白い『世界』の鎮魂歌

畳屋 嘉祥

白い『世界』の鎮魂歌

 

 


 

 灰色の空に紫煙が上り、溶けてゆく。トレンチコートのポケットは嫌に軽い。これが最後の一本だった。

 肺を侵すアーク・ロイヤルの味が今日ばかりは嫌に苦く、男は舌打ちと共に顔をしかめる。

 

「……儘ならねえなあ、オイ」

 

 誰へ向けたものではない。ただただ世の無常と己の不運を嘆くように、男は曇り空に悪態を吐いた。

 廃ビルの屋上。眼下にあるのは霧越しにぼやけたロンドンの街並み。ミストシティの名はどうやら伊達ではないらしい。

 晴れない空に開けない視界。ここに気の乗らない仕事と来れば、男が不機嫌を露わにするのも致し方ないというものだ。

 街は灰色。溜め息は白く、内心はブルー。実に下らないジョークだと男は失笑を浮かべる。

 

「さて、そろそろかね」

 

 男は指から滑り落とした煙草を踏み消す。

 ロンドンの灰色に沈むコンサート・ホールは、さながらBGMの無いサイレント・ムービーのワンシーン。

 色も無ければ音も無いその光景に、男は気味の悪さすら感じた。一時間ほど前までは、五月蠅いくらいにオーディエンスがひしめいていたというのに。

 アクタ・エスト・ファーブラ。しかし拍手を送る人間など居ない。どこまでも虚しい灰色の風景はレクイエムに相応しく。

 下から響く小うるさいオースティンのエンジン音。霧を照らすフロント・ライトは道を行き、コンサート・ホールのメインゲート前でピタリと止まった。

 

「は。カボチャの馬車のご到着、ってか?」

 

 今宵のシンデレラは小器用で、ピアノから歌まで奏で熟す天才だ。……あるいは、金に飽かした英才教育の賜物かも知れないが。

 魔法も無ければガラスの靴も履いてはいないが、それでもお姫様は間違いなく『灰かぶり』だった。例え傍から見て豊かで幸せだとしても。

 何にせよ不運だな、と男は薄ら笑う。色も知らないような年頃の小娘の境遇に心から同情を向け、同時に。

 ――――そんな年端もいかないガキの脳天を吹き飛ばさなければならない自分自身を心底、憐れむ。

 

 霧の奥。メインゲートから姿を現したのは霧に霞むプラチナブロンド、白のドレス。

 着飾る衣装は魔法ではなく、けれども彼女はシンデレラ。何も知らないひとりの乙女は、母に連れられカボチャの馬車へ。

 あるいはあの母親が幸せを叶える魔女なのか。……ああ確かに、あの女がシンデレラにドレスやらジュエリーやらを与えたことには違いない。

 金は金を寄せ金を生む。アルケミーなんてけったいな物を引き合いに出す必要など無いのだ。普通の人間にとって金持ちとは魔法使いに等しい。

 対価さえあれば出来ないことなど何もない。それは誰にも否定できない真実である。

 ――――だからこそ男は、この場にいるのだ。


「仕事だ。――――起きろ『ホワイト』」


 フィンガースナップと共に何も無い中空より現れたのは、真白い銃身のブレイクアクション・ライフル。

 古臭いデザインはアンティーク染みていて、しかしながら穢れ一つない純白は芸術品を思わせる。

 何にせよ無駄な感想だ、と男は薄ら笑う。こいつがどれ程美しくとも意味は無い。何故ならこの白く美麗な銃身を『覚えていられる』のは、自分を置いて他に誰一人居ないのだから。

 手首を軽く振れば銃身が根元から折れ、薬室が露わとなる。

 男は何処からともなく取り出した一発の弾丸を薬室に込めると、折れた銃身を手首のスナップで元に戻して軽く舌を打った。

 

 スコープなど覗かない。構えも碌に取らない。気だるげな棒立ちのままに男は銃口をシンデレラへと向ける。

 距離はおおよそ三百ヤード。普通に撃っても当たるかどうか。ふざけたポーズで曲撃ちなどして的に当たる筈など無い。だがそう、この世界の真実をここで引き合いに出すならば。

 ――――対価さえあれば、出来ないことなど何もないのだ。


「悪いな嬢ちゃん――――零時のチャイムだ」


 銃声は高らかに。静寂を裂き霧を貫き、音すらも越えて銃弾は放たれる。

 その軌跡は異次元。ぶれた腕に跳ねた銃身、弾丸は明後日の方向に飛んだかと思えば不可思議にベクトルがねじれ曲がり、シンデレラへと引き寄せられて。

 魔法の弾丸。さながら悪魔宿るカスパールの一射は、シンデレラの頭蓋へと一直線に飛翔して――――


 灰色の街に、真赤い柘榴を飛び散らせた。弾け飛んだ頭は――――魔女のもの。




『――――お兄さんが、今宵の王子様かしら?』





 鈴鳴る少女の美声は霧を伝い、男の脳へと直に響く。直後に彼は内心で悟った。

 なるほどこれは――――確かに俺みたいなのにまでお鉢が回ってくるわけだ。普通のヒットマンじゃあ頭数が幾つあっても足りやしない。


「――――御同類、ってワケかい」


「あは――――お兄さんも、そうなんだ?」


 そのやり取りが、あるいはコイントスの代わりだったのか。遠く霧越しのシンデレラは、魔女も馬車をも置き去りに宙に浮いたかと思えば――――弾丸に迫る速さで空を切り男へ向けて襲い掛かった。


