第二章 漆黒の悪霊王

第27話 漆黒の悪霊王


 遠い異国の大地を踏みしめる。

 日本の神社に残してきた娘のことを空港で出会った少女エイミーに任せ、飛行機に乗って飛び立った有栖の父、伏木乃権蔵(ふしきの ごんぞう)はヨーロッパの一地方へとやって来ていた。


 ここには観光や遊びに来たわけではない。仕事で来たのだ。

 彼もまた娘と同じく悪霊を退治したり霊的な物に関わる仕事をしている。

 権蔵は一流の退魔師としての鋭い視線で、明るい昼の陽射しの注がれる緑の荒野を見やった。

 辺りには一般の人々の姿はない。この場所は町や観光地からは遠く離れている。何か特別な用事でも無ければ来る人はいないだろう。


 今は何も無い荒野だが、昔はこの辺りに悪霊の王を崇める邪教のアジトがあったと言われている。

 崩れ落ちて散らばっている瓦礫や建物の残骸はかつてここに城があった名残だ。

 その城の城主は人では無く、悪霊。

 それもただの悪霊ではない。もはや下級や上級などという級で呼ばれることすら超越した存在。悪霊王と呼ばれる者達。

 その中の一人、漆黒の悪霊王と呼ばれたジーネスのアジトがここにはあったとされている。

 千年前にヨーロッパ全土を闇に落としたいうジーネスとはいかなる悪霊王だったのか。今となってはその正体を知る術はほとんどない。

 崩れた瓦礫や荒れ果てた荒野を見ながら、遠い歴史に思いを馳せようとする彼に話しかけてきた声があった。


「権蔵、お前も呼出しを受けたのか」

「ヘンリー、お前もか」


 陽気な印象を与える外国人の彼はアメリカで悪霊退治をやっている霊能力者だ。仕事を何度か一緒にやっているうちに何だか仲良くなってしまった。

 カウボーイ風の身なりをした彼の持つ銃は人ではなく霊を撃つ。その腕で多くの悪霊達を倒してきた。

 気楽な男に見えるが、彼の実力も権蔵に劣らずに一流の物だ。


「俺だけじゃないぜ。もっと多くの一流の霊能力者達がここには来ている」


 彼は丘の高台へと権蔵を促した。登ると荒野の様子がよく見えた。

 そこには多くのベテランの霊能力者達が集まっていた。みんな人種も能力も様々だったが、霊を扱う能力者だということは共通している。


「世界からこれだけ招集したのか」

「ああ、俺達みたいなベテラン勢がまとめて依頼を受けるなんて相手はよっぽどやばい奴らしいな」

「漆黒の悪霊王か」


 権蔵の呟いたその名前を聞いてヘンリーの目が鋭くなった。


「奴が目覚めるという噂はやはり本当なのか」

「噂ではなくて予言だがな」

「おばばの予言は当たるからなあ」


 ヘンリーが呆れたように言って二人して苦笑する。権蔵は再びまだ見ぬ敵へと思いを馳せる。


「千年前にヨーロッパ全土を闇に落とした伝説の悪霊王か。いったいどのような存在なのか」

「考えなくてももうすぐ現れるんだろう。今日の14時に悪霊王ジーネスは復活する。予言ではな」

「ぶっつけ本番。腹をくくるしかないか」


 雑談しながら時間を待つ。すでに準備は整えてきている。今更やることもあまり無い。本番に備えてリラックスするぐらいか。

 ヘンリーはアメリカンハットの角度を調整した。


「まあ、心配することは無いだろう。これだけの霊能力者が揃い、準備もしているんだ。俺達の退魔の技術力だって1000年前よりは随分と進歩をしているはずだ。むしろあっけなく終わる事を心配した方がいいかもな」

