第10話 放課後の事故

 放課後、わたしは帰ろうと、教室から廊下へ出ると、荒西くんが歩み寄ってきた。

「白原さん。その……、一緒に帰らないかな……」

「うん。いいよ」

「本当に? てっきり、ぼくがひもをまだ持っているだけだから、その、やろうとしないから、それで嫌って、断られるかなって思って」

「わたし、荒西くんからの誘いを断るほど、焦ってないから……」

 わたしは答えると、おもむろに彼の腕へ体を寄りかかった。自然に動いたので、自分でも驚いてしまった。荒西くんのことをよほど好きに思っている。体はうそをつけないのだろう。

 一方で彼は、耳のそばを指で掻いた。照れているときの癖がまた出たみたいだ。

 周りにいる生徒らの何人かが、うらやましげに視線をやって横切っていく。わたしは目を向けようとはせず、荒西くんの体温を直に感じていた。

彼は寄り添うわたしを離そうとせずに、階段のほうへ歩きはじめた。

降りた一階の下駄箱で上履きを履き替えた後、わたしたちは校舎を出た。校門のところまで、今度は横に並んで足を進ませる。

「にしても、なんか不思議だね。いずれはやらなきゃいけない人と付き合うことになって、今なんて、こうして、並んで帰っているんだから」

「そう、だね。わたしも、こうやっている時間がなんだか、おかしく感じてくる」

「まあ、ぼくとしては、今は今、それからはそれからだね」

「それからはそれから……」

「うん。今、これからのことを考えてもしょうがないってこと。だから、それからのことはそのときに考えればいいかなって」

 彼は明るそうな口調で言う。つまりは、わたしのことを絞め殺すかどうかは、そういう考えるときになって考えると伝えたいみたいだった。

 わたしは、荒西くんの言葉に相づちを打つことができなかった。できれば今、彼に絞め殺してもらいたかった。好きな彼に殺されることが一番幸せなことで、両親や兄にも会える。

 だから、「それからはそれから」という曖昧さが、わたしを殺してくれるのか不安にさせた。

 荒西くんは黙っていることに気づいたのか、顔を移してきた。

「白原さん、もしかしてぼく、いやなことでも言った?言ったなら、ごめん」

「ううん。そんな謝ることでもないから」

「『そんな謝ることでもない』ってことは、少しはぼくの言ったことを気にしてるってことだよね……」

「べつに、荒西くんは気にしなくていいから! その、わたしはただ……」

 途中でわたしは口ごもると、顔を垂れてしまった。「今、ここでわたしを殺して」なんて言ったら、どうなるのだろうか。周りにいる同じ学校の生徒らに変な目で見られ、荒西くんには嫌われてしまうかもしれない。

 お互いに黙ったまま、校門を抜けると、すぐ近くの横断歩道にさしかかった。ちょうど青になったので、揃って渡りはじめる。

「白原さんの言いたいことは、なんとなくわかるよ。それに、ぼくは白原さんから渡されたひももあるし……」

 彼の言葉が聞こえてから、突然、横からけたたましい音が響いてきた。

 わたしがそのほうへ顔をやれば、目の前に乗用車が迫ってくる光景があった。音はタイヤのブレーキみたいだった。

 すぐに避けたかったが、急な出来事に足が竦んで、動くことができない。

「白原さん、危ない!」

 となりにいた荒西くんが、わたしを歩道のほうへ背中を押してきた。

 気づいたときには、わたしは歩道に勢いで倒れ込んでいた。

 乗用車は横断歩道を越えて止まり、先は車に隠れて、見えなかった。

 あたりにいた生徒らがおもむろにざわめく。

 乗用車の運転席から降りてきた男性は、慌てたように車の前へ駆け寄っていく。たまたま通りかかったのだろう、若い女性や散歩中らしかったおじさんもいる。

「だいじょうぶ!? しっかりして!」

「おい、救急車だ」

「あれって、荒西じゃないか?」

「知ってんのか?」

「ほら、となりのクラスにいただろ?」

「もしもし。救急車お願いします。場所は……」

 荒西くんがわたしの背中を押して、どれくらいが経ったのだろう。あたりは騒がしくなった。

さらに時間が過ぎれば、救急車が着き、警察官もやってくるはずだ。

 だけど、そんなことはどうでもよかった。

わたしはぎりぎりのところで、車にぶつからなかった。一方で彼はどうだろう。倒れているはずの姿は、車の陰に隠れて見えなかった。いや、見たくなかった。

「荒西くんがわたしを助けたから……。わたしがいたから……」

 わたしの小声は、学校前の横断歩道の騒がしさにかき消されてしまった。

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