序 章 2 罠の真っただ中

「火を消せ。狙い撃ちされるぞ!」

 太い声がふたたび怒鳴った。


 こんどは傭兵たちはただちに地に伏せたり、すばやく手近な木立に身を寄せた。


 周囲の林というより、森全体が一瞬にして燃え上がったようだった。

 どの方向にも松明が群れをなして揺れている。

 その光が、無言のままじりじりと近づいてくる。


「なんだ、この大軍は……」

 つぶやく隊長の顔がこわばっている。

 めったに見せたことのない怯えの表情だった。

「どこの軍だ……いったいどこに隠れていたんだ?」


「よく見るがいい。あれは軍隊じゃない。おれたちを通せんぼした麓の村の者たちだ」

 言ったのは、太い声の主だった。

「なに、ほんとか?」


 たしかに、松明をかかげている覆面の者たちは、だれ一人甲冑など身にまとっていない。

 手にしている武器は、斧や大鎌のたぐいだったり、急ごしらえの弓や棍棒だった。


「おれたちが街道をそれて山に入ったところから、ずっとつけていたんだ。ごていねいにワナまでしかけていたとなると、行き場がなくなって山越えするのを見越して、最初からここに誘いこむ計画だったんだな」

「なぜだ? 村人なんかに狙われるいわれはないぞ!」

「たぶん、領主からあちこちの村に手配書がまわってるんだろう。傭兵らしきならず者の首を差し出せば、一個につきいくらずつと賞金が出るのさ。さっき傭兵狩りだと言ってたのは、おまえじゃないか」

 太い声の主は、背中にかごを背負った雲をつくような大男だった。


「だ、だが……」

 さすがの隊長も、動揺を隠せなかった。

 どうせ隣国へ山越えするまでの間だからと隊長を引き受けはしたが、隊の編成も役割分担もろくに決めていなかった。

 傭兵たちは不意討ちをくらって完全に浮き足立っている。

 三〇人以上いるといっても、名前もよく知らない連中では指示の出しようもない。


「どうする気だ。これだけの大人数に闇の中でいっせいに攻めかかられたら、ひとたまりもないぞ」

 大男が隊長を問いつめた。

 隊長がすぐに答えられずにいると、大男の後ろから長身の男が口をはさんできた。

「いいじゃねえかよ。ほかの仲間が血祭りに上げられてるうちに、おれたちはどさくさにまぎれて斬り抜けるまでのことだ」


〝おれたち〟というのが、頭を丸刈りにしたその男自身と大男のことだと、すぐにわかった。

 大男の太い声からは危機感も動揺もほとんど感じられないし、長身の男のほうも負けず劣らず平然としているからだ。

 しかも、その男の声には、この切迫した状況をおもしろがっているような響きさえあった。


「それでもかまわんが、スピリチュアルでも兵士でもない者はできるだけ傷つけたくない。こっちがうまく逃げて助かる者が一人でも多ければ、むこうが出す犠牲者もそれだけ少なくすむのが道理だからな」

「また、つまらんことにこだわりやがって」

 長身の男は、あきれたように口をへの字に曲げた。


 余裕たっぷりの二人を交互に見ながら、隊長はうわずった声で尋ねた。

「じ、じゃあ、どうすればいい」

「なに、簡単なことさ。おまえが大声で叫びながら、先頭を切って駆けだせばいい。そうすれば、仲間はつられて同じ方向へむかって走る」

 大男はこともなげに答えた。


「それだけでいいのか?」

「敵は、殺し合いはおろか、武器の使い方もろくに知らない連中だ。おれたちの勢いにたじろいでいる間に、囲みは突破できる。脇目もふらず、いちもくさんに峠の頂上を目指すんだ。国境さえ越えてしまえばもう追ってこられない」


