残された理由

「ここだよ」

秋月さんについて歩くこと十五分。住宅街の一角にある秋月さんの家へと到着した。住宅街の中ということもあってそれほど大きな家ではないが一般的な家庭を思わせる二階建ての綺麗な家だ。

「さ、上がって上がって」

秋月さんに言われるまま、玄関へと入る俺と雪歩。

「お邪魔します」

「お、お邪魔、します」

靴を脱ぎ玄関へ上がるとガラッと右側のドアが開いた。

「おかえりなさい。あらっ、お客さん?」

出てきたのはエプロンを着た茶髪のセミロングの女性だった。

「ああ、後で飲み物を頼む」

「はいはい。じゃあ準備しますね。あっ、このスリッパ使って」

そう言っては女性は手際よく玄関横の下駄箱からスリッパを取り出し、俺と雪歩の前に差し出す。

「それじゃ私の部屋に行こうか。こっちだよ」

スリッパを履いた俺と雪歩は笑顔の女性に見送られながら秋月さんの進む家の奥へと入っていった。

奥へと進むとそこには部屋があり、その中へと通された。畳の敷かれたその和室は真ん中に大きな机が置いてあり、それを真ん中に挟む形で秋月さん、俺と雪歩で分かれて座る。

「さて、と。じゃあ君の聞きたいことを聞こうか……と言っても状況からしてあのことだね?」

全てを知ったかのように秋月さんが言う。

「はい、そうです。俺が聞きたいのはあの事件のことです」

「そうか……なら話す前に一つ聞きたい」

秋月さんは眉間にしわを寄せながら俺を見つめ、

「君は一体何者なんだい? 雪歩ちゃんの彼氏……でないことは先程聞いた。だとしたらなぜそのことについて聞きたいのかな?」

「それは……」

秋月さんの真剣な瞳が俺を真っ直ぐに見つめている。これは正直に言うべきか……だけど、

「あ、秋月さん、実はその……理由は上手く言えないというか。歩には特殊な事情があって……」

と、悩む俺の横から雪歩がフォローに入る。

「特殊な事情? それは私に言えないようなことなのかい?」

「えっと、それは……」

そう言われて雪歩も言いよどんでしまう。

「……いいよ。雪歩」

俺はなんとかしようと苦悩している雪歩の肩にそっと手を置く。

「別に絶対秘密ってわけじゃない。ただ俺自身信じてもらえるかわからないから言わなかっただけだ。……それにやっぱりちゃんと話を聞くならこっちもそれなりの態度を示さないと」

「歩……」

俺はスッと視線を秋月さんの方を移す。そしてその真剣な瞳に真っ向から向き合う。

「話す気になったかな?」

「はい。正直に話す……話します。全部」

そうして俺は秋月さんに全てを話した。自分が村の人間であること。そしてつい二十年前からつい最近までずっと眠っていたこと。

「……にわかには信じがたい話だ。だがあの村の人間であればなくもないのか」

俺の話を全て聞いて秋月さんは顎に指を当て、考えるような仕草をする。

「だとするとある意味君もあの事件の被害者、というわけか」

「はい、そう、なります。あくまで間接的に、だけど」

俺は秋月さんの問いかけに頷き、そう答える。

「なるほど、それで君は雪歩ちゃんと一緒に……わかった。君の言うことを信じよう」

「ほ、本当、ですか! あ、ありがとう、ございます」

「何、お礼を言われるようなことじゃない。担当ではなくなってしまったがあの事件は私にとっても因縁深いものだからね」

そう言う秋月さんは表情には悔しさが滲んでいる。何があったかはわからないがきっと彼なりに何か思うことがあるのだろう。

「それで? 一体何が聞きたいんだい? 私の答えられる範囲のことであれば答えよう」

秋月さんに聞きたいこと……それは、

「事件の詳細、出来れば捜査資料的な物が見たい、です」

俺は秋月さんの目を真っ直ぐに見つめたまま言い放つ。

「……いきなり直球だな」

「す、すみません。でも俺、どうしても事件のこともっと知りたくて……新聞とかでいろいろ調べましたけどやっぱりそれだけじゃ足りなくて」

捜査資料なんて物が簡単に見れるとは思えない。でも事件のそれも最前線であろう人に出会えたんだ。ダメ元でもなんでも聞いてみた方がいい。少しでも事件の真相に近づける可能性があるのならば……

「……ちょっと待っていなさい」

そう言って秋月さんは後ろの押入れから段ボールを取り出した。そしてそれを机の横に置き中からファイルのようなものを取り出す。

「捜査資料はさすがに無理だが、これは私が独自に調べた事件の資料だ」

秋月さんは段ボールの中からファイルを取り出し机の並べていく。その数、約数十冊。

「こ、こんなに……」

その数に俺だけじゃなく、雪歩も驚きの声を上げた。

「実を言うと私自身それほど捜査に関われていないんだ」

「え?」

事件の捜査に関わっていない?

