優しき闇に抱かれて
上倉ゆうた
優しき闇に抱かれて
やーい、やーい、ぶすおんな~――。おい、ぶすおんながそっちへ逃げたぞ――。
背後から迫る、いじめっ子達の声に、私は必死で小学校の校舎を逃げ回る。早く、早く、どこかへ隠れなきゃ。しかし、どの教室も、いや、ロッカーでさえ、堅く扉を閉ざして、私を
ついには、スコップ片手に校庭の土を掘り返し始める私。穴に身を隠そうとでも言うのか。まるでモグラだ。
そう、モグラだ。私はモグラに生まれたかった。一生を土の下で過ごすモグラに。そうすれば、こんな風に人目に怯える必要もなかったのに。
――ちゃん――マ――ちゃん――!
ああ、声が近づいてくる。早く、早く、穴に隠れなきゃ。人目の届かない、暗い場所へ――。
「マナミちゃん、いたら返事してくれ!」
――いじめっ子にしては、やけに涼しげで、耳に心地よい声だった。
「ミキト、くん?」
そうだ、彼はいじめっ子なんかじゃない。同じゼミのミキトくんだ。ゼミ? そう、私はもう大学生だ。小学校なんか、とっくに卒業している。それでは、今のは――。
(夢か――)
我ながら、げんなりする。小学生の頃の記憶を、未だに夢で見るなんて。あの頃から、ちっとも成長していない証拠だ。
「ああ、良かった。怪我とかしていないかい?」
彼は、とても優しい。私みたいな、暗くて不細工なモグラ女にも、分け隔てなく接してくれる。
「ええ、大丈――」
答えかけて、絶句する。
何も見えなかった。
周囲の様子は愚か、すぐ側にいるはずのミキトくんも、いや、自分の体さえ。
視界全てが、漆黒の闇に覆われていた。
顔の前に、黒い布でも被さっているのかと思ったが、そんなものはない。
「くそっ、どうなってやがる!?」
「嫌っ、何にも見えないわよ!」
「ひええ、ア、アキヒロさぁん」
闇の向こうから、聞き覚えのある声がする。アキヒロくん、ランちゃん、リュウジくん――みんな、同じゼミの友達だ。
そこで、ようやく思い出した。私達は大学の夏休みを利用して、海に遊びに行ったのではなかったのか。
それが、どうしてこんな所に?
「誰か、明かりになりそうな物は持ってねえのか!?」
アキヒロくんに言われ、慌ててポケットを探ったが、あいにく持ち合わせがない。なにせ現代の日本は、夜でも光に
この圧倒的な闇に、私達は何の対抗手段もない。
「ここ、どこなの――?」
「さあ、気が付いたら、ここにいて――みんな、何か覚えてるかい?」
ミキトくんに聞かれ、私達は必死で記憶を探る。
「確か、10時に駅前に集まって、リュウジの車に乗り込んで――」
「お昼前に海に着いて、しばらく辺りを散策して――」
「喉が渇いたんで、コンビニで買っておいたジュースを飲んだんスよね? で――」
そう、そこから先の記憶がない。どうやら、みんなも同様のようだった。
「まさか、あれに睡眠薬が入ってた? そして、眠らされて誘拐された――」
「あ、あはは、まさかぁ」
「僕も、まさかとは思うけど――そうだ、みんな、携帯電話は持ってるかい?」
そうだ。携帯電話さえあれば、助けを呼べる。再びポケットを探ろうとして、はっとする。
携帯電話――そう言えば、さっきポケットを探った時、触っただろうか。
「やだ、ないわよ!?」
「お、俺のも――確かに、上着のポケットに入れておいたのに」
「やっぱりな」
慌てふためく私達とは対照的に、ミキトくんは落ち着いていた。予想していたらしい。
「盗まれたんだ、助けを呼べなくするために」
つまり、これで確定的になったわけだ。
ミキトくんの想像通り、私達が何者かに誘拐されたということが。
「い、一体、何のために――」
