ウリ坊・悍馬・鷹・白狼

 鶴見に戻った新九郎はまたぼんやりと縁側でねこたちを眺めながら過ごしていた。これでは熊太郎の下にはなかなか行けまい。またぐうたらの厄介者に逆戻りである。しかし、以前とは変わったこともある。凪が今回の喧嘩の顛末を聞いて、新九郎を見直したのだ。なにかにつけ、新九郎の世話をしたがる。

「新九郎さんはやるときはやるのね。それにあなたのおかげで、お父さんが凶状旅に出なくて済んだわ」

 新九郎にお茶を淹れながら凪が言う。

「ああ、それがなによりだ」

 縁側に寝そべりながら新九郎が応える。

「なんか、食べたい物があったら言って頂戴。精が付く物がいいわね。泥鰌なんかどうかしら」

「ああ、なんでも構いません」

 そう言って新九郎は欠伸をする。

「しかしなあ」

「なんです?」

「ねこは可愛いし、懐かれれば情も湧く。しかし、忠義の心は持っていないなあ」

 新九郎は頓珍漢な事を言った。そこへ、来客が訪れる。

「新九郎様、お久しゅうございます」

「おう、玉屋か。一別以来だな」

「はい」

 凪が玉屋に茶を淹れ立ち去る。

「このたびは大層なご活躍だったそうで」

「ああ、薬が効き過ぎてとんだ無茶をした。その反動で今は腑抜けよ」

「そうですか。薬に頼りすぎるのも考えものですな」

「うん、故に服用を止めておる」

「でも熊太郎さんの助っ人に行くんでしょう。多少は気力を出さねば」

「そうなのだ。だから薬を飲まずして気力が出るのを待っておる。しかし、なかなか」

「難しい病ですな」

「全くだ」

 新九郎はごろんと寝返りを打った。

「ところで玉屋」

「はい」

「それがし、いぬが飼いたい」

「いぬでございますか。ならばその辺の農家あたりに子いぬでもおりましょう」

「いや、それでは駄目だ。それがしは昔、江戸城の紅葉山文庫で南蛮の『えんさいくろぺでぃあ』と言う物を見た。彼の地では人の大きさほどもある大型のいぬがいて、主人の言う事を忠実に守り、ときには敵と戦うという。それがしはそういう、いぬが欲しい。お主の商売でそう言った物を手に入れる事は出来まいか」

「南蛮ですか……そうすると長崎の出島で探すしかありませんが、あいにく出島は私どもの商売の範囲ではございません」

「そうか、無理か」

「ええ。ただ、蝦夷地において露西亜との交易はしておりますので、そっち方面で上手く行けば手に入れる事も可能かと」

「ほう、露西亜か。ご禁制だな」

「これはご内聞に」

「うぬ。では過度の期待をせずに待ってみよう」

「はい。ところで松近健一郎様のことですが」

「おう、なにか動きがあったか」

「はい、健一郎様は長き間、仙台候の助けを借りて奥州で貴方様を探していたようですが、もちろん見つからず、そのうち仙台候も彼を持て余したようで、近々江戸へご帰還なされます」

「そうか。黒岩鉄ノ丞のことは分からぬか」

「申し訳ございません。彼が恩州から出ていないことは分かっていますが、具体的な潜伏先は知れません」

「健一郎は恐るるに足りぬが鉄ノ丞は難敵。さらに今度の喧嘩でそれがしの噂は恩州中に知れ渡ってしまった。いずれ、それがしの前に現れるのは必定だな」

「さようですね。わたくしも小者を使って探りを入れておりますので分かり次第ご連絡差し上げます」

「かたじけない」

「では、わたくしはこれにて」

 玉屋は去って行った。


 玉屋を見送ると、新九郎は散歩に出た。山猿と忠吉が後に続く。今日は森には入らず畑道を歩く。森に入れば苦災寺に行ってしまう。新九郎は何となく孤雲に逢うのは避けたかったのだ。

