矛盾

λμ

矛盾

 商人は、売ることのできなかった矛と盾を持ち、ただ歩くことしか、できなくなっていた。彼は商才に恵まれてはいない。それは分かっていた。しかし、この矛と盾を作った友を助けるために、売らねばならなかった。

 

 友の鍛冶師は、文字通り心血を注いで、矛と盾を打った。

 商人はその目で確かに見た。その矛があらゆるものを貫き、その盾があらゆるものを防ぐところを。

 友はそれを示して、地に伏した。

 

 商人はその様を見て、友が感涙したのだと思った。思えば、鍛冶師は、一時も手を休めることなく、鍛冶場にこもり続けていた。だが、声すら上げないのはおかしい。

 怪訝に思った商人が友の身体に触れると、まるで燃える炉のようであった。見ると、友は血を吐き出していた。

 

 商人はすぐさまに医者を呼び、そこではじめて、友が肺を患っていることを知った。鍛冶場にこもり続け、傑作を作り上げた代償でもあった。

 

 友を癒すには金が必要だった。商人が店を持とうと貯めてきた金では、到底足りない。かくなる上は、あの矛と盾を売って、金を作る。

 友はあれだけの物を一度作ったのだ。命さえ繋げば、また同じものを作れるはずだと、商人は考えた。いや、もっと凄いものをも、作ることができるかもしれない。

 

 床に臥せった友は、商人に言った。

「あのようなものを作る鍛冶師は、この世に要らん」友は咳き込み、血を吐き出しした。「お前を友と思って頼みがある。あの矛と盾を互いにぶつけ、壊してほしい」


 商人は友に言った。

「無理なことを言うな。金さえあれば、お前は助かるかもしれない。あれほどの傑作なのだ。俺がなんとしても売り、お前を助ける。身体を直して、また打てばいい」


 友は商人に言った。

「傑作などではない。ただの武器だ。あれを売った金で、命を繋ぐ気はない」友は悲しげな目を商人に向け、言葉を続けた。「それに、お前には、武器を売る才はない」

 

 商人は鍛冶師に言った。

「俺は何と言われようと、どう思われようと、あの矛と盾を売り、お前を助ける」



 商人は鍛冶場から何物をも貫く矛と、何物をも通さざる盾を持ち、旅路に出た。

 そして、楚の国で矛を掲げて口上を述べた。

「俺は、この矛が何物をも貫くのを見た」盾を掲げて言った。「俺は、この盾が何物をも通さぬのを見た」

 折しも戦火が広がる楚の国。人々が集まり、値がつり上がっていった。

 

 それを見ていた見物人の一人が、からかうつもりで言った。

「その矛と盾を互いにぶつけたらどうなる?」


 商人は答えに窮した。答えを知っていたからだ。

 鍛冶師は言っていた。『互いをぶつけて壊せ』と。


 それまで値を付けていた者たちが口々に言う。

「試して見せろ、試さぬのなら、金は出さん」


 商人は嘘をつくことはできなかった。鍛冶師を助けるために金がいるとはいえ、徳に逆らってまで、口上を述べることはできなかった。

 商人はただ黙り、帰途についた。たとえ、このまま売り歩いたとしても、同じように論を立てられれば、同じことを繰り返すだけ。

 嘘をつかず、かつ矛と盾を壊さず売る方は、思いつかなかった。

 

 商人は鍛冶師の言葉が恨めしかった。しかし正しかった。商人に武器を売る才は無かった。商人は、もはや商いをする者ではなく、ただ悲哀に暮れる男となった。


 矛と盾を持ちかえった男が、床に臥せる鍛冶師に、許しを請うた。

「勝手に持ち出したことを許してほしい。この通り、矛と盾は持ち帰った」男は鍛冶師の手を握り、涙を流した。「ただ、どうか俺の願いも聞いてほしい」


 鍛冶師は男に言った。

「許そう。思えば、私はお前に頼むばかりで、お前の頼みを聞いたことはなかった」


 男は、友に言った。

「矛と盾を、形見に頂戴したい。決して売らぬ。決して壊さぬ。誰の手にも渡さぬ」


 鍛冶師は、涙を流した。

「なんてことだ。最初から、そう言えば良かったのか」鍛冶師は男の手を握りかえし、笑った。「お前に譲ろう。代わりに、命が尽きるその時まで、傍にいてくれ」


 男は笑って、今は炉に立つこともできぬ、女に言った。

「たしかに、俺に武器を売る才はなかった。しかし、徳に逆らいはしない。お前の命が尽きるまで、傍にいよう」



 かくして、鍛冶師の作った天下無双の矛と盾は売られることなく、楚の国は衰退の一途を辿ることとなった。徳に頼る国は、ただ戦国の世に滅びるのみ。


 述べた口上を試して見せられぬ矛と盾。これを矛盾と言う。

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