私達は、ざわざわと憶測を交わす。いや、喋るのが苦手な私は、黙って耳を傾けていただけだが。リュウジくんの実家はお金持ちだから、身代金目的かもしれない。あるいは、今年のミス大学は間違いなしと目される、ランちゃんの美貌が目当てで――。
いや、それでは、他の四人まで一緒に誘拐した理由が、説明できない。
「とにかく、ここがどういう場所なのか調べよう。手探りでも何でも、やらないよりはましだ」
「よし、俺がやるから、お前らはじっとしてろ」
すかさず、アキヒロくんが立ち上がったようだった。ゼミ長の彼は仕切りたがり――もとい、とても責任感の強い人だ。
「いや、ここは僕に任せてくれないか。こういう状況には、慣れてるからね」
ミキトくんの声は冗談めいていたが、私ははっとした。そう、まさに彼は、この任にはうってつけだろう。
なにせ彼は、普段から目が見えないのだから。
全盲ではなく、光の強弱ぐらいは分かるらしいが、それでも重大なハンディキャップには違いない。ちゃんと大学に通えているのは、周りの人間のフォローもあるが、何より自身の努力の
「みんなには、いつもお世話になってるからね。今度は、僕が助ける番さ」
「ちぇっ、分かったよ」
そして、ミキトくんは勇敢にも、闇に踏み込もうとして。
「マナミちゃん」
私を振り返ったらしかった。
「な、何?」
「いや――大丈夫だよ、きっと何とかなるから」
何で、わざわざ私に言うのだろう――と、首を
ミキトくんは優しい人だ。誰にでも。だが、私には、特に優しいのではないか。そのことに気付いたのは、最近だ。
無論、それは嬉しい。私みたいなモグラ女が、人並みにこんな気持ちを味わえるなんて。しかし、その喜びには常に、罪悪感が
果たして、目がちゃんと見えていたとしても、彼は変わらず、優しくしてくれただろうか。
彼の気配が遠ざかって、しばらくして。
「ねえ、マナミ?」
ふいに背中を這い上がってきたランちゃんの声に、私は思わずびくりと硬直する。
「な、なあに、ランちゃん?」
「こんな時に何だけど、マナミはミキトくんのこと、どう思ってるの?」
「ど、どうって――や、優しくて、いい人よね」
「そうよねえ、さっきもそりゃあ必死になって、マナミを探して――」
彼女の声は、からかいを
そう、彼女はミキトくんが好きなのだ。
彼女の美貌は、多くの男性の目を奪ってきたことだろう。しかし、肝心のミキトくんには、何の役にも立たない。何せ、彼には見えないのだから。何と、皮肉なことだろう。あげくの果てに、彼は私なんかに――これじゃ、腹も立つだろう。彼女にも、申し訳ないと思う。
私は、ミキトくんの気配に目を凝らした。
彼はどう思っているのだろう? この、奇妙な三角関係を。
「うん――少し、分かってきたよ」
ミキトくんの声に、私は
「まず、ここは――」
自然の洞窟ではない、床は平らだったからだ。材質は、おそらく大理石のようなツルツルした石。
「相当広い――けど、がらんとして何もない――」
目が見えない分、彼は耳が鋭い。音の反響の仕方で、その程度のことは分かるのだという。
「元は、何のための部屋なんだろう」
「広くて、がらんとして、真っ暗――地下の駐車場とかっスかね?」
「用途が分かれば、出口の場所も推測できるかもしれないんだけどなぁ」
「――できたとしても、そこから出られるとは思えねえがな」
アキヒロくんの呟きに、重苦しい沈黙が応える。その通りだ。何せ、私達は誘拐され、監禁されているのだ。それでも、止めようと誰も言い出さないのは、何かしていないと不安に、この闇に、押し潰されてしまいそうだからに違いない。
私は、ぼんやりと闇を見つめる。
いくら広くても、屋内である以上、広さは有限に決まっているのだが――こうしていると、まるで、無限の宇宙の只中にいるかのようだ。
壁も
そんな、私の妄想は。
ひゅおうっ!
ざびゅっ!
