第28話 オレのために――死んでくれ
体育館の入口の方に向いていた太陽の背部から声がした。
太陽は拾った拳銃を構えながら、素早く振り向く。
「……っ、てめえ……何してやがる……」
直後、太陽は歯を喰い縛りながら、前方を睨み付ける。
視線の先には、新たな仮面を被った者――新たな、とはいっても仮面はこれまでの人物と全く同じ物であったため、本当に新たな登場人物であるとは断言できない。もっとも、今までとは違う男声とはみ出ている茶色い髪から、おおよそは異なるとは言えるのだが。
距離にして二十メートルの廊下の曲がり角の所。
そこは未来が隠れていた場所だった。
「何って、あんたを抑制するために、そこにいた彼女を人質にしているんだよ」
新たな仮面の者は、右手に持った拳銃を、左腕を首に廻して動けないようにしている未来の頭部に突き付けていた。
「太陽君……すみません……」
「いや、オレの失態だ。すまん、未来」
「なあに青春してんだよ、糞野郎ども。あー、むかつくな」
仮面の者は銃口を押し付ける。未来が呻き声を上げる。
「やめろ!」
「じゃあ大人しくしているんだね。今、あんたを殺しに行くから」
軽薄な笑い声を発しながら、ゆっくりと仮面の者は未来を引き連れて、太陽の方に向かってくる。太陽はそれをただじっと、睨むことしか出来なかった。
十メートル、五メートルと距離を縮めた所で、
「ここくらいなら大丈夫だろうな」
仮面の者は足を止める。
「お前が飛び掛かれない、そして、オレがお前をじっくりと狙える距離がここら辺りだな」
「……確かに、そうだな」
太陽は鼻で笑う。
「だが、オレに銃口を向けた瞬間に、どうなるか判ってんだろ?」
「さっきの見ていれば判るさ。ほら」
そこで仮面の者は、銃口を太陽に向ける。
太陽の足に少し力が入る。
だが、仮面の者はすぐさま未来の頭に銃を突き付ける。
「はっはっは。そうだよ。お前は下手に動けないんだよ。こいつがいる限りな」
「くっ……」
「こっちは手首の動きだけでフェイントを掛けられる。だがお前はその度にチャンスを伺い、無駄に神経を使う。反応にしくじったら、お前かこの女が死亡。さあ、ドキドキタイムが始まるぜ。あー、見下すのって楽しいのな。こりゃ止められないわけだ」
下卑た笑い声が廊下に響く。
確かに未来が人質に取られているため、太陽には身動きが取れない状況である。
特に、未来が人質、という所が非常に大きい。
もし、未来以外だったら――
「……なあ、未来」
唐突に、太陽は彼女に語り掛ける。
「ん? いきなりどうしたよ?」
「お前に言ってねえよ。未来に話し掛けてんだ。少し黙ってろ」
「へえへえ。はいはい。そんぐらいの時間はやるさ。カップルタイムに変更」
肩を竦めるが、銃口は決して未来から離さない。未来は、突き付けられている銃の方向をちらりと見て、小さく頷く。
「……はい。太陽君。何でしょう?」
「残念なことに、今、未来は、足手惑いだ」
「……はい」
「そこで一つだけ頼みごとがある」
「なんだなんだ? イチャイチャしたいってか?」
「そうだよ」
仮面の者の横槍に頷く太陽。
「今から最高に甘い言葉を口にしてやるから、聞いてくれ」
「……はい」
「未来。オレの」
太陽は真剣な眼差しで、
「オレのために――死んでくれ」
右手に持っている拳銃の照準を、未来の左胸に定める。
彼女はその言葉を受けて、
「……はい」
柔らかに微笑んだ。
「……いやいや嘘でしょ?」
呆然としているのは、仮面の者。
「この女を殺すって……いや、確かにそれなら人質の意味はなくなってお前は自由に動けるけどさあ。しかも銃弾が突き抜けてこっちに当たるけどさ……でも、どうせ嘘だろ!」
声を大きくして、仮面の者は否定する。
「こいつを撃つ振りをして、直前で狙いをこっちに変えるつもりだろ! 判ってんだよ、そんなこと! ちょっとでも変えたら撃つからな! こいつを殺してやるからな!」
「ギャーギャー喚くな。一世一代の愛の行動を、お前は黙って見ているがいい」
太陽はそう吐いてから、再び未来に視線を向ける。
「ごめんな、未来。守れなくて」
