[4] 市街戦

 西部正面軍が新たな反撃を実施するために態勢を整えようとしたが、西ドヴィナ河とドニエプル河に沿って構築した防衛線は各所で、中央軍集団の装甲部隊により突破口が穿たれていったのである。

 7月11日、第39装甲軍団の第7装甲師団(フンク少将)は第19軍の第25狙撃軍団(チェストフヴァロフ少将)がヴィデブスク正面に構築した薄い防衛線を突破すると、スモレンスク北方を東へと突進した。

 7月13日、第46装甲軍団はドニエプル河畔のモギリョフ北方、第24装甲軍団はスタールイ・ブイホフからドニエプル河を渡った。

 モギリョフで包囲された第13軍(ゲラシメンコ中将)の第61狙撃軍団(バクーニン少将)と第20機械化軍団(ニキティン少将)は防御陣地を構築して2週間にわたって抵抗を続けたが、最後は全滅してしまった。第15歩兵師団が廃墟同然になったモギリョフに入ったのは、同月27日未明のことだった。

 7月13日の夕刻には、第47装甲軍団の第29自動車化歩兵師団(ボルテンシュテルン中将)はスモレンスクまであと約18キロの地点に到達した。グデーリアンは第29自動車化歩兵師団に第18装甲師団を支援につけて、スモレンスクに向かうよう命じた。

 スモレンスクの防衛は、第16軍が担当していた。市の防衛司令官は西部正面軍司令部から「徹底抗戦」の命令を受けていた。街路にはバリケードやトーチカが築かれ、労働者は武装し、警察や民兵と一緒に市街戦グループに編入された。

 7月15日、スモレンスクで市街戦が始まった。NKVDや民兵は銃・手榴弾・火炎瓶などで抵抗した。第29自動車化歩兵師団は重砲や火炎放射器で、建物を1軒1軒奪っていくしかなかった。壮絶な市街戦の後、翌16日の夜に市のほぼ全域を占領された。

 時を同じくして、第39装甲軍団の先鋒がスモレンスク北方のヤルツェヴォを占領し、スモレンスク=モスクワ間の自動車道路と鉄道を切断した。

 西部正面軍は第39装甲軍団の進撃に完全に虚を衝かれ、地上部隊ではなく空挺部隊が降下してきたものと誤認したほどだった。スモレンスクとその西方で防御戦を続けていた3個軍(第16軍・第19軍・第20軍)は新たなる包囲網に閉じ込められる危機に直面した。

 中央軍集団はビアリストクとミンスクに続いて、スモレンスクでも敵の大軍を包囲する戦果を挙げつつあった。しかし、中央軍集団の「両腕」であるグデーリアンとホトの「バルバロッサ」作戦に対する見解の相違によって、その戦果を半減させられてしまった。

 スモレンスクにおける包囲を目論んだホトに対し、グデーリアンは「赤い首都」モスクワへの迅速な進撃を最優先としていた。そのためグデーリアンは第46装甲軍団に対して第3装甲集団が展開する北方のヤルツェヴォではなく、東方のエリニャとドゴロブジへ進撃するよう命じた。

 このとき、グデーリアンとホトの上級司令部である第4軍司令部が2個装甲集団に生じた作戦上の齟齬を調整するはずだったが、第4軍司令官クルーゲ元帥は体調を崩して前線を離れていた。当面の実務は第4軍参謀長ブルーメントリット大佐が代行していたが、一介の大佐が2人の上級大将を統御できるはずも無かった。

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