第十三話 監督してよ、監督署!

 翌週の月曜日、しーなは近くの大きなスーパーのレジ部門の求人を見つけて、面接に行ってきた。

 面接に当たった若い店長さんから、

「どうして、今のコンビニをやめてまで?」

 なんて聞かれて思わず、

「オーナーが不正を」

 と言ってしまいそうになったけど、今の段階でそこまで言うのもどうかと思って、

「季節ごとのギフト予約などのノルマがきつくて、居づらくなったんです」

 という程度にとどめておいた。

 これもまぁ、原因の一つではあるよね。



 その週の水曜日、しーなは電車に乗って、労働基準監督署に出向いた。

 集めた証拠や資料も抱えていったよ。

 もっとぴりぴりした所かと思ってたけど、古びた市役所のような、あまり堅苦しくない雰囲気だったのが、ちょっと意外だった。

 最初、窓口に提出するために、来訪の理由を書くのだけど、「賃金の未払い」だと、具体的に金額を書かなきゃいけなくて、これは困ってしまった。

 なにしろオーナーは、書面で証拠が残るようなごまかし方をしてないんだ。

 罰金等の徴収は、「勤務時間の操作」という形で行われていた。当然、給料明細にも何も書かれてはいない。

 うちの店は、ストアコンピューターにだけ登録する形で、タイムカードを別に利用してもいなかったから、比較もできない。

 連絡ノートをひっくり返せば、「引かれた可能性のある」莫大な金額が算出できるけど、書かれたことのどれを本当に引いて、どれを引いていないのか、自分の勤務時間の記録を一ヶ月弱しかつけていない自分には判断しようがない。

 いっそ、「ノートに書かれていたことはすべて行われていた」こととして書いてしまえばやりやすかったのかも知れない。

 でも、オーナーのやり方がいい加減で間違いだらけだから、こっちもでたらめにやってやれ、という気にはなれなかったんだ。

 従業員のこういう常識的なところに、オーナーはつけ込んできてるんだろうけど。


 しーなの相手をしてくれた相談員の笠森さんは、年配で、穏やかな笑顔がちょっといい感じの人だった。

 笠森さんは、しーなの話をじっくりと聞いてくれた。

 しーなが今までの記録からリスト化した、オーナの作成した「規則」と、その証拠になる資料を読んで、

「面白いことを考えるオーナーさんですねぇ」

 オーナー! 面白い認定いただいちゃったよ!



 しーながここに期待してたのは、「こういうむちゃくちゃな規則は成立しない」という指導をしてもらうことだった。

 でも、しーなたちがオーナーに対して話をした経緯、それに対してのオーナーの答えの部分に目を通して、笠森さんはこう言ったのだ。

「解釈は間違っているとはいえ、改善する方向で頑張っていますね」

 ……確かに、そういえなくはないけれど。

 これは絶対、改善する気はなくて、あえて曲解して自分の都合のいい方向に話を持って行く気だよ?


 どうやらしーなはここでも、労働基準監督署に期待しすぎていたらしい。


 しーなの知り合いが、前に勤めていた会社を辞めたとき、

『社員旅行の積立金として天引きされていたお金を返してもらえず、社長に掛け合っても聞く耳を持たれなかったので、監督署に相談して勧告してもらったら、すぐに返ってきた。「返してくれなかったら、また相談に来てください」とまで言ってもらえた』

 という話を聞いてた。

 どうやら監督署は、個人の具体的な相談、ここでいうなら「賃金の未払い」など判りやすい相談に対しては、すぐ動いてくれるらしい。

 でも、本人の申告が必要なので、「同じ職場の他の人の被害」に関しては、手が出せないらしいのだ。

 今しーなが持ち込んだ件も、こちらの抗議をオーナーが完全無視・もしくは「基準法なんか関係ない宣言」でもしてくれれば、まだ話は違っていたんだろう。

 でも解釈はかなり斬新とはいえ、改善の努力をする意志がないわけではないらしい、という点で、「様子見」と判断されてしまった。


 どうやら、しーなは動きすぎてしまったのかも知れない、と思う。

 下手に仏心などださず、早いうちに何も知らない顔で、「こんなことされて困ってるんですぅ」って泣きついてしまえば、良かったのかも知れない。

 法的な裏付けを取って、自分の考えに自信を持ちたいと考えたのが、裏目に出てしまったんだろう。

 しーなは「もうダメだ」と思ったからこそ、ここに来たのに。

 しーなたちが何を言っても無駄だと判ったから、もっと力のあるところに助けを求めに来たのに。



 たくさん話を聞いてもらえたし、しーなの言っていることは間違っていないと、ここでも言ってもらえた。

「オーナーが労働基準法に則った就業規則を作るなら、それに意見を言うこともできる」

とも言われた。

 でも、たとえそういう方向に話がまとまったとしても、「作られた就業規則が正しく適用される」という、基本的な信頼を、今までの経緯でオーナーは根こぎにしてしまったんだ。

 もういいよ、もうあの人には、何も期待しない。


 信じるのは、やめたんだ。






 帰るその足でしーなは、フランチャイズの地区本部まで出向いた。

 ちょうど竹中さんが出先から戻ってきたところだったので、余分に作ってあった資料と一緒に、今までの経緯を説明した。

 オーナーが罰金について、斬新な解釈の新案を出してきたこと。

 もうあの人はダメみたいなので、労働基準監督署に相談に行ったこと。

 しーなはもうお店をやめるから、オーナーに言ってくれちゃって構わないこと。


「信頼できない人の下で働くよりは、そのほうがいいでしょうね」


 その通りです、竹中さん。

 変に期待しないで、さっさと見捨ててしまえばよかった。


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