第2話 話の中の登場人物たち

 祖母は、この話をするときに自分の娘である〝サチコさん〟以外の人の名前は教えてはくれませんでした。


 いつも私が「その人たちの名前はなんていうの?」と聞いても、「さぁ、昔のこと過ぎて忘れてしまったわ」と言って寂しそうに笑っていました。

祖父の名前でさえ「おじいちゃんでいいでしょう」と言って、教えてはくれませんでした。


 ですから、このお話に出てくる登場人物たちについては、私が祖母から聞いた通りの呼び名で書いていこうと思います。




〇おじいちゃん……私の祖父。

(母の父。明治生まれ、祖母より8歳年上と聞いている。)


※跡取り息子でありながら、父親を激怒させて養子に出され、その時におまえは生きてきてもなんの役にもたたないからと軍人にされてしまいます。


 そして、後に陸軍中野学校の一期生として妻子を中国において、単身で東京に向かいます。

 このときのお仲間は皆さん祖父より年下だったとのことですが、祖父は「自分の命を預けられる相手」と言って信頼していたのだそうです。


 ですが戦後、そのお仲間の人たちから中野学校の本を出すという話しが出た時に祖母が「本人が生きて帰ってきていたのならいざ知らず、日本の捨て石になると覚悟して死んでいったのですから、その時の気持ちを大事にしてあげたと思います。ですから名前は出さないで欲しい」と伝えたところ、後日届けられた本には「ひとりは卒業もしなかった。後に病死した」との一行が書かれていたのだそうです。


 祖母は、その一行が自分の夫(祖父)であることを、名前の代わりにその一行が書かれたことを一目見て分かったのだそうです。


 そして私に「そんなことは書いて欲しくなかった。中野にいたことさえどこにも残こさないで欲しかったのに・・」と言いましたが、


 それは多分…。


 遺族の意向は大事にするが、お互いが自分の命を預けられる相手と認めた人間を、なんだかの形で自分たちの仲間として一緒にいたいという優しさなのではないかなと私は子どもなりに思ったのです。


 因みに弟さんも後に陸軍中野学校出身ですが、こちらは祖母が「京都の実家に聞いて欲しい」と伝えたところ、その本の中に弟さんの名前が載っていたのだそうです。




〇祖母、(私の会話中ではおばあちゃんと表現)……私の祖母。

(母の母。明治生まれ。私にこの話をしてくれた人。)


※祖母が生きた時代、女子の将来の就職先(結婚を就職先といっていいのかは分かりませんが、少なくとも祖母はそう言っていました)は殆どが結婚でした。


 ですから祖母も、その当時の女子教育の一環として自分で自分の花嫁衣装が縫えたならお嫁に行けると言われていたので、祖母は本家のお兄さんのお嫁さんになりたくて、和裁は誰よりも努力して自分で自分の花嫁衣装が縫えるように頑張ったのだそうです。


 ですが結果は「家の格が違う」と断られ、「なんであんなに頑張ったのかしら」と寝る間を惜しんで毎日、毎日小さな針に糸を通し、着物を縫い上げることに夢中になっていた自分がバカらしいと、がっかりしたような口ぶりで言った祖母を覚えています。


 そしてこれも当時の女子教育の一環だったのだそうですが、嫁いだ先で旦那さんが早くに亡くなることがあったとしても、子どもを養い、食べていくことに困らないようにということから、お稽古事(琴、三味線、笛、鼓など)をひとつ、先生になれるように子どもの頃から習ったのだそうです。


 ですが、これはあまり好きでは無くて、和裁に比べると手を抜いていたのだとか…。



    

☆☆

 ちょっとここで当時の日本が世界の中で、どんな立場にいたのかを、一般の家庭から垣間見る出来事を祖母から聞いたので書いておきますと…、


 それは「家の中で食事の前に拝み箸をやってもいいけれど、外ではしてはいけない。キリスト教徒の外国人がその姿をみたのなら、箸を神のように扱う日本は下等な国だと思われて、他のアジアの国々のように、よその国の支配を受けることになるかもしれないからね」と祖母が学校に上がる前の日に、お父さんがご飯を食べながら言ったのだそうです。


