第7話 桜


 桜が舞っていた。

 校門には『卒業式』と書かれた看板が立ち、晶子は固定のための針金をかがんで外していた。

 遠くから歓声が聞こえてくる。卒業式を終えた生徒と保護者たちが、名残を惜しんでいるのだろう。

 ついていた膝のストッキングに穴が開いてしまった。晶子はそれを気にしながら、看板を持ち上げて、体育館の裏の倉庫に運ぶ。看板はかさばるが、晶子の力でも運べるくらいには軽かった。

 風は温かさを含んでいる。肌をくすぐるような、色にすれば黄色や緑、そしてピンク。また桜の花びらが風に乗って舞った。


 看板を戻し置いて、薄暗い倉庫を出ようとしたとき、晶子の上着のポケットから、ノートが落ちた。かがみ込んで拾い、丁寧に埃を落とした。

『晶子先生へ』

 卒業する生徒達のくれたサイン帳だ。晶子は表紙をめくる。生徒達の写った写真が貼ってあった。続いて、一ページずつメッセージが書いてある。思春期という大人とこどものはざかいに、彼らは揺らぎながら生きている。時に周りを、自分を傷つけながら。メッセージを書いたこどもの顔がひとりひとり浮かんでくる。すると、晶子の目に涙が溢れた。

 ノートを濡らすことのないよう、手の甲でこすりながら、晶子はノートをめくり続けた。


「何をしているんです」

 晶子ははっと顔を上げた。阪口が呆れ顔で立っていた。彼の後ろには黄昏時の空が見えた。あれほど騒がしかった校内もすっかり静かになっている。

「ちっとも戻ってこないから何をしているかと思えば、またあなたは泣いているんですか」

 晶子も阪口も二年生の担当だから、卒業する生徒達とそれほど密接な関わりがあったわけではない。だからこそ、雑用もしているのだ。

「いいように押しつけられて、ほら、こっちを向きなさい」

 黒いスーツ姿の阪口の体は、いつもよりも更に引き締まって見える。倉庫の暗がりから見ると、阪口の輪郭がぼうっと夕焼けに溶けてしまいそうで、晶子はごしごしと目を擦った。その手首を阪口の硬い指が掴み、手を下ろさせた。

 阪口がハンカチを晶子の顔に当てる。

「バカですね、赤くなってる」

「先生、私ね」

 晶子の目から涙が新たに溢れる。それが阪口のハンカチに次々と吸い込まれる。

「もっと、いい先生になりたい」

 阪口の目元がふっと和らぐ。阪口のいつもは冷たい色の瞳が飴色に見える。

「どうして?」

「先生、あのね」

 その先は言葉にならず、晶子は阪口の胸に縋りついて泣いた。

 阪口は盛大に泣き続ける晶子の背を、ずっと撫で続けていた。



 まるで子供のように大泣きしてしまった。阪口の前では泣いてばかりいる晶子だけれど、こんな泣き方は初めてだった。

 落ち着いてくると、無性に恥ずかしい。けれど、泣きに泣いた体は力が入らず、阪口に縋っていなければ、座り込んでしまいそうだ。

 ふう、とため息をついて、阪口が晶子の顔を上げさせる。近くで見る阪口の瞳が、晶子の目の前にある。虹彩の様子まで見れる。きれいだ、きれいだ、きれいだ、そればかりが晶子の思考に溢れ、視界も塞がれ、晶子は阪口に唇を奪われていた。

「んっ……」

 唇はすぐに離れる。キスは初めてではない。だって、晶子は阪口のものだから、阪口がくれるものは全て受け入れる。舌と舌を合わせるような口づけだってしている。

「君が、私のこと以外で泣くなんてね」

 晶子があえぐように息を継いだ瞬間にまた塞がれる。今度は唇は離れていかない。唇を押しつぶすようにしてぴったりと一分の隙もなく塞がれ、大きく開かされた口内に上等のビロードのような阪口の舌が押し入ってきた。晶子が一瞬えづくほど深く舌は入り込み、晶子の舌を根本から絡め取る。晶子の指が縋るものを求めて上がり、その拍子にノートがぱさりと落ちた。晶子は惑乱の中、軽い音に薄目を開ける。

