■小さな僕とお星さま



「満天の星空を見上げたことはあるかい?」



 その人は

 夜空の下でそう言った。


 見上げる空に

 星はいくつか

 光っていたけれど


 きっと

 これのことでは

 ないんだろうなと


 幼い『僕』は

 ぼんやり思った。



 今思えば

 疑問はいくつもある。


 彼は

 子供だった僕の前で

 構わず煙草を吸っていたし、


 屋上だって


 夜に

 子供を連れ出して

 いい場所じゃない。



 でも

 そんなこと

 当時の僕が

 気にするでもなくて、


 つまるところ

 まんまと


 彼の思惑どおりに

 僕はいともたやすく

 懐柔されて。



 ――『今』に至る。




 ***




「何のために勉強をするの?」



 そんなことを聞かれて。


 不意にまた

 あの顔が浮かんだ。



 憧れ――だろうか。


 何に憧れたんだろう。


 仕事?大人?それとも――



 いくら考えても

 明確な答えは出ない、


 心の問題に比べれば

 学校の勉強は

 簡単な部類に入るか。



 どうせ片付かない問題は

 頭の片隅に追い払う、


 目の前で騒ぐ

 質問者の問いに

 まだ答えていない。



「とりあえず一番になる為、かな」



 適当な返事をすると

 クラスの女子は

 勝手に盛り上がっていった。



「琉依がライバルなんだー」



 本当は違う。


 別に順位には興味がない。


 ただ

 いつも自分の上にいる


 彼女の名前には

 気付いていた。





『早瀬琉依』――


 最初は気にしてなかった。


 最初は気付かなかった。


 むしろ

 いつも早瀬に付きまとう

 泉谷がうるさくて


 それが不快だった。



 こんな馬鹿丸出しのガキと

 自分が同い年とか

 情けなく思った。


 辺り構わず

 女子を追い回す

 軟派男――


 あるいは

 なんだろうなアレは


 やっぱり

 天然の馬鹿?



