第9話 事務所宴会の恐怖(R-G指定:閲覧注意)
事務所宴会の恐怖(Gネタ閲覧注意)
事務所宴会は時間とカネを節約できて一石二鳥だが、たった一つだけ難点があった。それは、事務所内で飲み食いすると必ず「人外のもの」が引き寄せられるようにやってくる、ということだった。
ここで言う「人外」が何を意味するのか、素早くお察しの方もいらっしゃると思うが、その「人外」が死ぬほど嫌いというお人は次話に移動されるのがよろしいかと思われる。
もし、「人外」という言葉に
前の話でも書いたが、事務所宴会は原則出入り自由だった。手の空いた酒好きだけがアルコール持参で集い、適当に飲み食いしてコミュニケーションを図る。途中で抜けても誰も文句は言わない。宴会終了後は、ポジションや勤続年数に関わらず、最後まで残っていた者たちが後始末をする。上下の別なくお気楽で、実にいい加減な飲み会なのだ。
しかし、後始末まで「いい加減」だったのが、諸悪の根源だった。
居残り組の中に若い人間が入っている時はまだいいのだが、「お片付け」に慣れていない既婚おじさん連中しかいない場合は、全く目も当てられない。
ビールの缶は中をすすがずにそのまま資源ごみ入れへ突っ込んであるし、余った「乾きもの」もむき出しのまま可燃物入れへ放り込まれている。机の上さえキレイになっていれば十分という発想なのだろう。
その結果、
働き始めて数年目の私が配属された部署内では、しばしば「黒地に白い筋が入っている体長五ミリほどの生物」の襲来を受けた。
ネットで調べたところ、この人外生物は、ゴキブリ目ゴキブリ科に属するクロゴキブリの幼虫だったようである。
自分で書いておいて何だが、ひとつの文のなかに「ゴキブリ」が三度も登場すると見ているだけで寒気がするので、以下この生物のことは「奴」と表記することにする。
事務所に生息していた奴らは、「夜陰に紛れる」などという奥ゆかしい性格ではなかった。人間が宴会の準備をする様子を、どこかからじっと伺っている。そして、飲み食いが始まった途端、静かに、しかし一斉に、行動を開始するのだ。
ふと気が付くと、奴らは、つまみを載せた紙皿を目指して、一心不乱に歩を進めている。コップにビールを入れたままトイレかどこかに行って戻ってくると、奴らがそのコップにまさに触覚を触れさせんとしている。
慌ててコップと紙皿を避難させ、テーブルの上をにじり回る奴らを追い払い、アルコールで辺り一帯を拭いて宴会を再開する。しばらくすると、再び奴らの襲撃が始まり……。
懲りないのが奴らなのか人間なのか、いまいちよく分からない構図である。
ある日、この劣悪な衛生環境の事務所に、部外のお客さんがやってきた。客は、我々の大ボスとしばらく会談した後、舶来モノの土産だと言って、バナナフレーバーのコーヒーをくれた。
客が帰った後、早速、場にいる全員でごちそうになることになった。
コーヒー豆の入った袋を開けると、バナナ特有の甘い香りが強烈に漂った。非常に嫌な予感がした。
舶来モノは時々、日本人の好みと全く合わないことがあるが、このフレーバーコーヒーは、まさにその典型と思われた。
しかし、当該客との付き合いは今後も続きそうなので、捨てるわけにもいかない。
せめて味見はしよう、というわけで、事務所に備え付けのコーヒーメーカーで淹れることにした。
我々は、職場にあるコーヒーメーカーにバナナ臭いコーヒーの粉をセットし、通常と同じようにドリップした。
しばらくして、部屋中に漂い出したのは、やはり強烈なバナナの匂いだった。コーヒーのかぐわしい香りなど、全く感じられない。
場にいた一同は、神経ガスをくらったかのように倒れかけながら、それでも、出来上がったコーヒーを各自のマグカップに注いだ。
息を止め、一口飲む。
口の中に広がったのは、想像以上に凄まじいバナナの匂い。それが鼻に抜け、まさに現場は阿鼻叫喚のバナナフレーバー地獄と化した。
全会一致で、バナナフレーバーコーヒーの撤去が決定された。
誰かが、死にかけた声で「普通のコーヒーを飲みたい」と訴えた。そうしよう、ということになり、普通のコーヒーを淹れ直すことにした。
今度は、通常のコーヒーの粉をドリッパーにセットし、通常通りにドリップした。
ところが、やはりバナナ臭い。フレーバーコーヒーの威力があまりにも強大すぎて、コーヒーメーカー自体を一瞬にして汚染してしまったらしい。
普通のコーヒーを飲んで復活を図る前に、コーヒーメーカーを復活させなければならぬ。
我々は、事務所の窓を全開にして甘ったるい空気を外に逃がしつつ、コーヒーメーカーの洗浄を始めた。
ドリッパーとサーバーを丹念に洗った。しかし、取り外しができない部分を洗剤で洗うことはできない。仕方がないので、熱湯をドリップの要領で何度も通して少しでも臭いを取ろう、ということになった。
ドリッパーとサーバーを機械にセットし直し、コーヒーがない状態でドリップのスイッチを押した。
当然ながら、サーバーには無色透明のお湯が入ってくる。
五回ほどその作業を繰り返した時、サーバーの中をぼんやりと見ていた一人が、熱湯に交じって米粒大の白いものがぽとぽとと落ちてくるのに気付いた。
何だこれ? カビか? コーヒーメーカーの中に白カビが生えてたのか?