 確かに、今、拝み箸は和食を頂く時の箸の使い方としてはマナー違反として教えられています。


 でも、これはちょっとおかしな話しで、日本では、箸は自分と神が同時に食事するものという意味がありますから(お正月用の箸は特にそうですね)、本来拝み箸がマナー違反になるのはおかしな話しだと思います。


 でも、これは明治政府からのお達しだから守るようにと祖母のお父さんは教えてくれたのだそうですから、昔からある庶民の習慣を変えてまでも日常に注意しなければ、当時の日本は国を乗っ取られる微妙な立場にいたのだということが少し理解出来るのではないでしょうか。





〇弟さん(おじさま)……おじいちゃんの腹違いの弟。

(曾おじいちゃんと舞妓さんの子ども)

※おじさま…サチコさんは、祖父の弟さん(サチコさんからすると叔父)のことをそう呼んでいたそうです。



〇サチコさん…私の叔母。(母の年の離れた上から二番目の姉)

※祖母から聞かされた「話の裏にある本当の事」の話の中心的人物で、どうしてあのとき助けてやれなかったのかと、祖母が一番心痛めた娘。



 おじいちゃんの後を追って軍人になりたかった弟さんは、本家の養子にはいります。ですがそれは本当の母親の元を離れ「妾の子」という冷たい目が家中にある中での辛い子ども時代の始まりでした。



 そんな中、生まれたばかりのサチコさんを連れて祖母が京都の実家に帰ったときに弟さんは、誰も自分に話しかけてはくれない家の中で、初めて自分を見て無邪気に笑うサチコさんを抱いたまま一日中離さなかったのだそうです。



 赤ん坊のサチコさんを一日中抱いて離さなかった弟さんに、おじいちゃんは冗談半分からかい半分で、「そんなにサチコが可愛いなら、将来嫁に貰ってくれるか?」というと、


 弟さんは即座に「兄さん、サチコを僕の嫁にくれるのか?」と本気になったのでおじいちゃんは驚き、この家での生活がそれほど辛かったのかと気がついたのと、叶わぬ期待を持たせるのは罪なことだと思い「すまん、叔父と姪は結婚出来ない。その代わりにサチコを守ってやってくれるか」と弟さんにいったのだそうです。



 ですが、おじいちゃんは弟さんの一途さも、自分の娘であるサチコさんの一途さにも気がついていなかったのでしょう。


 ちいさなサチコさんが、自分を可愛がってくれる弟さん、おじさまに恋をして「サチコは大きくなったら、おじさまのお嫁さんになる」という言葉を聞くたびに、おじいちゃんは嬉しそうに、それなら弟さんの隣に立つ立派な女性になりなさいといっていたのです。


 おじいちゃんからすれば、そのうちに…、そう、大人になるにつれて自然に社会の常識を覚えていくだろう。


 それにそんなことをいっていたことさえも、子どもの頃のことと、いつの間にか忘れてしまうだろうくらいに思っていたのです。


 ですがサチコさんは忘れませんでした。



 自分の父親に言われたようにサチコさんは、弟さんの隣に立てる立派な女性になろうと勉強もお稽古も人一倍努力して頑張ったのです。


 そして一番の悲劇は、大人になる段階で「叔父と姪」は結婚出来ないという事実を知らずに、誰からも教えてもらえることなく成長してしまったことでした。





〇アキオさん…さちこさんの婚約者。サチコさん亡き後、特攻隊に志願。


※アキオさんという名前は、祖母と私の二人だけの秘密だという話をしていたときに、私がしつこくサチコさんの婚約者の人の名前を聞いたので、「さぁ-、そんな名前だったと思うけど…」と言葉を濁して、たった一度だけ祖母が口にしたサチコさんの婚約者の名前です。


 以後、この名前を私が口にしても祖母は、「そんなことを言ったことがあったかしら、もう、サチコの婚約者の名前なんて覚えていないわ」と私に言いました。

因みに、祖母はサチコさんの名前の漢字さえも教えてはくれませんでした。





・弟さんの母親…曾おじいちゃんと出会った頃、祇園一といわれた舞子さん。



・曾おばあちゃん…おじいちゃん(祖父)の母・家付きの跡取り娘。めったに笑わん人。


・曾おじいちゃん…おじいちゃん(祖父)の父・養子さん(商家の三男坊)







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