第15話 ミャンマー バガンのイタリアレストラン

バガンの夜は暗い。


街灯がほとんど無く、レストラン等の店も数件しか営業していないからだ。そんな数少ないレストランの一軒に今、僕とマユさんは来ている。外の景色がよく見えるラウンジの様な席。周辺にも店内にもまるで人がいない。辺り一帯貸し切り状態だ。


いくら野暮天の極みと自負する僕でも、この状況からロメンティックな香りを嗅ぎとらずにはいられない。


「すごいっ!こんなとこ、旅で来るのは初めてです!でも高そう‥スープだけにしようかな」


マユさんはハイテンションで喜んだと思ったら小声でブツブツとそんなことを言い出していて、なんだか混乱している様だった。


「あの、気にせず注文してください。色々と、マユさんに助けていただいたお礼ですからここは僕が」


「ええ!?ダメですそんなの!」


マユさんは首をブンブン振って断ったが僕も男として、ここはみせなくてはいけなかった。


「部屋をとる時もそうでしたけど、エアコンの事でもお世話になりっぱなしです。せめてもの気持ちですから、ここはご馳走させて下さい」


昼の散策を終えたあと一旦ゲストハウスに戻ると、スタッフから向かいの部屋が空いたからそっちに移ってくれと言われた。マユさんのお陰でエアコンの効いた部屋に移れたのだ。


「本当に良いんでしょうか。そんなに甘えてしまって」


「甘えているのは僕の方です。このままだと情けない男のままですから。せめてこれくらいはさせて下さい」


そう言うと彼女は恥ずかしそうに下を向いた。


「そういう事なら遠慮なくご馳走になってしまいます。実を言うと節約の為にロクな物を食べてなかったので結構キツかったんです」


「今日くらい贅沢して下さい」


「お言葉に甘えます」


正直このレストランで何を食べたのか全く覚えていない。日記にも書いていないところをみるとさほど美味い物でもなかったのだろう。それでも、彼女と交わした言葉は鮮明に覚えている。僕にとってはよほどそちらの方が大事だったのだろう。


食事を終えた僕らは早々に店を出ると、フリーライブが開催しているという場所を目指して歩きだした。


「ご馳走さまでした。久しぶりに胃が潤いました」


「面白いこと言いますね。お粗末さまでした」


ほとんど街灯の無い夜道を僕らは再び二人でとぼとぼと歩いている。彼女の汗ばんだ肌がキラキラと光っている。曇りの無い瞳が真っ直ぐ前を見ている。マユさんを見ていると胸がキュッと締め付けられる様な気がした。もしかするとこれが、本来なら十代の頃に経験する甘酸っぱい青春というやつなのかと僕は考えた。音楽に明け暮れた僕に訪れた遅い春。


