第26話 番外編 天子と下級悪霊

 この町には悪霊がいる。

 と言ってもそれほど恐ろしい物ではなく、この町に出るのはほとんどがいたら邪魔になる程度のたいした害の無い下級霊だけれど。

 それでも邪魔になることは確かなので、町の人達は設備の調子が悪くなったら業者の人を呼ぶように、巫女に依頼をしてくる。悪霊がいるようなので祓ってくださいと。

 久しぶりに家族でこの町に戻ってきた東雲天子がそうした仕事があると知ったのはつい最近、伏木乃有栖という不思議な少女に巫女の仕事をしないかと誘われてからのことだった。

 最初はよく分からないけどやってみるかと気楽に引き受けた仕事だったけど、天子は今ではこの仕事のことを気に入っている。

 そうして、何回目かの悪霊退治の仕事をした帰り、


「ただいまー」


 天子は巫女服を着たまま自宅に帰っていた。

 ごく普通の住宅街にある庶民的な家だ。


「おかえり。うおっ、何だその恰好」


 リビングでテレビを見ていた兄はびっくりした顔で妹を迎えた。両親はまだ仕事から帰ってきていないようだ。

 リビングのテレビは兄の部屋のテレビより良いテレビなので、兄はたまに誰もいない時にリビングのテレビを使っている。

 天子は巫女服を見せつけるように両手を広げてみせた。


「いいでしょ、巫女服。仕事で使ってるのを借りてきちゃった」


 すぐ間近で見せて、兄に巫女は黒髪ロングの和風美人しか認めないなどというふざけた意見を曲げて欲しいものだとあまり和風感のない天子は思ったのだが、兄は喜んでおらず浮かない顔だった。


「いいけど汚すなよ。お前はそそっかしいんだから」

「もう」


 少しぐらい喜んでくれてもいいのに。天子は膨れてしまう。


「それで見せるだけのために巫女服を着てきたのか?」

「もちろん違うわよ。この町には悪霊がいるの」

「俺は見たことが無いけどな」

「それは見ようとしないからよ。見ようとすれば悪霊は見えるの。少しの霊感があればね。悪霊を退治してくださいと依頼してくる町の人達も多いのよ」


 有栖の話では自分にとって大事な場所だと悪霊は見えやすくなるらしい。それはこの被害は悪霊の仕業だと意識するからだろうか。

 兄は悪霊なんてどうでもいいらしかった。これでは見えるわけが無いなと天子は思った。


「悪霊なんて好き好んで見たがる奴がいるとは思えんがな。お前に霊感があったとはびっくりだな。たいして運も無いのに」

「そこよ。あたしに運が無いのはきっと悪霊のせいだと思うの。きっと我が家に悪霊が住み着いているんだわ」

「だから巫女服を着て帰ってきたのか」

「この前料理に失敗して台所が大参事になるという事件があったでしょう」

「そうだな。あれは確かに大参事の事件といっていい出来事だった」


 天子が料理をすると名乗り出て、台所がめちゃくちゃになった事件を家族の誰もが覚えている。

 あの時は原因が分からなかったが、今でははっきりと意識することが出来た。


「お兄ちゃんが言ってたわ。犯人は現場にいるって」

「現場に戻ってくるな。そして、犯人はお前だ」

「真犯人は別にいるのよ! 悪霊はきっと台所にいるわ。あたし探してみる」

「いいけど、借り物の巫女服を汚すなよー」


 兄の声を背に、天子はすぐ傍の台所に移動した。歩いて数歩の距離だ。

 流しの前に立って上を覗き、下を覗き、テーブルの下を調べて上も調べて、冷蔵庫を開けて棚も開けた。

 天子は唸った。


「おかしい。悪霊がいないわ」

「気は済んだか?」

「まだよ。悪霊はこの家のどこかに逃げ込んだのかも」

「いるとしたらお前の部屋じゃないか? 最近運が無いんだろう」

「そうね。ありがとう、お兄ちゃん。あたし行ってみる」

「おう、頑張れー」


 と言うわけで天子は階段を上がって自分の部屋に向かった。

 ドアの前に立って少し緊張したが、覚悟を決めてドアを開けた。

 引っ越してきてまだ間もない天子の部屋は静かで落ち着いている。

 歩きながらベッドの上を眺め、部屋の壁を見回した。


「キャア!」


 何かいるのが見えて、天子は慌てて下がろうとしてベッドの上に転んでしまった。

 最初はGかと思ったが、蜘蛛のように見えた。それが顔を上げてくる。気の抜けた丸い目をしている。

 有栖が下級の悪霊は弱いから、弱そうな可愛い感じの姿に見えると言っていた。間違いないこれは悪霊だ。

 天子は今になって自分が素手で、武器になるような物を持ってきていなかったことに気が付いた。

 手段は他に無かった。天子はグーを固めて、自分の霊力を拳に宿すことを意識した。

 そして、殴る。


「悪霊退散!」


 下級のどんくさい悪霊など天子の敵では無かった。

 悪霊はあっさりと昇天し、我が家から脅威は消え去った。


「これであたしも安心して料理が出来るわね」


 天子はそう思ったのだが、


「あの惨劇は繰り返させない」


 兄も両親も許可することは無かった。とんだとばっちりだった。




 そんな話を神社で会った有栖にすると、


「それじゃあ、ここで料理の練習をしてみますか?」

「えーと……また今度ね」


 それは何か悪い気がして断ってしまう天子だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る