ごとんっ――――。
という、音に断ち切られた――妙に生々しい、そんな感じのする音に。
「え? 何、今の音!?」
うろたえるランちゃんに。
『ククク――分カランノカ?』
闇が、応えた。
『愚カナ。視覚ナドトイウ、不確カナ感覚ニバカリ頼ッテイル証拠ダナ』
「だ、誰だ!?」
アキヒロくんの叫びに、ようやく私は我に返る。そうだ、闇が喋る訳がない。私達以外の誰かが、ここにいるのだ。
私達と同じように、誘拐された人だろうか。
――違うと、本能が言っている。
「さては、てめえか、俺達を誘拐しやがったのは!?」
そう、これは“犯人”の声だ。
ランちゃんが、ひっと息を飲む。こっちへと、ミキトくんが私の肩を引き寄せる。この野郎とアキヒロくんが
それにしても、何と大胆な犯人だろう。いくら顔を見られる恐れはないとは言え、私達と同じ部屋にいるなんて。
『誘拐トハ、人聞キノ悪イ。ゴ招待シタノダヨ』
どうやら、ボイスチェンジャーを使っているらしい。報道番組のインタビューでよく聞く、潰れたガマガエルのような声だ。おかげで、性別も年齢も分からない。
「なんだと!?」
『ソレヨリ、イイノカ? 約一名、黙リコクッテイル者ガイルヨウダガ。具合デモ悪イノデハナイカ、ククク――』
我ながら、
みんなが、これだけ大騒ぎしているにも関わらず。
リュウジくんだけが、さっきから一声も発していないことに。
「おい、リュウジ!? どこにい――」
アキヒロくんの呼びかけが、
ごろごろごろ。
足元に、何か丸いものが転がってくる音がして。
「な、何、これ――?」
『サテ、何デアロウナァ? コレダケひんとヲヤッタノダ。ソロソロ分カッテ欲シイモノダガ――ククク』
(あ――あ――)
昔読んだ本に書かれていた。神が人間に与えた最大の
だとしたら、私達は神様に見放されたのだろうか。
犯人がばらまいた“ヒント”が、みるみる像を結んでいく。
ひゅおうっ!
ざびゅっ!
ごとんっ――――。
最初の音は、犯人が何らかの刃物を振り下ろす音で――。
次の音は、それがリュウジくんの~~を切断する音で――。
最後の音は、切断された××が地面に落ちる音で――。
よって、私達の足元に転がる、この丸い物は。
『ヨウヤク分カッタカ――
ぃぃぃぃぃぃぃぃいいいいい――! サイレンのような音が、闇を震わせる――いや、違う、これはランちゃんの悲鳴だ。
『ヨウコソ、闇ノげーむヘ! 早速ダガ、るーるヲ説明シヨウ!』
闇に朗々と響く犯人の声は、とても楽しそうだった。
『生キ残レ! ココカラ出ラレルノハ、一人ダケ! ドウダ、分カリ易カロウ? デハ、健闘ヲ祈ル! クハハハハハハハ――』
そして、どれぐらいの時間が過ぎただろう。百年のようにも、一瞬のようにも感じた。
気が付くと、私はひゅうひゅうと
「マ、マナミちゃん、大丈夫かい?」
「ミ、ミキトくん? 犯人は――」
「分からない、気がついたらいなくなっていて――ああ、大丈夫、近づいてきたら、足音で分かるから」
安心させようとしてくれているのは分かったが、さすがに無理だった。
「でも、これで分かったな――犯人の目的が」
そう、私達を誘拐したのは、身代金目的でも、体目当てでもなかった。半分、気絶していたような状態だったのに、犯人の言葉だけは覚えている。
――ヨウコソ、闇ノげーむヘ!
