Epilogue
『――泣かないで、ようちゃん』
幼稚園の庭の隅っこで一人しゃがみこんでいた俺のところに、ワザワザやってきた真奈が、そう心配そうな表情で覗き込んできた。
その時の俺は、夢中だったヒーローに一方的に別れを告げられ、傷心の真っ只中にいた。
当時の俺は、TVの特撮ヒーローに夢中だった。それはもう、心酔しているといっても過言ではないくらいに。
つまり、その大好きなヒーローの出てくる番組が最終話を迎えてしまったのである。
とはいっても、TV局の大人の事情なんてコレッポッチも分かろうはずもない幼稚園児だった俺には、憧れのヒーローにもう二度と会えない、理解できたのはその事実一つだけだった。
事あるごとに『大きくなったら俺もヒーローになって地球を守る!』と当たり前のように夢を語り、何かにつけては同じ幼稚園の友人たちとヒーローごっこに興じていた、そんな俺にとって、まさに彼は唯一絶対のヒーローであり、そして自分の一部のようなものだった。彼に会えなくなる、ということは、自分の一部をムリヤリもぎ取られるに等しかったのだ。
だが、そんな俺の悲しさを分かってくれるヤツなんて、周りには誰一人としていなかった。
それまで一緒にヒーローごっこをして遊んでいた友人たちは、新たに始まった新番組のヒーローの方へとっとと夢中になってしまったし、前のヒーローに会いたいと泣いたら、大人たちは困ったような表情で俺を持て余した。
だから俺は、為す術もなく、一人で心の喪中に服することしかできなかったのだ。
いつも遊んでいる皆の輪から外れ、庭の隅っこの目立たないところでぐずぐずと泣いていた。
俺のたった一人のヒーローを忘れて別のヒーローを持て囃す皆の姿など見たくもなかったし、そういう会話だって聞きたくなかった。
そうやって一人閉じこもろうとしている俺を、真奈だけが捜しにきたのだった。
俺の隣りにしゃがみこみ、『泣かないで、ようちゃん』と慰めてくれた。
これまでの真奈は、俺の憧れるヒーローにはコレッポッチの興味も示しもしなかったくせに、何かにつけては饒舌にそれを語る俺の言葉を、イヤな顔ひとつせずニコニコ聞いてくれていたものだった。
真奈は、この当時から喋りがスローモーで、雰囲気がどことなくボンヤリした風でもあり、皆に『どんくさい』と馬鹿にされていた。だから、あちこち駆け回る俺たちと一緒に遊ぶようなことはなかったけれど、でも、どこへ行くにも俺の後を付いてきて、遊んでいる俺たちをニコニコと眺めていた。
それが、真奈にとっての“当たり前”で、俺にとっても、そこに真奈が居ることが“当たり前”のようになっていた。
だから、この時の真奈に、俺はとても救われたような気がした。
俺の隣りから誰がいなくなっても、それでも真奈だけは俺の隣りに居てくれるのだな、と。
『ようちゃんが泣くと、まなも悲しいよ。笑ってるようちゃんが、まなは好き』
『でも、もうレッドがいねーもん。もうレッドに会えねーもん』
『じゃあ、ようちゃんがレッドになればいーんだよ』
『無理だよ……だっておれ、まだ変身できないし、地球を守れるちからだって持ってない……敵が来たって、戦えないもん……』
ゆくゆくはレッドに弟子入りして修行するつもりだったんだ、と。
そんなことを力なく呟いては再びグズグズ泣き始めた俺のことを、しばし無言で困ったようにじっと見つめていた真奈だったが。
『…別に、今のままでもようちゃんは、まなのヒーローなのに』
ポツリとそう、おもむろに呟いた。
『変身できなくても、地球を守れなくても、ようちゃんはレッドみたいにまなのヒーローだよ。まなを敵から守ってくれるヒーローなの。――それじゃダメ?』
『えー、まなしか守れないヒーローなんてカッコ悪い……』
『そんなことないよ。今はまなしか守れなくても、だんだん強くなっていけば、いつかは地球を守れるようになるんだよ。だってヒーローなんだから』
『そうか……レッドみたいに強くなるために、まずはまなのヒーローから始めるんだな』
『そうそう、そういうことだよ~』
『じゃあ、なる! おれ、まなのヒーローやる!』
『そしたらねえ……そうだ、ふたりの合言葉をつくろっ!』
『合言葉?』
