第20話 時を越えた手紙
邦仁の母は、邦仁が京都に旅立った3日後に他界した。
紀代美はそれを電報で邦仁に報せたが、邦仁は赴任前の休暇を取った直後という理由で、帰省することは許されなかった。
紀代美が邦仁と再会したのは、4か月後のことだった。
邦仁が不意の休暇を得て、米子に戻ってきたからだった。
邦仁は母の墓参りをすませたら、すぐに帰隊するつもりだったようだが、実家に帰らせたと思っていた紀代美が、まだ自分の家で母の位牌を守っている事に驚いたようだ。
邦仁は紀代美に、自分の言いつけに従って、実家に戻るように勧めた。しかし紀代美は頑としてそれを聞き入れなかった。
邦仁は紀代美に、自分は山口県にある基地にいると言った。しかしそれ以上は軍の機密事項なので、何も言えないのだと言った。
邦仁は5日間、紀代美と一緒に過ごした。別に何の用事がある訳でもないし、友人達も徴兵されており、会う相手もいない。紀代美を連れて、幼い頃に遊んだ覚えのある場所を順々に巡っては、懐かしそうに目を細めた。
時折、美保基地からゼロ戦が飛び立つのが見えると、邦仁は複雑そうな表情で、その機体が見えなくなるまでずっと空を見上げていた。邦仁はもしも家が恵まれていたのなら、本当は医者になりたかったのだと言った。
紀代美は「戦争が終わって帰ってきたなら、ぜひそうなさい」と言った。父親に頼んで学資は出してもらうからと――。
邦仁は嬉しそうに、「そうしたいな」と言った。しかし、なぜかその目は寂しそうに見えた。
5日目の夜、紀代美は邦仁と本当の夫婦になったという。子供の頃にその話を聞かされた時、矢倉にはその意味が分からなかった。
邦仁は6日目の朝に山口に戻って行った。紀代美は家を出る邦仁の背中を見送りながら、もう二度とその姿を見る事は無いだろうと思った。
家にいる間、邦仁は何もそれらしい事は言わなかったが、きっとそうであるに違いないと紀代美に思わせるような、何とも言えぬ空気をまとっていたからだ。
紀代美は自分がそれを察している事を邦仁に悟られないように、一緒にいる時間は、務めて明るく振る舞った。自分には、それくらいしか邦仁にしてやれることが無いと思ったからだ。
祖母・紀代美が祖父・邦仁からの遺書を受け取ったのは、祖父が休暇を終えてから間もなくのことだった。
祖母はそれから2ケ月ほどして、自分の妊娠に気がついたという。そして祖母がまだ19歳の時に生まれたのが、矢倉の父、雅仁だった。
祖母が大事にしているその遺書を、矢倉も一度だけ読ませてもらった事がある。それは祖父が特攻で出陣する前夜に書いたものだった。
毛筆で書かれたその達筆は、当時まだ二十歳にもなっていない若者が記したものとはとても思えないものだった。
文字の美しさもさることながら、その文面に矢倉は圧倒された。それは澄み切った魂が書かせたとしか思えないほどの透明感に満ちていた。
――紀代美さまへ――
詳しい文面は覚えていないが、確かそんな書き出しだった。
祖母と夫婦になれた喜びと、母親の最期を看取ってくれた事への、感謝の気持が綴られていた。
自分がこれから死を迎える事には一言も触れず、またお国のためとか、天皇陛下のためという言葉も、一言も書かれていなかった。祖母への愛情と、優しさに満ちた言葉で埋め尽くされた遺書だった。
文章の終わりには、もう一度、『紀代美さまへ』と書いた後で、『どうか私との約束を忘れないで下さい。あなたを守ってくださる方と、どうか幸せになってください』と記し、――邦仁――と、自分の名で最後を締めくくっていた。
矢倉は最後の一文の意味が知りたくて祖母に訊ねたが、祖母は「それは、おじいちゃんと私だけの秘密」とだけ言って、教えてくれなかった。
祖母はもしも自分が死んだら、その遺書と一緒に火葬にして欲しいと矢倉に言った。
驚くべきことに――、その後祖父から祖母へは、もう一度だけ手紙が届いていた。戦後30年を過ぎた1975年の夏の事。それは矢倉が生まれた年で、父の雅仁が30歳になったばかりの時だった。
父から聞いた話では、手紙を読んだ祖母はたいそう驚き、そして「よかった」と言って微笑んだそうだ。
矢倉がオイルダイバーという職業に就いたのは、正にこの祖父からの手紙が契機だったと言って良い。矢倉は20歳になった時に、その手紙を父から見せてもらった。そして30歳の誕生日にそれを父から譲り受けていた。
矢倉は足元に置いたショルダーバッグを持ち上げると、その中から封筒の縁に赤と青の縞のついた、古いエアメールを取り出した。
――拝啓、紀代美さま――
あなたにこの手紙が届かなければ良いと願いつつ、この文章を書いております。 あなたは私との約束を思えておいででしょうか。もしもこの手紙があなたに届かなければ、あなたはどこかで、きっと幸せに暮らしておられるはずです。
しかし、もしもこの手紙が届いてしまったら。あなたは一体、幸せな人生を送っていらっしゃるのでしょうか。私にはそれが心配でなりません。
あなたはきっと驚かれていると思います。死んだはずの私からこのような手紙が届くのですから。
まずは私が結婚式の後、米子を離れてからの事から知らせします。当時は上官から守秘を厳命されており、最後にお会いした折にも、どうしてもお話ができなかった事です。