「いいのです。すみませんでした。どうぞ撃って下さい」
「ありがとう。未来」
太陽は、とびっきりの笑顔を見せる。
「さようなら」
そう告げて、太陽は引き金を――
――絞らなかった。
太陽は引き金から人差し指を抜き、拳銃を握り込むと、大きくその手を振り被る。
太陽は――拳銃を投げた。
「ほらやっぱり!」
仮面の者は、銃口を太陽に向けて指先に力を入れる。
だが――仮面の者はその動きを急に止める。
拳銃は投げられていた。
しかし、仮面の者に攻撃を当てるには、顔面、もしくは腕を狙うしかないにも関わらず、その軌道は、あまりにも下であった。
そこにいるのは――
「うっ……」
未来。
彼女の腹部に、太陽の投げた拳銃が当たった。五メートルという至近距離で思い切り投げられたため、相当な威力であったであろう。未来の身体がガクリと落ちる。
――刹那。
太陽は、ポケットに入っていたもう一つの拳銃を、今度は仮面の者の右手に投げつける。相手が動揺をしていたこともあって狙い通りに当たり、仮面の者は拳銃を取り落とす。
「あ……」
咄嗟に仮面の者は、他の犯人達と同じように拳銃を取ろうと視線を下に向ける。しかし、拳銃に手が届く前に、犯人の腹部に太陽の足がめり込む。
「お前! 未来に触り過ぎなんだよ! うらやまけしからん!」
私情を吐露しながら、太陽は思いきり仮面の者を吹き飛ばす。仮面の者は壁に叩きつけられ、肺の空気を全て出して、苦しそうに唸る。だが太陽は容赦せず、胸部に足の裏を叩きつける。
鈍い声を漏らした後、仮面の者はぐったりとして動かなくなった。
太陽はふんと鼻を鳴らして、仮面を蹴り飛ばす。その下には、軽薄そうな男が泡を吹いていた。その顔を見るに、気絶をしていることは間違いがなさそうである。
それを確認すると太陽は、素早く未来の元に駆けつける。
「ごめん未来! 大丈夫か?」
「……何をしているのです!」
未来が大声を張り上げる。腹部の痛みが強かったためか、少し声も嗄れている。
太陽は眉尻を下げる。
「ご、ごめん。思い切り投げないと相手の動揺を誘えない気がして……」
「そうじゃありません!」
未来は強く首を振って、太陽に問い詰める。
「どうして――撃たなかったのですか!?」
「どうしてって、撃つよりも投げる方が危険じゃなかったからだよ」
「……それは私の話ですよ」
瞳を潤ませながら、未来は声のトーンを落とす。
「銃弾の方が早いのですし、何よりそちらの方が相手を油断させるでしょう。投げる、という行為には準備動作も必要ですし、何より遅いです。それ故に、相手が動く余裕を与えます」
「うん。だからごめん。もしかしたら引き金を引かれていたかもしれない」
「それは銃弾を放った所で同じです」
それよりも、と未来は話を進める。
「投げる方を選ぶことによって、実際に太陽君の方に銃口が向けられたじゃないですか。人質の私が殺されたら太陽君は自由になるのですから、先程の仮面の人は太陽君を狙うに決まっているのです」
「んー、まあ、そうだな。今考えるとそうだったかもしれない」
「それなのに、拳銃を投げつける方を選ぶなんて、おかしいです。そのまま撃てば相手は動揺するのに……攻撃する素振りを見せて、危ない目に会う必要はないでしょう」
「いやいや。そうは言うけど未来さんや」
太陽は苦笑する。
「いくら全部が打ち合わせした通りだとはいっても、やっぱり撃つわけには行かないって。例え未来が――【防弾チョッキ】を着ているとしてもね」
防弾チョッキ。
太陽が使えると思って兵頭から奪い、今まで着用していた物。それを未来に渡し、あらかじめ着けさせていた。さらに、未来が人質に取られた場合を想定して、先程の会話と行動を打ち合わせしておいてあった。その打ち合わせ内では、太陽は未来を撃つことになっていた。
「防弾チョッキなんですから、撃っても大丈夫ですよ。そんな所で危ない目に会う必要はないじゃないですか」
「撃っても大丈夫じゃねえよ。下手したら骨折れるかもしれない。それに、気持ちだけでもクッションになっただろ?」
「……そうですか。そういうことだったのですか」
未来は額に手を当てて首を横に振る。