「だと良いがな」


 予言に従ってこの地に集められたのは一流の霊能力者達ばかりだ。使命に燃えている者もいれば、強大な悪霊王を倒すことで自分の名を上げたいと思っている者もいる。

 相手が復活するのが分かっていて準備も出来ている。

 伝説の悪霊王が相手とはいえ、これ以上の心配をするのは無用だということは権蔵にも分かっている。

 ヘンリーは緊張をほぐすようなからかうような調子で言ってくる。


「お前、心配しすぎだろ。鑑美(かがみ)さんとは仲良くやってるか?」

「まあまあかな」

「仏頂面ばかりしてると逃げられるぜ」

「今でもあいつは自分の仕事の方を優先しているよ」

「俺達の業界ならそうなっちまうのかもな」

「力を持つ者の務めだ。それは仕方のないことだ」


 雑談をしている間にも時は過ぎていく。


「ここには来てくれないのか? 俺、久しぶりに鑑美さんを口説きたいんだけど」

「あいつの仕事は日本を守ることだからな。あと人の妻を口説くな」


 時間が13時を回った。戦いの時刻が迫ってきて辺りの人々からも私語も少なくなってきた。それぞれに自分の有利に戦えるポジションに着いて、迎え撃つ準備を整えていく。

 権蔵とヘンリーも高台から降りて荒野へと向かう。

 予言で告げられた決戦の時刻が迫ってくる。誰もが息を呑んで事態の到来を待ち構えていた。

 そして、時計が14時を刺した。辺りを一瞬の緊張が走った。誰もが神経を研ぎ澄ませていた。

 最初、何も起こらないかのように思えた。だが、突如として周囲は闇に包まれた。

 昼の光景が瞬く間に夜となる。闇の中で視界が黒く閉ざされる。

 だが、これぐらいでパニックになるような者は誰もいなかった。ここにいるのは皆一流の霊能力者なのだ。

 ある者は道具で、ある者は精神を集中させて、ただ退治すべき敵の姿を探した。


「あそこだ!」


 誰かが空を指さす。

 だが、言われるまでもなく、誰もがその存在に気づき、空を見上げていた。

 感じるなと言われる方が無理というものだった。これほどの強大な存在を権蔵は感じたことが無かった。


「これが漆黒の悪霊王なのか……!」

「腕が鳴るねえ」


 退魔の銃を持つヘンリーの声も震えを抑えきれないでいた。誰もがその存在に圧倒されていた。ここにいるのはみんな一流の霊能力者ばかりだというのに。一流であるが故に敵の強大さを思い知らされずにはいられない。

 昼なのに夜のように暗い空に巨大なコウモリの翼が浮かんでいた。

 闇に包まれたその姿はよく見えなかったが、赤く光る瞳が地の人々を見下ろしているのは伺えた。

 悪霊王ジーネスは千年ぶりに目にする人間達に話しかけてきた。王が高みから下々の者達に話しかけるように尊大に。


「人間達よ。わらわの目覚めを祝するために集まったか。千年を超えて変わらぬ忠義。褒めて遣わすぞ」

「あいにくと俺達はあんたを崇めていた闇の教団の連中とは違うんだ!」


 誰かが声を上げる。悪霊王ジーネスは怪訝に感じたようだ。闇の中で赤く光る瞳が僅かに細められた。


「何じゃと?」

「奴らはとっくに滅んでいる。今はもうあんたの時代とは違うんだ!」


 話をしている間にもみんなは状況を伺っている。伝説の悪霊王を前にうかつに仕掛ける馬鹿などここには存在しない。それはいつ爆発するかも分からない爆弾を考え無しにハンマーで叩くようなものだ。

 冷静に状況を見極める。悪霊王ジーネスはまだ爆発するつもりは無いようだ。闇の中で空から語り掛けてくる。


「ならば何をしに来た? まさかわらわと敵対しようなどと馬鹿な考えを起こしたわけではあるまいな」


 赤い瞳が睨んできた気がした。相手は強大だがいつまでも話しているわけにはいかない。


「そのまさかさ!」

「俺達はお前を退治するために集まったのさ」

「漆黒の悪霊王ジーネス! ここがお前の墓場だ!」


 みんなは一斉に攻撃の構えを見せる。

 決断すれば彼らの行動は速かった。

 一流の霊能力者達を前にしてもジーネスは全く動じなかった。闇の中で赤い瞳に凶気の色が宿った。


「愚かな人間どもだ。お前達はわらわの敵となるというのだな? いいだろう。ならばその報いを受けさせてやるぞ!」


 戦いが始まった。ジーネスの翼から黒い竜巻が放たれる。それは瞬く間に周囲一帯を覆い尽くし、能力者達の進路と視界を奪っていった。

 だが、彼らもただやられるために来たわけではない。それぞれの技能とアイテムで立ち向かう。

 権蔵の隣でヘンリーの銃が竜巻の一本を撃ち抜いた。


「俺達も行くぞ!」

「ああ!」


 権蔵はお札を投げる。それは見えないジーネスの位置を教えるかのように闇の中を飛んでいく。権蔵はその後をお祓い棒で竜巻を切り裂きながら進んでいった。

 闇の中で悪霊王の声がする。


「闇を見よ。人間ども。これが漆黒の世界だ」


 闇が吹き荒れる。霊能力者達の攻撃とまともにぶつかり合い、押しのけるように広がっていく。

 権蔵はとっさに防御するが、随分と後退させられてしまった。


「ヘンリー、大丈夫か!? くっ」


 闇の中でさっきまで一緒だった友の姿を見失ってしまった。だが、戦いの音はする。みんな一生懸命に戦っている。

 ここが日本でなくて良かったと安堵するのは不謹慎だろうか。


「待ってろ。有栖。父さんは必ず帰るからな」


 権蔵は決意を胸に足を前へと踏み出す。闇の中で猛威を振るう悪霊王へと向かって。

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