エッセイに込める熱量とは

 ヒットするエッセイとは何か? と考えてみると、小説と同じように、やはり読者の共感を呼び、読者を感動させることが大事なのだろうなと思います。

 もちろん、実用書の色合いが濃いエッセイもあるので、必ずしもそうとは言えないとは思いますが。


 そもそもエッセイの定義は実体験をもとにして、そこに作者の感想や知識や思索を織り込むものですね。

 実体験というやつは、作者にとって貴重なものであり、そこには自然と熱を帯びるように思います。しかし、その熱と言うのが曲者だと思います。

 作者が作品に込めた熱が読者に伝染し、読者の心が熱くなるのなら良いのですが、熱すぎる文章に当たると、逆に読者が引く、或いは毒気にやられるように思います。

 熱の量とその伝え方が、作者の作風となるのでしょうが、やはり読者が引かない熱量のコントロールは重要だと思います。


 個人的な好みを言えば、熱の心地良い量は、「どうだい、熱いだろう」というあからさまなものではなく、作者が「今、自分はそれを書かねばならない」という使命感を内包しながら、それを表に出さないようにした時に、それでも自然に溢れ出てしまう程度が一番だと思っています。


 因みに、熱量という観点からエッセイを読んでみると、と、は良くわかります。

 筆者が一番素敵だなと思うのは、作者の巨大な熱を確かに感じるのに、表面にはそれを僅かしか現わしていない作品です。これは作者が抑制を利かせているのが良くわかり、フムと頷くものが多いです。

 まあ、これも好みの問題かもしれません。


 作者が小さな熱しか持っていないのに、作品の熱が大きい場合は、読んでいて鼻白んでしまうし、小さな熱をそのまま小さく出した作品は、それなりに面白かったりするのですが、感動はしません。


 考えてみたら、この辺りは小説と同じなのかもしれませんね。

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