第48話 危険の報酬

――2018年8月1日、10時00分リスボン――


 矢倉たちが減圧を終えて、DDCから出てきたのは、灘遥丸がリスボン港に寄港した3日後だった。外は随分と激しい嵐だったようだが、矢倉達が船の甲板に出たときには、そこには一転して爽やかな青空が広がっていた。

 矢倉が大きく深呼吸をした丁度その時、ポケットのスマートフォンが着信した。


「無事に調査は完了したようですね」

 声の主は菅野だった。

「最終日はどうなることかと思いましたがね」

「お疲れさまでした。ところで、早速で恐縮ですがお会いしたいのです。これからリスボン市内の日本大使館まで来ていただけませんか? 色々とご説明をさせていただきたいと思っています。灘遥丸のすぐ脇に、迎えの車が待っています」


 矢倉が甲板から見下ろすと、黒塗りの車が船に横付けされていた。

「すぐに向かいます」

 矢倉はルイスたちに、「ちょっと急用だ」と一声だけ掛けて、タラップを駆け下りた。


 菅野は日本大使館の会議室にいた。促されるままに、矢倉は菅野の対面に座った。

「西村さんはお気の毒でしたね」

 矢倉の方から先に声を掛けた。

「我々は危険な仕事柄、いつ何が起きても不思議ではありません」

「犯人は分かったのですか?」

「いえ、まだです。しかし、事件の背景は見えてきました」


「背景ですか?」

「そうです。西村と花園に沿岸警備隊だと偽って接触してきたのは、第四帝国側の人間だと思われます。あのとき私が予想した通り、灘遥丸はずっとレーダーで監視されていたのでしょう」

「そうとしか思えませんね」

「我々は国外での諜報活動時、現地の公安関係者に同行を求められた場合は、抵抗せずに従うよう決まっています。我々は外交官のライセンス証を持っており、いざとなれば外交特権を使う事が出来ます。まずは現場で無用な衝突を避けるのです」


「それでは何故、銃撃戦などに?」

「西村たちと第四帝国が銃撃戦を行ったのではありません。第四帝国に連行されて移動している最中に、更に別の一団から襲撃を受けたのです。その一団も、第四帝国同様に、あの海域を見張っていたのです」

「別の一団とは何ですか? 第四帝国以外でそんな事をする者がいるのですか?」

「第四帝国と対立する組織――、モサドです。モサドが第四帝国からラボ缶を奪おうとして両者が銃撃戦になり、結局モサド側が返り討ちに遭ってしまったという事です。

 ラボ缶は第四帝国がそのまま持ち去りました。銃撃戦で死んだのは合計4人。内1名がイスラエル人だったというのは、先日お話した通りです。西村は巻き添えを食ったのです」


「幾らイスラエル人だからと言っても、その1名がモサドだとは限らないでしょう。裏付けはあるのですか?」

「あります。モサドから防衛省に、情報取引の依頼があったのです」

「情報取引?」

「自国の諜報員が日本人と共に殺された。しかもその日本人は外交官のライセンスを持っていた。同じ穴のムジナですから、相手もこちらが諜報員に違いないとピンときます。そこで仲間を殺した犯人の情報を得るために、日本側に協力を依頼してきた。

 冷戦終結以降、世界中の諜報機関は目前で敵対していない限り、お互いが情報を取引しています。CIAとKGBだってやっていますし、CIAとモサドもやっている。我々とモサドも然りというわけです」


「何故モサドはあの海域を監視していたのでしょう?」

「今からもう42年も前になりますが、ポルトガル沖で小型の特殊潜航艇が発見されました。ポルトガル軍が引き揚げて調査したところ、日本海軍のものだったそうです。

 情報を得たモサドは、当時零号作戦の存在は知りませんでしたが、日本軍の第四帝国計画への関与は大いにあると考えた。そしてその特殊潜航艇に乗っていた乗組員の消息を探るのと同時に、特殊潜航艇の航続距離から逆算した範囲を、監視海域に定めたのです」


「42年間も、ずっと監視を続けていたと言うのですか?」

「ユダヤ人のナチスに対する執念は、常人の理解を越えていますし、時間の尺度も全然違っています。彼らは可能性を感じれば、100年でも200年でもナチスを追います」

「事の背景は分かりました。それで取引した情報な何なのですか?」

「こちらからは、あの海域で調査した対象は、日本の潜水艦であった事と、金地金と共に2つのラボ缶を引き揚げた事。そしてそのラボ缶には、“C”と“D”と刻印されたプレートが付いていたことを教えました」


「相手からは?」

「先程お知らせした内容に加え、ラボ缶がザビアである可能性が高い事。そして第四帝国に関し、目下アメリカが多大な関心を抱いているという情報を得ました」

「アメリカがなぜ今頃?」

「理由は分かりませんが、安全保障上の何からしいです」

「それだけですか?」

「得られた情報はそれだけです。そしてそれとは別に、興味ある申し出を受けました」

「申し出――、ですか?」

「そうです。モサドはノルウェーに第四帝国の拠点がある事を察知しており、我々と共同でそこを調査したいと言うのです」


「ノルウェーですって?」

「そうです。ザビアが製造されていたのは、かつてノルウェーにあったナチスの研究施設なのです。当時ノルウェーはナチスドイツに占領されていました。同国がナチスにとって戦略上の拠点だったからです。