「クソッたれがァ!」


 今日一番の大声で悪態を吐いた男は咄嗟に『ホワイト』を楯にする。――――瞬間、純白の銃身に重い衝撃が走った。

 勢いに押されて仰け反る男を見下ろすのは、灰の雲を背にして優雅に舞い飛ぶシンデレラ。なびくプラチナブロンドは恐ろしいまでに美しく、霧纏う魔性に偽りなど無い。男は何度目かの舌打ちを漏らした。

 何のことは無い。このオッドアイのシンデレラもまた、魔女であったという話だ。


「――――足癖の悪ぃ『灰かぶり』だなぁ、オイ」


「へえ、耐えるのね? 見えたのね? すごいわお兄さん、今までの王子様たちとは違うみたい」


 瞬間、掻き消える白金の乙女。男は白の銃身を体の左へとやって――――再びの衝撃。

 スレッジハンマーにでも殴られたかのようなショックはしかし『来るとわかっているならば』どうということは無い。

 空を飛べるから何だ。速く動けるから何だ。見えて備えられるならそんなものはカスだ。男は鼻で嗤って吐き捨てる。


「躾がなってねえんじゃねえか、シンデレラよォ。ダンスの基本はステップだって、姉貴に習わなかったのか?」


 その言葉は恐らく、シンデレラにとって最大の禁忌。灰かぶりを灰かぶり足らしめるのは継母と二人の姉であるから。

 弱弱しい小娘を詰り、嬲り、嘲り笑う悪魔のような女達。その影が無ければ、シンデレラなどただの子餓鬼に過ぎないのだ。

 ――――故にこそ、少女はシンデレラと呼ばれて然るべきなのである。


「へえ……貴方、覚悟があるのね? 相応の覚悟があるのね?

 私のことを知っていて、姉さんのことを口にするってことは、ねえ。――――覚悟があるってことなのよねェ!?」


 その叫び声を契機に、霧纏う少女は狂乱の風となった。

 常人には見えぬ速度で灰の空を飛びまわりながら、少女は己の足を鈍器として振るう。白金の疾風は見えぬ鉄槌。不可視の悪魔が男を嬲る。

 前後左右に上からも。全方位より嵐の如く降り注ぐ蹴撃の乱打。しかして男はそれを一発たりとて真面には喰らわない。

 受け止め躱し、時には流し。『ホワイト』を巧みに振り回しながらシンデレラに合わせてステップを踏む。

 風裂く音と金属音は、さながら無骨なワルツの様に。繰り広げられるは霧の舞踏会。――――狂気を滲ませシンデレラは叫ぶ。


「ねえお兄さん、姉さん達は元気にしていて!? 目を抉られて腱を切られて、それでも健気に生きてるかしらァ!?」


「俺がここに居るってことが答えにはなんねえか? まあ、つっても一人はもう死んでるみてえなもんだがよ」

 

「あはっ、それはとっても残念――――けれどとっても喜ばしいわねェ――――!」

 

 再び鈍撃の嵐が降り注ぐ。その間に――――霧が『武器』か、と男は推測を立てていた。少女が纏う灰の霧。恐らくはあれが男にとっての『ホワイト』のようなもの。

 銃弾に反応できたのも、離れた場所へ声を飛ばせたのも、今少女が空を飛んでいるのも、恐らく霧の力を利用した所業であろう。

 大きく言えば気体だ。一定の体積の霧を己の体が如く自在に操る。時に感覚器として、時に推進剤として。それが恐らくシンデレラの『武器』なのだ。

 ――――そう予測した男は、それ故に一つの疑問を抱いた。『武器』としての異能がそれならば、シンデレラ――――

 

「――――お前さん、痛くねえのかい?」

 

 瞬間、蹴撃の嵐が僅かに乱れた。つまりは正解。カマ掛けは成功。男は皮肉げに口の端を吊り上げた。

 ――――あれだけの速度で以て鉄よりも尚堅い『ホワイト』の銃身を何十、何百と蹴りつけて、痛みを感じない訳がない。

 いくら並外れた身体能力を持つ『異常者』であっても、痛みを完全に消すことなど出来ないのだ。――――そういった『世界』が無い限りは。


「そいつぁ対価か、あるいは『世界』かね?」

 

「うるさい――――」

 

「ああそうか、その濁った右眼――――お前さん、片方が見えてねえんだな」

 

「うるさい、うるさい――――」

 

「減ってばっかってぇことは対価ってワケだ。五感を引き換えに何かを得る――――つまりはそれがシンデレラ、お前さんの『世界』ってわけだな?」

 

「うるさいって、言ってるでしょォ――――――――!?」


 蹴りの嵐が更に激しさを増す。しかしながら激情を以て放たれる蹴撃は平時のそれより幾分か直線的であり読みやすい。

 魔性纏う『異常者』と言えど所詮は小娘か。男が侮蔑の視線を投げ掛ければ、シンデレラは狂気を滲ませ絶叫する。


「知った風な口を利くなァ! 不愉快なのよ、私より『下』の分際で――――!」


「ならアレか、お前さんの姉貴だったら知った口利いても良いってワケかい?」


「馬ァ鹿がァ! そんなわけないでしょうがァ!? あの売女共は私よりもずうッと『下』なのよ『下』ァ! 