 隊長は大男の言葉にためらいがちにうなずいたが、見開かれた眼は強い決意に燃えていた。

 震える手で剣の柄を握りしめ、すっくと立ち上がる。

「おれにつづけ!」

 抜き放った剣を高々と頭上にかかげ、けもの道を駆けだした。

 年かさの男があわてて隊長の後を追うと、その動きはたちまち残りの傭兵たちを巻きこんだ。


「うおおおおおーっ」

「わああああ」


 戦場での突撃と同じだった。

 敵との間にピンと張っていた緊張の糸が、一瞬にして断ち切られた。

 血気にはやる若い兵も、尻ごみしていた新米も、一歩も遅れまいと走りはじめる。

 統率のとれていなかった軍団がひとつの塊と化し、奔流のように動きだした。


 包囲の輪はあっさりと崩れた。

 峠に向かう方向には多くの人員が配置されていたが、数を集めただけの烏合の衆だった。

 最前列に陣取った若者が、突進してくる隊長と眼が合い、思わず一歩下がると、それが潰乱の引き金となった。

 若者の背中で押された者たちがよろめいて数歩下がり、さらにその後ろにいた多くの者は逃げようとしてじゃまな味方を突き飛ばした。

 傭兵軍団の先頭が囲みに達しないうちに、草木が一陣の旋風にあおられたように、ぱっくりと道が開いた。


 包囲の後方で生木をけずっただけの即席の槍をかまえていた少年は、突如あがった雄叫びに震えあがって眼を閉じた。

 前にいた者たちが逃げ散ったのに気づかず、少年は突進してくる傭兵たちの真正面に一人で取り残されてしまった。

 ドンッと何かにぶつかられた衝撃を感じて眼を開いたとき、少年が見たものは、口をあんぐりと開いて今にも噛みついてこようとしているような、恐ろしげな形相をした隊長の顔だった。


 だが、隊長の歯も振りかぶった剣も、少年にはついに届かなかった。

 必死で握りしめていた槍の先端が、相手の胸に深々と突き立っていたのだ。


 少年はその身体にのしかかられて倒れた。

 後ろから押し寄せる傭兵たちにさんざん踏みつけにされて気を失ったが、無傷ですんだのは死体が盾になってくれたおかげだった。

 串刺しにした槍を最後まで放さなかった少年は、追跡劇のあと運よく賞金にありつくことができた何人かのうちの一人になった。


 先頭を切っていた隊長が少年に思わぬ形で殺されたことで、傭兵軍団の足並みが乱れ、勢いがそがれた。

 それが村人たちの反撃をまねくことになった。

 けもの道の両側に押しのけられた包囲陣から、たちまち弓矢が飛来し、槍の穂先が突き出されてくる。


 傭兵たちはそのまままっしぐらに突き進んでしまえばよかったのに、先導役を失って目標があいまいになった。

 何人かが見さかいなく村人の中に斬りこんでいくと、あっという間に乱戦に突入した。


「ちっ。あほうどもめ」

 丸刈りの男が、隊列の前方に眼をやって舌打ちした。


 相棒の大男がなかなか動きだそうとしないので、とうとう最後尾につくはめになった。

 そのあたりは当然隊列の動きは鈍いし、包囲していた者たちが四方からどっと押し寄せてくる。

 恐る恐る突き出されてくる槍やなまくらな剣などものともしなかったが、なにしろ敵の数が多すぎた。

 剣を力まかせにぶんぶん振りまわしながら、半身というより、ほとんど後ろ向きになって走っていた。

 すでにはね飛ばした武器は数知れず、斬りふせた人数も片手の指ではきかなかった。


「おい、ゴドフロア。案のじょう、まずいことになっちまったじゃねえか。最初からバラバラに戦いがはじまってりゃ、どさくさにまぎれてもっと楽に逃げられたのによ」

 丸刈りが大男にむかって怒鳴った。


「いや、まだ遅くないぞ。おまえなら先頭まで難なく駆け抜けられるだろう。隊列を立て直して引っぱっていってくれ」

 ゴドフロアと呼ばれた男は、まだ特大の戦場剣を抜こうともせず、襲ってくる相手を拳で殴りつけたりぶん投げたりしながら言った。


「そうしたいのはやまやまだが、敵がこうウジャウジャいたんじゃ、その真ん中におまえらを残していくこともできやしねえ」

「心配するな。おれには後ろにも眼がある」

「その眼があぶないんだろうが」


 丸刈りの男が言い返したとたん、その言葉が聞こえたかのように、ゴドフロアが背中に背負ったかごの中からひょこっと小さな顔が現れた。


「ダブ!」

「おれの名はダブじゃねえ。ちゃんとダブリードと呼べ、くそガキ」


 丸刈りの男がにらみつけると、子どもは強烈なあっかんべーを返し、かごから身を乗り出していきなりパチンコを放った。

 硬い木の実の弾が男の頬をすれすれにかすめて飛んだ。


「マチウめ! 何しやが……」

 カッとなって子どもを怒鳴りつけようとしたダブリードだったが、すぐ後ろで「ウガッ」と声がした。

 ふり返ってみると、腹の出た中年の男が、太い棍棒を大上段に振りかぶった姿勢のまま固まったように突っ立っている。

 その喉もとから黒い木の実がポロリと転がり落ちたと思うと、男は白眼をむいて後ろにひっくり返った。


 敵から奪った大鎚をブンブン振り回しながら、ゴドフロアは着実な速足で戦場を進んでいく。

 その背中で、マチウがケラケラと得意そうに笑った。


「ちぇっ。おれまで助けられてりゃ世話ねえや……」


 独り言のようにつぶやくと、激しい戦闘の中をダブリードはそのままゴドフロアの背後を守って駆けだした。

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