第6話 焦燥と杞憂

焦燥と杞憂



 カツンカツンッとアパートの階段を駆け上がり二○三号室まで来たサトシは扉を思い切り開けて中に入った。


「小林さん!」


「あ、サトシ君」


 息を切らし汗だくになっているサトシを見て驚いたように目を見開く彼女は洗い物をしていた。部屋には他の誰もいない様だったが、部屋の方は埃や小さなゴミはなく、箒と塵取りがガラス戸に立てかけてあった。


「あ、部屋」「ごめん、掃除の途中みたいだったから勝手に掃除しちゃったけど」 少し赤くなりながらそう答えた。


「え、とありがとう。だれか、いなかった?」答えもそぞろで質問をした。


「え? 誰か? 別に誰もいなかったけど……誰かいたの?」


「いや、そんなことはないけど、大丈夫かなって」


 ロビンはどこへ行った、冷や汗で湿ったTシャツがやけに冷たい。サトシは靴を脱ぎ、キッチンの奥のユニットバスに向かう。トイレの窓が開いている。ロビンはここから出たのか。普段は開けることはめったにないからおそらくそうだろう。だが、まだ油断ならない。サトシは募る不安を表に出すまいと表情を硬くして考えていた。


「あ、あの、サトシ君」


「どうかしたの?」


「え、とあの部屋にあった本、ってどうすればいいか分からないから置いておいたけど、その、みんなが来る前にはどこかに……」


「……」


 そこには綺麗になった部屋のちゃぶ台に丁寧に積まれているエロ雑誌があった。彼女が居なければサトシは「ほげぇええええええ!」とでも叫んだのだろう。サトシはいたたまれない思いで「う、うんそうだね」と、つぶやきながら雑誌をふすまを開けて放った。


 そして恥ずかしさを抱きながら、ふすまの中にロビンが隠れているのではないかと思い、ちらりと中を覗いた。先ほどサトシが放った、服が散らかっているだけで隠れることが出来る様なスペースはなかった。どうやらロビンは本当にトイレから出て言った様だった。少しほっとしたサトシはリカに声をかけた。


「コウ達はどうしたの」


「ああ、コウ君に場所を教えてもらって先に来たの。洗い物はもう上の棚に置いておいたよ」


「ああ、ありがとう。なんか悪いな」


「ゴミ出してくるね」


「いいよ、やっておく」


「サトシ君はコタツ出しておいてよ、ヒトミちゃんが風邪ひいちゃうでしょ」くすっと笑いながら言って部屋から出ていった。


 ふすまの中にはごった返した服やエロ雑誌があることを忘れていたと頭をかきながらコタツを出す準備を始めた。一人になり、ロビンのことを再び考える。あいつの目的は何なんだ。結局今はどこかに行ってしまった。何か目的があるはずだ。このタイミングでいなくなるのは俺がすぐに帰ってくることを見越しているのか? ロビンが俺なら何がしたいのだろう。サトシは自らの思考を内側に向けてみた。俺は今、何がしたい。コウ達を追い払いたいのか、違う。小林さんのことだろうか。しばらく、コタツ用の布団をつかんだまま思案に耽るも明確な答えが出てこない。


 固まっていた時計の針が動き出す様にドアの開閉音がした。サトシは小林に質問をしようと玄関の方へ行くと、

「おう、サトシ、準備は出来てるよな」

コウだった。


「おうおう、新歓飲み以来じゃないか、サトシ君ったっけ?」ひっひっと笑う。ヒッキーだとサトシはすぐにわかった。


「……汚いわね」

 高そうなベージュのコートに暖かそうな白のセーター、ジーパンにこれまた値が張りそうなホワイトのブーツだ。サトシは人を小ばかにした様な目を見て「やばいヒトミ」だとわかった。


「や、やぁ、どうも。汚いですがどうぞ」

 サトシは空気でいっぱいになった風船が破裂する感覚を頭で感じながら何とか口を動かした。


「あ、サトシ君、ゴミ捨てて来たよ。ヒトミさん! それに有馬君にヒッキー先輩! もう来たんですね。それにしてもあのゴミ捨て場すごい匂いだね」

 リカが来たというのに、サトシは息苦しさを感じた。狭い台所に五人も人が居るのだ。


「ああ、小林さんじゃないか。先に来ていたんだね。てか! ひっひっ! ゴミ捨て場が臭いってなに? それに君ら新婚さんみたいじゃないか」


「いやいや、手伝ってもらっただけですよ」


「おい、サトシ。まだ汚いぞ? どういうことだ?」コウは額に青筋を立てながらサトシに迫る。コウが小声で話すのでサトシも釣られて小声になって反論する。


「はぁ? コウの誘いが急すぎんだよ」


「いや、ちゃんと一週間前には言っていたぞ? サークルにも来ないし、なんなんだお前。大体ヒトミさんに悪いと思わないのか」


「そもそも何で俺んちなんだよ。それにサークルには幽霊部員として席置いてるだけだ」


「ひっひ、そうカッカすんなお二人さんよ。新婚つーよりこっちは晩年の結婚生活に飽きた夫婦? ひっひっひ! ウケる! それに今日は闇鍋なんだろ? どんな家庭だよ!」ヒッキーは唾を飛ばしながら笑った。


「コート掛けはどこかしら、見当たらないけれど」


 サトシは自由に発言する彼らに出ていけと叫ぶのを何とか呑み込んだ。そしてそれを吐き出すように大きなため息を一つして、それぞれの要望に応えて行くことを覚悟した。結局鍋のスープは小林さんが仕込んでくれ、ヒッキーは酒盛りを一人ではじめ、やばいヒトミのコートは結局コウのコートの上に置くことになった。そして、この頃にはサトシの頭の中にロビンはもういなかった。



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