 クラスの誰もが

 ドン引きしてるのに

 早く気付けよ。



 そういう意味では

 泉谷は目立つ存在だったし


 早瀬は地味だった。





 でも

 担任がもらした一言で


 俺は


 早瀬琉依から

 意識を逸らせなくなった。



「今回も二番だったか米田、惜しかったなぁ」


「早瀬が化物すぎです」


「そうだなぁ。早瀬は父親譲りで頭がいいのかもなぁ」



 かったるいだけの

 二者面談のはずだった。



「父親?」



 偶然か必然か

 俺ははじめて知らされた。



「山の上に早瀬医院て結構大きい病院があるだろ?あそこの院長先生が――」



 そのあと

 担任とは

 何を話したか


 よく覚えていない。



 早瀬という名前で

 気付くべきだったと思う。





 声に出して

 誰かに話すつもりは

 さらさらないけれど、


 正直『運命』だと思った。


 思ってしまった。



 あの人の娘が

 同じ学校の

 同じクラスに

 偶然いただけなのに


 俺はそれを錯覚して

 恋愛感情を生み出した。



 記憶はいつだって

 大袈裟で大雑把


 美化され膨らみ

 あやふやなまま

 色彩を強めていく。


 やがていつか

 白か黒かに飲み込まれて

 消えてしまうんだろうか


 俺のなかのあの人も。



 不確かな記憶が

 現実味をなくして

 独り歩きしていく、


 目の前に存在する

 早瀬琉依のほうが


 よほど近いものに感じた。



『あの人』に。



 おかしなことに

 勉強が手につかなくなった。


 早瀬琉依のことばかり

 頭をよぎる。



 なるほど、


 これが恋かと

 一人勝手に納得した。



 厄介だとも思った。



「告白ってさ、どういうふうにされたほうが嬉しい?」



 放課後

 お喋りしていた

 女子のグループに

 何気に聞いた。



「直接言うのと電話とか手紙とか」


「手紙はないー。メールでいいじゃん!」


「アドレス知らない」



 恋話に対する

 女子の食付きの良さは

 相当のものの


 無駄にあれこれと

 詮索された。


 特に隠すつもりもなくて

 早瀬琉依に告白すると

 素直に言うと


 皆納得したように

 しみじみと頷いた。





 早瀬といえば泉谷、


 そんなふうに

 誰もが浮かべる。


 ただし

 人気者ではない。



 クラスの女子の

 支持率からすれば

 泉谷より俺に軍配がある。



 とはいえ。


 肝心の早瀬が

 何を考えているかは

 まったくわからない。



 仲のいい親友でもいれば

 好みのタイプくらいは

 聞けたかもしれないが


 そういった

 早瀬に関する情報は皆無だ。



 ただ

 泉谷には

 迷惑そうにしている、


 少なくとも

 俺の目にはそう映った。



(普通に告白すればいいか、常識的に)



 泉谷みたいに

 大勢の前で

 騒ぎ立てるのは


 悪ふざけにしか思えない。





 早瀬を意識しだしてからは

 ますます泉谷の存在が

 鬱陶しく思えた。


 賑やかな

 その話し声が聞こえただけで

 過敏に苛ついたり


 ばったり出会すと

 舌打ちをしそうになる。



 なるべく

 視界にいれないように

 努力をした、


 疲れる。



(来年のクラス分け――泉谷だけ就職コースにいけばいいのに)



 そういえば

 早瀬は進学コースに

 進むんだろうか。


 あれだけ学力高くて

 まさか就職目指すなんて

 ないだろうけど……



「…………」



 担任に探りを入れるか、

 本人に直接聞くか。


 いや


 その前に

 告白してしまえば

 それでいいのか。





 誰か親しいやつと

 いつもつるんでいる

 他の女子とは違って


 大概

 一人で行動する早瀬には


 声をかけやすかった。



 泉谷が

 いないタイミングなら

 それだけでいい、


 ――それにしても

 付き合っているわけでも

 ないはずなのに


 いつもそこにいる、


 泉谷はあつかましい。



 ……まさか

 付き合ってるのか?



(ないだろ、それは)



 自分の疑問に

 鼻で笑ってしまった。



(早瀬、今日は一人だな)



 教室を出ていこうと

 席をたつ早瀬が

 鞄に手をかけた。


 人もまばらで

 ほどよくガヤガヤと

 うるさい中では


 二人の会話は

 二人だけのものになる。



「早瀬、さん。ちょっといい?」



 別段

 驚いた様子もなく

 早瀬は足を止めて

 静かに振り返る、


 いつもどおりの

 無表情。





「俺さ、ずっと早瀬さんのこと、好きだったんだよね」



 すっと出た自分の言葉に

 頭の中で補正をかける。


 はじめて見たときから

 ずっと、


 昨日からずっと、


『ずっと』という

 その言葉には、

 いろんなタイプがある。


 まぁ嘘ではない。



 正確に的確に

 言い表すならば

「子供の頃からずっと、君のお父さんに惹かれている」が


 一番近いかもしれない。


 だから

「最近親子だと知ってからずっと、君のことが気になっている」。


 そのことを

「好きだと解釈したんだよね」。



 そんな考えが

 頭の中を駆け抜けただけで


 早瀬には

 平静を装った

 何でもない顔しか見せない。


 早瀬も俺も

 同じくらい無表情だ。



「俺と付き合ってくれない?」



 似た者同士なら

 きっと相性もいいだろうし


 問題はない。



 泉谷を

 遠ざけたいなら

 なおのこと、


 早瀬は

 俺の申し出を

 受けるべきだ。





 微かな間。


 ゆっくり

 早瀬が口を開いた。



「…興味ないし…」



 はぁ?



