宣告-3





「──っ!」


 冷や汗が、湧き出ていた。

 感じたことがない記憶だ。だけどあまりにも鮮明な記憶だ。まるでついさっきまでの現実みたいに。まるで今もなお続く現実みたいに。


「コトコさま」


 落ち着いた、中性的な澄んだ声。


「このまま手を打たなければ、遅かれ早かれ世紀末はやってきます」


 現皇の声を聞きながら、なんとか琴子は息をした。動悸のせいで胸が痛い。きつい貧血が起こったような、白い光が視界にちらつく。


「………どういう、意味ですか」


 琴子の異変を、現皇はただ見つめた。

 突然冷や汗をかき始めたにも関わらず、その顔に怪訝そうな色は見えない。


「前回この世界を滅ぼしたのは、魔王でも何でもない。この世界の全大陸で同時に起こった自然災害が、かつての高度文明を一夜にして滅ぼしてしまった」

「自然、災害」

「初代の記録によれば、地は裂け、山は火を噴き、いくつもの島々が海の中に沈んでいったそうです。地獄というものがあるならば、あれこそがまさに地獄であったと初代は書き残しています」


 現皇は手に持っていたカップを机に置き、代わりに二枚の地図を取り出した。


「見てください」


 机の上に広げられた地図は、将軍の宮で見たものとは二枚とも違っていた。


「これは我が国を中心としたこの世界の世界地図。そしてこちらが、初代が書き残している旧世界の世界地図」

「え、でも」

「ええ。全く大陸の形が異なるでしょう。たった一晩で五つあった大陸のうち一つは完全に海に沈んでしまったものと考えられています。そして残りの四つも、何がどうなったのかまでは分かっていませんが今では一つの大きな大陸に……その代り大小の島々は旧世代に比べ格段に増えた」


(違う、私が驚いてるのはそこじゃなくて)

 いや、立った一晩でここまで世界が変わるのも確かにすごいけど、でも


「嘘でしょ……」


 呻くように声が漏れた。

 もはやしっかりとそれを視続けることすらできなかった。

(地図だ。あれは……あれは確かに地図だ。私が見たことがある世界地図だ!)


 愕然とした。


 手書きなのだろう。がたついた線の世界地図は、地図というにはお粗末な出来栄えかもしれない。ただ大陸の形はそれぞれしっかりと捉えられていた。ユーラシア大陸を中心に、アフリカ、アメリカ、オーストラリア!おざなりだが、日本と思しき島々もある。

 冷や汗が、じっとり琴子の肌を濡らした。


(待って、それじゃ、私は、別の世界から来たわけじゃなく、どっちかっていうと私がしたのは)



 タイムトラベル……?





「何か、気付かれましたね」


 はっとして現皇を見やった。

 さっきまでの穏やかな微笑みは消え失せ、お人形のような表情で琴子を見下ろす。


(最悪だ──)


 これじゃあまるで


(世界が滅んだみたいじゃん……)


 そこで琴子の意識は途絶えた。













 糸が切れたように倒れ込んだ娘を見下ろし、現皇は大きく息を吐いた。

 気が付くと背後には神妙な面持ちのシザーが控えていた。


「この娘、いかがされますか」

「暫く天宮で預かる」

「殺さなくてよろしいので?」


 机の上には娘が口を付けた華茶がある。まだわずかに湯気がのぼっていた。

 現皇は娘から視線を外すように立ちあがり、朱色の羽織を無造作に脱ぐ。


「彼女が本当に世紀末を引き起こすのかどうかわからない。伝記にはただ予兆としか書かれていないからな。彼女の死が世紀末を引き起こすのかもしれない。それに、宿木たちがこの子を欲しがる理由も気になる。どうして、奴らはこの子を攫おうとしたのか」

「双尾が、彼女に会いたがっていたことも気になります」

「ああ、そうだったな。血の、つながりか………」


 窓の空は相変わらず青々として、まだ季節が夏であることを思い出させる。

 だがそれも今日で終わりだろう。


「また、樹に入るしかないな」


あと三日たてば晦。そして、それを過ぎればとうとう物忌みの期間が始まるのだ。

 






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