少女-2




 上宮の凝った料理をいただいた琴子とアーリアは、あてがわれた部屋まで戻り帰り支度を始めていた。今朝に比べればだいぶ打ち解けた雰囲気で、それぞれの荷物をまとめている。


「そういえば、コトコは普段どこに住んでるの?」

「わたし?」


 あらかたの準備が終わり、あとは帰りの馬車の用意が出来るのを待つだけだった。


「私は食堂に住み込みで働いているから、厨房の奥にある部屋に住んでるよ」

「へえ!そんなとこに部屋があるのね。知らなかった」


 ほら、といってアーリアから一枚の紙を渡される。

 そこにはよく分からない文字でよく分からないことが書かれていた。


「それ、私の部屋番号。折角だから遊びに来てよ。女子寮は男子が入れないように合言葉を入力しないといけないから、その下にある合言葉を入れてね」

「そうなんだ……」


 琴子が出入りしていたのは男子寮ばかりだったので、そんなものが必要だとは思わなかった。


(でも確かに、男子が入ってきたらそれはそれで大変だもんね)


 ただ問題は書かれた文字が読めないことだ。女子寮に入るための合言葉をロウやシャンに読んでもらうわけにはいかないし、これは少し、困ってしまった。


「──ありがとう。私もこっちにきて女の子の知り合いが一人もいなかったから、アーリアと知り合えて嬉しい」

「私の学年は女子が多い方なの。学院に帰ったら紹介するわ」

「ほんと?ありがとう」


 とはいえ、アーリアが知り合いになってくれるのは素直に嬉しかった。

 この世界で初めて会った女の子でもあるし、しっかりとしていて頼りがいがありそうだ。


(こういう子、部活に一人はいたな……)


 しっかりものでちゃんとしていて、面倒見もいい。

 そんなことを思っているうちに、襖の外から声がかかった。


「馬車の用意ができました」


 珍しく男の人の声だった。


「ありがとうございます」


 アーリアが軽くお礼を言って立ち上がる。それぞれ自分の荷物を持って、豪華絢爛な部屋から出た。


(わっ!)


 廊下で二人を待っていたのは、褐色の肌に銀色の髪を短く切り込んだ長身の男の人だった。

 

 まるで映画の中から抜け出してきたみたいな姿に、この世界に来て久しぶりに狼狽える。金髪や銀髪が珍しくない世界観なのはわかっていたけれど、唐突にファンタジー色の強いイケメンを出されると心臓に悪い。


 男の人は恭しく一礼すると「こちらです」といって先頭に立って歩き出す。アーリアが平然としているから、褐色の肌もこの世界では珍しくないのかもしれない。どこか和風の雰囲気を醸し出す建物とも、その男の人はよく馴染んでいた。

 相変わらずよく分からない構造をしているこの宮の、何度目か分からない廊下を曲がったとき、火花が弾ける音がした。


「あれ?」


 それが妙に耳元近くで聞こえた気がして思わずその場で振り返る。

 あのパチッという音は、どこかで聞いたことがある気がした。


(そうだ。ロウが神術を使うときの──)


「コトコさま、どうかされましたか?」


 気づくと、あの男の人が琴子の背後に立っていた。



 その声の近さに、背筋が泡立つ。





(おかしい。だってさっきまでアーリアが間に立っていたのに)


 アーリアを間に挟んで、少なくとも五歩以上は離れていたはずだ。ただ声は、どう考えても琴子の真後ろから聞こえた。

 心臓が騒ぎ出す。

 この世界に飛ばされてきて何度目になるかわからない冷や汗と焦燥感。

 もう一生分のドキドキを味わい尽くしたんじゃないか。


「あの、アーリアは?」


 でもそのおかげで、自分も少し強くなれた気がする。


 振り返り、眼前に立つ男の人を睨みながら琴子はそう問いかけた。


「心配なさらず。彼女はきちんと学院まで送り届けます」

「では私は?」

「貴方には、もう少しここに残ってもらいたい」

「……それならそう最初から言ってください。どうしてこんなだまし討ちみたいなことを」

「それは貴方の出方次第で変わります」

「……はい?」


 男が何を言いたいのかよくわからない。琴子は不快感を隠さず、思い切り眉をひそめた。


「そもそもさっきまで一緒にいたのにいきなりいなくなったら、アーリアだって不審に思うに決まってる」

「その心配はいりません。彼女は何も気づかないまま学院に戻ります」


 確信のある言い方だった。


「彼女に何かしたのね?」


 琴子の言葉が刺々しくなる。ただ向うはそんな琴子の反応なんてどうでもいいみたいだった。

 ただ冷静な瞳で琴子のことを見下ろしている。

 銀色の瞳が、まるで何かの刃物みたいだ。




「こらこら、下手に焚き付けるんじゃないよ」




 ふいに、もう一人の声が聞こえた。男とも女ともつかない、中性的な声。

 はっと振り返って声の主を探す。


「どうか彼を責めないでくれ。私が会いたいと願ったのだから」


 その人は琴子の後にいた。

 数歩離れたところに、いつの間にか立っていた。


 白金の、美しい髪の毛を肩で揃え、気だるげに柱に寄りかかっている。

 簡素な白シャツに緩い黒のズボン。

 緋色の羽織を肩にかけたその人は、その姿を目にしてもあまりに中性的で、琴子は一瞬夢を見ている気分になった。


「あな、たは……」

「はじめまして。異界のひと」

「!」


 鈴を鳴らすような澄んだ声。


「私は僭越ながらこの国の主をしている、第五十七代現皇シグレ・ノエ・アイと申します」


 琴子は目を見開いた。穏やかに微笑むその人は、爛々と輝く蒼の瞳と、若葉のような淡い黄緑色の瞳をしていた。

 口の中がカラカラと乾いた。何か言おうとしたけれど、何も言葉にならなかった。つい数時間前に、どんな瞳をしているのだろうと空想したその人が、今目の前で微笑んでいた。琴子よりも幾分高いところで、その両目が細められている。



「貴方のことを探しておりました」

「私の、ことを……?」

「ええ。どうしても貴方とお話する必要があった」


 一歩、現皇が琴子に向かって足を踏み出す。柔らかい草原のような匂いがした。


「どうか、我らをお救いください」


 流れるような動作のまま、現皇は琴子の前に跪いた。驚いて振り返れば、あの男の人も、膝をつき頭を垂れている。


「や、やめてください!頭をあげてください!」

「では、私とともに天宮にいらしてくださいますか?」

「て、天宮って」

「今ここは、結界で一時的に周囲から隔離しているだけの簡易なもの。出来るならきちんとした場所に移ってからお話をしたく存じます」


 現皇の口調はあくまでも丁寧で、その物腰も柔らかだった。あまりにも穏やかにいうものだから、その胸の内で何を考えているのか全く分からない。

 一瞬黙り込んだ。

 どう答えるべきか迷う。

 だけどよく考えれば、選択肢なんてない。よく分からないままに隔離された空間で、相手の要求をのむこと以外に何をしろというのだろう。それに、この人たちは琴子の素性を知っているのだ。


「………」


 息を吸う。腹をくくって、跪く現皇と視線を合わせた。


「どうか顔をあげてください。私と何を話したいのかわかりませんが、私も私のことで聞きたいことが山ほどあります。えっと現皇様は、私の質問にこたえてくださいますか?」


 震える声でそう問いかければ、現皇が、華やかな笑顔で顔をあげた。









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