貴方に(お題・文房具)

 子供の頃、母に『文房具』というものを見せて貰ったことがある。美しい万年筆に、いろとりどりのインク。金の箔押しや、エンボス加工の施された、真っ白な封筒に便箋の綴り。

 まだ、デジタル化が進んでなかった時代には、これを使って、想いを好きな人に伝えていたらしい。

「手元に残る、というのが良いのよ」

 母もこの手紙で、父に想いを伝えたと笑っていた。

 そう、今は全てがデジタル。

 どれだけ想いのたけを込めて、何日もかけて書いたメールも、荒うつ胸のときめきを押さえて、決死の覚悟で出したメッセージも、指先一つ、タップ一つで消されてしまう。

 多分、彼もそうして消してしまっただろう。自分のタブレットの、下書きフォルダに残った、送信済みの言葉の列を見て、溜め息をつく。

 母に貰った青いインク、万年筆で、もう一度、言葉達を便箋に綴り出す。

 どうせ届かぬ想いなら、せめて、指先一つだけでなく、もう少し。

 貴方が宛名を見て、眉をひそめ、手を一振りして、ダストボックスに投げ入れる間だけでも良い。

 貴方をわずらわせて、何かを残したい。

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