貴方はこの本、読めますか?

毛賀不可思議

読めない本

 およそ8畳ほどの広さのその部屋は、一面コンクリート打ち放しで灰色に染まっている。蛍光灯の灯りだけがその景色にほんのりと色を与える、なんとも息の詰まりそうな部屋だ。

 部屋のど真ん中には一冊のハードカバーの本。そしてそれを見下ろす形であぐらを組んでいる俺。さらに部屋の端へ目を移せば、唯一の出入り口を塞ぐようにして、女性が立っていた。


「それでは、まずは概要を説明させていただきます」

 やがて、女は冷淡な声でそう告げた。

「貴方の目の前にあるのは『読めない本』です。今までその本を読むことができた人はいません。もし、この本を音読できたら、貴方は1億円を手にすることができます。そうですね、3秒以内に10文字の音読、としておきましょう」

 まるで今決めたような物言いだな。その曖昧さは、俺に絶対読ませることができないという自信からか?

「ではまず、この……ゲームという言い方が適切かは分かりませんが、便宜上ゲームとしておきましょう。今回のゲームのルールについて、上がるであろう当然の疑問点について詳しく解説しておきます」

 まずは、か。どうやらこの解説タイムが終わった後にも、何かしらの手順が存在するらしいな。

「では、まず本が読めなかったらどうなるか、についてですがこれは……死、あるのみです」

「え」

「死、あるのみです」

 死ぬ、の死か。まあ、らしいっちゃらしい展開だよな。大体、1億円がかかっているんだ。ノーリスクハイリターンなんて上手い話は最初から期待しちゃいなかったさ。

「続いて、賞金となる1億円の準備についてですが、私の後ろをご覧ください」

 腰を浮かせて覗き込むと、死角になっていたが、彼女の足元にアタッシュケースが置かれているのを確認できた。

「既にこちらで用意はできております。ゲームの勝利時点で、そのアタッシュケースとその中身を差し上げましょう。中をご覧になっても構いませんよ。なんだったらお手元に置いてゲームをしても差し支えありません」

 お言葉に甘えて、アタッシュケースを移動させ、さらに中身も確認させてもらう。

「た、確かに…………」

 なんて札束の山に向かって言ってはみたが、実際これらのひと束が何万円あるか定かじゃないし、ちょろまかしている束があるかもしれないし、何より偽札かもしれない。しかし、そこはもう信用する、として割り切って受け入れるしかないのかもしれない。なにせ今の俺には選択の余地などないからな…………。

 とりあえずは記番号に重複がないかだけ大雑把に確認しておくことにする。

「心配しなくても、偽札などではありませんよ」

 当然だが、見透かされてるようにそんなことを言われる。なんだかムッとしたので、金についてうだうだ考えるのは一旦やめる。

「最後に、音読する箇所についてです。これは全500ページ中のどの部分を読んでもらっても構いません。最初の1ページ目から読んでもらう必要はなく、ぱっと開いたページの、最初に目に付いた文字を音読していただければ結構です」

 それを、3秒以内に10文字か。3秒というのが絶妙な時間設定だな。できるとは思うが、突発的な眩暈にでも襲われたらやばそうだな、くらいの一抹の不安も残る。

 ……その見立ては勿論、普通の本を扱うのであれば、の話だが。

「以上でルールについての解説を終わらせて頂きます。それではゲームを始める前に…………」

 そう言って、女はぱっと手を広げて見せた。

「5つだけ、私に対して好きな質問をする権利を与えます」

「なに?」

「貴方がこのゲームを攻略するため、あるいは『本当にチャレンジするかどうか』を判断するため、最初に5回だけなんでも質問をする権利を与えるということです。私はその全ての問いに嘘偽りなく答えます。ただし、『本の文章をそのまま答えさせる質問』以外に限らせて頂きます」

「本当にチャレンジするかどうか……? 質問した上で、ゲーム開始前にリタイアすることもできるってことか? あ、今ので質問1回消費するなら答えなくていいぞ」

「大丈夫ですよ、それは当然の疑問ですから……。ええ、御察しの通り、私に5つの質問を投げかけた上で、攻略不可能と判断した場合は、その時点でリタイアすることも可能です。ペナルティもございません」