 すると、底光りする灰色の目が間近で晶子を見据えていた。奥深くからにじみ出る光には、晶子を責める色がある。晶子は何を責められているかわからないまま、その怒気だけを強く感じて震え上がり、また目を硬く閉じる。

 キスは激しさを増す。晶子の背は弓のように反って、阪口の腕が腰に強く巻き付いて支えていなければ、後ろに倒れ込みそうだ。首も上を向いたまま、顎もうっすらと痺れを感じてくる。それでも阪口はキスをやめない。それこそ貪るように、晶子の口内を蹂躙する。浅い息を繰り返す晶子に比べ、阪口の呼吸には乱れがない。そして、じっと晶子を見つめている。

(先生、いつもと違う…………)

 もう本当にぐったりとして、頭の中から阪口以外のものがすっかり無くなってしまうまで、キスは続けられた。



 解放された晶子は、阪口の肩に頭を預け、支えられてようよう立つ。薄く開けた目に、床に落ちて埃まみれのノートが見える。

(ノート、拾わなきゃ、でも先生何だか)

 怖い。阪口が怖かった。晶子はこういう感情に覚えがある。そして、これは恐怖というより、畏怖に近い。だから、こわごわと唇を開いた。

「先生、怒ってる?」

 潤んだ瞳で、塗れた唇で、体を寄せ合って、それでも幼いこどものように尋ねる晶子に、阪口は微笑んだ。

「君も、大人になったんだな、と思っただけです」

 晶子は首を傾げた。晶子はまだ二十三だが、立派な成人女性である。

「生徒を思うことができる、先生になったんだなと思ったんですよ」

 それと今のキスがどう関係するのかわからない晶子は、ぱちぱちと目を瞬かせた。

「君も、そろそろ卒業しますか? 私の生徒から」

 晶子はまた瞬きをした。今度は困惑からだ。それはもう。

 血圧が一気に下がった気がする。くらりとめまいすらした。

「先生は、もう、私のこと、いらない?」

 青ざめた晶子に、阪口は少しだけ目をみはる。

「まさか」

 晶子はほっと肩に入れた力を抜いた。どうやら、晶子はまだ阪口の掌を居場所としていいようだ。

 しかし、続く言葉に、晶子は絶句した。

「生徒を卒業して、私の恋人になりますか?」

(こい……こいびと……? え、恋人?)

 阪口に恋人がいたのは知っている。今はいないということも知っている。晶子は阪口のものである。阪口は晶子に何をしてもいい権利を持つ。

(私が先生の……恋人になる?)

 晶子は軽いパニックに陥って、足をもたつかせる。一気に体勢が崩れて、後ろに倒れかかるのを、阪口が抱き留めた。強い力で大きな体に包まれ、晶子はその熱さにおののいた。

「いつまで経っても晶子ちゃんは私を男として見てないでしょう。ずっと『先生』で」

 先生のままでもやることは変わらないんですけどね、と阪口が呟く。

「ベッドの中まで『先生』と呼ばれるのも興ざめですから」

 その意味するところを、晶子は考えて―――それはもう一生懸命考えて、顔を真っ赤にした。確かにキスはしていたけれど、晶子の中では、それは肉欲の範疇ではなかった。晶子にとっては、自分が阪口に属しているということが大事で、阪口との関係を既存の関係に置き換えようとしてみることすらなかったのだ。

「どうしますか? 恋人になるなら、ちゃんと名前で呼んで下さいね」

 かつてない甘さを含んだ声が、耳元で囁く。すぐに阪口のことで頭をいっぱいにしてしまう晶子だけれど、これは何だか今までと様子が違う。いつもの胸を引き絞られるような切なさは薄れ、代わりに、心臓が口から飛び出そうに早鐘を打っている。

 晶子の今までにない動揺した様子を見て、阪口はくすくすと笑い始めた。晶子は真っ赤な顔で、阪口の胸を叩く。叩いたところで、阪口には子猫がじゃれついた程度のものだろう。