「あの住職に逢うと気が疲れる」

 新九郎はつぶやいた。

 しばらく行くと、童達が木の枝を振り回してはしゃいでいる。なんとはなしに新九郎は彼らのそばに寄って行った。

「この、ウリ坊め」

「畑を荒らす畜生め」

 童達が騒いでいる。その中心には一頭の獣の子供が怯えながら叩かれていた。

「子供達、なにをしている」

 新九郎が尋ねる。

「ウリ坊をやっつけてるんだ」

 童の一人が答えた。

「ウリ坊?」

「猪の子供だよ。猪はお父の畑をめちゃくちゃにするんだ。だからこいつを子供のうちにやっつけてお父に褒められるんだ」

 童らの鼻息は荒い。

「しかし、まだ子供。それにこんなに震えておる。可哀想ではないか」

 新九郎が言った。

「お侍には分かんねえよ。畑を荒らされたらおいら達の食いもんが無くなっちまう」

 童は新九郎に喰ってかかった。

「なら、こうしよう。そのウリ坊、それがしが五文で買おう。それならば文句はあるまい」

「五文か、そんならお侍さんに売るよ」

 幸い、博打で儲けたので新九郎の懐は暖かい。新九郎は童達からウリ坊を買った。

「猪とて子は可愛い。ねこらと一緒に育ててやろう」

 新九郎はウリ坊を抱き上げた。ウリ坊は体中に傷を負って痛々しい。

「哀れだ。山猿、傷薬はないか」

「ありますけど、人様の薬がウリ坊に効きますかね」

「まあ、気休めだ。効かなければこの者の運命。とりあえず塗ってやれ」

「へい」

 山猿はウリ坊の手当をした。忠吉はそれを見て、

(綱島一家を一人で打ち負かした新九郎様が、たかがウリ坊に親身になるとは。なんとも妙なお方だ)

と心で思った。

 しばらく三人が道を進むと遠くに二人連れの僧侶が見えた。

「うむ。避けているのに逢ってしまう。なんともこの世は不思議に出来ておる」

 僧侶の一人は孤雲であった。もう一人は弟子であろう。あの寺に孤雲以外の僧侶がいるとは新九郎は知らなかった。

「おう、草刈氏。一別以来だのう」

 孤雲が新九郎に気付いて話しかける。

「先の喧嘩では大活躍だったそうで。心の闇は晴れたかな」

「いえ、まだ薬なしでは駄目なようです。ところで御住職はなにをなさっておるのですか」

「ああ、托鉢じゃ。食い物が乏しくなってのう。それに弟子が出来た。二人分の食糧となるとなかなか大変でのう、痩せる思いじゃ」

 孤雲はでっぷりと太った腹を揺らして笑った。そこへ、山猿が新九郎に耳打ちする。

「あの弟子、綱島の鬼五郎ですぜ」

 新九郎が弟子を凝視する。

「鬼五郎」

 弟子は静かに答えた。

「その名は捨て申した。今は風泉の名を頂き仏法の道を学んでおります」

「そうか、本当に出家したのだな」

「はい。先日は貴方様を『鬼だ、天魔だ』と罵って申し訳ございません。聞けばあなたも心に大きな苦しみを背負って生きているとのこと。拙僧も同様にございます。今は孤雲和尚のお導きで心安らかに仏の教えを学んでおります」

「そうか。しかしわざわざ孤雲和尚の門を叩かずともこの辺りには禅宗の総本山や名高き寺もあろうというのに」

「いえ、孤雲様こそ現世に於ける仏法の第一人者。これ以上の師はおりません」

 鬼五郎、いや風泉はまるで人変わりしてしまったようだ。

「草刈氏、懐に抱えているのはウリ坊じゃな。丸焼きにするなら拙僧もご相伴にあずかりたいが」

 孤雲が生臭ぶりを発揮する。

「食べるのではありません。傷を癒してやり、育てるのです」

 新九郎は珍しく感情を表した。

「それは失礼したのう。では風泉、参るか」

 孤雲主従は道を進んだ。新九郎達も鶴見一家に帰る事にした。


 そのころ鶴見一家には客人が来ていた。文吉の兄弟分、小机の照平と大豆戸の大蔵である。

「しかし、今度の喧嘩評判がいいねえ」

 照平が文吉を持ち上げる。

「それに《左斬り》だっけ。文吉兄貴、いい用心棒を得なさった」

 大蔵が続ける。

「《左斬り》? そりゃなんだ」

「綱島一家百人を相手に、左腕に刀を持って一人で駆け込み、峰打ちで三下共を蹴散らして、傷一つ負わないで鬼五郎を取っ捕まえたっていう浪人者のことだよ」

「ああ、新九郎さんのことか。あれは用心棒じゃない。単なる預かり者の客人よ。なんだか気力のあがる薬を飲んで、頭に血が上っちまったみたいでな。二度と、あんな事はするなと、固く叱ったところだ」