「ゲームとやらに、参加させるためだったんだ――」
「狂ってる、マトモじゃねえっ!」
同感だった。人を殺すだけでも理解し
快楽殺人鬼。この世には、そういうものも実在する。しかし、その棲息地は常に遠いどこかであり、最接近してもテレビ画面の向こうまでだった。
それが、すぐ側にいる。
(これは夢だわ、早く目覚めて――)
しかし、いくら祈っても、柔らかい寝台には戻れなかった。床の固い感触も、どくどくという自分の鼓動(こどう)も、この圧倒的な闇も。
全て、現実だった。
「そ、それで、あたし達、どうなるの――?」
ランちゃんの声が、尻すぼみになる。言っている途中で思い出したらしい。そう、ゲームの開幕を告げた犯人は、次いでルールの説明も行った。
極めて、シンプルな。
「あいつは言っていた――ここから生きて出られるのは、一人だけだって」
つまり、それ以外の者は、みんなリュウジくんのように――。嫌ぁっとランちゃんが叫ぶ。なぜそんなルールなのかと犯人に聞いても、多分こう言われるだけだろう。
その方が面白いから、と。
「ふざけんなっ! むざむざ殺されてたまるか!」
がつん、アキヒロくんが床を殴りつける。
「戦うぞ! こっちはまだ、四人もいるんだ。勝ち目は十分ある!」
「で、でも、犯人は凶器を持ってるのよ?」
「しかも、この暗闇の中でも不自由していない。多分、暗視ゴーグルか何かを使っているんだろう。あまり、有利とは言えない――」
「じゃあ、どうするんだ! 大人しく殺されるのを待つのか?」
「落ち着けよ、そうは言ってない。他に方法はないのか? 地道に出口を探すとか――」
「んなもん、ある訳ねえだろうが! お前らがやらないなら、俺一人でも――!」
結局、アキヒロくんに押し切られる形で、私達は犯人に決死の反撃を試みることになった。
立てないよりはまし程度の作戦を立てる。一ケ所に固まって、犯人の接近を待つ。耳が鋭いミキトくんが、足音で犯人との距離を測る。彼の合図で、一斉に飛び掛り、凶器を奪う――。
果たして、上手くいくだろうか。いや、仮に成功したとしても、犠牲者ゼロで済むだろうか。
「何でよぉ――何で、あたしがこんな目に――」
ランちゃんが
その時。
「ジュース――そうだわ」
突然、そんな呟きと共に、ランちゃんの嗚咽が止まった。
「何だよ、ラン?」
「一体、どこで――、――が入れられて――」
アキヒロくんの問いかけにも答えず、ランちゃんはぶつぶつと呟き続ける。
そして。
「ま、まさか――!」
愕然。そんな感じの声を上げ――だだだっと足音が遠ざかる。ランちゃんが逃げ出したのだ。私達がそのことに気付いたのは、一瞬後だった。
「おい、どこ行くんだよ!?」
「ランちゃん、一人になっちゃ危ない!」
必死に引き止める二人に返ってきたのは。
「嫌ぁっ、来ないでぇっ!」
「なっ!? 襲われてるのか!?」
「ランちゃん、戻って――!」
慌てて、後を追おうとする二人。しかし、一瞬の遅れは、決して飛び越せぬ断崖となって。
ずぶしゅうっ!
ランちゃんと、私達の間を断った――永遠に。
「い、今の音――」
「おい、ラン! 返事しろ!」
返事はない。代わりに私達に届いたのは、
無論、こんな濃厚なものを嗅いだのは初めてだ。にも関わらず、本能的に分かる。何の匂いなのか。
なぜなら、それは誰の体内にも流れている――。
『愚カナ女ヨ』
声と共に、どかっという乱暴な音がする。おそらく、ランちゃん――だった物が、蹴り飛ばされたのだ。ゴミ袋か何かのように。
『眼ニ見エルモノシカ信ジズ、外見バカリ飾リ立テ――オ前ニ、闇ニ選バレル資格ナドナイワ』
「くそおおおっ! この野郎おおおおっ!」
声に向かって、アキヒロくんが突進する。
ずざっ! 盛大に転倒する音。犯人にあっさり避けられ、空振りしてしまったらしい。それでも諦めず、文字通り闇雲に突進を繰り返す。
「くそぉっ、明かりさえ、明かりさえあれば、てめえなんか――っ!」
『駄目ダ駄目ダ、光ニナド頼ルナ』
犯人の声は――なぜだろう、飲み込みの悪い生徒を叱る、教師のようだった。
『闇ニ慣レヨ、受ケ容レヨ。ソレガコノげーむノ攻略法ダ――』
気が付くと、またしても犯人の気配は消えていた。しかし、この闇のどこかに横たわっているであろう、ランちゃんの体から漂ってくる匂いは消えない。
