強くなりたい男

「あんた、ここは優先座席よ?譲りなさいよ。」

「………。」

「黙ってないで、さっさと退いてちょうだい。私、疲れてるの。」

「…………。」


 あの日の出来事以来、久し振りに電車に乗った。席はまばらに空いていたけど、僕は入って直ぐに見えた優先座席に腰を下ろした。

 だけど次の駅で高齢の女性が電車に乗り込み、席を譲れとせがまれた。

 気持ちは分かる。次の駅で、空いた席は全てなくなるはずだ。そして耳障りな若者のお喋りも始まる。それが気に入らないのだ。若しくは、この女性は自分が座るべき場所を弁えているのだ。


(だったら僕だって…)


「おい!お婆さんの声が聞こえないのか?お前みたいに若くて体格も良い男は、座らずに立ってろよ!?」

「………。」


 だったら僕にも、言いたい事はある。

 だけどそこに、身勝手な正義感に溢れた中年男性が現れた。


「立てって!さっさと席を譲れ!」

「………。」


 次の駅に到着するまで、時間は余りない。


「済みませんでした。」


 中年男性の声もしつこくなって来たので僕はそう言うと、右足に力を入れてゆっくりと立ち上がり、席を離れて壁に背をもたれさせた。そして扉が開くと…僕は電車から降りた。


「次の電車を待つのか!?そんなに、立ってるのか面倒臭いのか!?」

「………。」


 大勢の人が乗り込んだ後、身勝手な中年男性の罵声と共に電車の扉は閉まった。


(やっぱり、そう見えるんだな…。)


 行きたい場所があったけど、諦めて反対車線の電車に乗り、僕は家に戻る事にした。

 でも、確かめたい事は確かめられた。




 家に戻ったら玄関に腰を下ろし、左足の靴を慎重に脱がし、右足に力を入れて部屋に入った。

 そしてベッドに、倒れこむようにして横になり左足の様子を確かめた。

 …やっぱり感覚がない。


(まだ慣れないだけさ。慣れたら、立って電車に乗る事も出来るはず…。)


 大きく溜め息をついた僕は左のズボンの裾を捲り、最近使い始めた義足を外した。


(周りの人は、僕を健常者だと見ている。そう見えるんだから仕方ない。)


 僕を叱る中年男性に、恥をかかせる訳には行かなかった。


(だから僕が、もっと強くなれば良い。いつかは、痛みも慣れない感覚も無くなる。)


 もう、優先座席には座らない。僕が弱かった。甘かった。


 僕はもっと強くなり、健常者と同じ生活を取り戻してみせる。

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