ユーラシア大陸横断日誌

穴田丘呼

第1話ここからすべては始まった。ビックバン的出発

 ヤフーサイトには昔、ヤフーチャットというサービスがあった。チャットはしたことがある人がいると思うが、ヤフーチャット、人文と芸術、その中でも哲学思想部屋は特別だった。もちろんぼくのなかで特別なだけで第三者が特別だと感じられるかどうかはわからない。

 一言でいうとレベルが高かった。何のレベルか? 言語で表現できるところのすべてのレベルが高かった。知識量、経験則、嗜好性、そして頭の回転が早い人が多くいた。アメリカ人もいた。元日本人だったが婚姻によってアメリカ人になったのか、もともと親や何らかの関係で日系アメリカ人となったかは知らない。ただしアメリカで教育を受けたのは間違いなかった。彼女は飛行機関係のエンジニアなのだ。オーストラリア在住の日本人もいた。彼女はオーストラリアで英語と日本語を教えていた。最初の頃は、高校辺りで教えていたみたいだが、現在はどうやら大学で教えているみたいだ。彼女とはチャットだけでなく、Skypeで話したりしたから親しかったのだ。つまりチャットをやっている人の中でも親しい方だったのだ。彼女は小学生の頃、親の仕事の関係でオーストラリアに行き、小学、中学、高校大学とオーストラリアで学んでいたのだ。またフランスの方もいた。フランスに住んでいる日本人だ。ただしフランス語は堪能、国籍はどうだか知らない。いわゆる日系フランス人かも知れなかった。なぜここで外国に住む人ばかり挙げるかというと日本でのチャットに外国に住む日本語ができる人が集まったということ。またぼくが日本語でしか表現し得ないし、その人間が奇異とまでは言わないが、外国に住む人が来るこの哲学部屋の特殊性を説明するにはそのような人がいるということであぶり出すことができると思えたからだ。もちろん大多数が普通の日本人だった。またここではそこで語られた内容は深くは言わない。いうことが不可能だからだ。また深く言ってしまうとフォーカスが外れてしまう。焦点は1つに絞った方がいい。そういう利点からぼくは多くは語らない。ここではオフ会も活発だった。オフ会とはネットで知り合った者とリアルに会うことである。個人で行う人もいたろうが、大体が募集をかけて仲間を集めて開催する。ぼくはオフ会は3回主催した。どれも成功裏に終わった。トラブルはあったがそんなことはどうでもいいことだった。ただしまともな人はぼくを合わせ一人もいなかった。その意味とはみんな変わっているが、だからと言って多少の常識は持ち合わせていたのだ。

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