お洒落で、香水にも気を
「す、すまねえ、でかい口叩いときながら、ランの奴まで――」
さっきまでの
多分、彼は弱い人なのだ。普段の強気な態度は、それを隠すための仮面なのだろう。その気持ちは、よく分かる――私もまた、他人の視線に怯えながら生きている人間だから。
「マナミちゃん、ちょっといいかい」
不意に、ミキトくんに耳元で
「な、なに?」
「シッ、アキヒロには聞かれたくないんだ――少し離れよう」
腕を引かれるままに、アキヒロくんから離れる。
(あ、危なくないのかしら、一人にしてしまって)
アキヒロくんの方は、私達の移動に気付いた様子はない。
十分に距離を取ったところで、ミキトくんが話し始める。隣にいる私にしか聞こえないぐらいの声で。
「さっきのランちゃんの行動、どう思う?」
「え?」
「どうして、一人で逃げ出したりしたんだろう――孤立したら危ないことは、分かっているだろうに」
確かに、不自然だ。この闇の中に、一人で駆け出すなんて。私なら、やれと言われてもできない。
「それに、逃げ出す前に、何か独り言を呟いてたよね」
「ええ、ジュースがどうとか――」
「そう、ジュースだ。彼女は、こう言っていたんじゃないだろうか。“いつ、どこで、ジュースに睡眠薬が入れられたんだろう”って」
「言われてみれば――確かに不思議ね」
今朝、コンビニで買って、リュウジくんの車に運んで――それから飲むまで、周囲には常に私達がいたのだ。一体、犯人はどうやって睡眠薬を入れたのだろう。
(――――え?)
私は思考を停止した。
その可能性に思い至って、それ以上考えることを、無意識の内に拒んで。
「そう――僕達に気付かれずに、あのジュースに睡眠薬を入れられたのは――」
(ミ、ミキトくん、やめて――)
「僕達5人の内の、誰かしかいない――」
その可能性。
すなわち、犯人は私達の中にいる。
体の中心から芯が抜かれ、ぐらぐらと世界が揺らぐ。この感覚には、
すなわち、裏切られる衝撃。
「ランちゃんも、そう思った。そして、そいつはこの闇を隠れ
「そ、それじゃあ、あの言葉は――」
――嫌ぁっ、来ないでぇっ!
「ああ――僕らに向かって言っていたんだ」
その直後、彼女は――。
そこで、私ははっとした。なぜミキトくんは、この話を、彼に聞かれたくなかったのか。
「ミキトくんは、アキヒロくんを疑ってるの?」
「い、いや、別にそういう訳じゃないよ。ジュースに睡眠薬を入れられたと、決まった訳じゃないし――」
私だって、信じたくない。掛け替えのない友人達の中に、人の皮を被った怪物が紛れ込んでいたなんて。
しかし、この推理が当たっていたら。
リュウジくん、ランちゃんが殺され、生き残りはすでに三人しかいない。すなわち、容疑者もたった三人。
私は犯人ではない。ミキトくんは――もし犯人なら、こんな風に自分の手口を明かしたりするだろうか。だとすると、残るのは確かに――。
「そ、そうか、犯人はてめえかあああああ」
「ぐっ!?」
突如。
アキヒロくんが、ミキトくんの首を絞めているのだ。多分、恐怖に引き
「ぐぐぐ、何のことだ――」
「し、しらばっくれるな! ランの奴も気付いたんだ。ジュースに睡眠薬を入れられるのは、俺達の内の誰かだけだってなあああ!」
(ア、アキヒロくん――)
黙りこくっているだけかと思ったら、私達と同じことを考えていたらしい。
「だ、だからって、どうして僕が犯人だと――」
「決まってるだろうが! 目が見えねえ腹いせだ! 暗闇でおろおろする俺達を、嘲笑ってやがったんだろうが!」
どういうことだ。これは演技なのか。それとも、本気で言っているのか。つまり、彼は犯人ではないのか。
いや、ともかく、アキヒロくんを止めなければ。このままでは、犯人であろうがなかろうが、ミキトくんは同じ結果だ。
「アキヒロくん、やめて!」
声を頼りに、何とか彼の腕にしがみ付いたようだったが、あっさり振り
「殺されるもんか、殺されるもんか、殺されるもんか――」
念仏のように、アキヒロくんは繰り返している。その様は、とても演技には聞こえない。
その時。
アキヒロくんの狂態に紛れるように――かつん――かつん――。
(! 聞こえる――)
私達の誰のものでもない足音が近づいてくる。すなわち――
どずぶりっ!
