第18話 不安定

◆ 一年二組  八木 久



「太陽はその……聞き込みに行ったって言っていた」


 太陽はどうしたと訊かれた久は、歯切れ悪くそう言った。確かに、彼女は嘘を言っていない。

 だが、その答えはまずかった。


「……あの馬鹿」


 一姫には悟られてしまったようで、彼は「ちょっと教室を頼む」と言うなり、足早に教室の外へと向かってしまった。

 突然の一姫の退室に教室内がざわめき、寝ていた何人かも眼を覚まし、さらに騒音が増す。


「おいおい、何があったよ?」

「武か。あたしが嘘言ったのが姫君にばれちゃってさ……いや、嘘は言っていないんだけどさ」

「何言っているか判んねーけど、要するに、一姫が何かしたんか?」

「ああ。太陽を見つけるために、外に出て行っちゃった」

「ん、そっか。じゃあ俺、連れ戻してくる」

「頼む……って、は?」

「じゃあ行って来るぜ」


 極めて自然に、武は外に出て行ってしまった。自然すぎて、久はぽかんとした顔で停止する。


「……寝ぼけていたのかね?」

「いやいや! 久ちゃん、まずいですよ!」


 未来が声を跳ね上げる。


「どうした?」

「一姫君が出て行ったのもまずいですが、それを追って万屋君も行ったのが大きな問題です!」

「あっ……み、みんなはこれ以上誰も外に出るなよ!」


 久が慌てて声を張り上げる。しかしそれ以前に、外に出ようとする人がいなかったので、結果、皆の動きを止めるだけであった。


「一応、教室の扉を全部閉めて、で、後は……えっと……」

「教室を施錠して、今から点呼を取ります。誰がいないか、把握しましょう」


 久の言葉を補足して未来が言葉を掛ける。

 点呼の結果、いないのは太陽、一姫、武。そして――洋だった。


「あれ? 何で洋はいないんだ?」


 久の問いに一人の女生徒が手を挙げる。


「あ、さっき億里君、トイレに行くって言ってたよ」

「トイレ? いつから?」

「えっと……久が戻ってくる、ちょっと前かな?」

「ったく、勝手な真似を……仕方ない。待つしかないな。みんなも今は外に出ないでくれ」


 そこから、五分、十分、二十分、と時間は経過する。


「……流石に遅くね?」


 久が痺れを切らしたのが、三十分後。それまで何人かが同様のことを言っていたのだが、久は「まあ待て」と抑えていた。だがその彼女が、とうとう言葉を漏らしたのだ。


「三十分はない! 特に洋! あいつトイレに何時間掛けているんだよ!」

「三十分ですよ、久ちゃん」


 冷静沈着に、未来が返答する。因みに彼女は、遅いとは一回も述べていない。


「男子だって色々あるんですよ。トイレで」

「女子じゃあるまいし、状況が状況だろ! 何かあったんだって!」

「何かあったなら放送が流れてくるはずです。でも、あれから何の放送もないじゃないですか」

「それはそうだけど……」

「ね? 待ちましょうよ。――あ、そうです。そういえば一姫君との会話で、こんなのがあったんですよ」


 未来が笑顔で手を合わせる。


「私は、不安を非現実にする能力者だそうですよ」

「はあ? 姫君、そんなこと言ったの? ……で、どういうこと?」

「そうですね。例えば……先程、久ちゃんが述べたように、億里君が死んでいるかもしれない、と私が思いますね。そうすると……」


 そう言って未来が扉を指すと、


「おーい。開けてよ」

「……」


 二人は顔を見合わせる。


「……ねえ、未来。あんた、別の世界の人間じゃないの? 能力者バトルが盛んな世界のさ。で、ラスボスだろ」

「いえ、ただの偶然……と、二回目になると言えなくなりますね。流石に私も自分が異常な人間だと思ってしまいますよ」

「どんな横文字を付ける?」

「『不安非現実』と書いて『アンリアルホープ』というのはどうですか?」

「うーん、イマイチ……『無限終息』と書いて『エンドレスエンド』ってのがいいと思う」

「いやいや、能力と字が何の関連性もないですよ、それ」

「そうだな」


 あっはっはと笑いながら、久は扉の鍵を開ける。


「おうおう洋よ。何処行ってたんだよ?」

「トイレだよ?」

「にしては長かったじゃねえか」


 鍵を閉めながら、久は洋を問い詰める。


「まさかトイレだけ、とは言わないよな?」

「ううん。トイレだけだよ。……だけど」


 首を小さく振って、洋は眉を歪める。


「……ずっと、出て来られなかったんだ。他のクラスの人が入って来たから」

「どういうことですか、億里君?」

「うん。口にするのも恥ずかしいんだけど、僕、大の方をしていたんだ。その時、誰かがトイレの中に入ってきたんだ」

「まあ、トイレだからな。そりゃ入ってくるだろう」

「うん。だけど一応、警戒して息を潜めていたんだ。そうしたら……ついさっきまでずっと話し声がしていたんだ。同じ人達の。おかしいでしょ?」

「確かにおかしいですね」


 未来が顎に手を当てる。


「億里君は判らなかったかもしれませんが、貴方が外出していた時間は、三十分以上になるのです。その間、ずっと話し込まれていたのですか?」

「うん。でね、その内容も……恐ろしいものだったんだ」


 息を一つ呑んで、洋は語り出す。


「男性三人組……だと思う。その三人は、ある計画について話していたんだ」

「計画? それは一体何だ?」


「――だよ」


「襲撃、だって?」


 洋の言葉に、クラス全員の表情が固まる。


「うん。具体的なクラス名は言っていなかったけど……それでも、冗談じゃなくて、本気でそう言っていた。というよりも、一人の人を責め立てるように口論していたんだ。だからその計画は、クラスぐるみではないと思うんだけど」