「気力のあがる薬? 俺も欲しいぜ」

「駄目だ。かなり危険な薬で、その後、何日も寝たっきりなっちまう。本当だったら熊太郎のところに行って、剣術指南を頼んでいるのに、いまだに愚図ついてる。困ったもんだ」

「世の中上手くは行かないってことだな」

「ああ」

「ところでその熊太郎のことだが、あいつに綱島の縄張り、任せといて大丈夫なのか」

「あいつは、図体ばっかりでかいから一見喧嘩だけの男に見えるが大丈夫、度胸もあるし、人の機微にも長けてるぜ。きっとうまく纏められるさ」

「にしても、綱島の縄張りはでかい。それに隣に日吉の隠居、その後ろに大師の竜平が控えてる。あいつら一筋縄ではいかないぜ」

「そうだな。まあ、そのときは俺が出て行って話し合いで何とかするよ」

「喧嘩になったら遠慮なく言ってくれ。力になるぜ」

 照平と大蔵は言った。

「ああ、その時は頼むよ」

 文吉は頭を下げた。


 照平と大蔵は帰りの道すがら話し合っていた。

「文吉は大きくなり過ぎたな」

「生麦はともかく綱島の縄張りはでか過ぎる」

「いくら兄弟分とはいえ、油断ならねえ」

「《左斬り》も控えてるからな」

「俺もお前も子分は二十人弱。文吉んところはいずれ百人を超えるだろう」

「そうすりゃあ、いつこっちに殴り込んで来るかわからねえ」

「ここは鴨居の親分に内々につなぎを入れた方が良くないか」

「そうだな」

「恩州も血なまぐさくなって来たぜ」

「これもそれも、文吉がいけねえ。何事も穏便にと言いながら、自分で火を付けている」

「俺たちも覚悟が必要だな」

 二人は生き残るためには兄弟分でも売る気のようだ。


 夕暮れを迎えていた。赤とんぼの群衆が空を埋め尽くしている。新九郎は懐にウリ坊を抱えながら立ち止まってそれを見ていた。傷ついたウリ坊は眠っているのだろうか、全く以ておとなしい。そんな時、突然道の前方に砂埃があがった。

「あ、暴れ馬だ」

 目の良い山猿が叫ぶ。

「新九郎の旦那、脇に避けた方が良い」

 しかし、新九郎は、

「山猿、ウリ坊を頼む」

 と託し、前方に走り出した。

「いけねえよ、旦那」

 山猿が止めるがもう遅い。暴れ馬は新九郎目掛けて突進してくる。

「わあ」

 山猿と忠吉は目を瞑った。新九郎は暴れ馬の直前まで走り込むと、さっと右に逸れ、馬の耳の後ろに拳骨を入れた。倒れ込む暴れ馬。興奮が治まりへなへなとなっている。一瞬の出来事だった。

「旦那!」

 山猿と忠吉が駆け寄る。

「耳の後ろは馬の急所だ」

 新九郎は事も無く言った。そこへ、

「わああ」

 と叫びながら馬子らしき老人が息を切らして走って来た。

「ひー、ありがたい。ひー、お怪我はねえですか」

 馬子は肩で息をしながら近寄って来る。

「まあ、落ち着け。当方に怪我は無い」

「す、すまんこってす。この野郎、気性が荒くて、荷物を載せようとしたら、急に怒り出して、走り出しちまった。気違い馬でさあ。二両で馬飼から買ったんですが物の役にも立たねえ。桜肉にでもして喰っちまった方がいいでさあ。でも筋肉が付き過ぎて固くて喰えねえかもしれねえな」

