挑戦


 アメリア・カーソンがヨナに持ちかけてきたのは、解呪の依頼だった。

「“千里眼”の呪書が、この屋敷の地下に隠されているの。お願いするわ」

 この女の、魂胆が見えた――

 ヨナは沸き立つ怒りを胸に押し込め、彼女の声を聞いていた。

 解呪を餌にして、左腕“遺言書”を奪い取ろうというのか。

 保安官の手口を把握していなかったのか。それとも敢えて同じやり方で挑もうというのか。どちらにせよ、アメリア・カーソンはこの左腕を奪うつもりだ。

 同じ手を二度も食うものか。


「報酬は先に決めておきましょう。ナサニエルの不払い分と併せて百五十ドル。相場よりかなり良いと思うけど。どう?」

 契約書類に万年筆をさらさら走らせ、アメリアはそれを差し出した。

 くだらない。

 あからさまな罠に、首を突っ込む馬鹿がいるか。

「あいにく、金には困っていない」

 つっけんどんに言い放ち、ヨナは台所を去ろうとした。


 アメリアが驚いて呼び止める。

「依頼を拒否するの? 君、解呪の専門家でしょ?」

「糧ならさっき喰ったばかりだ。こんなふざけた街、これ以上長居できるか」

 ヨナは台所から踏み出して、玄関に向かって歩き出した。

 銃もナイフも未回収だが、代わりはすぐに用意できる。革篭手だけは未練だが、所詮は金で解決できる代物だ。

「ちょっと……待って、ヨナ君!」

 屋敷の中にトラップが仕掛けられている恐れがある――周囲に気を配り、用心しながら足を進めた。

 アメリアは、両手を広げて立ちふさがった。

「お願い、聞いて。魔女の保安官ナサニエルは死んだ……だから新しい保安官を迎えることになるし、治安の守り方も変わらなきゃならないわ。街の皆は、呪書があることを知らないの。あんな物を残せば、禍根になる」

 耳など貸すものか。

 オレには関わりないことだ。

「逃げるの!? 待ちなさい……!」

 あと一歩。玄関のドアノブに手をかけようという時だった。




「………………ファウラだったら、良かったのに」


 ぽつりと。湖面を小石が打つように、アメリア・カーソンが呟いた。

 ヨナの右手が、ぴくりと止まる。体が勝手に振り返っていた。

 ひどく冷めた眼差しで、アメリアはこちらを睨みつけている。


「ここにいるのが君じゃなくて、ファウラだったら良かったのに、と言ったのよ。顔だけ似てても、劣化コピーじゃ役立たずね」


 この女は、煽っている。口車に乗るな。耳を貸すな―― 

 しかし体が、理性と逆の行動を取っていた。

 アメリアの胸ぐらを掴んで引き寄せ、頭一つ高いところにある彼女の顔を、憎々しげに睨みつける。

「なら、望み通り殺ってやる」

 千里眼の呪書と一緒に、テメェのことも殺ってやる。

 解呪のでこの女が死んだとしても、法はオレを殺しはしない。本性を見せた瞬間が、この女の最期だ。

「ありがとう、ヨナ君」

 ヨナの殺意に気づかぬはずはないのだが、アメリアは空色の瞳をそっと細めて、満足そうに笑うだけだった。



 ***



 屋敷の地下に通じる長い階段に、二人の足音が響いている。

 石油ランプを手に持って、アメリアは先を歩きながら振り返らずにヨナに尋ねた。


「……ヨナ君。“千里眼”の呪書って、分かる? 付与術エンチャント系とかいう物らしいけど」


 “Book”の魔女であるヨナに対して、その質問は愚かすぎる。

 呪書は三種に大別される。

 携行所持し、特定動作を合図に攻撃発動する動作アクト系。

 空間の狭間に配置して広範囲の人間に身体異常を与える病毒インフェクト系。

 そして、特定人物の肉体に寄生させて超常能力を与える付与術エンチャント系だ。


 “千里眼”は、眼球を素材とした付与術系の呪書である。寄生された者(宿主しゅくしゅ)は、大陸の端から端まで見通す超常的な透視力を得るのだが、次第に脳を蝕まれ、半年程度で死に至る。

 千里眼に限らず、寄生型・付与術エンチャント系呪書の多くはこの傾向がある。能力の代償に、宿主に致死的な損害を与えるのだ――ヨナが“遺言書”を忌避するのも当然と言えた。


「ナサニエルは監禁した犯罪者に“千里眼”を寄生させて、手配書付きの重罪犯の捜索に使っていたの。十万人都市のエル・ベルネの治安が異様に良かったのは、千里眼と“Knife”の魔女に守られていたからよ……それが良いことなのか悪いことなのか、あたしには分からない」

 

 宿主の世話をするのは、アメリアの仕事の一つだった。


「あたしが保安官助手になってもうじき三年だけど。宿主が死ぬたび取っ替え引っ替えで、今の宿主は五人目よ」


 彼女の声は淡々としていた。どんな顔をしているか、伺うことは出来ない。

 ヨナは、冷たい瞳で彼女の背中を睨み続けた。

 ――まともに耳を貸す必要はない。どうせ、こちらの気を引こうとしているだけだ。

 ずいぶん長い階段だった。

 袋小路に連れ込まれてから、攻撃される可能性もある。

 一挙手一投足、見逃すものか。


 解呪依頼を受けるに当たり、ヨナはアメリアに条件を出した。

 彼女が武器を携帯するのを禁じたのだ。ヨナにとっては、最低限の自衛策だった。

 アメリアはそれを快諾した。ヨナにすべての装備を返し、彼女は丸腰でランプを持つのみである。

 だがどうせ、懐に忍ばせている呪書で攻撃してくるつもりだろう。

 あるいは只人の演技をしているが、実際には魔女異能持ちなのかもしれない。……だとすれば、保安官よりタチが悪い。


 百段以上の階段を下り、ようやく扉に突き当たった。

 振り返ったアメリアの美貌には、痛ましげな表情が刻まれていた。

呪書千里眼頼みのかりそめの平和は、今日でお終いにするの。ヨナ君、お願いね。あたしは絶対、君の邪魔はしないから」

 