「やはり……最初からそのつもりだったのですね……」
「ん、まあ、そもそもな」
太陽は頭を掻きながら、茶髪の少年を指差す。
「こいつにオレ達を殺す覚悟はなかった。人質を取っているなら嬲らずに、オレを撃てばいいんだ。動けば殺すぞ、なんて言えば良かったのにな。まあ、人質がいるのにも関わらず避ける行動をしても何もなかったことから、ある程度は余裕を持っていたさ」
「ですから、太陽君しか狙っていなかったんですって。私を殺さなかったのは、太陽君を自由にさせたくなかったからです。文字通り、私は足手惑いだったのですよ。――犯人側にも」
悲しそうに、未来は眼を伏せる。
「私を殺せば、自分が殺される。人質を取るという行為は、両刃の剣だったのです」
「こっちの行動も両刃の剣だけどな。なんせ、未来を危険な目に遭わせてしまったから」
「私の身体なんてどうでもいいんです!」
「――同じことをっ!」
怒鳴り声。
太陽は校舎中に聞こえるような大声を放ち、場を静め――鎮めた。
はっとしたように、未来は顔を上げて太陽を見る。
二人の視線が合った時、太陽は悔しそうに下を向く。
「オレも……言えたら良かったのにな……」
「……太陽君?」
未来は太陽の顔を覗き込む。
太陽の表情は、笑顔。だがそれは力ない、自虐的なものだった。
「オレには自信があった。オレが殺されないという自信が。だから拳銃を投げた。オレは、本当に危険な時は逃げる。でも今回は大丈夫。いざとなれば、未来を犠牲にしてまで生きる。だから動いた。だから攻撃した。だから足手惑いだと嘘をつき、最大限に役に立ってもらった」
「……」
「未来は身体を張ってくれた。危険な目に遭ってくれた。だが……オレは? オレは安全圏にいる。ただ、人からは安全圏じゃないと思われているだけ。他の人には無理でも、オレには可能だ。可能だからこそ、可能な範囲でしか動いていない。例えば未来に爆発物が仕掛けられていて、爆発まで残り十秒しかなかったら、オレは逃げる。自分には出来ないことは逃げる。それが……卑怯者のオレなんだよ」
「……」
「だからね、未来。オレは危ない目になんか遭ってない。他人なら危ないけれど、オレには危なくない。だから、怖くもないし躊躇もしない。オレは――君が思っているような、善人じゃないんだよ」
「嘘ですね」
間髪入れず未来は断言する。
「嘘じゃない。本当のことだ」
「それもまた嘘ですね。太陽君の話には色々と矛盾があります」
未来は柔らかに笑う。
「まず、太陽君は危険な目にあっていないと言いましたが、誰がどう見ても危険な目に遭っています。乗り切れる可能性の問題ではなく、ただの事実です」
「……それだけか?」
「勿論、こんな重箱の隅を突いた様なことではないものもあります。色々と細かく言ってもしょうがないので、核心的な所だけ言いますね」
そう言うと未来は、自分の胸に手を当てる。
「どうして私は傷付いていないのでしょうか?」
「傷付く……?」
「ええ。ここで、私は最初に訊いたことと同じことを尋ねます」
一つ間を置いて、
「どうして、撃たなかったのですか?」
「どうしてって……それは……」
「私を傷付けないためですよね? それって、矛盾していますよね? 太陽君が本当に卑怯者ならば、私を撃っているはずです。その方が安全ですから」
「……」
「でも、太陽君は撃たなかった。危ない方を選んだ。私が傷付かないために……それって、卑怯者のすることですか?」
「……」
「それに、自分の身だけを守ろうとするのは、卑怯者と呼ぶのでしょうか? 私はそうは思いません。もしもそれならば、私達は全員、卑怯者です。太陽君は、私達全員を卑怯者呼ばわりするのですか?」
「いや……そんなことはないよ……」
「はい。では太陽君は卑怯者ではありません」
「……」
押し黙る太陽。頷かない彼に、未来は首を捻る。
「そもそも、どうして太陽君はそうやって自分を嫌な奴だと思わせたいのですか? 私に嫌って欲しいのですか? ……もしそれなら、絶対に無理です」
胸を張って、未来は答える。
「私は例え太陽君が人を殺していても、嫌いにはなりません。犯人であっても、同じことです」