 馬子はぼやく。

「これは悍馬だ。良い馬だぞ。荷役に使うのはもったいない」

 新九郎が馬を撫でながら言う。

「それがし、この馬が気に入った。ちょっと駆けさせてくれ」

「でも、手綱はありますが、鞍も鐙もありませんぜ」

「構わん。ちょっと走らせてみる」

 そう言うと新九郎は駒を駆けさせて行ってしまった。見事な乗りっぷりである。

「さすが、お侍さまは違うだ」

 馬子は感心する。

「まったく、新九郎の旦那はわからねえ」

 山猿が呟いた。

 しばらくして、新九郎が帰ってくる。

「老人よ、それがしこの馬が気に入った。五両で売ってはくれまいか」

 新九郎が破格の値を言う。

「えっ、そりゃあありがてえ。五両あれば馬が二頭買えます」

 馬子に異存はない。

「では、買った。これは良い買い物だ。この馬は気性こそ荒いがそれがしと相性が良い。老人は五両でもっと穏やかな馬を飼うが良い。山猿、忠吉帰るぞ」

 新九郎は嬉しそうに駒を進めた。夕餉が近い。おあさの旨い飯が待っている。


 馬に乗って帰って来た新九郎を見て、凪はびっくりした。

「なんで、馬」

 新九郎はしたり顔で言った。

「この馬が気に入ってしまってな。衝動買いだ。気性が荒いから凪殿は近寄らない方がいいですよ」

 それに山猿が抱えているウリ坊。

「なんなの。ウチを動物の見世物小屋にでもするつもり」

「やあ、子供らにいじめられて哀れだったので引き取った。いずれ傷がいえたら森に返してやろうと思う。こちらは芋がらでも喰わしてやって下さい」

 こともなげに言う。

「なんにしても新九郎さんは動物に好かれるわね」

 凪があきれたように言う。

「うん、なんでだろうな」

「動物に好かれる匂いでもするんじゃないの」

「えっ、それがし臭いか」

「毎日、吞気に一番風呂に入ってるんだから臭くはないわ」

「まあ、とにかく腹が減り申した。夕餉を頼みます」

 新九郎はそう言って奥の間に入って行った。

 夕餉の後。

「新九郎さんいいかね」

 文吉が襖を開けた。

「ああ、貸元。どうぞお入り下さい」

「邪魔するよ」

 文吉が部屋に入る。山猿と忠吉は襟を直した。

「新九郎さん、そろそろ熊のところへ助っ人にいってくれないか。奴のところは子分の頭数は揃ったが長脇差もまともに使えない輩ばっかりらしい。どうか頼むぜ」

「はい、畏まりました。馬も手に入れた事だし、歩かなくて済むから明日にでも参りましょう」

「そうか助かるぜ」

「そこで貸元に一つお願いが」

「なんでえ」

「長太郎さんを同道させたいんですが」

「長太郎?」

「ええ、彼にはそれがしの剣の極意を教え申した。師範代として来てもらいたいのです」

「まあいいけど。熊太郎と長太郎は仲が悪いぜ」

「長太郎さんの腕前をみれば根が素直な熊太郎さんだ。考えを改めてくれましょう」

「そうかい。じゃあ、好きにしな。では明日、頼むぜ」

 文吉は部屋を出た。


 翌日、新九郎は馬に跨がり、山猿、忠吉、長太郎、それにウリ坊を引き連れて文吉の家を出た。幸い、ウリ坊の傷は浅く、朝には元気を取り戻し朝飯に出された芋がらをもりもり食べた。だが長時間歩かせるのは不憫だと新九郎は懐にウリ坊を入れてやった。