 ヨナの沈黙を同意と受け取り、彼女は静かに開錠した。

 ぎぃ……とゆっくり扉を押す。

 淀んだ空気と、腐敗臭。

 扉の先にあったのは、十歩足らずで突き当たる狭い通路と、鉄格子に囲まれた独房だった。天井は高く、煉瓦の壁には燭台と、荷袋が一つ。それ以外は何もない。


「…………ママ? ママなの?」

 

 鉄格子の向こうから、痩せ細った手が伸び出した。

「どこなの、ママ。来てくれたんでしょう?」

 か弱く震える二本の腕が、薄暗がりの中でさまよっている。

「ここよ、ビリー」

 アメリアは大きな声で、独房に呼びかけた。


 鉄格子の中の“ビリー”の、病みやつれた顔がパッと輝く。

「あぁ、ママだ。やっぱりママだ。会いたかった!」

 かすれた声を弾ませて、ビリーは鉄格子を握りしめて嬉しそうにこう言った。


「聞いて、ママ! 良い知らせなんだ。ナティが、死んだよ。首をころんと落とされて、すごく簡単に死んだ。ぼく、でナティを視てたんだ。勝手に目を使うと、いつもナティが怒るけど。もう死んだから、あいつは僕を、怒れない。あはははは」


 アメリアが苦い顔をする。

「ビリー。良い知らせなんて言わないで。ナサニエルは酷い奴だったけど、亡くなった人を悪く言うと神様が悲しむわ」


「でもね、ママ。ナティはいつも、意地悪なんだ。僕が間違った物を視たり、命令されてない物を探そうとすると、血が吹き出すまで鞭でぶつんだ。ママ……」

 アメリアが、やりきれない顔で目をそらす。

 そんな二人の会話を、ヨナは愕然と聞いていた。

 

「………………おい。何だ、は」

 五十歳を越えた、髭だらけの壮年男――ビリーを凝視し、ヨナは呻く。

 アメリアは、声を潜めて答えた。

「彼は千里眼に寄生された、囚人よ。脳を蝕まれているの」


 ビリー・ジンデルは強盗殺人と強姦の常習犯だった。

 生死問わずの手配書が付いた重罪犯だったが、半年前に消息を絶ち――今ではこの有様だ。保安官ナサニエル・スウェルは市内で彼を拘束したが、法の裁きを与えずに、密かにここで監禁したのだ。


 ビリーの体は枯れ木のように痩せ細り、眼だけが異様に大きく見える。後頭部には、四角い呪書が張り付いていた。神経組織を思わせる半透明の触手が数千本と呪書から伸び出し、頭髪のように頭に突き刺さっている。

 眼窩は落ち窪み、両目は迫り出して開いているが、左右それぞれにさまよって焦点を結んでいない。


「ビリーの目はもう”千里眼”を使うときしか見えないし、耳もほとんど聞こえない。……彼は末期よ」

 

 アメリアが鉄格子の中に手を入れると、ビリーは嬉しそうに頭を傾けた。触手の刺さった頭皮から、蚤が飛び、蛆がこぼれる。


「脳が衰えていくうちに、宿主はみんな、小さな子供みたいになってしまう。精神退行というらしいわ。あたしを母親だと思って、こんな風に甘えてくるの。……あたしが世話するようになってから、宿主のが良くなったそうよ」


 感情の欠落した声で言いながら、アメリアはビリーを撫でていた。細い手指に、蛆が這い上がろうとする。それでも彼女は撫で続ける。

 彼女の手は微かに震えていたが、ビリーはとても気持ちよさそうな表情をしていた。

「テメェ。とんだ偽善者だな」

 嫌悪感も露わに、ヨナは吐き捨てた。

「知ってるわよ。そんなこと」

 アメリアはビリーからそっと手を離し、決意のこもった眼差しをヨナに向けた。

「だから、ヨナ君。終わらせて。ビリーは罪深い男だったけれど、十分すぎる報いを受けたわ」

「ママ。どうしたの? ほかに誰かいるの?」

 ビリーは、怪訝そうに首を傾げた。

 うつろな両目は左右別々にさまよったあと、不意にヨナに焦点を合わせた。

 ビリーの顔に、恐怖が刻まれる。


「誰、そいつ。……僕を撃つの? いやだよ……ママ、怖いよ。たすけて……たすけて…………」


 アメリアは歯を食いしばって沈黙した。きつく目を閉じ、うつむいている。

 ビリーは恐慌に陥りながら、声を張り上げてアメリアを求めた。

 ママ、ママ、ママぁ――……野太く、沈痛な声が、地下牢にこだましている。


 最悪の眺めだ。

 さっさと終わらせてやる。

 ヨナはナイフを鞘走らせて、千里眼の呪書に向かって宣告した。


「喰い殺す」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る