『ようちゃんがまなのヒーローだっていうシルシの言葉。でも、誰にもわかっちゃいけないの。ふたりだけしか知らない秘密のミッションなの』
『秘密のミッションか……おもしろいな、それ!』
『でしょ? まなとようちゃんだけにしかわからないような言葉、決めよ?』
『よし、なにがいいかな……』
そうして、あーでもないこーでもない、と、二人で幾つか案を出し合ったものの、これといってピンとくるものがなく。
もはや“お手上げ!”とばかりに、どうしようかなあ…と空を仰いだ、そんな時。
ふいに真奈が、『あ!』と、思い出したような声を上げた。
『そういえば、まなのママが言ってたの。――「洋くんのこと、ウッカリ『ヒロくん』って呼び間違えそうになるわ」って』
『え? なんで?』
『まなのママは弟がいてね、ひろゆきくん、っていうんだけど。ママ、ひろゆきくんのこと「ヒロくん」って呼ぶの。ようちゃんの名前の字がね、ひろゆきくんの「ヒロ」と同じなんだって。ようちゃんの「ヨウ」の字って、「ヒロ」とも読むんだって。「だから、つい呼び慣れてる名前と間違えそうになるのよ」って、ママ、言ってたの』
『へえ……そうなんだ』
『だから、名前ってどうかなあ?』
『え……?』
『まながようちゃんのこと呼ぶとき、これからは「ヒロちゃん」って呼ぶの。ようちゃんがまなのヒーローだっていうシルシに』
『それが合言葉か! いいな、それ!』
『でしょでしょ? それに、「ヒロちゃん」って名前、ちょっとヒーローっぽいよ!』
『うん、ヒーローっぽい! カッコイイな、それ!』
『やったー決まりねっ! ――じゃあ約束しよ』
そして真奈は、小指だけを立てた右手を、俺の前に差し出した。
『ふたりだけの秘密の合言葉だから、どういうイミなのか絶対ほかの人に言っちゃダメだよ?』
『おう、約束だ!』
俺も自分の小指を、真奈のそれに絡める。
そうやって互いにキツく小指を絡め合った手を大きく振って、『ゆーびきーりげーんまーん、ウソつーいたーら、はーりせんぼん、のーますっ♪』と歌い、指切りをして。
でも真奈は、そのまま絡めた指を放そうとはしなかった。
『…もういっこ、おねがい』
そして言う。
『ようちゃんは、まなが「ヒロちゃん」って呼ぶかぎり、ずっとまなのヒーローでいてくれる、って……これも約束、してくれる?』
『おう、いいぞ! 約束だ!』
そして再び、『ゆーびきーりげーんまん♪』と、歌いながら手を振った。
『うわーい、これでちゃんと、ようちゃんがまなのヒーローだ~♪』
『ちがうだろ? 「ようちゃん」じゃなくて……』
『うん、「ヒロちゃん」だねっ!』
『そうだ! おれはまなのヒーローだからな、なんかあったらいつでも呼べよ?』
『うん、呼ぶ呼ぶ~』
『なんてったって、おれがまなを守るんだからな!』
『うわーい、嬉しい~♪』
そこで、おもむろに真奈が俺に顔を近づけてきて……ふいに唇にキスをした。
『えへへー、嬉しかったからちゅーしちゃった』
『…なんでちゅーすんの?』
『ママがね、ダイスキなひとにダイスキって気持ちを伝えたかったらちゅーするのがイチバンよ、って言ったの。でも、くちびるのちゅーはトクベツだから、ママよりもパパよりも、どんな誰よりも本当に本当にダイスキなたった一人の人とじゃなきゃ、しちゃダメなんだって』
『…今の、くちびるのちゅーだよな?』
『うん、だってヒロちゃんが、まなの本当に本当にダイスキなたった一人の人だもんっ!』
言いながら、再びまなが唇を寄せる。
『だからヒロちゃん、約束、絶対やぶっちゃヤーよ? まなが「ヒロちゃん」って呼ぶかぎり、ずっとまなのそばにいてね? まなのヒーローでいてね?』
『うん、わかった! そしたらおれも、まなをおれの「本当に本当にダイスキなたった一人の人」にする!』
そして、今度は俺から、真奈の唇にキスをした。
『これで一緒だな!』
『うん、ずっと一緒にいようね!』
『約束な!』
『約束ねっ!』
それを俺が思い出すのは……まだもうしばらく先の話である。
【終】
少年少女はお魚の夢を見るか 菊 @mum
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