「殺さギャフッ!?」
――やはり、彼は犯人ではないと分かった時には、すでに遅かった。
『闇ノ真実ヲ見通セヌ者ニ、資格ハナイ』
全てが曖昧な闇の中、例の鉄錆の匂いだけはリアルだった。命が抜けていく匂い。
『シカシ、コノ男ノ姿勢ハ見習ウベキダゾ――コヤツハ、闇ノ中デ真実ノ己ヲ見出シタノダ。光ノ下デ被ラザルヲ得ナカッタ、偽リノ殻ヲ脱ギ捨テテナ。ククク――』
遠のく足音に、私達は何の反論もできなかった。そう、友情を忘れ、友人を疑っていたのは、私達も同じ。原始の森を思わせる闇の中、私達は人の皮を
「とうとう、二人だけになってしまったね――」
「ええ――」
私とミキトくんは、最早立ち上がる気力もなかった。
「僕を疑わないのかい?」
「――ミキトくんは、犯人じゃないわ。犯人の足音が離れていく間も、ずっと近くにいたし」
「実行犯じゃないとしても、犯人とグルになっているかもよ?」
「信じるわ」
獣に戻ってしまった私だが、だからこそ分かった。それもまた、偽らざる本音だと。たとえ、この直後、ミキトくんが襲い掛かってきたとしても、私は後悔しないだろう。
「ありがとう――マナミちゃんが信じてくれたから、僕も正直に言うよ。君が好きだ」
なのに、どうして彼の言葉を素直に喜べないのか。
「ミ、ミキトくん、あのね――」
「分かってるよ。僕がこんなことを言うのは、目が見えないせいだって言うんだろう?」
見えなくても感じた。ミキトくんの、真っ直ぐな
「ならば、僕は自分の目に感謝したい。外見に惑わされず、本質を見抜けたんだから。君が優しくて賢い、素敵な女性だってね」
「ミキトくん――」
彼の言葉が、ようやく浸透し始める。皮肉なことだが、この闇のおかげかもしれない。ここでは、自分の姿を見ずに済むから。
「キス、してもいいかな?」
いきなりの言葉に、私は真っ赤になるが――そうだ、もう時間がないのだ。私達の内どちらか、あるいは両方とも、もうすぐ殺される運命だ。
その前に、これぐらいの幸せは味わっても――。
『ククク、大シタ連中ダナ。コノ状況デ、愛ノ告白トハ』
ああ、それすら許してくれないのか。余命のカウントダウンのように、一歩一歩近づく足音を。
「待ってくれ!」
「殺すなら僕を! 彼女は帰してやってくれ!」
(ミキトくん!?)
諦めて座り込んでいたのは、私だけだったらしい。彼は、覚悟を決めて待っていたのだ。せめて、私だけでも助けようと。
「一人は生き残れる、そういうルールなんだろう?」
「そ、そんなの嘘よ。どうせ、みんな殺すつもり――」
引留めようと手を伸ばすが、ああ、そこにすでに彼はいない。私は、闇に一人取り残される。
「それでも、何もしないよりは、君が生き残れる可能性は高い――この人が、ルールを守ってくれることに賭けるよ」
ミキトくんが駆け出す。死神の鎌に、自ら首を差し出そうと。私は、声を限りに絶叫を――
『気ガ変ワッタ――二人トモ、帰シテヤッテモイイゾ』
――上げようとした喉は、代わりにひっくとしゃっくりを上げた。あまりに意外な、犯人の慈悲に。
「な、何だって?」
ミキトくんは警戒している。当然だろう。何かの罠に決まっている。
『タダシ――』
案の定、犯人の“慈悲”には、とんでもない条件が付いていた。
『ソノ眼ヲ、潰サセテモラウ!』
「め、眼を!?」
『左様、オ前達ハ外ヘ出ラレテモ、二度ト光ヲ見ルコトハデキン――』
どういうつもりだろう。私達を悩ませて、楽しもうというのか。
いや。
――ヨウコソ、闇ノげーむヘ!
