しろいねことくろいねこ

 人が欲しい、と思っているものを類推することは、結構難しいものだ。

 いくらノベルティとはいえ、人を選ぶものやはっきりと好みが別れるものは避けた方がいいし、となれば、必然的に汎用性の高いものを考えなければならない。

 それに、カードが一杯になる、ということは、相当な時間をしろくろで過ごしてくれているということだから、やはりそれ相応の特別感も必要になってくるわけで。

 「それだとやっぱり、猫たちのワンポイントは必須ですよね。あと、お店のロゴと」

 「うん、クリスマスが好評だったから、その方向で行こうと思ってるんだけど」

 週が明けて、月曜日、もうすぐ午後二時になろうかという時刻。

 しろくろのカウンターに並んで座った俺と一花さんは、友永さん提供の商品カタログを間に広げて、オリジナルグッズの検討を行っていた。

 というのは、一花さんが持っている店のカードが、ついにあと一個のスタンプで一杯になる(つまりは今日の清算時に)ということで、いい加減に『なにかいいもの』を決めなければならない、ということになったわけだが、

 「うーん……販促グッズなら、出版社さんとかだとしおりとか、時計とか、エコバッグなんかも多いですけど。あと、変わったところでハンコとか」

 「ああ、それも確かサンプルあったよ。こんな感じで、丸いのにネーム入れたりとか」

 「わ、可愛い……これ、いっそのこと認印にしたいかも」

 ……楽しそうにしてくれているとはいえ、差し上げるべき当人を交えて検討中、って。

 内心でそう苦笑しながら、俺は自身の段取りの悪さを反省していた。

 本来ならお客様の来店ペースを考慮して、とうの昔に企画発注していなければならないところだったが、イベントや彼女のことにかまけて、先送りになってしまっていたのだ。

 しかも、予想はしていたとはいえ、一番乗りはやはりというか、一花さんで。

 しろくろも、リピーターの方は開業当初に比べかなり増えたものの、彼女ほど長丁場なお客様はそうそういない。今日もそうだが、休日となれば昼一番に来て閉店までゆっくりしていくから、スタンプの溜まりようも尋常でないスピードだった。

 ちなみに、吉野さんや曽根さんたちも良く来るのは来るのだが、『猫グッズとか、そんな可愛らしいもの俺らが使うと思うか?』と、スタンプカード自体を貰ってくれない始末だ。奥さん方は、ほぼ一日中店番や電話番を担当しているから、短時間しか来れないし。

 もっと制度の改善が必要かな、などと考えていると、一花さんが次のページをめくって、現われた商品写真に、そっと指先を這わせながら言ってきた。

 「あと、男女を問わないっていうことなら、マグカップとかキーリングとかストラップとかも扱いやすいですよね……普段使いもしやすいし」

 「一花さん、真剣に参画してくれるのは嬉しいけど、もっと自分の要望も入れてくれていいんだよ?せっかく、記念すべき第一号になるわけだし」

 「いえ、それはお店のことですから!それに他の常連さんのことを考えると、わたしの好みばかりに染まらせてしまうわけにはいきませんし」

 ……ほんと、こういうところ、真面目だなあ。

 慌てたように首を振って、そう応じた一花さんに、思わず口元が緩む。

 やっと付き合い始めたというのに、彼女はなかなか俺に『特別扱い』をさせてくれない。スタンプにしても、一個くらいならおまけしようか、と冗談っぽく言ってみても、


 『だめです、ご商売なんですから、そこはちゃんとしないと。それに、正々堂々と一番乗りになりたいんです』


 と、軽くたしなめるように言われてしまって、それがまた、可愛くて。

 今だって可愛いけど、と、惚気としか言いようのないことを考えつつ見つめていると、肩口で結んでいるものが目に入った。クロエのイメージで作った、シュシュだ。

 綺麗に編み込んだブラウンの髪を纏め、狙い通り、耳の部分が上に来るように結わえていて、とても良く似合っている。最近は、例の池内さんに習っているとかで、会うたびに凝った髪型を披露してくれるから、密かな楽しみにもなっているのだが、

