魔王と王国の騎士達

定命ていめいの者よ、か弱くはかない者達よ……さあ、我が前に勇気を示せ」


 この台詞せりふを聞くのはもう、何度目になるだろう? その正確な数を、王国の騎士イリドは数えたことが無かった。生ある者が皆、何度息を吸い吐き出したかを、覚えていないのと同じように。

 今日もまた、いつもと同じ光景に対峙する。趣味の悪い玉座から立ち上がると、魔王ラドラブライトは歩み寄ってくる。

 王女奪還に挑戦する、イリド達勇者へ。

 何ら気負う事も無く、気概さえ感じさせない……しかし、見る者を圧倒する存在感。


「イ、イリド様っ、どっ、どど、どうしましょう? 何を、僕は何を……」

「落ち着いて、テルル君。大丈夫。イリド、いつも通り私が援護します」


 動揺する宮廷魔術士きゅうていまじゅつしの顔には、まだ幼い面影が怯えの表情を彩る。

 無理も無い――彼は、テルル少年は今日、初めてラドラブライトに挑むのだから。望めば命の保障される、絶対遵守ぜったいじゅんしゅの協約が存在するとしても……実際に魔王を前にすれば、恐怖に足はすくみ思考は奪われる。

 イリドも遠い昔、経験があった。


「おや、そこの少年は新顔だな? ……期待させて貰う」


 白い顔で微笑ほほえむラドラブライトの、糸の様に細い目がテルルを見詰める。その奥に僅かに覗く、闇よりも黒く深い瞳。魅入られた少年はただ、杖を両手で抱いたまま震える他ない。


「さあ、テルル君、深呼吸して。平気よ、命までは取られないわ。多分ね」

「す、すす、すみません、エメリーさん。やれます……僕も、たっ、戦えます!」


 無理だ、と内心つぶやき、イリドは舌打を押し殺す。

 着任して間もない、新米の宮廷魔術士に最初から期待などしていない。今日もラドラブライトを倒す事は叶わないだろう。長年連れ添った、神官のエメリーが居てくれる事が、せめてもの救いだったが。もとよりこの勝負、結果は見えているようなものだった。それでも彼は、イリドは果敢に挑む。


「どうした? 来ないのなら……私からゆくぞ」

「エメリー! テルルを守れ、俺はっ――」


 無防備に間合いを詰めてくるラドラブライトへ、イリドは抜刀するなり身構える。彼は叫ぶ決意の続きを飲み込んで、全力で相手の間合いへ踏み込んだ。武器を持たぬラドラブライトは無造作に、まとうマントをひるがえす。あたかもそれは、意思ある生き物のように自在に伸びて、イリドと激しく何度も斬り結んだ。

 剣戟けんげきの合間に差し込まれる、怜悧れいりな薄い声。


「道中はどうだったかね? イリド君……楽しめたかね? 七階の仕掛け、あれは博士が考えたのだが……」

「うるさいっ! ふざけた真似を……真面目に戦えっ!」

「私はいつでも真面目だよ。ああ、そう言えば九階の宝箱……中身は良い物らしいが。拾えたかね?」

「ああ、確かにこの盾は良い品だ……だがな、伯爵! トラップ付きの宝箱とは、やってくれるっ!」


 ただの布切れとは思えぬ、重い一撃を受け止めるイリド。先程入手したばかりの大盾が、甲高い金属音を響かせ彼を守った。左手に走る痺れにも構わず、そのまま流していなすと……満足気に頷くラドラブライトへ、イリドは渾身の突きを繰り出す。

 まるで踊るように、位置を変え距離を変えながら。二人の攻防は、どちらかが力尽きるまで続くかに思われたが。立ち回るイリドには、今日も不快な結果が胸中を過ぎる。これまで幾度と無く挑み、同じ数だけ残してきた結果を……今日もまた、受け入れる事になるかもしれない。

 何故ならば――


「イリド君、そろそろ君達の仕事をしたらどうだ?」

「俺の、任務は……伯爵っ! 貴公を倒して姫を救う事だ!」


 剣を持ち直して低く構え、イリドは殺到する斬撃へと飛び込んでゆく。鋭い刃となった魔王のマントが、頬をかすめるのも意に介さず……彼はラドラブライトに肉薄すると、雄叫びと共に剣を振り下ろした。


「この間合い……魔神とて避けれはしまいっ!」

「――それで限界ですか? イリド君、それではまだ……僕は死ねない」

「何!? 貴様、何を……うおぉ!」


 鈍い衝撃が背筋を突き抜ける。

 気付けばイリドは、壁へと吹き飛ばされていた。


「さて、と……姫、終わりましたよ。もう出てらっしゃい」


 咄嗟とっさに身を守ったのだろう。かざした左手の盾が、粉々に砕け散っている。

 もう戦いは終わったとばかりに、玉座に戻るラドブライトの背が、無情にも遠ざかるのが見えた。僅かに滲んで映るのは、吹き出る汗が目を濡らすから。

 またいつも通り、敗北を喫した。

 この城にシトリ姫がさらわれてより十余年、数え切れぬ敗北の記録を、イリドは今日もみじめに更新してしまった。必殺の技を放つその瞬間、寂しげにラドラブライトは微笑み……一撃の下にイリドを退けたのであった。


