Paradise of Fake

 ガチャン!! 突然鳴った器の割れる音に理央りおは振り返った。

 白いモコモコとした毛で全身を覆われた異星人のルームメイトの足下に、彼女のお気に入りのカップが割れ、破片が床に広がり、ライトに鋭く光っている。

「モリエ、大丈夫? 動かないで。私が拾うから」

 理央はクリーナーを手に駆け寄った。彼女の柔らかな毛並みの中に陶器の欠片が入ってしまっては大変と、手早くクリーナーを掛ける。

「モリエ?」

 いつもなら、こちらが困るほど身を小さくして謝って、一緒に片づけようとする彼女が微動だにしない。

 その綺麗な緑色の瞳の向けられている方向を追い、理央は息を飲んだ。

 壁に掛けられた薄型のディスプレイには、ニュース番組が映っている。

 太陽系惑星連合の地球支部の映像。地球政府の各地域代表が弧を描いた机を前に立ち上がり、演説台に向かって拍手をしていた。

 演説台には、理央とモリエがネットニュースで見る度に、顔をしかめていた女性代議士とモリエによく似た二周りほど大きい、黒い毛並みの男が立っている。

 丁度、アナウンサーの声が途切れたところなのか、スピーカーからは拍手の音しか聞こえない。理央はテーブルの上のリモコンを取り、画面に字幕を映した。 

「……嘘……」

『地球政府、異星人の基本人権保護法を成立』

 思わず息を飲む。

 モリエにとっては死刑宣告も等しい文字が、誇らしげに微笑む代議士の顔に重なった。



 グオァァ!!

 獣のような雄叫びと共に飛んできた、黒い剛毛に覆われた太い腕を必死でかわす。

 理央はバッグから、護身用のスタンガンを取り出した。

 スイッチを入れ、ボルトを上げる。これは、あの法案が成立したときに知り合いの店で改造して貰った特別製の強力タイプだ。

 次いで、払うように襲ってきた腕が、バッグを攫っていく。

 バッグは空を飛び、路地の塀に当たって、開いたままの口から、ばらばらと中身が路面にこぼれた。

「……ったく!! ちゃんとシャワーを浴びてきたのに……!!」

 奴から距離を取りながら叫ぶ。

 とはいえ、家庭的で世話好きなモリエが、この一か月間の謹慎の暇にあかせて、家中を磨き、せっせと理央の服や小物の手入れまでしているのだ。どこかに、彼女の匂いがついていても仕方がない。

 遠くでデモ隊だろうか「人権保護法、成立万歳!」と叫んでいる声が聞こえる。

「くそったれが!!」

 理央の頭の中に警視庁のサイトの注意喚起のページが過った。

 こいつは特に満月の頃に危なくなるんだっけ……。

 黒いもじゃもじゃとした毛に覆われた、背丈横幅ともに彼女の倍はありそうな異星人が、発情期特有の性欲に濁った瞳をギラつかせる。

 それは満月を挟んで五日間が一番危ない。東の空から丸い秋の名月が昇る。奴はそれに向かって、また雄叫びを上げた。



「理央……遅いな……」

 この時期は、自分と暮らしている彼女が襲われる危険がある為、会社の方で早めに帰してくれるはずなのに。

 煮込んだクリームシチューの火を止めて、モリエは小さく息を付いた。

「……まさか……」

 昔、ヒマラヤにいたと言われていたUMA、イエティにそっくりの容姿を持つモリエは毛の間から緑の瞳を心配そうに覗かせた。この二週間、色を変えたままの、変光ガラスの窓の隅をつつく。

 薄い茶色のスモークで、内部の様子を伺えなくしてあった窓が、透明に変わる。

「……良かった……いない……」

 マンションを囲む塀の向こうを見て、彼女は安堵の息を吐いた。

 ここ数日、モリエが理央と暮らす、このマンションの周りに自分と同じ、シェルパ星人の、黒い毛並の大柄な男が、うろついているのが何度も目撃されていた。

 東の空に赤みが掛かった、大きな丸い月が昇ってくるのが見える。

 モリエは窓を元に戻すと、夕闇と共に強くなる不安を紛らわす為にネットニュースをつけた。壁に掛かったディスプレイから、夕刻のニュースのテーマ音楽が流れ、紺のスーツをビシッと着た、人権派で有名な女性代議士が映る。