――オ前ニ闇ニ選バレル資格ナドナイワ。
――コヤツハ、闇ノ中デ真実ノ己ヲ見出シタノダ。
闇。犯人は、それに異常に固執している。理由は分からない。しかし、これだけは確かだと私は思った。
『サア、ドウスル? 闇ニ身ヲ置クコトニナッテモ、生ヲ望ムカ?』
闇。その言葉を口にする時、この人は決して嘘を
両の眼を差し出せば、本当に助けてくれる。私とミキトくんの二人とも。
悩んだのは、一瞬だけだった。
この暗闇のお陰だろうか。私は気付いていた。
自分が、眼などさして必要としていないことに。
むしろ、こんなものがあるがために、毎日自分のみすぼらしい姿を見せられ、惨めな思いをしてきたのではないか。
そりゃあ、失くせば不自由はするだろうが――きっと、何とかなる。だって、ミキトくんが一緒にいてくれるのだから。二人なら、闇だって怖くない。
「分かりました、そうしま――」
彼も、そう思ってくれているに違いない――。
「嫌だ――」
――――――え?
「ぼ、僕は嫌だ!」
聞き間違いじゃない。彼は、確かにそう言っている。
『ナゼダ? オ前ハ、元々目ガ見エナイノダロウ?』
呆然としている私の代わりに、犯人が
「み、見えない訳じゃない! 光は感じ取れるんだ!」
『ダガ、ソレダケダロウ』
「それだけとは何だ!」
(こ、この人は――誰?)
どこへ行ってしまったのだろう、あの優しくて格好いい彼は。
「眼の見える人には、分からないさ! 僕が、どれ程心細い思いをして生きているか――僕にとって、光は唯一の希望なんだ!」
『ナゼ、光ニ
犯人の声は、苦々しげだった。
『光ハ無慈悲ダ。傷モ汚レモ、全テヲ明ラカニシテシマウ。表面的ナ差異バカリ浮キ彫リニシ、不平等ヲ押シ広ゲル。光コソガ、アラユル苦シミノ源ニ他ナラヌノニ』
「な、何と言われようが嫌だ! 光さえ無くすぐらいなら、死んだ方がましだぁ!」
(ミキトくん――!?)
『オ前ハ、有望ダト思ッタノダガナ――』
犯人は長い溜息を吐き。
『期待外レダ。望ミ通リ、死ネ』
ずびゅうっ!
闇のゲームが終わる。
ばしゃり。鉄錆の匂いのするビールシャワーを、私の全身に浴びせて。
(ミキトくん、どうして――)
生きることを、選んでくれなかったの。私と共に、生きることを。
『ソレニ比ベテ、女ヨ。オ前ハヨク分カッテイルナ、闇ノ素晴ラシサヲ――オメデトウ、勝者ハオ前ダ』
犯人の祝福の言葉と共に、ぼっ、ぼっ、ぼっ!