 「……あの、航さん、じっと見過ぎです」

 「ごめん、つい」

 こうやって、頬を染めた一花さんに注意されるまで、がワンサイクルになってしまって、まあ、悪い癖だとは思うが、おいそれとはやめられない。

 触れるのも、間近で見ていられるのも、それこそ、俺だけの特権だから。

 そんな、津田にでも聞かれたら『もしかして違う人が乗り移ったんですか!?』とでも言われそうなことを考えていると、傍に置いてあったスマホが光を放った。

 二人揃って目を向けると、メールアイコンの下に走る名前に、一花さんが声を上げる。

 「友永さん?もしかして、何かお仕事の関係でしょうか」

 「かもしれない。ちょっと待ってて」

 そう断ってからメールを開くなり、最初に目に入った一文に、俺は思わず眉を寄せた。



 From:友永弥四郎ともながやしろう

 Sub:カーテン閉まってるから

 本文:

 彼女が来てるんだろうな、と思って遠慮したわー。

 せっかくの休みに、邪魔しちゃ悪いしな!

 ところで、今度嫁と敦子さんが合作企画やるんだよ。

 企画書出来たから、良かったら参加考えといてくれ。

 資料はポストに突っ込んどいたから。

 猫の商品も作りたいらしいから、お嬢さんの意見も

 是非とも欲しいってよ。よろしくな!



 読み終わるのと前後して、表から聞き覚えのあるエンジン音が遠ざかっていくのを耳にした俺は、なるほど、と呟いた。

 「……それにしても、最初から一花さんを巻き込む気満々だな」

 「え、わたしですか?」

 「そう。ポスト見てくるから、これ読んでおいて」

 メールを開いたままのスマホを、驚いた様子の一花さんに渡してしまうと、俺は椅子を引いて立ち上がった。

 すかさず、足元でじっと待っていた白玉が、もう話は終わったのか、とばかりに空いた座面に飛び乗ってくると、撫でろ、と要求するかのように、前足を彼女の膝に乗せる。

 途端に、ふわりと嬉しそうに笑みを浮かべた一花さんが、おいで、と白く大きな身体を抱き上げるのを見ながら、床にまで下がった藍ののれんを左右に分ける。

 スニーカーの踵を踏んで三和土に降り、玄関へと向かいながら、俺は先日、吉野さんに言われたことを思い返していた。



 三日前、金曜日の、ほぼ同じ時刻。

 「なら、今までに撮った分はこっちの裁量で扱わせてもらっていいんだな?」

 カウンターの、もはや定位置と化した真ん中の椅子に座った吉野さんは、ミルク多めのカフェオレが入ったマグを片手に、そう尋ねてきた。

 空いている右手は、一花さんのそれにおける白玉並みの速さで、誰よりも早く膝を確保してきたストライプの縞をなぞるように、ゆっくりと動かされている。

 そして、撫でられている方も、サーバーの前にいる俺の元まで聞こえてくるほどの音で、喉をゴロゴロと鳴らしていて。

 そんな平穏な様子に目をやりつつ、問われたことに、俺は自分用の飲み物を淹れながら反射的に頷きかけたが、ふと気に掛かることを思い出した。

 「猫どもに関しては、もちろん制限なしでいいですけど。バレンタインイベントの分は使われますか?」

 「それも併せて考えてるところだ。なんだ、公にまずいものを撮った記憶はねえぞ?」

 大きく眉を上げて、即座にそう返してきた吉野さんに、俺はちょっと頭を掻くと、

 「いや、そこは心配してないんですけど……さすがに一花さんには聞いてみないといけないんで」

 今、打ち合わせているのは、リーヴル長月で、五月に開かれる個展についてのことだ。

 この店を開店してからというもの、依頼かどうかに関わらず、ほぼ来るたびに猫どもを撮影している吉野さんなので、それらを使ってもいいか、という話なのだが、店の方針として、お客様の写真は許可なく店外に出さない、としており、そこは既に了解済みだ。