 ただし、1億円は手に入らない、と…………。つまりまあ、質問を5つするだけでもやってみそって訳だよな。はは、望むところだよ。

「分かったよ。それならさっさと質問タイムといこうぜ」

「かしこまりました」


 まずは何を聞くべきか……。そうだな、まずは『何故読めない本なのか』をある程度はっきりさせておかなくてはいけない。読めないと言っても色々あるからな。最初に疑いたいのは、『文字』への仕掛けからだ。


「じゃあ1つ目の質問。俺は本文中の文字を、日本語として視認することはできるか?」

「できます」

「なるほどね」


 へえ、「できます」か。自分の中で、最も望ましい答えが返ってきてくれたな。この答えから、早速幾つかの可能性を潰すことができそうだ。


・「一部できます」といった答え方ではなかったことから、問いの答えは本文中のすべての記述に対し共通であると言える。

・基本的には日本語以外の言語は本文中に存在しない。つまり『言語が理解できない』訳ではない。

・文字が小さ過ぎる、文字として読めないほど必要以上に書き込み過ぎているなど、『文字として認識できない』訳ではない。


 こんな具合だな。まあ、元々『日本語じゃない』なんて、単純な仕掛けのはずはないとタカを括ってはいたからな。ある程度はこの答えを想定して質問してはいたさ。

 しかしだ。この場合、数字や記号はどういう扱いをされているのだろうか。また、『9文字しか記述が存在せず、あとは全て空白』というような可能性も捨て切れる訳ではない。が、当然それらを一つ一つしらみ潰しにしていく猶予はある訳もないから……。


「……よし。2つ目。この本の中で、仮名表記に該当する文字が書かれていないページ数を教えてくれ」

「ございません」


 こっちはきっぱり「なし」か。これが「499ページです」なんて答えであれば、『9文字しか記述が存在せず、あとは全て空白』説を考慮しなければいけないところだったが……。詰まる所この本、どこを開こうと仮名表記の文字でビッシリ。どのページを最初に開こうが、ハズレなしの安全圏だらけということじゃないか。

 ……まあ、極端な話をすれば、1ページ辺り1文字なんて書き方をしているなんて姑息な手法も考えられるけどな。だが、それは恐らく有り得ないだろう。何故ならそれは本当の意味で『読めない』訳ではないし、努力次第では読めないこともないからな……。ともあれ、ここまででまずは順調に実態が見えつつある。


・仮名表記以外の記述はされていない。つまり漢字は存在しない。『難解で読めない漢字がある』訳ではない。

・記号やそれによって顔文字やAAが作られているようなケースも存在せず、『なんと読めばいいか分からない』訳ではない。本文には句読点すら存在しない。

・仮名表記に該当する文字が書かれていないページはない。よって、白紙や挿絵のページも存在しない。最初の質問の時点で明らかにはなっていたが『全ページ白紙なので読めない』訳ではない。

・よって遊び紙もなく、表紙を開けばすぐに文字が目に入る。


 こんなものか。これだけあれば『文字』にトリックが設けられている可能性はほぼ潰えたものと考えていいだろう。

 しかし、漢字どころか句読点すらないだと? それって『意味のある文章は書かれていない』と見当をつけることができるんじゃないか? もしそうだとすればそれって『文章の中で小手先の仕掛けを作らなくともそれ以外の部分で騙せる自信がある』からじゃないか? それなら、尚更文字のことなんて忘れて、さっさと視点を変えるべきだな……。案外、「ああああああああ」とか500ページに渡って書いてあるだなんてオチも有り得るぞ……。


 文章自体は至って読むのが容易な様子。ではどうして読めないのか? 次に疑うべきは外乱の存在か……。


「3つ目。ゲーム中のアンタの行動を教えてくれ」

「3秒を正確にカウント致します。その間、1ミリと胴体を揺らすことはなく、足はこのマットから外に1ミリもはみ出さず、手はポケットに突っ込み1ミリも外に出しません。その他呼吸など言い出せばキリがありませんが、この辺りでよろしいでしょうか?」