「いいえ。恐らく逆ですね」


 未来が口を挟む。


「クラス全員での決断で、その意にそぐわない生徒を連れ出し、説得しようとしたのでしょう。教室内の士気を下げないために。乗り気でない生徒を含めて三人だけで襲撃しようと考えるとは、今までの経過から到底思えませんから」

「そ、そうかも。は、話の節々が聞こえただけだから……」


 自信がなさそうに洋が俯く。


「で、でも、他のクラスへ襲撃する、って話はしていたんだよ」

「分かってるさ。それは疑っていない。――ってなわけで!」


 手を一つ大きく叩いて、久は教室に声を響かせる。


「みんな! 今から少しだけ気を引き締めようか。太陽と姫君が戻ってくるまでの間だけ、誰一人死なないように」

「ええ。頑張りましょう」


 未来が同意の声を上げると、周囲の人々も次々と首を縦に動かし始める。いつしか男子生徒は拳を握り締め、女子生徒は眼に決意を表し、クラスは一つに纏まった。


「それで……僕達は何をすればいいの?」

「え? うん、そうだな、えっと……」

「――まず、Bグループは今から睡眠を取ってください。残った男子の半数は出来るだけ廊下側の扉の後部に位置して、警戒していて下さい。恐らく、この教室前の廊下の配置からして後方の扉を破ろうとするはずですから。前方の扉は私と久ちゃんの二人で見張ります。残りの男子は窓側に沿うように配備して下さい。女子は冷蔵庫の前に半数待機、後の半数は新しい情報があるかもしれないのでニュースを見ていて下さい。それと、冷蔵庫の前の女子の何人かは万が一に備えて救急箱をすぐに取り出せる用意をして下さい。人数は目安です。その場に近くにいる人でいいです。お願いします」


 未来が口早に指示を出す。それに従って速やかにクラスの人々は行動を開始する。


「さあ、私達は前方の扉の前で待機していましょう、久ちゃん」

「……やっぱ凄いな、未来は」

「凄くないですよ。この振り分けも適当ですし」

「適当?」

「というよりも、私情を挟んでいます」


 声を小さくしながら、未来は笑顔を浮かべる。


「本来ならば前方の扉にも男性を配置するべきです。先程はろくに説明もせずに後方の扉を破ろうとするはず、なんて言いましたが、あれは実は真っ赤な嘘です」

「は……嘘?」

「ええ。廊下の配置と言いましたが、前方の扉も後方の扉も特に違いはありません。一応の論拠はありますが、それも大したことのないもので、あそこまで強く言い切ることはできません」

「その論拠って何さ?」

「恐らく億里君はこの階のトイレを使用したと思います。ならば話していた生徒は一年生でしょう。もし、この一年二組を襲撃するとすれば、一年一組以外は全て後方のクラスですから、確率としては、後方の扉からアクションを起こす方が高くなる、ということです。でも……一年一組の生徒だったならお終いですし、同じ理由で階段が前方にあるため、話している生徒が他学年だった場合も意味が無くなります」

「じゃあ、前方にあたし達だけってのはまずいじゃん。どうしてそう配置したんだよ?」

「言いましたよ。私情です、と。言い換えるならば、前方の扉は、階段から来る生徒がやってくる確率が高い、と」


 未来は小さく舌を出す。


「ただ単に、私が最初に『おかえり』と言いたかっただけです。太陽君に。そして久ちゃんにも言ってほしいのです。一姫君に」

「……成程。私情だねえ」

「私情です」


 曇りの無い笑顔の未来。対して久は、曖昧に笑みを浮かべながら肩を竦める。


「……最近、あたしはあんたが怖くなってきたよ」

「何でですか? 私、何かしました?」

「こんな状況でも太陽へのアピールを、危険を冒してまでしようとするなんてね。この悪女め」

「そんなんじゃありませんって。アピールしようとなんて思っていませんよ。ただの私の自己満足です。……そ、それに、私が悪女なら久ちゃんは何なんですか?」

「あたしか? あたしはそうだな……魔女かな?」

「魔女、ですか?」

「ああ。嘘を付けない呪いを掛けられた魔女だな。まあ、掛けた相手は親なんだけどな」

「それでどうして、久ちゃんが魔女になるのです?」

「んー、なんとなくだな。魔性の女と言ってもよろしくてよ」

「悪女よりもニュアンスがいいですよね。ずるいです」

「いや、どっちも同じような意味だし、まあ、悪女ってのはあたしにも言えることだけどな」


 そこで久は声をさらに小さくして、ポツリと呟く。


「……この状況で、恋愛ごとにうつつを抜かしているんだからさ」

「他人から見たらそうですよね」


 でも、と未来は少し下を向いて言葉を落とす。


「こうでもしていないと、やっていられないんですよね。心配で飛び出しそうになって、嫌なことを考えてしまって……文字通り、居ても立ってもいられなくて……」

「同感」


 膝を抑えながら久が笑う。


「今にも扉の外へと走りだそうと悲鳴を上げているよ。立っているだけで筋肉痛になりそうだ」

「ですね。では、筋肉痛にならないように座り込みましょうか」

「だな」


 二人は扉を背にして腰を落ち着かせ、時間を気にしないように眼を閉じる。


 だが、確実に時間は刻々と過ぎる。

 変化はなく、放送もない。

 一分。十分。三十分。一時間。三時間。十二時間。一日。

 時計を眼にしていなかった二人の体内時計は狂い、どれもが合致していると返答をしてしまう程の時間が経過した。


 ――しかし唐突に。

 二人の背中の扉が強目に揺れた。

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