第16話 ミャンマー オールドバガン

オールドバガン。


僕が宿泊しているニャウンウーから少し離れた場所にある。


朝8時。ゲストハウスの前に迎えが来ていた。どうやら乗るのは僕だけらしい。その後、車で約15分くらい走った場所で降ろされた。そこは砂埃と木々以外なにもない空き地である。


ここから馬車に乗るのかな?一体どうすれば良いのかな?と一応自分の頭で考えてみたが、そう言えばバガンに着いてからずっとマユさんに頼ってばかりだった事を思い出した。改めて、これは一人旅なのだからという気持ちで引き締める。ここからは一人で何とかしないと。そう思った。


僕がまるで英語が出来ないのを知ってか知らずか、車の運転手はジェスチャーだけで車のすぐそばに停まっているソレが僕の乗る馬車だと教えてくれた。みると木陰にあまり綺麗とは言い難い馬車が停まっていた。


車を降りて馬車の近くまで行くと、三十代半ばくらいのガタイの良い男が車体にもたれかかって寝ていた。馬は何かをムシャムシャやっている。


「エクスキューズミー‥」


恐る恐る男に話しかけると、彼はワザとらしく飛び起きた。


「オウ!ハロウ。ナイストゥーミーチュー」


男が握手を求めてきたので僕も彼の手を握り返す。ゴツゴツとして日に焼けた手だった。


彼は僕を馬車に乗せる前に一通りの自己紹介を始めた。


「マイネームイズ、マオル。ドライバー」


「ナイストゥーミーチュー」


「ミスター、キャンユースピークイングリッシュ?」


マオルはいきなり痛いとこを突いてきた。ここで嘘をついてもしょうがないので正直に言う。


「ノーアイキャント。バット、ア、リトルアンダスタンド」


喋れないけど少しは解る。そう言うと彼はまたも大げさに手を叩いてリアクションした。


「オウ!イッツナイス!」


「?」


なぜそれがナイスなのか。僕は頭にハテナしかなかった。


「ミートゥー。アイキャント。リトルアンダスタンド」


「オウ‥」


こっちもあっちも喋れないんじゃ話にならない。のっけからオールドバガン巡りの雲行きが怪しくなってきた。しかしマオルは満面の笑みでこう言った。


「ドントウォーリー。フィールイット。フィールイット。」



『考えるな。感じろってか。バカ野郎!やかましいわ!!——————当時の日記から引用』



ここまで来てしまったら今更ドライバーを変えろとも言えない。仕方ないのでここは諦めて馬車に乗る事にした。


「ウェイト!」


マオルに突然呼び止められた。まだ何かあるのか。もしかするとチップとかを要求してくるのかと思って警戒した。


「まだ全員の紹介が終わってない(多分こんな感じの英語)」


僕が再び頭をひねっていると、マオルはムシャムシャやってる馬を優しく撫でながら僕にこう言った。


「彼女はシェリー。大事な相棒だ。シェリーにも挨拶してくれ」


「ああ」


観光客へのパフォーマンスとしてこういう事もやってるんだなと関心した。僕からしてみればそんな馬の名前なんざどうでも良いから早く出発してくれと思ったが、彼はあくまでも誇らし気だった。


「シェリー、アイラブユー」


そう言って馬にキスをしていたが男と馬のキスなんざ誰も求めていない。既に馬車を選んだ事を後悔し始めた。


「さあ行こう。長旅になるよミスター(多分そんな感じの英語)」


「オッケー」


僕は少し呆れながらそう答えた。


馬車で行くと言われて大きな勘違いをしていたのだが、僕はてっきり馬の後ろに大きな乗る部屋がついていてヨーロッパの貴族さながらに優雅に遺跡を巡るのかと思っていた。しかし現実はそんな部屋なんぞはなく、馬と運転席があるのみ。つまり運転手の隣に座る。助手席のみだ。これじゃ貴族どころか召使いである。