「イリド、イリドッ! もうっ、おじ様は時々やり過ぎですっ!」


 朦朧もうろうとした意識が次第に鮮明になり、ぼやけた視界が開けてくると。駆け寄る少女の姿に、イリドは弱々しく立ち上がって一礼した。


「シトリ姫、とんだ醜態を……申し訳ありません」

「とんでもありませんわ、イリドは最善を尽くしてます。エメリー、早く傷の手当を」


 エメリーやテルルも駆け付け、イリドの周りを取り囲む。ただ慌てふためくテルルを落ち着かせながら、エメリーは精神力を集中して祈りを紡いだ。神官の法術がイリドを、温かな癒しの光で包む。

 しかし、善なる神の奇跡の御業みわざも、彼の心までは癒してはくれない。


「姫、これも私達のお役目ですわ。どうかお気になさらずに」

「でもエメリー、いくらイリドが屈強な騎士でも……いつか疲れてしまいますわ」


 心配そうに見詰める、シトリの視線に耐え切れず、目を逸らして立ち上がるイリド。

 彼の背に無情にも、ラドラブライトの言葉が突き刺さった。


「そうそう、イリド君。国からたまわった大事なお役目を、果たさなくてもよいのかな?」


 肩越しに振り返り、玉座のラドラブライトを睨み返したが。不遜な笑みを湛えたまま、魔王は微動だにしない。悔しさと虚しさの入り混じる、深い溜息が力なく零れた。


「テルル、荷物を姫に……姫、こちらはテルルです。新しく王女警護隊の一員となりました」

「はっ、初めまして、シトリ王女殿下……僕は、っと、私はテルルと申しますっ!」


 王女警護隊と言えば聞こえはいいが、要は王国とシトリとの連絡係である。

 その事を誰よりもイリドが、嫌という程良く解っていた。誰も彼にもう、ラドラブライトの討伐など期待してはいない。ただ定期的に、シトリ姫に着替えや花、菓子などを運び、ラドラブライト城での暮らしぶりを王国へ報告する。ただそれだけの、日常化した仕事。


「まあ、素敵! サイズもピッタリ。これはエメリーが?」

「ええ、そろそろ肌寒い季節ですから。風邪かぜなど引きませぬように、と」

「姫、御本も何冊かお持ちしました。退屈されてるのではと、城では皆心配しております」

「退屈ではありませんが、物語は嬉しいですわ。この城の書物はどれもこれも、わたくしには難し過ぎます」


 王国からの贈り物を前に、何より久々のエメリー達との会話に、シトリは満面の笑みを綻ばせる。彼女は何度も、テルルやエメリー、そしてイリドを労い礼を言うと、早速秋物のドレスを身体に当てて、くるりと皆の前で回ってみせた。

 場の空気がふわりと軽くなり、和やかな雰囲気が広がってゆく。

 心なしか、ラドラブライトでさえ、その光景に目を細めて見守っているようで。しかしイリドは、次第に馴れ合ってゆく互いの立場に、募る苛立ちを隠すので精一杯だった。


「では姫、またいずれ……テルル、エメリー、城へと戻るぞ」


 そう言うとイリドは、懐から己の財布を取り出し、その革紐を解いて金貨を何枚か取り出すと。残りを玉座のラドラブライトへ放り投げた。


「律儀だな、イリド君。キミ達は別に、払わなくてもよいと思うが」

「協約には従う! 戦闘不能だ……今日はな。だが忘れるなよ、ラドラブライト」


 ――俺は常に、貴様を倒す為に来ているという事を。

 それだけを吐き捨てるように呟くと、イリドはきびすを返す。別れの挨拶もそこそこに、急いで後を追うテルル。エメリーは礼を失する事無く頭を垂れると、シトリに微笑み別れを告げた。

 しかしシトリは、その言葉を遮り引き止める。神妙な声がイリドの耳朶を打った。


「エメリー、あの、その、お手紙とか……お父様からお手紙とかは。今日も無い……ですか?」


 じっと見詰めるシトリを前に、エメリーは無言で首を横に振る。手紙どころか言伝一つ、トリヒルの国王は娘へよこさなかった。この十余年の間、ただの一言も。

 トリヒルを治めるユーク王は、周辺諸国には賢王のほまれれも高い名君で通っていた。何の産業も無い辺境のトリヒルを、魔王ラドラブライトとの協約で一躍有名にし、今や押し寄せる冒険者達で、国の経済は潤っていた。だが、それは皮肉にも、己の娘と引き換えの繁栄……それ故か、親子の縁は十年以上前に、途絶えたままだった。


「申し訳ありません、姫……国王陛下はでも、きっと姫の事を――」

「あ、ええ……そうですわねっ! ありがとうエメリー。帰りも気をつけて」


 優雅に御辞儀をすると、ラドラブライトの待つ玉座へと駆けてゆくシトリ。その小さな背中を見送りながら……王女警護隊の三人は皆が皆、一様に複雑な思いを抱えたまま、足取りの重い帰路についた。

 イリドの焦燥感は加速し、重きを増して胸の奥によどんだ。

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