声を上げる同僚に、部屋にいた一同がコーヒーメーカーのほうに歩み寄る。目を凝らして良く見ると、その白い物体の一部には細かい線が入っていた。まるで、六本の足を縮めて死んでいる生き物を思わせるような……。
「これ、虫……?」
誰かが発した狂気の言葉に、私は何かを察した。ダメだ、これ以上見てはいけない。
しかし、心の中に湧き起こる警告とは裏腹に、己の視線は、魔法にでもかかったかのように、勝手にコーヒーサーバーの中を凝視してしまう。
「この白いの、やっぱ虫だよね」
「何だろ。ゴキじゃないよな。白いし」
「アルビノのゴキだったりして」
アルビノの奴なんているのだろうか。仮にいたとして、その発生率はそんなに高いだろうか。
コーヒーメーカーから次々と出てくる全長五ミリほどの物体は、確かにすべて白いが、アルビノの奴が事務所内で大量発生したとは、常識的に考えにくい。
「このコーヒーメーカーって、買ったのいつだっけ?」
「半年前くらいかなあ。一年前かも」
当時、私はこの事務所に勤務するようになって四、五カ月ほどが経っていたのだが、件のコーヒーメーカーは私の着任前から部屋の片隅に鎮座していた。少なくとも、四、五カ月間は奴と同じ空間を共有していたことになる。
「掃除は、毎朝してるよねえ?」
おじさん連中の問いに、若い一同は憮然と頷いた。
しかし、その中の一人がぽつりと呟いた。
「でも、今みたいにお湯だけを中に通すのは、やったことなかったかも……」
私もやったことがなかった。実家にコーヒーメーカーがなかったので、取り外しできない部分を熱湯で掃除するという発想すら浮かばなかったのだ。
他の若い面々も、そういう手入れはやったことがないと口々に言った。
「……となると、最も可能性が高いのは、いつも見かける小さいゴキがコーヒーメーカーの中に入ってて、俺らがコーヒー作った時に熱湯を注がれて死んで、その死骸がずっと中にひっついてたままだったってことか?」
普段は冷静沈着タイプのおじさんが、やや青ざめた顔で思考を巡らせる。
「なるほど……。今、何度も熱湯を通したもんだから、ひっついてたやつがふやけて剥がれて出てきた、という……?」
「でもこれ、白いんですよ」
恐ろしい推測を数人が否定しようと試みるが、そこに別のおじさんがトドメを刺した。
「毎日毎日、お湯を注がれ続けて、すっかり脱色しちゃったということでは」
「抜けた色はどこにいったんすかね」
「ダシになって、コーヒーと混ざったんかな」
確かに、奴らのあの色の汁がコーヒーの中に入ったとして、同じ茶色同士では、我々の目には判別できない。
つまり、我々は、奴のだし汁を飲んでいたということなのか。毎朝毎昼毎晩、ダシ入りコーヒーを飲んでいたということなのか……。
コーヒーメーカーの周囲に集まっていた面々が一様に凍り付くなか、緑茶党のおじさんだけが勝ち誇ったように笑った。
「ああ、良かった! 俺、コーヒー飲めなくて!」
結論。奴らの「だし汁」は無害である。健康な成人男女約十名による人体実験により証明されたのだから、間違いない。
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