「……違う……違うんだ……」
弱々しく、太陽が首を振る。
「オレは……そんな風に悟ってほしい、構ってほしい、知ってほしいって態度を取りたかった訳じゃないんだ……」
「ええ。分かっています」
「ただ、オレは……オレは……」
太陽は口にしない。
口にできない。
「……そういうことですか、やはり」
それだけで、未来は悟った。
「私のため、ですか」
「……」
「太陽君は優しいですね」
未来は翳りのある笑顔を見せる。
「そういえば、足手惑いではないということも言ってくれましたしね。私に色々と責任を感じさせないように、そう言ってくれたのですよね?」
「……すまない」
今度は否定せず、太陽は項垂れた。未来は「いいえ」と再び笑顔を返す。
「むしろありがとうございます。ようやく、決心が付きましたよ」
「決心?」
「私、もう、うじうじと自分を駄目だとは言いません。足手惑いとか、弱音を吐きません。だから太陽君……私に気を使わないで下さい」
「……そうか」
太陽はふっと微笑し、そして自分の両頬を同時に数回叩く。
「あー、もう、あー、うん。もう終わり。この話は終わりにしよう。済まなかったな」
「はい」
「おっし」
太陽は後方に視線を寄越す。
「このくだらないオレの話の間中、空気を読んで倒れていてくれた二人に、最大限の感謝の気持ちを込めて、荒々しくふん縛っておくとするか」
とは言っても、手近に縛るものがなかったので、二人の上着で後ろ手を固定するという手段を用いた。その際に財布から二人の素性を調べた。
敬語の少年は、有田太一。一年六組。
茶髪の少年は、小島茂。二年一組。
二人の名前を記録した後、兵頭と同じように近くのトイレの個室に押し込み、一通りの身ぐるみを剥がした。戦利品としては、拳銃三挺と、防弾チョッキ一着、そして仮面が二つ。後は目ぼしい物や情報はなかった。とりあえず、防弾チョッキは太陽が付け、拳銃は未来が一つ、太陽が二つ所持し、仮面は軽く水洗いした後、新しいモノを二人とも装着する。太陽が持っていた前の仮面は欠けたこともあり、放置することにした。
そして、無表情の二人が、トイレの前で会話する。
「そういや河野の拳銃をこいつは持って行ったはずだけど、持っていなかったな」
「きっと道中に置いてきたのですよ。三挺は流石に重いでしょう」
未来は拳銃を潜めている胸元を抑える。
「一挺だけでもこんなにも重いのですから……」
「きついなら持つぞ? まだ余裕あるし」
「いいえ。これを所持するという精神的な重さもあります。だから私は、きちんと所持します」
「そっか。じゃあ、任せるよ」
「はい」
「ん、じゃあ、こっからが本題だ」
太陽は視線を体育館の前へと移す。
「今から、体育館の中を調べるとしますか」
「はい?」
拍子が抜けた声を、未来が零す。
「まずは犯人の二人から情報を聞き出すのではないのですか?」
「そのつもりだったけどさ……うん。気持ちが乗り過ぎちゃってね」
太陽は罰が悪そうな声を発しながら、仮面の頬を掻く。
「あれは、あと一時間は起きねえや。完璧に伸びちゃってる」
「……相当な衝撃を与えましたからね」
「でも死んでないぞ。そこがオレの最後の良心」
「自慢することではないですよ」
「そりゃそうか。まあ、そんな訳でずっと待っているのも無駄だから、体育館の中を見て来る」
「見て来る、ということは……」
未来の言葉に、頷きを返す太陽。
「そう。オレ一人での話だ」
「それは……」
「勘違いしないでくれ。未来には外で見張っていてもらう」
「見張り、ですか?」
「ああ。あいつらの代わりを演じていてほしいんだ。危ないから絶対に犯人グループじゃないことを気取られるなよ。拳銃も取り出しておいてくれ」
「分かりました」
「こっちも毒ガスが発生してそうだったら速攻で逃げるからさ。あんま気にしないでくれよ。というか期待しないでくれ」
「はい。では期待しています」
「……言うようになったな」
ふふ、と吐息を漏らすと、太陽は未来に背を向け、体育館の前まで歩を進めた。
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