「それは部署が違ったとかそういう理由で、ですか?」

「いや、そういうわけじゃない。当時私は捜査一課の刑事だったし、あれだけの事件だ。当初は一課の全精力を上げて事件の捜査に取り組んだ。しかし、事件から数ヵ月経ったところでいきなり私は捜査から外された。そして交通課へと転属になったんだ」

数ヵ月、解決もしていない、しかも捜査真っ只中のそのタイミングでいきなりの転属? 警察の内情は知らない一般人の俺だがそれでも何かそれには意図的なものを感じる。

「捜査からは外された。でもやっぱり私は事件を諦めることが出来なかった。だからこうして独自でずっと捜査を続けてきたんだ」

言葉の中に諦められない、そんな強い意志を滲ませながら秋月さんはファイルを手に取る。ここにあるこれはつまり約十五年もの間事件を調べ続けてきた秋月さんの執念、悔しさ。その全てがここにあるものに詰まっている。

「秋月さん……」

秋月さんの思いを知って雪歩は目に涙を浮かべていた。

「……それで、秋月さんは何かを見つけたんですか?」

ファイルを手に取り、見つめながら秋月さんに聞いてみる。

「残念ながらまだ答えには辿り着けていない。でもヒントとなりえることはいくつか見つけることが出来た」

そう言って秋月さんは一つのファイルを取り上げる。

「例えばここ。死亡解剖の結果だ。人によってそれぞれ死因は異なる。しかしながら何名かの致命傷が体の正面、しかもほとんどそれ以外に外傷がなかったとある」

「……それが、何かおかしいんですか?」

「ああ、素人に君たちにはわからないかもしれないがこの場合において体の正面が致命傷ということは大きな意味を持つ。なぜなら体の正面ということは相手と向かい合っていたということを意味する。つまり……犯人は顔見知り、もしくは親しい人間であった、という可能性が浮上するわけだ」

「っ!? そ、そんな……」

村の誰かが犯人? でも村の人は一人残らず殺されたはず。だとしたらその犯人も殺された?

「まあ、これは可能性としての一つだ。正面の傷が致命傷だからと言って必ずそうとも限らない。なんらかの理由で無抵抗だったのかもしれないし、寝込みを襲われたからということも考えられるわけだし」

「そう、ですか」

そうだこれはあくまで可能性の一つ。事件の全貌がわからない以上あらゆる可能性を探るのは重要なことだ。

「他には?」

「うん。これだ、ここ。目撃情報がほとんど皆無のこの事件だが聞き込みをおこなったところ怪しい車を見かけたという証言者を見つけた」

「目撃情報……」

これは大きな手がかりになりそうだ。

「その人は東京で働いている青年で、村近くにある実家に帰省中、たまたま散歩していると村の方か出てくる車を目撃したそうだ」

「だったらその車に犯人が……」

「うん。だが場所は街灯すらない田舎道。その車が放つ光でフロントの少しは見えたそうだが、それ以外は番号はおろか、外観すらもどんなものだったかわからないそうだ」

「そう、ですか」

でも犯人が車を使っていた。その可能性が高そうだ。その情報が得られただけでも十分な収穫になる。

「ここまで私が一方的に話してきたが、実際君たちはどこまでこの事件のことを知っているんだい?」

秋月さんに聞いたことを頭の中でまとめていると今度秋月さんに質問をされた。

「俺が知ってることなんか新聞記事とかで知ったことぐらい、です。あとは先生が教えてくれた疑問点をいくつか知ってるぐらいで……」

「先生?」

「あっ、はい。後堂先生のこと、です。俺先生に診てもらったので」

「ああ、彼女か。なるほど。彼女なら事件に詳しいことも頷ける」

コクコクと頷く秋月さん。

「それで彼女の言う疑問点とは?」

そう聞かれたので俺は先生から聞いた疑問点を秋月さんに話した。

「なるほど。確かに事件の核心に向けた的確な見解だ。実に彼女らしい」

どうやら秋月さんは先生に一目を置いているようだ。現役の刑事にまで信頼されるとは、あの人かなり優秀な人なんだな。というかもしかしたら物凄いえらい人なんじゃ……話してる分にはあんまりそんな感じしないけど。