「わかった、名前、忘れてしまったんでしょう?」

「忘れてません! 拓郎でしょ! 阪口拓郎!」

 晶子が叫ぶと、阪口は笑いを引っ込めて、晶子を見つめ直した。

「もう一度」

 もう阪口は笑わなかった。確認するみたいに、視線が晶子の唇から双眸へと掬い上がる。

「た、拓郎、せんせい」

「もう一度」

「拓郎、さん……?」

 すると、阪口はにっこりと笑った。

「上手に言えましたね。これで、君と私は恋人同士です。ところで、恋人って何をするかわかりますか?」

 晶子は真っ赤な顔のまま考え込んだ。

(手をつないで帰る? デートをするとか……食事をする、映画を見る……)

 その大体が、すでに阪口としたことがある。晶子はわからないなりに懸命に考え始める。

(それは友達でもするか……恋人同士だけに限定することって何だろう)

 外は暗くなり始めていて、温度も下がってきた。阪口は晶子を離すと、倉庫の鍵を閉める。その間晶子は考え続ける。意を決して答えた。

「恋人同士は、浮気をしません!」

 今度こそ阪口は声を上げて笑った。晶子が真っ赤な顔で「笑うなんてひどい!」と手を振り上げると、それを易々と捕らえて、顔をのぞき込む。

 晶子はその顔を見て思う。これは、阪口のとても機嫌の良いときの顔だ。

 鼻先が触れるほど顔を近づけて、阪口は微笑んで言った。

「恋人同士はね、いやらしいことをするんですよ」

 穴の開いたストッキングの膝を、阪口の手が撫でた。




 晶子と阪口は、卒業式の後の職員慰労会に出席した。

 慰労会の間中、晶子は阪口が言ったことに頭を悩ませていて、何をどれだけ飲み食いしたのかさっぱり思い出せない。一次会が終わったのも気づかなくて、うっかり二次会に連れて行かれそうになったのを、阪口に呼び止められるくらい、ぼうっとしてしまっていた。他の職員たちがしきりに晶子を誘うのを、阪口が如才なく断った。

 アルコールを遠慮した阪口の運転でマンションに戻り、すぐに風呂に入るように言いつけられる。晶子は言われるままに湯を使い、身繕いも早々に、寝室に連れ込まれた。阪口も風呂を使った後らしく、ズボンの上はバスローブをひっかけたままの姿だ。

「もう眠いの、先生?」

 ベッドの上に座り込んで問いかけると、阪口が片眉を上げる。

「じゃなくて、た、拓郎さん」

 面映ゆい。晶子にとって阪口はずっと先生だったのだから、いきなり恋人になったとしても、すぐに切り替えられるものではない。

「さっき、恋人は何をするって教えてあげましたか?」

「えぇと……」


(恋人同士はね、いやらしいことをするんですよ)


 ぼんっと音が出そうなくらいの勢いで顔が熱くなった。晶子は奥手で友達も少なかったので、殆ど全くと言っていいほどそういった知識が無かった。保健体育で習ったことが知識のすべてと言っても過言ではない。けれどそれらは「いやらしいこと」ではなく、「生殖行為」として教えられているので、うまく結びつかない。

 阪口の手が延びてきて、晶子のパジャマのボタンにかかる。

「せ、拓郎さん? な、なに?」

 そのボタンはさっき晶子がはめたばかりで、何の問題も無いはずだ。順番に上から下ろしていく必要など無いはずだ。

「何って、言ったでしょう? いやらしいことをするんです」

 あっという間にボタンが下まではずされて、すっと袖を抜かれてしまう。晶子はキャミソール一枚になってしまって、むき出しになった腕を縮めた。

「い、いやら、いやらしいことって、何を、するんで、すか」

 阪口は自分のバスローブを脱いで、床に落とした。普段はそんな雑なことはしないのに、と晶子は小さいことを気にしてしまう。そうしないと叫びだしてしまいそうだった。いつも一緒に寝ているとしても、こんな阪口は知らない。無駄の無く、筋肉の盛り上がりが美しい体だった。特に首から肩へと続く隆起が美しい。割れた腹筋が、阪口の動きに合わせてうねる。

