二話

「絶対安静って聞いてたけど、もう大丈夫なのか?」

「なんとか……大丈夫」


 雨夜が寝ているベッドの前にパイプ椅子を置いて、そこに座った小坂井は力なく頷いた。

 長い前髪に隠れている目には、少し疲れが見えるが、まあ元々少し気弱な顔つきをしていた子だし、別に体調が悪い……という訳ではないのだろう。


「ならいいけど、無理はするなよ?」

「分かってる……」


 小坂井はまた、頭の比重に耐えきれない風に、ガクン! と頭を下げた。

 大丈夫かな? と、自分のことを棚に置いて、雨夜は小坂井の体調を気にしたりする。

 実際、小坂井はまだそこまで回復が出来ていないようで、気を抜いた途端、ぐーーーー、と盛大に腹の虫が鳴った。

 雨夜はしばし瞬きをして、呆れた風にため息をつく。

 小坂井は恥ずかしそうに頬を赤くしながら俯いた。


「なんかお前、会うたびに腹空かせてるよな」

「……!」

「お、おい僕は怪我人だぞ、叩くな叩くな! ほ、ほらリンゴやるから!」


 小坂井は前髪の間から涙目で睨んで、雨夜の脇腹のあたりを小突いてくる。

 雨夜は平謝りしながらリンゴを差しだした。

 恨めしそうに雨夜を睨みながらも、雨夜が差しだしたリンゴに、小坂井はのそりと体をもたげて、上半身を前傾させると、大口を開いて、彼が摘んで持っているリンゴに食らいついた。

 雨夜の指ごと。


「ひえっ」

 一緒に食われるんじゃないかと一瞬肝を冷やした雨夜だったが、口が離れた時に指がしっかりとくっついていて、一安心。

 疲れ切った表情で、小坂井はリンゴをポイポイ口の中に放り込む。

 皿の上に載っていたリンゴはどんどん減っていき、最初は疲れていて半目になっていた長い前髪に隠された目も、徐々に段々と、次第に開いていく。

 なんだろうか、いきなりやってきたから、なにか用事でもあるのだろうかと思っていたのだが、どうやら彼女は、お腹が空いてさまよっていただけらしい。


「そんな……腹ペコキャラみたいな、扱い……イヤ」

「じゃあどうしてここに来たんだよ」

「それは……」


 小坂井は周りを見回して、誰もいない事を確認したと思うと、彼女は唐突に、パイプ椅子を倒しながら立ち上がった。

 パイプ椅子は音をたてながら倒れて、慌てて立った小坂井はリンゴを喉に詰まらせてしまったのか、胸を叩きながら咳き込む。


「おい。大丈夫か?」

「あ、あの……!!」


 詰まらせたものを、無理矢理呑みこんで、小坂井は大声をあげた。

 今まで聞いてきた中で恐らく、十中八九一番大きな声。

 なれない大声を出したからか、少し裏返っている。

 病院の中では静かにしないと駄目だろ、なんて無粋な文句は言えなかった。

 緊張しきったような、小坂井のその物言いに、雨夜もそれに伴ってピシッと腕を体につけて、気をつけをする。

 長い前髪に隠れた小坂井の顔は、緊張からか、少し紅潮している。


「そ、その……た」

「た?」


「助けてくれてありがとうございまひた!!」


 噛んだ。

 噛んだ。

 頭を勢い良く下げながら言ったものだから、雨夜から見て顔は見えなかったけれど、プルプル震えているのを見る限り、今度は羞恥で顔を赤く染めているのだろう。


「……あー」

 しかし雨夜は、どうしてか雨夜は謙遜する訳でもなく、笑顔で返す訳でもなく、なんだかバツが悪そうにあさっての方向を見て、ポリポリと頬を掻いた。

 分かりきっていたことではある。

 助けてもらったのだから、お礼を言う。

 それはなにも間違ってはいない、当然の摂理ではある。


 ――分かってたんだけどなあ。

 ただ、なんというか。

 今まで『お礼』を、自分のためにしてきた事だからお礼を言われるのは筋違いだと言って、拒絶してきたせいか、それを受け取るというのは、なんだかもどかしく感じてしまう。

 今まで自分がお礼を拒絶してきたのは『恥ずかしいから』なんじゃないかと勘ぐってしまうぐらいに、気恥ずかしかった。


 ――そもそもだ。

 ――果たして僕は、こいつの為に頑張ったのだろうか。

 ――もしかして、『他人のために頑張れる自分になるために頑張った』のではないだろうか。

 ――『ヒーローになる為に頑張った』のではないだろうか。

 ――それはつまり、自分のために頑張っていると言う事で、他人を利用していると言う事で、それは『ヒーロー』じゃない。ただの自己満足だ。

 ――だったら。

 ――だったら僕に、そのお礼を受け取る資格なんてないんじゃないだろうか。


 言い訳をするように雨夜は心中でぶつくさ言い続ける。

 考え続ける。

 そして、纏まった答えを雨夜は口にする。


「お礼を言われても困る」

「ど、どうして……っ!?」


 雨夜の言い訳を遮るように、小坂井は裏返った声のまま、大声をあげながら顔をあげた。

 長い前髪はその勢いで宙を舞い、小坂井の顔が、おでこが見えるまでくっきりと露わになる。

 大人しげな、内気そうな顔。

 しかしその目は、力んでいるからか少し潤んでいる瞳は、しっかりと雨夜を捉えていた。


「どうしてって、僕は自分のためにお前を助けただけで、お礼を言われるのは筋違いというか」

「で、でも雨夜は、せつなを助けてくれた……」

「だ、だからそれは」

「助けてくれた」

 小坂井は言う。


「なのに、どうして、お礼を言っちゃいけないの……?」

 小坂井は純粋な眼差しで雨夜を見つめながら、首を傾げる。


「せつなは、雨夜に助けてもらった……自分の為、とか……他人の為、とか……は、よく分からないけど、それでも雨夜はせつなの事を助けてくれた……だから、雨夜はせつなの恩人ヒーロー

 だから、お礼を言うの。

 ありがとうって言うの。

 言って、小坂井は破顔した。

 それはさながら向日葵のような、明るくて、人を惹きつける、とてもとても可愛らしい、純粋な笑顔だった。


 そんな笑顔を見て、雨夜は少し頬を赤くする。

 赤くして、小坂井の笑顔につられるように頬を緩めた。

 いやはや全く。

 一体全体なんの因果か。

 どうして自分の周りにはこうも出来た人間が集まってくるのだろう。

 こんな空っぽな人間の周りに。

 過去と向き合えずに逃げるように生きている僕の周りに。


「全く……ズルいよな」

「……?」

 頬を緩めて笑う雨夜をみて、小坂井は不思議そうに小首を傾げる。


「どうしたの……?」

「いや、なんでもない。えっと、なんだっけな、ここで言わなきゃいけない言葉があったような気がするんだ」


 雨夜は笑って返す。

 にっこりと笑って、返す。

 なんだか気恥ずかしいけれど、二人の関係を──雨夜維月と小坂井せつなの関係を一旦完結させるには、一番いいだろうセリフを言う。

 少し前に進むために、ヒーロー未満は、笑いながら言う。


「どういたしまして」


 ここは欠陥能力者たちが、身を寄せ合う小さな街。

 世界に嫌われた者たちの住まう街。

 不条理に人生を狂わされた住人、二千三百人と一人は。

 それでも幸せになろうと、前向きに過ごしていく。

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ヒーロー・シンドローム! 空伏空人 @karabushi

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