「……なら私も一つの見解を君たちに与えよう」

「え? それってつまり……」

「ああ、彼女の疑問点について十五年間調べ続けた私なりの答えというものがあってね。それを君たちに教えようと思う」

「それって……」

つまりは犯人の特定に最大の手掛かりとなるんじゃ……

「だが前もって言っておくがこれはあくまで私個人としての考えだ。証拠も何もない。もしかしたらただの妄想なのかもしれん」

確かに。もしそんなのがあったらとっくに犯人を捕まえているだろう。秋月さん自身の手で。それをしないということは確証も何もないということだ。

「……それでも、でも」

「聞かせてください」

そうはっきりと言ったのは雪歩だった。俺の隣でずっと黙ったまま秋月さんの話を聞いていた雪歩。ずっと黙ってはいたけど彼女だって何も感じていないわけじゃない。秋月さんのくれるヒントから少しでも真実へと近づきたい、そんな気持ちを彼女の表情を見ただけで俺は感じ取った。

「わかった。じゃあまず彼女の疑問点の一つ目、足跡についてだが……これについては私自身もわからない。答えようがないといった方が正しいか。これについては科学的な観点が強いからね。正直そっち系のことに関しては私はそれほど知らなくてね」

「そう、ですか」

まあこれは仕方ないかもしれない。これに関してはどちらかと言うとトリックの謎解き的な要素が強いからな。

「だがもう一つ、犯人の目的、これに関しては私なりの答えを話すことが出来る」

答え……その言葉に俺と雪歩はごくりと息を飲む。

「犯人の目的、それは……『不老の民』そのものだ」

重々しく発せられた秋月さんの言葉。犯人の目的が村の人たち?

「それはいったい……」

「うん。犯人はどうにかして『不老の民』彼らの年を取らない能力を手に入れ、調べたかったのではないか、私はそう考えている」

「俺たちの能力……」

まさか、確かに特殊な能力、力ではある。でもその為に……

「でも待って下さい。だとしたらおかしくありませんか? 手に入れるのが目的なんだとしたらなぜ村の人を皆殺しにしたんですか?」

疑問に気づいた雪歩がいち早く秋月さんに問い掛けた。そうだ、手に入れたいのならなぜ殺す必要がある? むしろ目的と逆になってしまってるじゃないか。

「うん。確かに逆だ。目的と矛盾している。だが、だからこそ、そうではないかとも考えられる」

「……と、いうのは?」

「うん。例えば君が犯人と同じ、村の人の力を手に入れたかったとしたらどうする?」

「え? 俺ですか?」

うーん、とは言うものの俺自身がその『不老の民』だからな。

「ごめんごめん。少し難しかったか。じゃあ質問を変えよう。もし、どうしても手に入れたい他人の物があったとしたらどうする?」

「他人の物……」

つまりは自分の物ではない他人の所有物。それをどうしても手に入れたいと思ったら俺は……

「……交渉する、ですかね。どんな物かにもよりますけど何かと交換とか売ってもらえないかとか」

「うん、実に模範的な答えだ。同じ質問をしたら多くの人間がそう答えるだろう。よほどのジャイアニズムも持った人間以外はね」

なんで今ジャイアニズムの話が? いや別にそのことは今はいいか。とりあえず俺の答えは至極一般的な考えらしい。でもだとしたら……

「あっ、そうか」

そこまで考えて俺も秋月さんの言いたいことを理解した。

「わかったようだね。そう、犯人もおそらくまず交渉したんだ。その力について調べさせてくれないか、とね」

そうか、犯人も無理矢理強行手段に出るような過激な人間ではなかったということか。

「犯人は村の人たちと交渉した。しかし、相手は他の社会との関わりを極端に嫌うあの『不老の民』の人々だ。とてもじゃないが交渉が上手くいくとは思えない」

「だとしたら交渉は決裂した……ということ、ですか?」

「ああ、おそらくそうだろう。だが犯人はどうしても諦めきれなかった。だから粘り強く交渉しただろう。何度も何度も」

どうしても手に入れたい物の為に必死になる、その気持ちは犯人でなくてもよくわかる気がする。

「でもだとしたら余計わかりません。そんな犯人がなぜ村の人を殺したりなんか……」

「確かに最初はそうだったからもしれない。だがいくらしてもダメだとわかった時、人は二つの選択をする。素直に諦めるか、それともどんなことをしてでも手に入れるか。そう、たとえ殺したとしてでも」