闇に、炎が燃え上がる。いくつも、いくつも。そして、私は始めて、この場の全貌を目の当たりにした。
それが照らすのは、冷たい石の床に転がる、友人達の血塗れの
恐怖に眼を見開いたランちゃん、何が起きたのか分からないという表情のアキヒロくん、泣きべそをかいたまま固まったミキトくん、そして、首を切り離された――
――マネキンが、ころんと転がっていた。
血の海の中、それだけが場違いにきれいなままだった。
それを見て、私は――。
『落チ着イテイルナ――ヨモヤ?』
上げた視線の先に、彼はいた。
すなわち、犯人が。
「ええ――リュウジくん、あなたでしょう」
眼を丸くしている彼は、以前とどこも違わなかった。ガスマスクみたいな物――ボイスチェンジャーと暗視ゴーグルを兼ねているのだろう――を被って、べったりと血に濡れた日本刀をぶら下げているのさえ除けば。
「驚いたなぁ、いつから気付いてたんスか?」
マスクを外すと、声まで以前と同じになる。
「今思えば、最初から違和感はあったわ。あなたが“殺された”時には、しなかったから――血の匂いが」
する訳がない。あの時斬られたのは、樹脂製のマネキンだったのだから。
最初の犠牲者が、実は犯人――この闇だからこそ、可能なトリックだ。
「なるほどねえ、匂いか。それは盲点だったなぁ。さすがはマナミちゃん!」
うんうんと頷くリュウジくんは、友人達の躯に視線も向けない。まるで、道端の石ころか何かの様に。人殺しと
「どうして、こんなことを――?」
「器を選ぶためッスよ。闇を恐れず、闇を受け容れられる、闇の神に相応しい器をね。その点、マナミちゃんなら申し分ないッスよ!」
――案の定と言うべきか。リュウジくんの言葉は、まるきり理解不能だった。私の表情からそれを察したのか。
「ああ、大丈夫。意味なら、すぐに分かりますから」
慌ててそう言い、リュウジくんは懐から何かを取り出した。
鉱物の結晶体だった。まるで、闇が
それを
「Ia、Nyarlathotep! 強壮なる使者、
一転して、朗々と声を張り上げるリュウジくんに応えるように。
洪水のように、結晶体から闇が溢れ出した。
――としか、私には表現し様がない現象だった。しかも、その闇は生きていた。三つの眼に、地獄の業火のような赤い輝きを宿し、私を見つめている。
排水口に吸い込まれる水の
暗い――何と言う暗さだろう。さっきまでの暗さが夜の闇なら、これは宇宙の闇だ。そう、星々の光さえ届かない、ブラックホールの闇。それが、私の視界を、意識を塗りつぶしていく。
なぜか分かった。私が拒絶すれば、この闇を追い出せる。その反動で、私は廃人になってしまうだろうが、少なくとも人として死ねるのだ。
しかし、私はそうはしなかった。
――闇は優しき衣、全てを覆い、
頭に響く闇の囁きに、私はその通りだ、その通りだと、
そう、もしこの世に光がなければ、全てが闇に包まれていたならば、私はモグラでいられたのに。
いいや、私だけじゃない。
ランちゃんは、皮肉な恋に苦しまずに済んだ。
アキヒロくんは、無理な演技を強いられなかった。
――ミキトくんだって、私を捨てなかった。
みんなみんな、光のせいだ。
かの偽善者のせいで、私達は何と無駄な苦労をしてきたことだろう。でも、それももう終わり。この優しき闇が、私達を救いに来てくれた。
我が子を抱く母のように、私は闇を受け容れる。私は闇と一つになっていく。遠くから、リュウジくんの感極まった叫びが聞こえる――おお、我ら〈星の知恵派〉の悲願、今ここに
*
それから、間もなく。
私は東京とかいう、この国の都に立っていた。
すでに夜が近い。せっかく、あの
超次元知覚力を、一気に半径数百kmにまで広げる。集まってきたのは、案の定と言うべき情報。
ごてごてと飾り立てた女達、富と権力で武装した男達――哀れな、光の操り人形ども。奴が照らし出す範囲など、宇宙のほんの表面に過ぎないというのに、それを全てと思い込まされ、表面を飾ることにばかり腐心している。
なかなか骨が折れそうだが――やらねばなるまい。
「よし、まずはこの国からだ――行くぞ」
「はっ、我が神よ」
忠実な神官を従え、私、暗黒神ニャルラトテップは第一歩を踏み出した。
この星に、闇の救済をもたらすために。
【参考文献】
ラヴクラフト全集3(創元推理文庫、H・P・ラヴクラフト/著、大滝 啓裕/訳) より『闇をさまようもの』
優しき闇に抱かれて 上倉ゆうた @ykamikura
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