 ナチスドイツは友好国のスウェーデンで産出された鉄鉱石を、ノルウェー経由でドイツに輸入していました。それだけではありません。ノルウェーはノルスク・ハイドロという重水製造工場を持っていました。

 重水は原子爆弾製造のための重要な戦略物質ですが、ザビアを合成する上でも欠かせない原料だったらしいのです。

 モサドは連合軍が見落としたナチスの基地が、まだノルウェーに残存しており、第四帝国がそこにザビアを温存しているのではと疑っているのです」


「ノルウェーの理由は分かりました。しかし具体的に調査する場所は特定できているのですか?」

「場所の特定はまだですが、調査の対象は未発見のUボートブンカーです」

「Uボートブンカー?」

「Uボートの発着基地ですよ。当時ノルウェーには、対イギリス戦の哨戒攻撃任務のためにトロンハイム、ベルゲンの2カ所にブンカーがあった事が確認されています。しかし軍需物資輸送用の未発見のブンカーがまだ存在していた可能性があるのです」


「ノルウェーの海岸線はフィヨルドで入組んでいます。とても全域の調査などできませんよ」

「可能性の高い場所は絞られています。戦争終結時にはトロムソ、スタバンゲル、マンダールの3カ所にブンカーの存在が疑われていたようですが、当時は戦略上の重要度が低いと判断され、深く追及が行われなかったようです。

 そしてそこに、今回の西村、花園の襲撃事件の情報が重なります。銃撃戦で死んだ二人のノルウェー人のパスポートにはトロムソ市テレンダール在住と書かれていました」


「では、そのトロムソを調査するのですね?」

「その通りです」

「私にその話をされたという事は……」

「お察しの通り、手伝っていただきたいのです。これまでの調査でUボートブンカーが発見されていないという事は、そこは潜航したまま入港できる地下施設のはずです。ダイバーの協力が欠かせません」


  矢倉はしばらく考えた末、菅野の申し出を飲むことにした。いや飲まざるを得なかったと言うべきだろう。矢倉にとっても、伊220が毒ガスを運んでいたかもしれないという情報は聞き捨てがならなかった。


「調査はいつから始めるのですか?」

「すぐにでも」

 菅野は翌日にはノルウェーに向かうつもりだと言った。一緒に調査を行うモサドの諜報員とは、オスロで合流するのだそうだ。


     ※


 夜になって、矢倉はリスボン港に近いレストランバーで、ルイス、ミゲル、エヴァと待ち合わせた。調査に協力をしてもらった礼を、まだきちんと言っていなかったからだ。


 ルイスに指定された『ラウタスコ』という店に行くと、3人はもう席についていた。地元の家庭料理を出す店で、ポルトガルは景気が冷え込んでいるはずなのに、この店のテーブルはほぼ満席状態だった。まずはポートワインをボトルで頼んで、4人は調査完了の祝杯を上げた。それと同時に、料理が次々と運ばれてきた。


「ありがとう、本当に助かったよ」

 矢倉は3人に感謝の言葉を告げた。

「こちらこそ、刺激的なダイビングで、素晴らしい経験だったよ」

 ルイスが答えると、ミゲルもエヴァも同感というように頷いた。

「3人への報酬だけれど、まだ支払っていない半金は、明日指定の口座に振り込むよ。感謝の印で、少しだけ色を付けさせてもらった」

「そんな、気にする事はないのに」

 ミゲルが言った。


「いやいや、本当に感謝しているんだ。それと――、これも渡そうと思って」

 矢倉はバッグの口を開けて、周囲の客に見えないように3人に中を見せた。そこには500gの金のインゴットが8本入っていた。

「これはあの潜水艦の中にあったやつですか?」

 ルイスが訊ねた。

「そう。皆の記念にと思って、こっそり拝借させてもらった。4人で分けよう、ちょっとした危険手当だ」

 矢倉がそう言って、2本ずつ手渡そうとしたところで、ルイスが「ちょっと待った」と言ってそれをを静止した。


 ルイスは他の3人だけに見えるように、少しだけ自分のショルダーバッグを開けて見せた。何とそこにも500gのインゴットが8本入っていた。

「これも分けよう」

 ルイスは言った。


 矢倉が目を丸くしていると、ミゲルが「実は僕も」といって、持って来ていたダイビングベルトのポケットを開いて見せた。そこには4つのポケットに2枚ずつで、8枚のインゴットが入っていた。

「ウェイトの代わりに、ずっとベルトに着けていたんだ。金は比重が重いので、使い勝手が良かったよ」

 ミゲルはウィンクをした。


 矢倉が呆気にとられていると、「ちょっとみんな馬鹿じゃないの」とエヴァが声を上げた。エヴァの手の中には、ウィーン金貨が10枚握られていた。

「山分けするか」と矢倉がいうと、皆が口をそろえて「それが良い」と答えた。

 この日の金のレートはグラム当り、8500円になっていた。一人当たり500gのインゴット6枚+ウィーン金貨2枚で、2520万円ほどになる。

 悪くないボーナスだ。


「コイン2枚が余るわね」

 エヴァが言った。

「あの若造にやろう。最後にガス溶接機の吹管を持ってきた彼に」

 ルイスの提案に、ミゲルもエヴァも「それが良い」と同意した。


「レックダイビングに乾杯」

 ルイスがグラスを掲げた。


「乾杯」

 「乾杯」

  「乾杯」


 皆、口々に言いながらグラスをぶつけ合った。



――第十三章、終わり――

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