「っ!? そ、それって……」

「想像している通りだよ。死体でもいいから手に入れたい、死体でもいいから調べてしまおう。そう言った感情さ」

秋月さんの言葉を聞いて俺は背筋がスーッと寒くなるような感覚に襲われた。

それは純粋な欲求が狂気へと変わる瞬間。プラスだった感情が一気にマイナスへと逆転する。その力はきっと俺なんかじゃ想像出来ないくらい暗く淀んだものだ。いや俺だって、あの瞬間、雪菜の告白現場を見た時もしかしたらそうなっていてもおかしくなかったのかもしれない。だとしたら犯人の気持ちがわからなくも……

「歩……」

気づくと雪歩がそっと俺の手に自分の手を重ねていた。急にどうした……なんてこと考えるまでもなかった。なぜなら雪歩の手が震えていたからだ。涙こそ出ていないが今にも泣きだしそうな怯えた表情で唇をきゅっと強く結んでいる。彼女もきっと秋月さんの言葉からその狂気を感じ取ったのだろう。

「……大丈夫だ」

俺は雪歩の方を向いて小さくそう呟いた。

そうだ、なに怖気づいてるんだ。俺は真実に辿り着くって決めたんだ。その真実がどんな残酷で悲惨な物でも受け止める、それはあの日、雪菜の墓の前で誓った日から覚悟していたはずだ。だったら立ち止まるな。雪歩と、大切な人の娘と共に俺は進むんだ。

「大丈夫かい?」

そんな俺たちの様子を見て秋月さんが尋ねる。

「大丈夫です。続けて下さい」

俺はしっかりと前を向き、そう言い切った。

「うむっ、さっきも話したようにどうにもならなく追いつめられた状況で犯人は後者、村の人を殺す方法に出た。そしてあの事件を起こした。そうして手にした死体を犯人はその現場で調べていたのではないか、と私は思う。あそこにあった死体には傷が酷く、何をされたのかわからないような傷も多かったと聞く。ある程度なら解剖されていたとしてもわからない、というわけだ。あるいは殺すこと自体に何かの実験を含んでいたのかもしれない」

殺すことですら実験、だと? 秋月さんの言葉を聞いて俺は吐き気を伴う気持ち悪さに襲われた。

狂っている。この犯人は俺じゃ考えつかないほど狂っている。

俺は必死に自分の中の吐き気を飲み込んだ。

「と、まあこんな感じだが、今話したのはあくまで事件を調べてきた私自身の個人的な見解に過ぎない。証拠もなければ確証もない。ただの空想でしかないのかもしれんしな」

「いえ、それでも十分参考になります」

ずっと事件を調べてきた刑事が辿り着いた一つの答え。それはたとえ真実と違っていたとしても真実近づこうとする俺たちの礎の一つになる。

「これで私の見解は終わり……と言いたいところなのだが、もう一つだけ君たちに伝えておこうと思う」

秋月さんは心痛な面持ちで言葉を紡ぐ。

「言いづらいこと、なんですか?」

「そうだな。言いづらいことでは確かにある。だが伝えなければならないだろう」

覚悟はいいか? そう言うかのように秋月さんの目が俺と雪歩を見つめる。俺は握ったままの雪歩の手をもう一度ギュッと強く握った。そして二人同時に秋月さんの方を向いて頷いた。

「……私が言うもう一つとは、彼女も言っていた彼女が生き残った理由について、だ」

「っ!? それがわかるんですか!」

「わかる、というのは語弊があるのな。これもあくまで私の見解だ。真実とは限らない」

そう前置きをした上で秋月さんは話を続ける。

「雪歩ちゃん、君はあの事件唯一の生き残りだ。でも、生き残ったのは果たして偶然なのか? たまたま見過ごされただけなのか? 村民を一人残らず虐殺した犯人が? 私にはどうしてもそうは思えない」

「……どういうことですか?」

震える声で雪歩は言葉を発する。秋月さんのその次の言葉を聞くために。

「結論から言おう。雪歩ちゃん、君は生かされたんだ、犯人によって」

「っ!?」

生かされた? 犯人によって?