バガンの夜風にあたってなびくマユさんの髪からは、汗とシャンプーと香辛料の香りがした。


少し歩いた所で、遠くの方に煌々と電気が点いている建物を発見した。


「あそこじゃないですか?」


耳をすますと音楽の様なものも聞こえてくる。


「そうみたいですね!この辺りは何もないしきっとそうですよ!」


僕らが意気揚々と会場に向かおうとすた時、後ろから地元の子供たちが群がってきた。


「ハロー」


「ハロー」


「ハロー」


子供たちは口ぐちに挨拶をしてくれる。とても可愛い。ついつい顔が綻んでしまう。


「何処へいくの?(ごく簡単な英語)」


小学校三年生くらいの子供たちのリーダー格らしき少年が質問してきた。


「凄い。こんな小さいのに英語がしゃべれるなんて」


「マジで凄いですね。なんだか卑屈になりそう」


少年とマユさんは何やら英語でやり取りをしていた。僕はそれをぼおっと眺めていた。


「ライブ会場まで連れて行ってくれるみたいですよ。彼の知り合いが演奏してるって言ってます」


「わお。良いですね。エスコートしてもらいましょうか」


僕らは子供たちに連れられて、すっかり和気あいあいとした雰囲気になっていた。マユさんは子供たちと戯れて、よく笑っていた。素敵な笑顔だった。


しばらく歩いた所で、地方の公民館の様な場所に着いた。


「ここが会場みたいです」


「へえ。なんか地方の夏祭りっぽいですね」


「たしかに」


思っていたライブ会場とはかなり違う雰囲気なので僕らは少し戸惑っていた。入り口付近でまごついていると、後ろから先ほどの子供たちがやって来た。


「ハロー」


例のリーダー少年がマユさんと何か話している。


「ええ!?そんな!?」


マユさんが突然、大きな声をあげた。かなり驚いている様だ。


「どうしたんですか?」


「いえ、間違いかもしれません。ちゃんと聞いてみます」


そう言ってマユさんは再び英語で彼と何かを話始めたが、少年は首を横に振るばかりである。何か揉めている様な空気だ。


「あのマユさん‥」


僕は彼女に声をかけてあげないといけない気がしていた。彼女の表情が暗く悲しいものに変わっていっていたからだ。


「ライブ、フリーじゃないそうです」


「え!?」


「入るのに1500チャットかかるそうです」


「そうかあフリーじゃなかったのか、でもせっかくだしなあ」


「それと‥」


ここで彼女は凄く言いにくそうな顔をした。


「はい?」


「ここまでの案内料で、一人300チャット。合計一人1800チャット払えと言ってます」


「ええ!?」


なんだか怪しいとは思っていたがまさかの展開だった。リーダー格の少年は初めからこのつもりで僕らに接触してきたのだ。


「ライブのチャット代にしては、少し高過ぎる気がしますね」


「ふっかけられていると思います。帰りましょう」


結論は言わずもがな、だった。僕らは後ろでギャーギャー騒ぐ子供たちを無視して、とぼとぼとゲストハウスの方へと歩き出した。


「ウェイト!ユー、ペイ!!」


リーダー格の少年が追いかけてきた。


「ノー。ノーマネー」


マユさんがそう言っても少年は食い下がる。


「プリーズ!ユー、ペイ!」


「ノー!!ノーマネー!」


マユさんが大きな声を発して少年をけん制した。すると彼は突然立ち止まり、こちらを睨みつけてこう言った。


「ユー、ライアー(嘘つき)」


僕らは少年のその言葉を背に浴びながらゲストハウスまで逃げ帰った。


道中、僕らはショックのあまりずっと黙ったままだったが、ゲストハウスの看板が見えるとこまで来るとようやく安堵し、沈黙を破る事ができた。


「残念でしたね、ライブ」


「ゴメンなさい。私のリサーチ不足でした」


「そんな事ないですよ。マユさんは全然悪くない。もしかしたら、場所を間違えていたのかもしれません」


僕らの間には重い空気が流れていた。先ほどまでの雰囲気とは打って変わってとても暗い表情をしている。ロマンスとは掛け離れてしまった。


「私‥嘘つきだったでしょうか?」


「え?」


「あの子に言われたんです。嘘つきって」


マユさんは少年の言葉に傷ついている様だった。


「私、お金を払うなんて約束絶対してないんです。英語の表現でなにか言い間違えたかなと思ったけど、それも無いと思うし。だからあの子は何か誤解して、だから私を嘘つきだって‥」


どんなに英語が堪能でも、どんなに一人の旅に慣れていても、彼女が若く純粋な女の子だと改めて痛感した。彼女は裏切られる事に慣れていない。


「多分、あの子が嘘つきだと言ったのは、日本人のクセにお金を持っていないなんて嘘だという意味だと思います」


「そんな‥」


「最初からカモる気でいたんですよ。見た目は子供でも、中身は立派な詐欺師です」


東南アジアでは貧しければ貧しいほど犯罪が低年齢化していく。周辺国に比べれば少ない方だが、ミャンマーも幼い子供が詐欺や窃盗に手を出すのはままある事である。


「そういう意味で嘘つきだったのか‥どっちみちショックだなあ」


マユさんの目には、薄っすら涙が滲んでいた。


「私、本当に子供が好きなんです。東南アジアの子はみんないい子で。本当に楽しかった。だからなんか、騙されたのなかなか受け入れられなくて」


「残念なことですよね。嫌な出来事だけど、いい経験でした」


「そうですね」


僕らはもう、それ以上この話題に触れなかった。これ以上掘り下げても、イタズラに傷口が広がるだけで何の得にもならない。僕らは数日でここから去って、いつかは日本へ帰る。幾らこの国の事で悩んでもそれは無意味な事なのだ。少なくとも、僕はそう思っていた。


「おやすみなさい」


「おやすみなさい」


部屋の前でマユさんに別れを告げた。横顔がとても悲しそうだったのを、今でもはっきり覚えている。


部屋に帰ってベッドに寝転び、僕はタバコをふかしながら明日の事を考えていた。


明日は遺跡巡りでオールドバガンに行く。マユさんはレンタサイクルで。僕は馬車をチャーターして。


マユさんとは恐らく明日一日会えないだろう。願わくばオールドバガンの遺跡が今日の夜の出来事を僕らの頭から一瞬でも消してくれるkjらい素敵であって欲しい。そう思って僕は目を閉じた。


バガンに来て、まだ二日目だった。


続く

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