 瞬間

 変なプライドが

 首をもたげて


 咄嗟に

 口から出そうだった。



『俺だって興味はない』



 俺が近づきたいのは

 早瀬じゃない、


 あの人だ。



 好きだといった傍から

 覆すように

 虚勢を張った。



 泉谷同然に

 あしらわれるなんて

 許せなかった。



 いや

 どっちが本当の

 自分の気持ちなのかは


 わからなかった。



 好きだと思ったから

 告白をした、けれど


 実はそうじゃないのか


 わからない。


 動揺した。



「早瀬さ、……泉谷と付き合ってるの?」


「…別に。…」



 一瞬

 早瀬に睨まれた気がした。


 それ以上

 話はないとばかりに


 踵を返し

 早瀬は立ち去った。



 一人取り残されて思う、


 俺が早瀬を

 好きかどうかよりも


 俺の評価が

 泉谷以下だったら


 最悪だな――、と。





 ちょっとの間

 立ち尽くしていると


 クラスの女子が

 教室に入ってきた。



「あれー?どうしたの米田くん」



 例のグループだ。



「早瀬にフラレた」



 自嘲的に

 事実を口にすると


 止まっていた思考が

 また動き出す。



 俺は早瀬を

 好きじゃないのか?


 興味がないと言われ


 ショックというより

 ムカついた。



 ムカついた。


 誰に?



(早瀬……というより泉谷?)



「琉依ってほんとに男嫌いだねー」

「米田くん元気だして」



「あ、うん。別にそんな落ち込んでないから」



 自分でも驚くくらい

 ノーダメージなのは


 恋愛感情なんか

 最初からなかったからか。





 ため息。



 多分

 あの人に会いに行って


 同じように

『興味ない』なんて

 言われようものなら


 立ち直れないかもしれない。



 会いに行っても

 覚えていないだろうし


 忙しいだろうし


 会えないだろうから


 会いにはいかないけれど。



(……あ、駄目だ。考えただけでブルーになる)



 あの人に比べたら

 早瀬なんて目じゃない。


 やっぱり


 俺が

 早瀬を好きだというのは

 勘違いらしい。



 勘違い、という結論に

 スッキリしたからか


 勉強は

 以前のように

 はかどるようになった。



 会いにはいかない。


 あの人に近づくとは

 側にいくことじゃない。


 会ったって

 話すこともないし


 そんなこと仕方ない。



 今俺に出来るのは

 勉強だけ。





 医者になろうと決めた、


 あの人の存在が

 あまりにも大きくて。


 医者になれば

 たどり着ける気がした。



 手術を恐れて

 泣くしか出来なかった


 無能な子供に、


 あの人は


 たいして綺麗でもない

 微かな星空の下で


 満天の星空を抱いていた。



「いつか見せてやりたいなぁ、凄い迫力に満ちてるんだ」



 頭の中にある

 悪いもののせいで


 視力を失うかもしれない

 そんな時に。



 世界にはまだ

 見たことのない景色が

 たくさん待っていることを

 教えてくれたんだ。



 手術はあいかわらず恐くて、


 想像力が貧困な子供に

 まだ見ぬ景色は

 特別魅力的にも思えなくて、



 でも

 目の前の大人を

 信じてもいいんじゃないか


 この人になら

 任せていいんじゃないか


 ――そんなふうに

 心は動かされた。





「琉依ちゃんおはよ。結婚して」



 朝からまた

 泉谷の声が聞こえてきた、


 自然とため息が出る。



 そういえば

 泉谷は最初から

 結婚結婚と言い続けている。



(逆玉?)



 えげつない考えに

 ますます気分が悪くなる。


 万が一

 泉谷が早瀬と結婚して

 入り婿になったら


 あの人の息子だ。



(うわ、……すげぇムカつく)