「待ってください! 雪歩は雪菜に……母親に抱きかかえられる形で見つかったんだ、ですよね? だったらそれは母親が雪歩を守り通したと考えてもおかしくないんじゃ」

「確かにそう考えることも出来る。だがその現場を、第一発見者になってしまった私だからわかる。全ての家を隅々まで捜索し、惨殺した犯人がたった一軒のそれもそれほど隠れた場所でもないところにいた彼女をしかも母親だけを殺してその抱える子供を見逃すわけがない」

確かに秋月さんの言う通りだ。そんな状況からしたら雪歩だって殺されていないとおかしい。でも雪歩は現に今こうして生きてここにいる。それは一体どうして……

「犯人がなぜ雪歩ちゃんを殺さなかったのか、それはわからない。一人だけでも『不老の民』を生かそうと思ったのか、赤ん坊まで殺すのは忍びないと思ったのか」

結局は犯人に直接聞いてみないとわからない、そういうことか。

「だが、一つだけ言えるとすれば……雪歩ちゃん、君はまだ犯人に狙われている可能性がある、ということだ」

「「っ!?」」

その言葉に俺と雪歩はこの日一番の衝撃を受けた。雪歩が犯人に狙われている?

「な、なんで雪歩が犯人に狙われる必要が!」

テーブルに身を乗り出し秋月さんに問い掛ける。

「落ち着きなさい。あくまでこれは可能性があるという話だ」

「で、でも……」

なんで雪歩が……

「歩」

振り向くと雪歩が俺の服の袖をギュッと掴んでいた。

「大丈夫、わたしは大丈夫、だから」

さっき俺が言った言葉と同じ言葉を今度は雪歩が俺に向けて言う。だがその声はどこか震えていた。そうだ、本当に怖いのは俺じゃない。雪歩自身だ。

「……わかった」

俺は引き下がり座布団の上に座り直す。

「落ち着いたかい?」

「はい、大丈夫、です。それより雪歩が狙われるって、どういうこと、ですか?」

「うん、彼女が犯人によって故意に生かされた、そう言っただろう」

「はい」

「でも犯人は『不老の民』を手に入れる為に皆殺しまで行った人物だ。そんな人物が唯一の生き残りである彼女をそのまま生かしておくと思うかい?」

「いや、それは……」

違うとは言い切れない。

「だからこそ犯人は彼女を、生きている『不老の民』を今度こそ手に入れたい、そう思っているのではないか?」

「っ!? つまり犯人は今も……雪歩の身柄を狙い続けている?」

「そう、彼女が狙われているというのはそういうことだ」

そんな……雪歩は家族を奪われたんだぞ。それなのに、犯人はそれだけじゃなく雪歩自身にまで手を掛けるつもりだってのか。

「そうでなくても彼女は唯一の生き残りだ。赤ん坊だったとはいえ、事件を知る者を今更ながら殺そうと思っていたとしても不思議ではない」

「……どっちにしても雪歩は危険だということですね。犯人が捕まるまでは」

俺の言葉に秋月さんは大きく頷いた。

「これで私の話せることは全てだ。辛くなるようなことを言ってすまない」

そう言って秋月さんは頭を下げた。

「いいえ。ここまで調べてくださってありがとうございます、秋月さん」

頭を下げる秋月さんにそう言ったのは、他でもない、雪歩だ。

「こんな貴重な話までして頂いて本当に感謝しています」

「雪歩ちゃん……」

きっと一番辛いであろうのは雪歩だ。現に彼女はさっきまで震えていた。でも彼女はちゃんと受け止めようとしている。自分の身に起きたこと、これから起きるかもしれないことについてちゃんと。そしてそんな雪歩の凛とした姿は、どこか雪菜に似ていた。