 だが、スタッフは構わないだろう、とのことで、俺も友永さんも了承したのだが、よくよく考えてみれば、あの日、俺が彼女を臨時スタッフに任命していたわけで。

 「まあ、確かに勤め先にでかでかと自分の写真、なんてのは俺でもまっぴらだからな。無理は言わねえが」

 言葉を切って、マグに口をつけた吉野さんは、じろりと俺に目をくれると、

 「なんだかんだ言って、お前の彼女が人目にさらされるのが嫌なんじゃねえのか?」

 「……それは、正直ありますけど」

 なにしろ、吉野さんが撮った彼女の写真を手に入れるのは、本当に苦労したのだ。

 まず、撮影者自身にいただけないか打診してみたところ、勝手に渡せるか、本人に許可貰ってこい、とすげなくあしらわれた。猫どもはいいとして、俺の写真などは、あれほど簡単に、しかも根こそぎの勢いで彼女に渡されていたというのに。

 その後、小倉さんが目撃した、という話をふと思い出して、一花さんに見せて欲しいと頼んだのだが、真っ赤になってスマホを握り締めて逃げてしまう有様で、とにかく説得に骨が折れた。時間と労力に見合った結果は得られたから、それはそれでいいのだが。

 「大事なのは分からなくはねえが、あんまり囲い込むような真似はすんなよ」

 「それは、本当に肝に銘じるつもりなんですけどね」

 投げられた耳の痛い台詞に、俺は苦笑を返しつつも、少し考えてから口を開いた。

 「ただ、独占欲、っていうのはもちろんなんですけど、なんていうのかな……」

 何枚もの写真の中で、一番印象に残ったのは、彼女が俺に、まるで花開くような笑みを向けてくれたものだった。

 そして、その横では、軽く目を見開いた俺が、まじまじと彼女を見つめていて。

 確か、若い女性のお客様から、帰り際に、凄く楽しかったです、とお礼を言われて。

 お見送りを終えた後、隣にいた俺を振り仰いで、酷く嬉しそうに、笑って。

 「あの時の写真、店の空気ごと、彼女を閉じ込めたみたいで……俺しか知らないはずのその時の感情まで、持って行かれそうな気がして」

 既に惚れてしまっていたけれど、またひとつ、理由が胸に刻まれたことも、この先も、こんな風に傍にいてくれたら、と願ったことも、全て。


 何よりも望む形が、はっきりと輪郭を現し始めた時が、たぶん、その瞬間で。


 そんなことを口に出してしまってから、はたと我に返って、思わず頬に手をやる。

 またこっぱずかしい、などと言われかねないな、と思いながら顔を向けると、意外にも吉野さんは、すっと眉を寄せたのみで、

 「撮る時には、ある程度狙ってる構図も、意図もそりゃああるもんだが、映し出されたものをどう見るかは、見る奴次第だと俺は思ってる。だからな」

 ほんの一口、褐色というよりはベージュに近いほどのそれで、喉を湿らせると、

 「欲しいもんが見つかったんなら、どうあがいたって取りに行くしかねえんだよ」

 「……そうですね」

 ややぶっきらぼうに続けられた言葉に、俺は頷くと、店内をぐるりと見回した。

 玄関にも、和室ゾーンにも、カフェゾーンにも、カウンターにも、厨房の中にまで。

 気付けば彼女の姿が、いつもそこここにあるようになって、ずっと目で追い掛けて。

 だから、出来ればいつか、ここで、一緒に。

 「そういやお前、嬢ちゃんに手伝いの礼はしたのか?飯だけじゃあんまりだろう」

 「え?ああ、ちゃんとしましたよ。いわば現物支給ですけど」

 唐突に飛んできた問いに、夢想から引き戻されつつ俺がそう応じると、怪訝そうな顔を向けてきた吉野さんに、『しろくろ一日占拠権』のことを説明した。

 「本当は、もっといいものを、って考えたんですけど、きっぱり断られまして」