 阪口がベッドに腰掛け、マットレスが彼の重みで傾いた。

「まず、君の服を脱がせます」

 阪口の指がキャミソールの紐に掛かる。

「それから、君の体の隅々までキスをして」

 晶子の手が邪魔をすると、阪口は無造作に晶子の手を寄せて、キャミソールを頭から抜いた。肩を押されて、晶子はベッドに仰向けに倒れる。

 そこに、阪口が上からのしかかるようにベッドに上がった。

「君の気持ちのいいところを探して、そこをたくさんかわいがります」

 晶子は、胸を隠すことでやっとで、パジャマのズボンとショーツは、合わせてあっさり引き抜かれてしまう。

「かわいがられるのは、好きでしょう?」

 晶子は視線を揺らした。何かを揶揄されている、ほのめかされていると感じるが、明確にならない。

 戸惑っているうちに、晶子は阪口に生まれたままの姿にされてしまった。

「君が気持ちいいと、君が私を受け入れる場所が柔らかく潤みます」

 阪口が晶子の腕をとって、ひとまとめにして晶子の頭上でベッドに押しつける。隠すことのない白い裸身が阪口の目に晒されている。羞恥のあまり顔から火が出そうだ。

「きれいですね」

 阪口が満足げに呟いた。表情は穏やかで、獣じみたところはない。それで、晶子もうっかり尋ねてしまった。

「…………受け入れる場所って、どこですか?」

 自分の体に阪口を受け入れるところなどあるだろうか。

 阪口は、いい質問だ、と生徒をほめるときの顔で、あいた手で晶子の足を取った。

「ここです」

 晶子の頭の中が真っ白になった。



 こんなの知らない、晶子の抗議は阪口の唇に吸い込まれた。

 阪口は言った通りに晶子の体を隅々まで愛撫した。指で、唇で、舌で。眼鏡をかけた怜悧な視線が、晶子の肌を這った。

 晶子は逃げることも思いつかずに、ただ、阪口に翻弄されるだけだ。

「ほら、たくさん濡れていますよ」

 阪口の声は少し弾んでいる。それが、性的な興奮なものか、知的発見の興奮なのか、晶子には区別がつかない。単純に、晶子に仕組みを教えているようにも思う。

(私、おかしい? おかしいのかな)

 阪口の手が這うと、声が止められない。どこもかしこもびりびりと痺れて、下腹がどんどん熱くなる。時折強い波に浚われて、記憶が途切れ途切れになる。確かに濡れているのだろう。さっきから、ぬるついた感触が内股にあったから。

「へ、へんですか……? わたし、わからない……」

「ああ、泣かないで」

 阪口が晶子の涙を啜る。

「気持ちいいでしょう?」

 阪口に見下ろされていると、それだけでどんどん濡れ溢れていく。

(気持ちいい…………)

 そう言われると、そうとしか思えなくなる。いやらしいことは気持ちいいということなのか。

 普段自分でも触らないようなところを、舐めしゃぶられて、さすがに晶子も阪口を押しのけようとするが、全く力が入らず、阪口のいいようにされてしまう。

 何度も何度も訪れるものが、絶頂だとも知らぬまま、晶子は幼いあえぎを上げ続けた。

 この甘い苦しみはいつ終わるのだろう、阪口に舐められて、晶子の体がすっかりふやけてしまってやっと、阪口は自分の欲望を晒した。

 快感にとろけた体を阪口の下敷きにされ、両足を担がれる。両腕は阪口の首に回された。

 熱いものが押しつけられる。

(何? 熱い……入って…………)

 ぐうっと押し広げられる。圧迫感が強くなっていく。

「ひ、あぅ、ぅ」

 短く息を吐く晶子は、無意識のうちに、痛みを逃がすため、力を抜いて阪口を受け入れようとする。

(入って……くる…………!)