「それよりも良かったんですか? わたしたちにこんなこと話してしまって」

「なに問題ないよ。非番である今日の私は警官ではないからね。それに私は自分の趣味のことを知り合いに話しただけ、そうだろ?」

そう言って俺を見る秋月さん。

「君のことも暫くは私の胸の奥にしまっておくことにしよう」

「あ、ありがとう、ございます」

俺は秋月さんに頭を下げる。先生にも言われたが本来なら、俺は何日も拘束されて検査を受けなければいけない。

二十年も眠っていたんだ。そんな風になっても仕方がないことだと思う。でも今はそんな時間ないんだ。早くしないと……今ここで立ち止まってる場合じゃない。

「お茶入りましたよ」

と、ちょうど話の終わったタイミングで見計らったかのように先程の女性がコンコンとドアをノックして入ってきた。

「ああ、ありがとう」

お盆をテーブルの上へと置く、女性。そのお盆の上には湯呑と急須、そしてのケーキが乗せられていた。女性はそれを手際良く俺たちそれぞれの場所へと置く。

「ごめんなさいね。急だったからこんなものしかなくて」

「いえ、ありがとう、ございます」

俺は女性に向かってぺこりと頭を下げる。

「お、そういえばまだ妻を紹介してなかったね」

「あらっ、そうなの? じゃあ私から、妻の弥生です」

そう言って頭を少し下げる秋月さんの奥さん。

「え、えーと、本郷歩、です」

「凪沢雪歩、です」

「ゆきほ? もしかしてあの雪歩ちゃん?」

「え、あっ、え?」

奥さんの反応に戸惑う雪歩。

「ああ、そうだよ。あの雪歩ちゃんだ」

「やっぱり! 一度会ってみたかったの!」

そう言って秋月さんの奥さんは雪歩の手をギュッと握る。

「あっ、えーと……」

いきなりの展開は何をしていいのか戸惑っているようだった。

「ああ、ごめん。実は妻に雪歩ちゃんのこと良く話していてね。以前から一度会ってみたいと言っていたんだよ」

「そうなの! この人ったらいつも『すごく良い子だ』『将来絶対美人になる』とかあなたのことばっかり話すのよ」

「お、おい。そう言うことはあんまり……」

「いいじゃない別に。でもあなたの気持ちも良くわかるわ。だってこんなに可愛いんだもの。自慢したくなるわよね」

二人に褒められて雪歩は恥ずかしそうに顔を赤らめながら俯いている。

「秋月さんはよく施設に行かれたりするんですか?」

いつもという言葉が気になった俺は奥さんに聞いてみた。

「そうね、最近はそうでもないけど昔はよく通ってたわね。それこそ一週間に一回とかぐらいのペースで」

「いっ、いや、それは刑事として彼女の様子を見に行ってただけで」

「とか言って、自分の娘にしたいとか言ってたじゃない」

「なっ!? むぐぅ」

ふふふと笑う奥さんを尻目に押し黙ってしまう秋月さん。

へー、先生や春香さん以外にも雪歩のことをこんなにも思ってた人がいたなんて……なんか少し嬉しいな。

自分が好きだった人の娘がいろんな人に愛されている、それだけで俺は胸の奥がじーんと熱くなった。

「あっ、そうだ。良かったら今日晩御飯食べて行かない?」

「え、そんな……いきなり来ておいてそここまでは……」

「いいのよ、気にしなくて。二人分作るのも四人分作るのも大して変わらないから。それにもっとお話ししたいし」

「でも……」

「私からも頼むよ。なんだかんだ言ってもここに呼んでしまったのは私だからね。せめてそれくらいはご馳走させてくれ」

そう言って俺たちに笑いかける秋月さん。俺と雪歩は互いに顔を合わせ、

「じゃ、じゃあお言葉に甘えて」

「よかった。じゃあ腕によりをかけて作っちゃうわね」

「妻の料理は絶品だからね。楽しみにしているといいよ」

「もう、あなたは乗せるのが上手いんだから」

そう言って奥さんは秋月さんの肩をバンと叩く。それを受けてイタタッと笑いながら痛がる秋月さん。そんな秋月夫妻のやり取りを俺は微笑ましく見つめる。でも雪歩はどこか辛そうな感じでその様子を見ていた。

「雪歩?」

「あっ、うん。楽しみだね」

俺が声を掛けると雪歩はすぐに笑顔になる。さっきまでの顔をまるでなかったことにするかのように。

「……そうだな」

だから俺は何も言わなかった。今の雪歩が何を感じているのか、それがなんなのかなんとなくわかっていたから……

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