 アナウンサーの質問にキビキビと答える彼女にモリエは目を伏せた。

 モリエ達、シェルパ星人は四つの性を持つ。

 それは地球人に例えるなら、XYYYの男性性、XXYYの男女性、YXXXの女男性、XXXXの女性性の四つだ。

 そのうち、妊娠能力があるのがYXXXとXXXX。そしてXYYYは、年に一度の発情期を迎えると、狂暴化するという習性があった。

 彼等は一か月の発情期の間、女性性、モリエと同じ、XXXXを求めてさまよい歩く。そして、この時期、XXXXの放つフェロモンに酔い、XXXXを襲うのだ。

 XYYYに襲われたXXXXのうち、80%が暴行の末、重傷を負い、そのうち50%が死に至る。幸い、繁殖はXXYY、YXXX、XXXXで出来るので、どの星系国家でも、シェルパ星人の発情期にはXYYYは投薬等で性的欲求を抑え、一時的に不能にすることが義務付けられていた。

 なのに……。

『宇宙人といえども、人間の本来の姿を抑制することは、人権侵害にあたります』

 ディスプレイの議員が得意げに話す。

「じゃあ、私達はどうなの?」

 彼女の得意げな顔に胸の奥の怒りを伴ったモヤモヤを吐き出すと、モリエは通信カードを取り出し、理央の番号に掛けた。



 紙一重でなんとか避けれた拳が、塀にピシピシと亀裂を走らせる。

 シェルパ星人のXYYYは、この時期、暴力的になるだけでなく、いつもは理性で抑えられている力が解放され、地球人をはるかに超える怪力とスピードを出す。

 逃げられない……!!!

 スタンガンを握り締め、理央は唇を噛んだ。

 部長の言うように、モリエと一緒に休んでおくんだった……。

 理央とモリエは今進行中のプロジェクトが完成したら、他のシェルパ星人のXYYYを抑える法律のある星系に引っ越すことにしている。

 モリエを早く安心させたくて、無理に出社したのが仇になったらしい。黒い大きな塊が鼻を鳴らしながら、近づいてくる。恐怖に足が竦み、理央は目を閉じた。

 もうダメか……。

 覚悟を決めた、そのとき、可愛らしい音楽が道に落ちたバッグの中から響く。

「モリエのコール音……!」

 見上げると奴がカバンの方に首を向けている。

 今だ……!!!

 理央はスタンガンの出力を最大にすると、それを奴の脇腹に押し付けた。



 気絶し、道に転がった奴を見下ろして、荒い息を吐く。

「万歳! 万歳!」

 まだデモの声が聞こえる。

 綺麗事の影で危険にさらされる人を見ようともしない人の群。

「世界で一番優しい悪者ってアイツ等のことかもね……」

 理央はバッグと中身を拾うと、鳴り続ける通信カードに出た。



「良いお湯だった……」

 お風呂からあがるとテーブルの上には、理央の好物のつまみが、何種類も皿に置かれている。

「これ……お詫び……」

 大きな白い身体を小さくするモリエに「私が無理に出社したのが悪いんだから、気にしないで」手を振って、理央はキッチンに向かった。

 冷蔵庫から良く冷えた発泡酒を取り出す。

 明日からは一週間、有給を取ってある。星間ネットを通して、先に向こうに引っ越ししたモリエの友達に、新居に運ぶ家具を手配して貰う。

 それが終わって、仕事の引き継ぎをしたら、転勤と引っ越しだ。

「それまで、大人しくしてよう」

 引きこもり用に、必要な食料は確保してある。退屈しないようにと、ムービーもいくつもダウンロードしていた。

 そのうちの一つ、リビングから流れるホラームービーの音楽に顔色を変える。

 まさか……。

 リビングに入ると壁掛けディスプレイに霧が流れる暗い湖畔のコテージの映像が映っていた。

 ……うわぁ……、今夜は勘弁して……。

 思わず冷や汗が流れる。

 モリエは怖がりのくせに、こういうホラー映画を見るのが大好きだ。典型的な『怖いモノ見たがり』なのだ。

 そして、こういうときは……。

「理央」

 モリエが呼ぶ。渋々彼女に近づくと、モリエは理央をまるで人形のように膝に乗せて、しっかりと抱きかかえた。

「一緒に見よ」

 理央はホラー映画のたぐいは全然平気だ。でも……。

 ふわり……モリエの毛並から、彼女の好きなリンスの匂いがする。

「モリエ……リンス使ったでしょ」

「え? だって、この時期はリンスしないと、静電気でひどいことになっちゃうよ」

 当然のようにモリエが答える。

 ヤバイ……。

 暖かい腕の中、全身を覆うモコモコ、スベスベの毛並。優しい匂い。

「寝ないでね。絶対、最後まで一緒に見てね」

 途中で寝てしまうと、一人で怖いものを見たモリエに、翌日一日、ぐずぐずとぐずられる。

「善処します……」

 早くも瞼が下がり始めるのをこらえて、理央は発泡酒のプルトップを開けた。

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