第8話 孫文の知音

中国の春秋時代、伯牙はくがという、琴の名人がいました。

鐘子期しょうしきという無二の親友が亡くなり、伯牙は自分の弾く音色の真価が分かる理解者がいなくなったことを嘆き、 琴の弦を切って二度と弾かなかったという故事があります。 この故事にちなんで、心が通じ合う親友を中国語で「知音ちいん」と言います。ただ単に仲の良い友人ではなく、深く分かり合うことができる、かけがえのない理解者を意味します。

初代中華民国の臨時大総統、孫文(1866 ~1925)は、「建国の父」と呼ばれ、中国大陸と台湾、双方から支持される稀有の革命家です。私は中国に赴任中、広東省中山市にある孫文の生家を訪れる機会がありました。孫文は中国において「孫中山スンジョンサン」という呼び名が一般的であり、人民服を中国語で「中山装ジョンサンジュアン」と言います。高野山大学で中国語を教えておられる土生川正賢先生は、広東省広州市にある名門、中山ジョンサン大学ダーシュエを卒業されました。この大学は、孫中山から名前をいただいたのです。 孫中山こと孫文が、「知音」と評した人物がいます。その人物は中国人の同胞ではなく、 とある日本人の青年でした。


(学者と革命家と僧侶)

 孫文がイギリスに亡命中の1896年3月16日の事です。

孫文は、ある日本人とロンドンで知り合い、たちまち意気投合。 よほど気が合ったのか、お酒を飲めない孫文が、大酒飲みの彼と毎日のように語りあうようになりました。 その日本人は、政治家でもなく、財界人でもありません。 紀州、和歌山生まれの一介の学者です。

 その日本人は1900年にイギリスから日本に帰国しますが、

翌年の2月13日、孫文は和歌山市内にある彼の家にまで足を運び、旧交を温めました。かの孫文が知音と評した彼こそは、

紀州が生んだ巨人、南方熊楠みなかたくまぐす(1867~1941)です。

熊楠は生涯、一切定職につかず、学位も取らず、裸一貫でアメリカやイギリスに渡り、生物学、菌類学、民俗学など、好奇心のおもむくまま、ひたすら学問を貪った大博士であります。

先日、理化学研究所の小保方晴子さん率いる研究チームが、新型の万能細胞(STAP細胞)を作成し、イギリスの科学雑誌「ネイチャー」に掲載されました。後日、この細胞の論文について、なにかと物議を醸しました。

この世界的権威のある科学雑誌、「ネイチャー」の歴史は古く、1869年に創刊されています。26歳の南方熊楠は、イギリス留学中に「東洋の星座」という題の論文を「ネイチャー」に寄稿し、1893年10月5日号に掲載されました。これを皮切りに、熊楠は植物や民俗学など多分野での論文を「ネイチャー」に次々と発表しました。生涯に一度でも「ネイチャー」に論文が掲載されることは、研究者として大変に名誉な事です。「ネイチャー」に掲載された熊楠の寄稿文は、その数なんと51篇。まさに圧巻の記録であります。

熊楠がロンドンに滞在中、孫文以外にもう一人、親交を深めた人物がおります。土宜どぎ法竜ほうりゅう(1855~1923)という真言宗の僧侶です。のちに第386代、高野山真言宗の管長猊下になられるお方です。

熊楠とロンドンで知り合ってから30年にわたる間、膨大な書簡のやり取りが記録として残されております。 それは手紙というより、もはや論文と言ったほうがいいような質と量です。熊楠は、土宜法竜あての書簡の中で、自然科学と仏教的縁起が融合した世界観を図に顕しました。文系も理系も、貪欲に学んだ熊楠の思想をそのまま形にすると、直線と曲線が幾重にも重なり、あたかも曼荼羅のような模様を描きます。この図はのちに「南方マンダラ」と呼ばれました。


(ふたりの共通点)

紀州は、日本史が生んだ二人の天才と縁深い土地であります。 一人は紀北の伊都の郡、高野山に入定された弘法大師空海。 そしてもう一人、南紀の田辺に眠る南方熊楠。

生まれた時代も、活躍した分野もまるで違いますが、 この二人の生き方は、どことなく似通っているのです。 両者とも、幼少より神童の誉れ高く、エリートの道を進むも、 名門の大学を中退します。 教室で学ぶことより、山野を跋渉ばっしょうすることを好みます。遠く海を越え、 時代の最先端である異国に留学します。

時の天皇陛下のおぼえめでたく、 それぞれ拝謁するご縁をいただいております。816年、 嵯峨天皇は、高野山を真言密教の道場として、弘法大師空海に下賜されました。 1929年、昭和天皇が田辺湾の神島かしまを行幸された際、 熊楠は粘菌や海中生物について、御前講義を仰せつかりました。







(マクロのいのち、ミクロのいのち)


文字で明らかにされた仏教を顕教けんぎょうと呼び、 言葉を超えた大日如来の教えを密教と呼びます。花を持つ植物を顕花植物と呼び、花を持たないシダやコケ、藻や粘菌などを隠花いんか植物と呼びます。空海は顕教ではなく密教を修得しました。熊楠は顕花植物よりも、隠花植物を深く研究しました。目に見えるものではなく、肉眼では見えない神秘にこそ、本質が宿っていることを見抜いておられたのでしょう。空海は壮大な曼荼羅に、なまなましいアメーバのような生命のうごめきを見ました。熊楠は顕微鏡で覗いたアメーバのうごめきに、壮大な曼荼羅の宇宙を見ました。マクロを見てミクロを観じた空海、ミクロを見てマクロを観じた熊楠。 空海の観じたミクロを、密教では「阿字」と呼びます。 熊楠が観じたマクロを図にすると、「南方マンダラ」になります。

空海が見守る密教の聖地、高野山。熊楠が保護運動をして守った、粘菌の宝庫である原生林、熊野古道。和歌山県にある、この二つの場所が併せて世界文化遺産に登録されています。 お二人が見つめる世界には相通じるところがあり、時空を超えた知音と言えるでしょう。命あるかぎり、われわれの誰もが、この世に留学している留学生です。先輩たちのように、貪欲に学びたいものです。

この惑星には、和歌山県という教室があります。

                            合掌


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