高い金を払ってこの扱いには些かうんざりした。東南アジアのクオリティには心底がっかりし始めていた。


「楽しくいこうぜミスター!レッツゴーシェリー!」


マオルはそんな風に手綱を引いて馬を走らせた。正直もうどうにでもなれと思っていた。


オールドバガンには凄まじい数の遺跡があり、それら殆どが寺であるそうだ。大きいものから小さいものまで多種多様。正に遺跡見放題、選び放題の場所だった。それこそ遺跡マニアにはたまらない場所だが、僕の様な俗物だと捉え方も少々変わってくる。



遺跡一軒目


「凄い。なんて壮大な景色なんだ。砂漠というのともまた違う。砂漠の途中に突然に緑が出現する。この異質な空間はなんだ。ただひたすらに空と砂と木々と、そして遺跡が続いている。かつてこの地のこの全ての遺跡に人々がいて、それぞれの信仰や生活を持って生きていたと考えると、なんだか感慨深いものがある。僕は今、ミャンマーの歴史と大いなる自然を目の当たりにしているのか。素晴らしい。こんな体験、日本では絶対にできないぞ。ミャンマーに来て良かった!」



遺跡二軒目



「遺跡飽きたな」




遺跡三軒目



「もういいよ遺跡。暑いからジュース飲みたい。売店ないの?」



本当にこんな有り様だった。今文章に書き起こしてみてもかなり酷い。だったらどうして馬車で行く遺跡巡りなんて注文したのか。答えは単純で市場を散策し終わったあと、バガンでする事と言えば遺跡巡りしかないのである。むしろ遺跡巡りがバガンのメインなのだ。


しかしここまで自分が遺跡に興味が無いとは予想外だった。こんな事なら楽しようとしないでマユさんと一緒に自転車でキャッキャウフフな遺跡巡りをすれば良かった。隣を見るとむさ苦しいドライバーが馬と楽しそうに戯れていて、余計にその想いが強くなった。


「さあミスター、ネクスト行こうネクスト」


マオルはそう言ったが僕は喉がカラカラに渇いていたので、彼に休憩がしたいと伝えた。


「休憩?今から?」


マオルは「マジかコイツ早過ぎんな」という顔を露骨にした。


「暑いから疲れた」


単語とジェスチャーでそれを伝えると、少しだけ呆れた顔はしたが快く喫茶店に連れて行ってくれた。喫茶店と言っても、例の如く半露天であるけれど。


僕が中途半端に冷えたコーラを飲みながら煙草をくゆらしている間、マオルは律儀に外で待っていた。なかなか仕事に対して真面目な男だと思った。


突然、マオルが神妙な面持ちでこちらにやって来た。何かあったのか。一瞬僕に緊張が走った。


「ミスター、これを見てくれ」


マオルはそう言って手に持ったジュースの缶を見せてきた。


「なんだこれ?シャー‥ク?」


そこには鮫の絵が描いてあり、デザインが何処と無くレッドブルに似ていた。


今でこそそれなりに知名度のあるシャークだが当時の日本ではレッドブル以外のエナジードリンクは知られておらず、僕もシャークを初めて見るのだった。


「これが?」


もしかしてマオルは僕にこれを買わせようとしているのかと思って警戒した。しかし返ってきた答えは予想外のものだった。


「ミスター、ここになんて書いてある?」


「タウリン‥200%?」


「‥‥」


それが一体なんなんだと思っていたら突然マオルが爆笑し始めた。


「ヒャーッヒャッヒャッ!!!ヒャーッ!」


「?」


「200%!200%!」


妙なコメディドラマといいこの男といい、ミャンマーのギャグはよくわからなかった。ひとまず愛想笑いでその場を収める事にした。


「さてミスター、寺に行くかい?」


ひと息ついていた僕にマオルが尋ねた。


「ノー。もう結構」


僕が首を横に振るとマオルは笑って頷いた。


「オーケー。じゃあ別の場所へ行こう」


彼はそう言って手綱を引き、馬車を何処かへ走らせた。


別の場所?遺跡じゃないのか?じゃあ一体何処へ?


