春過ぎて、夏来たるらし、白百合の

【カサブランカ】【君の笑顔が見れるなら】【冷やし中華】

(※『一度決めたんなら~』を読んでいるとしあわせかもしれません)

 

 

 二つお隣の中華屋さんが、冷やし中華を始めました。

 もうそんな季節なのかと、わたしは店先の空を見上げます。雲一つない空から降りてくるのは、さんさんとした陽の光です。

 梅雨の晴れ間に感じるのは夏の足音。そろそろ暑くなってくる頃だけれど、わたしとしては願ったり叶ったりなのです。

 花たちを守るための空調は、わたしにとっては少し強すぎますから。外が暑いくらいで丁度いいのです。

 学校の皆が暑い暑いと文句を言い始める中、わたしくらいかもしれません。……いい季節になってきたな、なんて思うのは。

 鼻歌交じりに枯れかけた葉をはさみで切り落とせば、店の中から元気な声が聞こえてきます。

 

「先輩! ひととおり水替え終わったっす!」

 

 振り返れば、空のバケツを片手に溌剌とした笑顔を見せる後輩君の姿がありました。

 予想以上に早いのです。お花が入ったバケツの水替えは思いの外重労働だというのに……流石は男の子ですね。

 

「ありがとうございます。わたしの方もおおかたメンテは終わりましたから、一息がてら店番でもしましょうか」

 

「うっす、了解っす!」

 

 後輩君の返事はいつも元気いっぱいで、思わず頬が緩んでしまいます。活発な子は見ていて気持ちがいいものです。

 開きっぱなしのドアを通ってひんやりとした店内に入れば、いろんな花の香りにふわりと包み込まれます。

 バラ、ユリ、ゼラニウムにクレマチス。色とりどりの花々を見ていると、勝手に表情が柔くなっていってしまいます。

 いつ見ても、いつまで見ていても飽きがこないのです。この店でアルバイトをしていて良かったと思う瞬間ですね。

 緩み切った表情で花々を眺めていると、「あの、先輩」と後輩君が遠慮がちに声を掛けてきました。

 

「俺今日、店長見てないんすけど……」

 

「店長ですか? 今日はお休みですよ。なんでも、旦那様といっしょにデートだとか。羨ましいですねぇ」

 

「うええ!? それ大丈夫なんすか!? バイトだけに店任せちゃうとか……」

 

「だいじょうぶですよ。何かあれば、わたしがなんとかしますから」

 

 胸を叩いて心配ないですよとアピールします。伊達に一年以上アルバイトしている訳じゃないのです。

 ブーケや鉢物なんかの制作もあらかた出来ますし、仕入れの業者さんへの応対も慣れたものですし。

 配達は……後輩君を残してはいけないので難しいですが。まあそこはそれ、前までのお留守番の時とあまり変わらないのですよ。自信満々、どんとこいです。

 

「でも先輩、こないだ何個か鉢割ってたような?」

 

「そ!? ……それはあれです。ちょっとあの、こーぼーのかわながれ? といいますか」

 

「先輩、たぶんそれ違います! 俺もバカだから正しいアレはわかんないっすけど!」

 

 純真で溌剌なつっこみに思わず凹んでしまいます。後輩君、悪気はないと思うんですがたまにズバッとわたしの心をえぐってくるのです。

 後輩君の純な眼差しを苦笑いでなんとか誤魔化していると、タイミングよくお客さんの来店を知らせるチャイムが鳴りました。

 

「いらっしゃいませ」

 

「らっしゃいませー!」

 

 ……後輩君の挨拶はなんだか居酒屋さんみたいです。わたし居酒屋さん行ったことないですけど。

 なんて取り留めのない感想はさて置きまして。……お店に踏み入ったお客様の顔に、なんだか見覚えがありました。

 後輩君よりちょっとだけ背の高い、しゅっとした感じの男の子です。

 Tシャツと七分丈のジーンズを着た彼は、店に入ってすぐ後輩君と目を合わせると、ぴたりと固まってしまいました。

 ……む、なんででしょう? 隣に目線を遣れば、どうやら後輩君のほうも動きが止まってしまっています。

 頭の中ではてなが五回くらいぴょこぴょこして、その後くらいでしょうか。

 