 めいっぱい引き延ばされる、皮膚の引きつれるぴりぴりした感じ、圧迫感、最後に内側を貫かれる痛みが晶子を襲った。

「あ、あぁ――――――っ!」

 痛みに絶叫した晶子が、阪口の背中に爪を立てる。

「少し、我慢して下さいね」

 阪口は僅かに眉をしかめ、晶子の足を抱えなおした。ず、ずっと肉を擦りながら、ゆっくりと時間をかけて阪口が深く入ってきた。じりじりと腰を進め、最後まで収めきると、晶子はもう息も絶え絶えと言った様子になっていた。

「いた、いたい、せんせ……」

 泣きじゃくる晶子の髪を阪口が優しく撫でつける。阪口は、汗が噴き出して、額に張り付いた晶子の髪を、丁寧に横に流してやった。

 ひどく大きなものが体の中に入れられてしまったという気がする。どくんどくんと腹の中で脈打っているのが伝わってくるようだ。

 阪口が腰をゆすった。

「ひっ、せんせ、動かな……い…………!」

 脳天に火花が走るとはこのことか。痛みがはじけ、晶子は構うことなく悲鳴を上げた。しかし、濡れきった部分は、すこしずつ阪口の大きさになれていく。

 頃合いを見計らって、阪口がゆっくりと腰を引いた。熱が徐々に引き出され、晶子の皮膚が粟立つ。入り口近くまで引き抜くと、また腰を押し込み、晶子が悲鳴を上げる。そしてまた、ゆっくりと引き抜く。

 押し入られるときは痛みがあるのに、抜かれるときは背筋がぞくりとして、体が痺れる。

「せんせ……っ、せんせぇ……!」

 繰り返されるうちに、晶子の悲鳴が嬌声に変わる。痛みが消えたと知ると、阪口は容赦なく腰を突き入れた。

「いやらしいってね、君がみだらになることです」

 はあ、と阪口が息を吐く。それがいつものため息とは全然違う。

(先生、私と同じ……? あついの……?)

 喘ぐ晶子の唇に、阪口の唇が重なる。深く口づけられながら、つながったままの部分がぐりぐりとこねられる。

「んんっん……ん…………!」

 上げられない声の代わりに、生理的な涙が溢れる。

「覚えが悪いですね。もう先生じゃないでしょう?」

 晶子の唾液に濡れた唇を阪口が親指で拭った。そして、今気づいたというように、自分の眼鏡を外して、サイドテーブルの上に置く。

「きっと君は、これに夢中になりますよ。だから、たくさんしてあげますね」

 いやらしいことを、たくさんね。

「せんせぇ…………!」

 そこからはもう、阪口の好きにされるに任せた。




 深夜、日付が変わる頃、ゲストルームのシャワールームではなく、バスルームのバスタブに、晶子は沈んでいた。

 湯の向こうに、赤い痣が散っているのが見える。桜の花びらみたいだ、と晶子は思った。

「今日が本当の君の卒業式……ですかね」

 阪口はバスタブに腰掛けていた。バスローブの袖をまくっている。さっきまで晶子の髪を洗っていた手は濡れている。

「晴れて、永久就職ですよ。よかったですね」

阪口の一部を飲み込まされた場所は鈍痛が引かないし、身体中が軋んでいる。霞んだ意識に、阪口の存在が圧倒的に刻まれていた。力強さ、肌の熱さ、汗、それらにのし掛かられた。晶子は湯の中にあって、肩を震わせた。阪口がそれを見てまた笑みを深くする。瞳の奥の鈍い光が強くなったように見えた。

「よく……ないです」

思い出す充足感。阪口に貫かれて、晶子はかつてなく満たされていた。中毒になってしまいそうだ。晶子の顔から何を読み取ったのか、阪口がバスタブに指をつけ、晶子に波をあててくる。

「痛かったし、先生は全然待ってくれないし」

「私は気持ちよかったですよ」

言外に、君は? と問われ、晶子は顔を半分、湯の中に沈める。

阪口は軽口を言っただけなのに、晶子の頬がまた熱を持つ。先生、拓郎、なんでもいい。愛しい晶子の支配者。体も心も、何もかも捧げてしまう。その度に、蜘蛛の糸が巻き付いてきて、強く、きつく、縛り付けられる。

阪口が嘯く一言も、その糸のひとつ。

「…………愛してますよ」

鼻の奥がつんとした。阪口は残酷だ。こうして晶子の思いに名前をつけてしまう。

(知らない)

 つぶやきは泡になって、ぷくぷくと弾けた。

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