「さて、熊太郎さんが待っている。参ろうか」

 綱島へ向けての道中が始まった。とはいっても鶴見と綱島はそう遠くない。一行はゆるりゆるりと秋の紅葉を楽しみながら進んだ。

「あれはなんだ」

 馬上の新九郎が目の前を指差した。何かが落ちている。

「ほいほい」

 山猿が小走りに見に行く。

「こりゃあ」

「なんだ」

「鷹ですわ、おお恐わ。鋭いくちばしだ。おや、怪我をしている。羽が折れて飛べないんだ」

 山猿は怖々鷹に触れている。

「どれどれ」

 新九郎が馬から降りて見に来る。

「まだ若鳥だな。うん、右の羽が折れている。大方獲物を捕り損なって墜落したのであろう。山猿、木の枝を折って添え木してやれ」

「へい、でも衰弱してますぜ。こりゃあ駄目ですよ」

「馬鹿者。可能性のある限り救ってやるのが人の道」

 新九郎はそう言うと鷹の頭を撫でた。

「それがしが救ってやる。また大空高く飛ぶのだ」

 新九郎は鷹を励ました。

「ぴゅー」

 鷹は力なく鳴いた。

「山猿、鷹の餌になる物はないか」

「この時期、蛙なんかいませんからねえ。だからって鶏を締めるのも本末転倒だ。そうだ、魚だったら後腐れがなくていいんじゃないですか」

「そうか、ならばお主、鶴見に帰って漁師から魚を貰って来てくれ」

「ええっ、今来た道をもどるんですかい」

「そうだ、韋駄天のお前ならあっという間のことであろう」

「しょうがねえなあ、行って来やす」

 山猿は元来た道を駆け戻った。

「忠吉、鷹はそれがしが持つから、ウリ坊を頼む」

「へい」

 ウリ坊を忠吉に渡すと新九郎は再び馬上の人となり、再出発した。


 熊太郎は旧綱島一家の屋敷を拠点としている。そこにようやく新九郎一行は辿り着いた。

「ああ、新九郎さん。やっと来てくれましたね……馬……ウリ坊……鷹? それに長太郎、なんだお前まで」

 熊太郎と利兵衛は口をあんぐりさせた。

「動物のことは行きがかり上のことだ。気にしないで下さい。長太郎さんはそれがしの師範代として連れてきました。まあ、それがしの顔を立てて仲良くして下さい」

「まあ、それは構わないけど、長太郎に師範代なんて出来るのかい」

「もちろん、それがしがみっちり仕込みましたから。あとで稽古でもしてみますか」

「いいや、俺は力任せの自己流だからやめとくよ。新九郎さんと長太郎に剣術は任せるぜ。それより、上がって下せえ」

 一行は旧綱島一家に入った。利兵衛が居るだけあって家の中は奇麗に整理され、新参の子分達の行儀もいい。なかでも張り切って立振舞っているのが花見の真介だった。

「新九郎さん、真介は使えるよ。度胸も良いし、よく気が利く。鬼五郎の子分だったにしては上出来だ。あとの奴らはあんまり役に立たなそうだったんで、近隣の若い奴で、はみ出し者を三十人ばかり身内にしてみた。連れてきた子分と合わせて四十だ。そいつらの稽古を頼みたいのさ」

「あい分かった。長太郎と手分けして鍛えましょう。ところで……」

「なんです」

「横になっていいですか」

「がくっ、また持病ですか」

「すまぬ。なんだか最近周期が早くなって来ているようで」

「薬を飲んだらどうです」

「そういたすか」

 新九郎は熊太郎に付き添われ寝所に向かった。


 翌朝。薬を飲んで元気を取り戻した新九郎は庭に出た。そこでは新参の子分達がウリ坊に芋やら野菜くずを、傷ついた若鷹には山猿が持って来た魚を、馬には藁をやろうとしているが、皆、手こずっている。なかでも馬に藁をやろうとしていた子分は頭を馬に齧られ「ぎゃあ」と雄叫びを上げている。新九郎は馬小屋に近づいた。

「苦労しているようだな」

 そう言いつつ、新九郎が藁をやると馬は素直に食べた。

「へえ、旦那は馬の取り扱いに慣れてらっしゃる」

 子分が感心して言う。

「馬は賢い。恐れていたり、侮ったりした気持ちで接すると敏感に分かって拗ねてしまう。大切な友人だと思って接すれば自ずと懐いてもくれよう」

「そうですか、あたいはおっかなびっくりだったから舐められたんだな」

「心穏やかにもう一度やってみよ」

「へい」

 子分は藁を馬にやってみた。今度はおとなしく食べた。

「わあ、やったあ」

 子分は喜んだ。

「よし、今日からはお主をこの馬の係にしよう。名はなんと申す」

「あたいは大曽根の権太」

「草刈新九郎だ。よろしく頼む」

「新九郎様」

「なんだ」

「この馬に名前をつけて下さいよ」

「そうだな……青はどうだ」

「そりゃあいい。この馬は全身が青みがかってますからね。今日からあたいは青の係だ」

「ははは、単純な奴じゃな」

「あたいは馬鹿が取り柄なんです」

 権太は真面目くさって答えた。

「ついでにウリ坊と鷹の名前を考えよう。この際みんな色にしよう。両方茶色だなあ。では、ウリ坊は黒、鷹は紅だ。これで白がいれば四神となるんだがなあ」

 新九郎は呟いた。その願いはじきに叶う事となる。

 午後からは新九郎立ち会いのもと、長太郎による剣術指南が始まった。その直前、新九郎は長太郎にこう囁いた。

「あんまり極端に強くしようとするなよ」

「どうしてです?」

「やくざの喧嘩は集団戦法が基本。一人の強者とて十人の三下が一遍に掛かって来たら勝てない。だから皆の呼吸の合わせ方を教えるんだ」

「それは、習っていませんが……」

「お前だって一家を構えていた男だろ。そこは創意工夫、自力で考えよ」

 新九郎は長太郎に無茶振りをした。これは子分の稽古にかこつけた長太郎の訓練だったのである。新九郎は一度約束した以上、長太郎を一人前の男にしてやりたかったのだ。だから綱島に連れてきた。そして彼を前面に出す事でその総仕上げをしようとしていた。これがうまくいけば、鶴見の文吉に新九郎は、長太郎に生麦の縄張りを返してやるよう進言する積もりでいた。文吉もきっと承知するはずだ。そうすれば綱島の喧嘩のような事態は起こるまい。でも綱島の縄張りを文吉配下の熊太郎が治めている状況はどうなのだろう。新たな火種となるのであろうか……などと新九郎が考えていると、