 俺がどけだけ長い間

 努力をしてきたか


 文句の一つも

 言ってやりたい。



 泉谷なんかに

 土足で踏み荒らされるのは

 すげぇ腹がたつ。


 俺のほうが

 絶対に相応しいのに。





 体育の時間

 男子だけ

 外でバスケをしていた。


 執拗に

 泉谷をマークしてやった。



 俺も泉谷も

 運動は苦手じゃない、


 特にバスケなんかの

 球技の類いは。



 汗だくで休んでいる

 泉谷の横に

 座り込むと


 向こうから

 話しかけてきた。



「今日はやけに絡むねー」


「……お前さ、早瀬にまとわりつくのやめたら?」



 キョトンとしていた

 泉谷の間抜け面も

 さすがに変わった。



「なにそれ」


「お前と早瀬じゃ不釣り合いだろ。あんま迷惑かけるなよ」



 俺が早瀬に告白したことは

 クラスの女子なら

 大半が知ってるが


 泉谷はどうなんだろな。


 早瀬から

 聞いていないのか――



 まぁ


 早瀬は何も

 言わないんだろうけどな。





 もっと何か

 言い返してくるかと

 思ったけど


 泉谷は

 ムッと黙り込んでいた。



 思わず

 冷たく笑った表情のまま


 俺の饒舌が

 泉谷の無言を

 飲み込んでいく。



「早瀬の家、金持ちだから逆玉狙いかよ」


「っ……そんなの知らない」


「知らない?知らないのか。父親は医者だ」



 ベラベラと

 余計なことを

 喋り出している。



「早瀬のことろくに知りもしないで、結婚とか言ってるのか?」



 本当はそんなことを

 口にするつもりはない。



「俺には関係ないけど、早瀬も災難だな」



 一度開いたら

 止まらなくなっただけで


 俺に

 そんなことを

 言う必要はない。



「相手のことを知らなきゃ、好きになれないの?」


「な……んだと?」



 意表をつかれた。


 泉谷が

 はっきりとした意思を持って

 言い返してくるとは

 思ってなかった。





「家のこととか、関係ないでしょ。琉依ちゃんだから好きなんだよ、お金持ちとか貧乏とかで好きになったり嫌いになったりするの?」



 矢継ぎ早な言葉が

 泉谷の口から飛び出し


 逆に俺は言葉を失う。



「好きだからそりゃ色々知りたいよ?もっと何でも理解したい。でも琉依ちゃんは自分のことあんまり喋りたがらないし、だったらオレが見える琉依ちゃんを理解出来ればそれでいいし!」



 急に水を得た魚みたいに

 イキイキと反論されて


 俺はようやく

 自分の気持ちが

 冷めていくのを感じた。


 冷静になる。



 確かに。


 泉谷はきっと

 俺なんかよりも

 早瀬のことを


 いくらか理解も

 しているかもしれない。



 俺は早瀬自身の何も

 知りはしないのだから。





「だってさ、好きになるのに理由とかないと思うんだよね!自分の感情を認めただけだからさ、どこがとか聞かれてもわかんないよね!不釣り合いなのは残念だけど、琉依ちゃんが気にしてなきゃいいだけだから、結局琉依ちゃん以外の意見はどうでもいいし!」


「……お前、ほんとうるさいわ……」



 放っておくと

 いつまでも一人で

 熱く語ってそうだったから


 笑ってしまった。


 もう

 悪い感情は

 特になかった。



 俺が早瀬を

 好きだと思ったのには

 理由があったけれど


 俺があの人を

 追いかけるのには

 理由なんかなかった。



 泉谷の言う通りだ、


 訳のわからない感情を

 受け入れるしか出来ない。



「てっきりもっと頭が悪いのかと思ってた」


「はあ?」


「悪かった」



 汗もひいて

 寒くなって来た。


 俺は腰をあげて

 泉谷に軽く後ろ手を振る。



「いつまでも休んでると風邪ひくぞ」


「二回戦しよっての?もー、何で今日は絡むのさー」



 憎まれ口を叩くわりに

 笑ってる。


 ああコイツ


 馬鹿だけど

 案外いい奴かもな。





 結局のところ

 俺の日常に色恋は不要で


 夫婦漫才みたいな

 泉谷の騒々しさも

 次第に

 気にはならなくなって


 いつの間にか成績も

 早瀬を抜いて

 一番になっていた。



 とはいえ

 校内の順位に

 意味があるでもなく


 医者を目指す俺には

 先が遠いのも事実。



 何であの時

 あの人は突然


 満天の星空なんて

 言い出したんだろうな。


 ここからじゃ

 到底見れはしないのに。



 星空を見上げて

 何を思ったんだろう。



 俺に勇気をくれたのは

 紛れもなくあの人で。


 あの人の向こうに

 星の海が

 広がっている気がした。



 いつか


 いつか俺が

 たどり着く場所だ。




        ――――  Never give up!




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る