喧嘩を売ってきたのはタラ君だよ!』

『ルミナさんは押し売りされたら、何でも買っちゃうんですね』

『ほらまた!!』

『止めないか!』


 マスターさんの一喝に、ようやく場が静まる。文章チャットに音や熱はないはずだけど、多少なりとも知った仲であると、想像力がそれらを勝手に補うのだ。


『たしかにタラ君の言うとおり、昨日撮れたSSは動かぬ証拠とまではならないだろう。が、それでいいんだ。私たちに、きみを告発する意思はないのだから』


 マスターさんの言ったに俺が含まれているのだろうことに、異論はなかった。


『つまり、追放される前に自分から出ていけ、ですね』


 タラ君もといタラカーンの皮肉めいた発言に、ルミナが反応した。


『そうじゃないよ。反省しろって言ってるの!』

『つまり、けじめをつけろ、ということでしょう?』


 ルミナの発言はなく、タラカーンが続けて言った。


『だから、けじめをつけますよ。自主的破門という形で』

『どうしてそうなるの!』


 今度はルミナが五月雨のごとく短い発言を続けていく。


『マスターはそうならないように、』

『こういう場を作ったのに、』

『それをちょっとは考えてよ!』

『マスターに当てつけるのは止めなさい!』


 ルミナの連続発言が止むと、すぐさまタラカーンの反論が飛んだ。


『ルミナさんは、僕に残留しろと言うんですか?』


 きっとルミナが発言しているときから文字入力欄に打ち込んで用意していたのだろう質問に、ルミナとマスターさんは異口同音に答えた。


『そうだよ』

『そうだ』


 タラカーンは肩を竦めながら言った。


『それは無理です。いくら僕でも、この期に及んで居座れるほど厚顔無恥じゃありません』

『罪悪感を感じてるのなら、マスターの気持ちを汲んでよ!』

『マスターは僕を従わせたいんですか?』


 タラカーンはルミナの言葉を無視して、マスターに問いかけた。マスターが答えるまでには、いささかの間があった。


『きみは我々のゲームを楽しむ権利を侵害した。そのことを自覚し、反省してほしいと思っている。だが、きみに同じことをしたいわけではない。だからきみが、一門に残っていてはゲームを楽しめなくなるというのであれば、引き留めることはできないと思っている』


 ……もってまわった長文だったけれど、要するに、辞めるなら止めない、だった。


『いいの?』


 ルミナの発言は、マスターを批難するものにも見えた。そこまで苛烈なものでなかったとしても、タラカーンを慰留しなかったことに少なからず驚き、失望しているようだった。


『いいもなにも、マスターにそこまでの権限はないよ』


 自嘲にも見えるマスターの発言に、ルミナもそれ以上に言い縋ることはなかった。


『マスターがそれでいいなら、それでいいよ』

『責任をマスターに押しつけるんですね。さすが、お姫様です』


 タラカーンの皮肉というか攻撃を、ルミナがどう受け止めたのかは分からない。ルミナは黙ったまま、ぴくりともしていないからだ。


『タラ君、そういう言い方は止めたまえ』

『はい、すいません』


 マスターさんの叱責には素直に従って、タラカーンは深々と腰を折って謝る仕草をした。……いや、そんな仕草をわざわざするあたり、これもまた皮肉なのか?


『では、話し合いはここまで、ですね』


 そう言ったタラカーンに、ルミナが今度は反応した。


『待って。まだちゃんと分かってない』

『ルミナさんの理解を待っていたら日付が変わりそうですね』

『分かってないのはタラ君のほう』

『僕が?』

『マスターの気持ちをちゃんと分かってと言ってるんだよ』


 その言葉が胸に刺さりでもしたのか、タラカーンの次の発言までには少し間があった。


『それ、マスターのじゃなくて、自分の気持ちを分かれってことですよね』

 ルミナが答えるまでにも、少しの間があった。

『どうして、そういうふうにしか考えられないの?』

『だって事実、そうですよね?』

『じゃあ、それでいいから、分かってよ』

『ルミナさんの気持ちを? なら、分かってますよ。わたしのお庭で勝手なことしないで、ですよね』


 はっきりと敵意を剥き出しにした言葉だ。これはさすがに、俺が黙っていられなかった。


『そこまでだ』

『おっと、旦那さんのお出ましですか』

『この場で反省するべき人物はそっちだろ。少しは殊勝にしたらどうだ?』

『してますよ。だから辞めますと言っているじゃないですか』

『そういうふうに辞めればいいというのが反省していないって言ってるの!』


 俺がせっかく庇ったというのに、ルミナが噛みつきにいった。


『ほら、こうやってルミナさんが引き留めるので困ってるんです』

『そういう子供じみた発想を止めなさいって、だから!』

『さっきから止めろ止めろ言っているの、ルミナさんだけですよ。どっちが子供なんですかね?』

『マスターもどうして止めないんですか!?』


 高速チャットの応酬は、マスターさんに飛び火する。びくっと震えたように見えたのは、もちろん目の錯覚だ。


『私には、やはり、引き留めることはできない』

『どうして!?』

『タラ君の意思を尊重したいと思うし、それが謝罪の意思だというのなら受け入れてやるのが、タラ君のマスターとして最後の勤めだとも』

『わーご立派ですねー』


 タラカーンは拍手する仕草までして、マスターさんをあからさまに煽る。この場で彼の味方をしているのはマスターさん一人だというのに、自分から敵対するよう仕向けているかのようだ。


『マスターになんてこと言うの! 謝って!』

『えー、ルミナさんにそんなこと言われる筋合いないですよねー?』

『何その言い方!?』

『えー、言い方とかいま関係なくないですかー?』

『反省の欠片もない態度が問題なんでしょ!』

『じゃあ、反省の態度をお見せしますよ』


 タラカーンはそこで言葉を切った。俺はつい反射的に、彼の続きの発言を待ってしまった。だから、気づくのが遅れてしまった。


『タラ君!』


 ルミナが急に言ったことで、やっと気づいた。

 タラカーンというキャラ名に並んで表示されていた緑色の家紋画像が、なくなっていた。


『反省の証に脱退しました。はい、満足ですね』

『タラ君!!』


 ルミナはなおも引き留めようとしたけれど、もう無理だった。タラカーンの姿は、すっと空気に解けるようにして消えた。ログアウトしたのだった。

 行き場をなくしたルミナの怒りは、マスターさんへと向かう。


『マスター、どうして止めなかったの!?』

『その理由はもう何度も言ったじゃないか』

『納得できてないから聞いてるんです!』


 ルミナの追及に、マスターさんは答えない。


『答えてください!』


 さらに催促されて、ようやく返事を発した。


『分かってもらえないのは残念だ』


 ただのそれだけだった。

 ルミナはきっと、もっと具体的に理由を述べよ、と言うつもりでチャットを打ち込んでいたのだろうけれど、マスターさんはそれを言わせなかった。


『私も少し考えたい。今夜は落ちさせてくれ』


 その発言が消えないうちに、マスターさんもログアウトして姿を消した。

 残された俺たち二人は、互いに発言のないまま、数秒を過ごす。

 このままだと延々続きそうな沈黙に、先に耐えかねたのは俺だった。


『俺たちも落ちようか』


 ルミナはややあった後、


『落ちた後、携帯でチャットしてもいい?』

『もちろん』


 俺が即答すると、ルミナは満足したように、


『じゃあ』


 と言ってログアウトした。俺もすぐ、その後に続いた。チャットログではタラカーンの脱退に気づいたメンバーが騒ぎ始めていたけれど、気がつかなかったことにした。

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