 確かに、見れば彼女は扉の前の玄関マットのようなスペースに収まるように立っていて、手もいつの間にやら既にポケットに突っ込まれていることに気づく。


「オッケーだよ。4つ目。俺が全く知り得ない、未知の外乱が介入することは?」

「ございません。ゲーム中に、超常現象や、心霊現象など、科学で説明のつかないような不確かな出来事が起きることは一切無いとお約束致します」


 なるほどね。大体分かってきたよ。


・彼女が俺に対して危害を加え『妨害によって読ませない』訳ではない。

・また、その他ご都合主義のトンデモ展開によって未知のパワーが俺に本を読ませないよう働きかけてくる訳でも無い。


 1つだけ不安なのは、飛び道具などによる妨害だが、ポケットに手を入れていることでその可能性は除外されたものだと思っていいだろう。

 あとは、時限爆弾などの存在の可能性も考えられるかな。ま、それも『3秒をカウントする』以上は存在しないものと思って大丈夫そうだ。心配性な俺は、俺だけを狙った爆弾の存在、だとか、ゲーム開始前に襲いかかってくる、なんて都合のいい展開も想像もしてしまうが、そこまで心配なら、彼女と密着したり壁際に追い込んだりした状態でゲームを始めることも可能なのだ。(さすがに彼女に危害を加えて妨害を防ぐようなことは認められないだろうな)そんなところに仕掛けを置いているとは思えない。

 第一、『ゲーム勝利時点でアタッシュケースを与える』とルールの段階で言っているのだ。アタッシュケースが塵と化すような物騒な事態は想定しなくていいだろう。


「さて、残りの質問は1つです。いかがなさいますか? もし必要なければ、見送ることも可能ですよ?」

「まさか! 全部使わせて頂くさ」


 正直言って、俺は真実の目の前にまで迫っている自信があった。それが、今の一言で確信に変わるのを感じた。そう、今の一言は『焦燥』によるものだ。


「最後の質問だ」


 彼女は声色や表情こそ変えていない。が、その不意に出た『余計な一言』は紛れもなく俺に考える暇を与えたく無いという焦りの表れだった。いや、そうでなくてもいい。この局面、『俺が主導権を取る』構図こそ肝要……!!


「◯◯◯◯××××」


 ぴくっ。

 最後の言葉に、彼女の眉間が微かに動いたのを、俺は見逃さなかった。数刻の間の後、彼女はその答えをゆっくりと告げる。





 にやり。俺はこぼれる笑みを隠す努力さえしなかった。


 核心をついた。


 もはや考察するまでもない。可能性を考慮するまでもない。これが真実なのだ…………。

 俺がこの読めない本の『答え』をとうに導き出している。そう彼女に知らしめるには十分すぎる問い掛けだったのだ。

 もしかしたら、まだ核心には至っていないかも……。そんな彼女の淡い期待を打ち砕くにはこの一言は力を持ちすぎていた。あの動揺は明らかに『敗北』を察してのものだった。

「始めよう」

 俺はそう短く言って、目の前のハードカバー本の位置を正した。

「本当に、よろしいですね?」

 彼女は最後の警告だ、とも言いたげに重々しく俺に言ってみせた。

「ここでリタイアすることも可能ですが……」

「始めてくれ」

 気圧されてはいけない。彼女の声を遮るように、俺は力強く応じた。

「分かりました……。それでは、『用意、始め』を合図に始めます」


 既に、彼女に目線を向けてなどいなかった。あぐらをかきながら、背筋を伸ばし、ただ単色の厚い表紙を見据える。


「用意…………」


 全てはハッタリだった…………。先ほど設けられていた5つの質問タイムも、『攻略のヒントにする』ためのものなどではなく、『攻略不能の事実を叩きつけ、踏みとどまらせる』ためのものだったのだ。だが、生憎だったな。

 俺は、頭がよかったのだ!!!!


「始め!」

 その瞬間、最後の問答が脳内に反芻する。


『過去に、このゲームに参加した人数を教えてくれ』


『このゲームに過去に参加した方は、一人もございません』


 この答えを聞ければ、もう何もかもが十分過ぎるだろ? 何のことは無い。答えは最初の説明の時点で分かっていたんだ。

『今までその本を読むことができた者はいません』

 そう。この『読めない本』のトリックは、過去にこの本を読んだ者がいなかった! 

 それだけのことなんだよ!!
















「始め!」

 私はそう短く声をあげると、ポケットに忍ばせたリモコンに指をかけ、コンクリ固めの部屋を消灯した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

貴方はこの本、読めますか? 毛賀不可思議 @kegafukawa

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