「うええ!? ちょ、おま、なんで!?」と後輩君が驚いて。

 

「いやこっちの台詞だわ。なんでお前がココに居んだよ……」とお客様が頭を抑えて。

 

 それと同時にわたしも思い出したのです。そうです、このお客様……後輩君が初めてこの店に来たときに一緒にいた男の子です。

 その時は後輩君もお客様のひとりでしたけど……ああ、そうですそうです。印象深くってよく覚えています。

 後輩君に背中を押されながら店に入ってきた、少しませていて、けれども気恥ずかしさを滲ませた男の子。

 彼のご注文は中々にロマンチックで……あ、思い出したら頬が緩んできました。いけないいけない、お客様の前ですから、しっかりしないと。

 

「つーか何? お前ここでバイトしてんの? なんで?」

 

 お客様に問われた後輩君は「え!? いやそのそれはあれだよほら!」と激しく挙動不審な感じになっています。

 確か志望理由は「お花が好きだから」と言っていたはずですけど……言いたくない事なんでしょうか?

 何かを察したらしいお客様は呆れたような、でもちょっとだけ微笑を滲ませて「あー、なるほど」と言葉をこぼしました。

 

「なるほどねぇ。……うん、まあ、頑張れ」

 

「何がだよ! 言われなくても仕事頑張るっつーの! バリバリ頑張るっつーの!」

 

「いや、そうじゃなくて、うん。……頑張れよ」

 

「二回言うなよしみじみ言うなよ! 泣きたくなるわもー!」

 

 よくわかりませんが、後輩君がとても楽しそうで何よりです。仲が良いお友達なんでしょうね。

 とはいえ今は仕事中なのです。後輩君の肩をとんとんと叩き「お客様ですよ」と耳元へささやく。すると――――

 

「うえええ!? す、すんません気を付けますッ!!」

 

 肩をびくりと弾ませて激しく反応した後輩君は、首まで真っ赤に染めながらわたしへ思いっきり頭を下げました。

 予想外の反応なのです。見ているこっちがびっくりしてしまいます。お客様にも笑われてしまっていますし……。

 なにやら後輩君、平静を欠いているようなのです。研修がてらに応対をして貰いたかったんですが……仕方ありませんね。

 あわあわと慌てている後輩君をいったん置いておいて、わたしはお客様と向き合って笑顔を浮かべます。

 

「お客様、本日は何かご入り用ですか?」

 

「っと、その……なんつーか。知り合いにちぃとばっかめでたいことがあってさ。花でも送りつけてやろうかな、と」

 

「送りつける、というと……プレゼントですか?」

 

「ああ、そんな大層なもんじゃなくて。叩き付けるっつー感じの。だから包装もその辺の新聞とかで良いっていうか、極力雑にしてほしいっていうか。花も一本だけでいいし」

 

 随分ともってまわった言い回しです。「はあ」と思わず首をかしげたわたしに、お客様は苦笑いを浮かべて「すんません、変な注文で」とこぼしました。

 

「意地……っつーとちょい違うかな。ただ、何つーか、いけすかねえんだけど……よくやったって、そんだけは伝えてやりたいんだ。

 渡す奴は男だし、なんだったら敵だし、意地でも張り合うつもりなんだけど……褒めてやるとこは褒めてやりてえんだわ、うん。俺先輩だし」

 

 そうやってお客様は意地悪そうに、でも優しげに笑って。

 

「直接言うのは、嫌なんだ。だから思いっきり投げつけてやりてえ。皮肉っぽい花言葉とかあるやつが良いかも。

 ……つーかあいつ卑怯だろ。本数別で花言葉あるとか俺知らなかったっつーの。分かってたら俺だって九十九本にしといたわ」

 

 最後のひとりごとは本当に悔しげで、けれどどこか清々しさも感じられる言葉でした。

 だからわたしは、すぐに決めることが出来たのです。彼が望む、彼に相応しい花を。ショーケースに近づき、三つの大輪を咲かせた真白い花を一本手に取ります。

 ご注文にはしっかりと答えますよ。……包装用の英字新聞で、シンプルに手早く包んでしまうのです。

 