 彼女は無論正社員なので、社の規定により『やむを得ぬ理由なき副業を禁ず』となっているという。なので、アルバイト代などは絶対に受け取れない、それは当然なのだが、

 「猫グッズも、自分で買いたいからダメです、って頑なに拒まれたんで、それじゃあ、って提案してみたら、もの凄く喜んでくれたんで」

 まあ、その後あんなことになったから、この間は全力で遊んで帰ってもらったけど。

 下手に俺も彼女も休日だったから、なかなか帰せなくて、お互いにちょっと困りつつも、どうにも幸せで、別れがたくて。

 実のところ、お返しも等価どころか、まだまだし足りないから、またどこか喜びそうなところに連れて行こうか、などと考えていると、

 「おい、鼻の下が伸びてんぞ。ま、そんな調子じゃあ、そりゃ鞄も忘れるだろうなあ」

 揶揄するように放たれた台詞に、俺は一瞬反応が遅れた。

 その話は、一花さんにしか話した記憶がないはずだ、と気付いて、さっと顔を向けると、吉野さんはにやりと口元を歪めて、

 「こないだの定休日、お前がなんにも持たずにやけに慌てて店を出てったのを、友永の坊主が見てたんだとよ」

 「……それだけ、ですか」

 「いいや?嬢ちゃんと一緒に戻ってきたのを、嫁の方が見かけたってよ」

 

 ……そんないらないチームワーク、よりによって発揮しなくてもいいのに。


 あの朝、ひたすらに考え込んでいたせいで、いつも使っているメッセンジャーバッグを完全に忘れて、素で鍵だけ持ってしろくろに向かってしまって。

 猫どもに餌をやってから、やっと財布もスマホも何もかもないことに気付いて、急いで引き返した、というわけだったのだが、

 「どっちみち、今度の飲み会で洗いざらい聞き出されるんだから、今更だろうが」

 「既定なんですか……俺は仕方ないですけど、彼女は勘弁してくださいよ」

 さらに容赦なく追い打ちを掛けてきた吉野さんに、友永夫妻(特に奥さん)の仮借ない追及を思い浮かべて、俺はさすがにげんなりとした顔を向けた。



 ……なんか、余計なことまで思い出してしまった。

 もう来週には、月が変わってしまう。飲み会の正式日程も、そろそろ飛んでくるはずだ。

 あらためて一花さんに用心するよう言っとかないと、と思いながら眉を寄せると、俺はポストから取り出してきた茶封筒をひらひらとさせながら、店内に戻った。

 その隅には、『熊とみつばち』の看板と同じ絵柄の、大きめのハンコが押されている。

 これ、一花さん好きそうだな、と思いながら引き戸を閉め、スニーカーを揃えて脱いで、なんとなく板の間に立ててあるイーゼルに目をやりながら、再びのれんを跳ね上げる。

 途端に、白玉を抱いた一花さんが椅子から立ち上がると、柔らかく笑って。

 「あ、お帰りなさい、航さん」

 「……はい、ただいま」

 そして、クロエと、アユタヤと、カネルと、それからストライプが、それぞれの瞳で、俺と彼女を、じっと見上げていて。


 今はまだ、ただの夢かもしれないけれど。

 こうして二人でいれば、なんだって現実に出来ていく気がして。


 手にした封筒はそのままに、俺は真っ直ぐに彼女の傍に近付くと、睨んでいる緑の瞳は見なかったことにして、その滑らかな頬に、引き寄せられるように口付けた。



 その後、ひとしきり一花さんが照れて俯いて、それからどうにか落ち着いて。

 企画書を見てみれば、猫の写真を使った新たなグッズ展開を提示されてしまって、二人揃って、さらに悩むことになってしまった。

 ……もう、いっそのこと全部作って、一花さんに捧げてしまおうか、本気で。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る