「新九郎さん、質問があります」

 長太郎が尋ねて来た。

「一人の強者も十人の三下に敵わないと言いましたが。新九郎さんは先だっての喧嘩で百人を相手に勝ったではありませんか。これはどのように考えればいいので」

「ああ、それは呼吸の問題だよ。綱島勢は、数は大勢いたが半分以上はまともに長脇差も振れないような輩だった。そんな奴らはいくらいても敵ではない。十数人も倒せば怖じけづいて近寄ってはこない。あとは鬼五郎の周りを固めている奴らだが、あれらは自分の腕を過信して単独で攻めてきた。それがしの思うつぼだ。最後にそれがしは無言の威圧を掛けた。これは特殊な技なので詳しく教える事は出来ないが、相手を萎縮させる事が出来る。これで、鬼五郎の懐に入り込めば一丁あがりということになる」

「はあ、新九郎さんは様々な武術と戦略をお持ちなんですね」

「まあな、しかし宝の持ち腐れとも言う」

 新九郎は自嘲した。

「なんで、御公儀で活躍なされなかったんでしょう」

「ふん、それは聞いてくれるな」

 ぷいっと顔を背けると新九郎は部屋に戻って寝転んでしまった。長太郎は仕方なく一人で子分達の剣術指南を始めた。


 明くる正月を新九郎は綱島の家で迎えた。と言ってもたいした事は相変わらずしていない。綱島にはねこはいないので、ウリ坊の黒と遊んだり、鷹の紅に餌をやりつつ、折れた羽の様子をみてやる。運動不足になると権太の頭を齧る青を宥めるために時々は野駆けをした。動物ばかり面倒をみるので山猿が、

「旦那はいきものがかりですか」

 とからかったが、新九郎は空っ惚けて、

「風が吹いている」

 などと関係ない事を呟いていた。

 そんなある日。

「新九郎様、玉屋でございます」

 綱島の家に玉三郎と牛吉が現れた。

「やあ」

 新九郎は紅に飛ぶ練習をさせていた。ようやく折れた羽がくっ付いたのだ。出来れば自力で飛ぶようになり巣立って貰いたい気もするが多分無理だろう。紅は新九郎に懐き、新九郎も紅を気に入っている。いずれは鷹狩りでもしてみるかなどと考えたりもする。

「鷹ですか。鷹も良いですがお約束のもの連れて参りましたよ」

 玉三郎はそう言うと牛吉に目配せした。

「はい、この通り」

 牛吉は小折から白い何かを取り出した。

「露西亜船から買い付けたほわいとうるふの子供でございます」

「ほわいとうるふ?」

「はい、通訳の日本語が不自由で良く分からなかったのですが『白い森の犬』みたいなものらしいです」

「森の犬ねえ」

「今はこんなですが、育てば人並みの大きさになるそうです」

「そうか、気に入った。幾らだ」

「新九郎様からお代は頂けません」

「それは悪いな。ところでこいつは何を食べる」

「はい、野生のものは獣の肉を食らうそうですが、人の元ではこの『どっぐふーど』なるものを食すようです」

「ふーん。沢山食べるのであろうな」

「はい。なので露西亜船に二ヶ月に一回『定期お得便』を頼んでおきました。二割もお得です。お代はもちろん頂きません」

「何から何まですまんの」

「いいえ、新九郎様のためならなんなりと。わたくし、それなりの儲けはありますから」

 そう言うと玉三郎は辞去した。

 気付くとウリ模様の消えかかってきたウリ坊の黒とほわいとうるふが遊んでるのか喧嘩しているのか取っ組み合っている。

「黒もいずれ大きくなる。ほわいとうるふ……名前は白だな。こいつは人の背丈にもなるという。楽しみだ」

 新九郎は呟くと、寒くなったので部屋に戻った。

 ここに《左斬り》の四獣神と後に呼ばれる、駿馬の青、鷹の紅、森の犬(実は狼)の白、猪の黒が揃った。もちろん新九郎はこの段階で四頭を戦いに参加させる気など全くなかったが、それぞれ新九郎に愛着と忠誠心を持ち、主君のために役立とうという気持ちは人間以上に大きくなって行く。その活躍は、本編後半にお目にかける事が出来よう。

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