第11話 病院にて

 翌日、病院で会った荒西くんは、白いシーツの敷かれたベッドに横たわっていた。

 彼は目を合わせるなり、上半身を起こしてくれた。

「来てくれたんだ」

「うん……。その、心配になって」

「ぼくはだいじょうぶだよ。まさか、学校ではぼくが死んだことになっているわけじゃないんだから」

 明るそうな声で問いかける荒西くんは、笑みを浮かべた。元気そうで、わたしは心の底から、安心した。

 近くに丸椅子があったので、座ると、顔は自然と垂れてしまった。

「どうしたの? なにか気を落とすことでもあったの? それとも、ぼくのこと、そんなに心配してくれたの?」

「そうじゃなくて、その、わたしのせいだよね……。荒西くんがけがをして、ここにいるのは……」

「もしかして、白原さん。ぼくがこうなったことに、罪悪感を感じてるの?」

 不思議そうに尋ねる彼に、わたしはゆっくりと首を縦に振った。

「わたしは、早く死にたい思いで、好きな荒西くんに『殺して』なんて、頼み続けた。わたしが関わらなかったら、荒西くんは助けずに、車から撥ねられずに済んだと思うから……」

「落ち着いて。ぼくは今回のけがを白原さんのせいだなんて、これっぽっちも思ってないよ。悪いのは、信号を無視して突っ込んできた車のほうなんだから」

「本当に、そう思うの?」

「当たり前だよ! 白原さんは自分のことを悪く考えすぎだよ! 突っ込んできた車のドライバー、携帯電話で話していて、前のほうを全然見ていなかったんだよ? それと比べれば、白原さんのどこが悪いんだよ!」

 いつの間にか、彼は声を張り上げて、顔を手前まで近づけていた。わたしは驚いて、返事することを一瞬、忘れてしまった。

 荒西くんはそれに気づいたのか、口を手でふさいだ。

「ごめん。急に声を上げて、びっくりしたよね」

「ううん。わたし、考えすぎていたのかもしれない」

「まあ、ぼくはとりあえず、この通り、元気だから。それに……」

 彼は言うと、ベッド近くにある引出しからなにかを取り出した。

 見れば、わたしがあげたビニールひもだった。事故のときには、制服のポケットに入れていたのかもしれない。だけど、入院してからは、どこかになくしてしまったのかなと心配していた。

 荒西くんは手のひらにビニールひもを乗せると、目を向ける。

「これ、親に頼んで、事故のときに着ていた制服のズボンから探してもらったんだ。なくすと、白原さんがどう思うか気になって……」

「わざわざ、病院へ持ってきてもらったの?」

「だって、これを持っていないと、白原さんとのつながりがなくなるかなって思って……」

「そんな、なくなるだなんて、わたしはそんなこと、思ってないよ」

「そうだとしても、このひもは白原さんが渡してくれたものだから、大事にしておかないと」

 彼は口にすると、おもむろにビニールひもを左右の手で引っ張って持つ。眼差しは真っ直ぐに張られたビニールひものほうへ向けられていた。

「白原さんは、こういうひもに絞めつけられることが、本当に幸せなの?」

「えっ? 荒西くん、わたしを殺すのがいやになったの?」

「とても言いづらいんだけど、やっぱり、ぼくは白原さんにずっと生きていてほしいよ。なんて言うか、これからもぼくの近くにいてほしい、というのが、ぼくの正直な気持ちなんだ……」

 答える彼は視線を逸らして、気まずそうな表情をする。

わたしは、荒西くんに裏切られた思いが浮かんできた。両手で握りこぶしを作って、膝の上で震えていた。自然と、瞳が潤んできている。

「わたしのこと、荒西くんはあまり、わかってくれていないんだね」

「十分、わかってるよ! 白原さん本人よりもはわからないけど……。でも! ぼくは白原さんのためを思って」

「荒西くんは、わたしのためなんて、全然考えてない! そうやって、わたしを生きさせて、どうするの!? 両親や兄に会えない苦しさを一生、持てって言うの!?」

「じゃあ、白原さんがいなくなったら、ぼくはどうすればいいんだよ!? ぼくも同じように、後を追って死ねばいいって言うの!?」

「そ、それは……」

「白原さんは、自分のことしか考えてないよ。ぼくのこと、なんにもわかってくれてないよ……」

 小声で漏らす荒西くんは、持っていたビニールひもをベッドの上に置いた。お互いに、目は合わせようとしない。わたしは荒西くんの強い語気に驚いた。

「どうして、そういうことを言うの?」

「どうしてって、ぼくは、白原さんを助けたから」

「助けた、から……」

「せっかく、こうやってけがまでして助けたのに、後で絞め殺すなんて、なんだかおかしいよって思うようになってきて……」

「荒西くんは、わたしのこと、考えすぎだよ」

「そうかもしれないね……」

 彼は声をこぼすと、ビニールひものほうへ目をやる。これをどうするべきか、悩んでいるようだった。

 荒西くんはビニールひもを手に取ると、わたしのほうへ差し出してきた。

 わたしは受け取りたくない気持ちから、一歩後ずさる。

「受け取りたくないんだね」

「だって、それを受け取ったら、わたし、荒西くんが殺さないことを認めるような気がして……」

「白原さん、お願い。ぼくには、このひもを持っているとつらく感じるんだ。だから、どうか受け取って」

 言うと彼は、ベッドから身を乗り出して、ビニールひもがある手を前に出してくる。

 わたしはさらに下がろうとしたが、途中で踏みとどまった。これだとまるで、荒西くんを嫌っているように感じたからだ。

 彼は目を合わせる。

「足を止めたってことは、その、受け取ってくれるってこと?」

「そうじゃないの……。ただ、わたしは荒西くんのこと、嫌いじゃないから……」

「そうだね。だいたい、ぼくたちは付き合っているはずなんだよね。それなのに、ぼくと白原さんは距離を置いているんだよね……」

 ベッドにいる彼とわたしの間は、一メートルぐらいしか離れていない。だけれども、それはあまりにも大きすぎるものに感じた。たった一本のビニールひもで、わたしは荒西くんに近づこうとしないのだから。

「わかった。ぼくはこのひもを持っているよ」

「ごめんなさい……」

「いいよ、謝らなくても。ぼくが悪かったんだ。白原さんを助けたから、つい、大事に思いたい気分になって、このひもを手放したくなったんだから。そんなの、自分勝手だよね」

「わたし、どうしても、両親と兄に会いたいから、死にたい気持ちは変わらない……」

「それはいい。ぼくはわかってる。だけど、このひもで白原さんの首を絞めるのは、想像するだけでも、つらく感じてくる」

 彼はビニールひもの片方を持って口にする。言葉から、どうすればいいかという悩みが伝わってきた。

 わたしはただ黙って、荒西くんを見ていることしかできなかった。

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