休暇を終えた私は、京都の峯山航空隊に配属されました。飛行練習生として、更なる訓練を積むためです。練習機での実地飛行は素晴らしいものでした。舞鶴の鎮守府を空から眺めてから、天橋立に向かいました。私は医者も良いが、飛行機乗りも良いものだと心から思いました。
峯山で練習機での完熟飛行を積んだ後、次は実用機の過程に進むはずでした。そこで初めてあのゼロ戦に乗れるのです。私は期待に心が躍ったのを覚えています。
ある夜、私は上官に呼ばれました。上官の部屋に行くと、そこには私以外に二人の仲間がいました。二人とも飛行訓練の優秀者です。
上官は私たちに一枚の紙を手渡し、そこに署名した上で、印刷された”希望する”と言う文字の上に二重丸をつけるように言いました。
説明は何もありません。皆が二重丸を付けた事を確認すると、上官は、「これは、我が日本の存亡に関わる重要な作戦に、お前たちが参加できる証である。名誉なことだ」とだけ言いました。
そして我々三人は翌朝、皆がまだ寝静まっている中、山口県の光基地へ異動しました。私が峯山にいたのは、僅か一か月間でした。
次の光基地にいたのも僅か一週間ほどです。最終的に異動したのは山口県の大津島でした。目的地に到着した私は驚きました。あろうことかそこは、海軍の特攻兵器、回天の訓練基地になっていたのです。
そうです、私達三人は、上官から何も説明を受けないままで、いつのまにか特攻隊に志願していたのです。
私たちに戸惑いはありましたが、回天の搭乗員に選ばれたことはある種の誇りでもありました。回天は初陣に備えて、腕の良いパイロットが必要でした。私たちは数多の候補者の中から、操縦の腕を認められたのです。
回天は練習用の艦が少なく、搭乗訓練は順番待ちでした。死ぬ練習をするために、順番待ちをするのですからふざけた話です。しかし私は、どうせ死ぬのであれば、訓練中の事故などでなく、目的を達成して死にたいと考えておりましたので、座学にも搭乗訓練にも必死で取り組みました。
大津島でも私の成績は優秀だったと思います。その証拠に、私は回天の初陣となる菊水隊という部隊に選抜されました。
あなたに遺書を書いたのは、出撃を翌日に控えた夜の事です。
今思えば特攻隊と言うのは因果なものです。訓練の成績の良い者から順に出撃し、死んで行くのですから。
私は峯山で選ばれたがために、皮肉にも飛行機に乗るのではなく、人間魚雷を操縦することになりました。更に大津島では必死の努力が評価されて、皆に先だって死ぬための片道切符を手に入れたのです。
さて、出撃を控え緊張で眠れずにいた私ですが、ようやくうとうと仕掛かっていた未明の時刻に突然、基地の司令に呼び出されました。
司令官室で私を待っていたのは、耳を疑うような命令です。
何と急遽、舞鶴への配属を命ぜられたのです。私には訳が分かりませんでした。遺書まで書いたのになぜだという思いです。
上からの命令と言うだけで、司令にもその理由は知らされていませんでした。私が大津島にいた記録は、全て抹消されるとの事でした。私はそのまま夜が明けぬうちに、密かに船で大津島を出ました。
私が舞鶴で下命された新しい任務については、お知らせすることができません。何故ならその任務は、今でも解かれていないからです。それは極秘作戦であり、『戦争終結後も継続せよ』、『断じて本国への帰還は許さず』と厳命されていました。
私は命令に従って日本を出発し、訳有って今、ここポルトガルの地におります。私は既にその作戦任務を遂行できる立場にはおりませんが、日本に帰る事はできません。私にできる事はただ一つ、『断じて本国への帰還は許さず』という指示に従うことだけです。
私があなたにこの手紙を書いたのは、自分自身の心に区切りをつけるためです。私は本日、私の意志に従い、長年住んだこの場所を離れる事にしました。
それは私が、過去の自分に決別する行為に他なりません。私はこの手紙に、私がこの30年間守り続けてきたものを託そうと思います。
あなたにこの手紙が届き、あなたがそれをご覧になるのも運命。あなたに手紙が届かなかったとしても、それも運命です。
私があなたに長らくご連絡をしなかった事。どうか恨まないで下さい。私にはそれ以外になす術がなかったのです。
あなたにお会いできてよかった。一時だけとは言え、あなたと夫婦になれてよかった。私は医者にもパイロットにもなれませんでしたが、あなたと夫婦になれた事が誇りです。
最後の日、あなたは私が死地に赴くことをお察しでしたね。しかしそれを私に悟らせないように、明るく振る舞ってくださいました。私は涙が出る程嬉しかった。私が異国の地で、一人ぼっちでひっそりと生き延びてこられたのは、あの時のあなたのあの笑顔に、日々励まされたお蔭です。
私の心はいつでもあなたと共にあります。あなたが今、私以外のどなたかと、共に人生を歩まれているとしてもです。どうか、末永く幸せにお過ごしくださいませ。
――敬具、邦仁――
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