 だからくれてやるものなんかこれっぽっちも無いし勘当されて当然! なのにあの糞女共、よりにもよって『下』の分際で殺し屋まで雇って私を殺そうなんて――――浅はか過ぎて物も言えないわァ!」


「へえ、そうかい。――――まあ、知ってたけどよ」


「だァからァ、そういう口を利くなって―――――――――――――――」


 直後に、突如としてシンデレラは押し黙る。束の間の狂気の静穏。休符は次への前触れか。


「もう、いいわ。貴方のエスコートは落第点よ。だからもう――――終わらせてあげる」


 霧と共に空を舞うシンデレラは、己の『世界』を謳い上げる――――


「溺れなさい――――"In my hand"」


 その言の葉が放たれた瞬間――――男の体が、指先一つ動かなくなった。

 抜ける力、手から滑り落ちる『ホワイト』。真白い銃が五月蠅く音を立ててコンクリートに叩き付けられた。

 その刹那に男は判断する。つまりはそう――――『感覚』を対価に『精神』を操る。それがシンデレラの『世界』。即ち掌の楽園。


「あは、あはは、あはははははははァ――――! 無様ねえ王子様ァ!? 私のてのひらのなか、ご気分はどうかしらァ?」


 その高揚は勝利の確信。白金のシンデレラはこれ以上無い程に顔を歪めて高らかに哄笑する。


「あは、あははははァ――――意識は残してあるわ、喋れもするわよ? だって、反応が無いと楽しめないじゃない、ねェ――――?」


 そう言って歪な笑みを浮かべながら、男に近寄るシンデレラ。

 その機になれば次の瞬間には男の命など容易に断てるのだろう。精神の奥を掌握されている感覚があった。故に男は諦める。

 ――――なんとか上手く誤魔化してこのガキを殺さないでおく手段の模索を、諦める。


「……お前さんは馬鹿だよ。俺の意志を、体を、乗っ取ったところで意味なんてねえんだ」


 言ってみれば始まる前から全ては終わっていた。男の『世界』はそういった類のものであるから。

 何よりも無機質で、何よりも機械的で、何よりも無慈悲。過ちを起こす可能性など皆無なのだ。


 ――――最初の一射はシンデレラから逸れたのではない。


 ――――魔性の弾丸が『より確実に射殺可能な標的を選択した』だけの話なのだ。


「なにを、言っているの? 貴方はもう私の――――」


「何にせよ不運だったな。俺もお前さんも、お前さんの姉貴達もよ」


 最早全ては終わりを迎える。彼女が足を止め、物理的に『逃れられない』状態となった瞬間に全ては決着していた。

 アクタ・エスト・ファーブラ。しかし拍手を送る人間など居ない。どこまでも虚しい灰色の風景はレクイエムに相応しく。


 鳴り響くのは銃声のみか。奇しき喇叭は死の調べ。『命』を対価に『命』を奪う、白痴の『世界』はさながらゼロサム。

 跡には何も残らない。清濁全てが霧消する。故に存分謳えや白鳥、今際の際の鎮魂歌。

 二人の姉の弾二つ、一つは母に一つは妹。我らを捨てた非道の女の、屍を無様に晒しておくれ。

 声を聞きたる白鳥一羽、対価は確かに戴いた。射手などそもそも要らぬもの、人の妄執さえあれば、見えぬ翼で『白』は舞う。

 謳い踊れや死の舞踏。鉄の鎌首ゆるりともたげ、口から吐くのは命の弾丸。さあさ見晒せシンデレラ、零時の鐘が鳴る時だ――――




「聞かせてやるよ――――"Swan song"」




 そして真白き『世界』は開く。当然の結果として、あまりにも順当な結末として。

 血飛沫が舞い、赤い花が咲く。針が進んだのだから魔法は解けるのは必定と、それはあまりにも機械的なピリオドで。

 何の疑いも無い絶対の死。鼻から上の吹き飛んだ少女の亡骸は、どさりと力なくコンクリートに横たわった。


 瞬間に、シンデレラの『世界』が崩壊する。……自由を取り戻した体を確かめるように、男は二度ほど拳を作り。

 不機嫌そうに舌打ちをして、トレンチコートのポケットをまさぐった。――――そこでふと、彼は思い出す。


「そういや、あれが最後の一本だったか」


 再び舌打ちをして、男は歩き出す。紫煙は消え、濃霧もいつの間にやら晴れて。

 灰色の雲の隙間から覗く、ほんの少しの青空が目に入ったからか。男は今日一番の、盛大な溜め息を吐いた。


「全く――――儘ならねえなあ、オイ」




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