僕はタイでボッタくられて以来ドライバーという人種を信用できなくなっていた。ミャンマーのタクシー運転手はいい奴だったけど、この気の良いお調子者だっていつ詐欺師に変貌するか分からない。


僕は疑心暗鬼になりながら鼻歌を歌って手綱を引くマオルの横顔を眺めていた。


しばらく砂漠の地を走った後、馬車は不自然に現れた一件の店の前で停まった。


マオルは先ほどの喫茶店の時と同じ様に自分は外で待っているから中に入ってくれ、というジェスチャーをした。


言われるまま中に入ると冷房の効いた店内で身綺麗なおっさんが出迎えてくれた。


「ハロウ、ミスター。ウェルカム」


おっさんの笑顔は胡散臭さが凄まじい。状況が飲み込めない僕は外で待機しているマオルを呼びつけて、説明を求めた。と言ってもそんな上等な英語ができるはずもないので、ひたすらここは何だ?どうすれば良いんだ?みたいな事を聞いた。


おっさんが間に割って入ってこようとするのを僕が制するとマオルが何かを察した様で、ひとまず外で話し合う事になった。


「ここは土産物屋さ。お土産が欲しいだろミスター?(多分こんな感じの英語)」


「要らない。もうゲストハウスに帰りたいんだ」


僕はすっかりマオルの事も信用できなくなっていたので早々にこの場を逃げ出したかった。


「ノー。まだ迎えの車は来ないよ。でも何も買わなくても良い。ただ見てくれ。それだけで良い(多分こんな感じの英語)」


「本当にお金が無いから何も買えない」


「ノープロブレム」


「オーケー」


僕は渋々マオルの言葉に従う事にした。


店内でそれっぽい仕草をしてあたかも買うそぶりを見せていたが、そうするとおっさんがしつこいので即止めた。おっさんの土産物屋にはロクな商品がなかった。


この時僕の頭にはハテナしか浮かんでいなかったが後に色々な人からの情報と幾つかの似たような体験を経て、つまりはこういう事だったのかと理解した。


マオルの様な現地のドライバーやツアーコンダクターは土産物屋や喫茶店などから依頼されて自分の客を案内する仕事をしている。これはいわゆる正規の仕事ではなく、あくまでドライバー達と店の密約なのでツアー会社はその事実を知らない事が多い(もちろん、知ってて黙っている会社もあるだろう)。その為ツアーの日程表に載っていない場所に突然行くもんだからたいていの客は驚いてしまう。そしてなんだか訳がわからないウチにまんまと高価な土産物を買わされてしまうそうだ。


ちなみにドライバー達は客が商品を買う買わないは別にして、とにかく連れて来たらバックマージンを貰える事になっているらしい。だからマオルも「買わなくて良いから」と言っていたのだ。


おっさんの店を一通り見た僕は何とも言えない表情で店から出てきた。おっさんはガクっと肩を落としていたがマオルは相変わらずニヤニヤと笑っていた。


「マオル、疲れたよ」


「ソーリー、ミスター。これが俺の仕事なんだ」


「もう帰りたい」


「お願いだミスター。あと二軒の店に行かなきゃ」


「えー!?」


僕はうんざりしていた。まあマオルからしてみても遺跡も見ないんだから付き合ってくれても良いだろうという感じだが、こちらとしては1分でも早く帰りたかった。


「プリーズ、ミスター。仕事なんだ。見てくれよ。俺の家族だ」


そう言ってマオルが財布に入った写真を見せてきた。この男、普段は飄々として笑っている癖にこういう時に情に訴えかけてくる。何とも白々しいのだが、僕も実際その術中にハマっていた。


「わかったわかった。行くから。もういいから」


そういう事でその後二軒の土産物屋をまわった。僕の遺跡ツアーはすっかりマオルのペースになっていた。自業自得とは言え、こんな事ならやはり自転車で周るべきだったと改めて後悔した。


「ミスター、ありがとう。本当にありがとう」


マオルはウキウキとして上機嫌だったが僕は土産物屋の冷房と外気の寒暖差にやられてすっかりグロッキーだった。


「もういい、疲れた。コーラが飲みたい」


僕がそう言うと、マオルはドン!と胸を叩いた。


「オーケー、ミスター。レッツゴー、カフェ。ベリーナイスカフェ」


内心は喫茶店にベリーナイスもクソもないだろう、早く行けよバカ!と思っていたがそんな風に怒る語学力も気力もなかった。マオルは相変わらず鼻歌を歌っていた。


そうこうしてるうちに最初とは違う喫茶店で馬車は停車した。


続く

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