「あの、店員さん。それちょい綺麗過ぎない? 包み紙」

 

「そんなことありませんよ? ぜんぶ、ご注文の通りです」

 

 包装を終えた白の花をお客様に手渡せば、少々遠慮がちに「……ありがとう」と返してくれました。

 

「ちなみにこれ、何の花なの?」

 

「カサブランカといいます。ユリの仲間のお花で、ちょうど今くらいの時期が見頃なんです」

 

「へえ……んで、花言葉は?」

 

「日本では『純粋』とか『高貴』とか色々あるんですけど、海の向こうだとシンプルなんです」

 

 そう、だからこそカサブランカは、彼に一番ふさわしいのです。

 

 

「――――『祝福』。それだけなんですよ」

 

 

「……はは、皮肉要素ないじゃん」

 

「でも、お望みの品には違いないと思います」

  

 言い切ったわたしは、お客様の目をじっと見つめます。ちょっとだけ不安に思いながらも、答えは間違いなくこれなんだと自信をもって。

 伊達に一年以上も花屋さんでアルバイトをしていないのです。お客様はしばらくの間、じっと黙って目を伏せて、何かを考えているようで。

 ふと、顔を上げたお客様の顔には、ちょっとだけ複雑そうな、けど輝かしくって眩しい笑顔が浮かんでいて。

 

「そっか。店員さんがそう言うんだったら、そうなのかもな」

 

「はい、そうだと思います」

 

「………あはは、そっかそっか」

 

 何かに納得したように、お客様は笑って。わたしもつられて笑顔になって。

 ――――この瞬間も、無上の幸せなのです。花が好きで、でもそれだけでこのお仕事を続けてきたわけじゃなくて。

 お客様に、本当に喜んで頂けること。本当の笑顔を頂くことも、本当に喜ばしいことなのです。

 

「ありがとう」と、笑顔でその言葉を貰えただけで、頬が緩んでしまいます。

 

 お会計を済ませたお客様は、すぐに店を後にしました。最後に、赤くなって固まっている後輩君へ「頑張れよ!」と声を掛けていって。

 その言葉にようやく動き出した後輩君は、なぜだかムキになって「うるせーよばーか! ばーかばーか!」と捨て台詞を吐いてしまいました。

 むぅ……それは頂けませんよ?

 

「後輩君? いくらお友達相手と言っても、お店に来た以上はお客様なんですよ? もうすこし、ちゃんとしてくださいっ」

 

「ぅ……す、すみません先輩ッ! 以後気を付けます!」

 

「はい、分かればいいんです。分かれば」

 

 伝わったのならそれでいいのです。次に生かしてくれれば言うことなんてありません。

 それが出来ないような人だったら、わざわざわたしも叱ったりなんてしないんですから。

 うんうんと頷いたあと。わたしはまた、店の中の花々を眺める至福を味わい始めます。

 バラ、ユリ、ゼラニウムにクレマチス。鮮やかな色と芳しい香りに包まれて、思わず頬が緩んでしまいます。

 なんともはや、幸せな時なのです……などと浸っていると、突然後輩君が「先輩!」と大きな声を出しました。驚いて彼の方を見ると、なぜだか真剣そうな表情をしていて。

 

「俺、俺――――――――頑張ります! 頑張りますから!」

 

「は、はあ……。頑張っていただけると、わたしも嬉しく思います、けど」

 

「はい! 俺精一杯頑張りますから! あいつに負けないくらいに!」

 

 言って後輩君は、ふんふんと鼻息荒く張り切り始めました。……一応さっき、仕事はひと段落したのですが。

 まあ、やる気を出してくれているのはありがたいことです。最近はめきめきと動きもよくなってきていることですし……。

 

 そうだ、今日のお昼は奢ってあげてもいいかもしれません。頑張ったご褒美に、冷やし中華なんてどうでしょうか。

 

 そんな取り留めのないことを思いながら、店の外から覗く青空に目を細めます。

 

 春は終わって、夏はすぐそこ。――――ほんとうに、いい季節になってきました。

 

 

 

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私立にごたん学園!【短編集】 畳屋 嘉祥 @Tatamiya_kasyou

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