悪魔

 ところで、おじいさんを騙したあの悪魔はどうしていたのでしょうか。


 ここから語られる物語は、誰に知られる事も無く幕を閉じた1匹の悪魔の物語です。


 その小悪魔は名前をカロンと言います。おじいさんの元を去ったカロンは、おじいさんと供に人間から取り出した女の子に関する人々の記憶を力の源にして強大な力を手に入れいていました。


 その力はとても大きく、小悪魔カロンは小さい事を理由に自分の事を散々馬鹿にしてきた他の悪魔達に仕返しをします。


 カロンは地上で人間達を苦しめていた強大な四方の悪魔大公達を懲らしめると人間が住む世界とは別の世界に追い返してしまいます。


 小悪魔カロンの事を笑う悪魔はもう誰もいませんでした。今となっては地上で最も恐れられるようになった小悪魔カロンは仲間からは恐れられ、妖精達からは地上の悪い悪魔を追い払った英雄として崇められています。


 しかしそんな事も人間達は一切知りません。けれども大悪魔カロンにとっては人間の評判などどうでもよかったのです。何故なら彼の目的は自分の事を散々馬鹿にしてきた悪魔達に仕返しをする事、ただそれだけだったからです。


 カロンは自分の目標を達成して満足していました。いいえ、違います。するはずでした。彼の中で何かがずっと、引っ掛かっていました。自分の中にある遠い記憶を探します。


 すると、自分の記憶では無い誰かの記憶を見つけました。


 その暖かくて心地よい、そしてすこし寂しい記憶は少女に関係する人達の記憶です。まわりの人間達は彼女に惜しみない愛情を注いでいました。そしてその愛情は彼女が亡くなってからも変わる事はありませんでした。


 しかし、それはもう過去の話です。この世の中にあの女の子の事を覚えているのはあのおじいさんだけだからです。


 孫娘に愛情を人一倍注いでいたのはあのおじいさんはどうしているのでしょうか。

 悪魔は少し気になりましたが、知る由もありません。悪魔カロンの体はあの頃に比べてすっかり変わり果てていました。ふとおじいさんと一緒にあの女の子の事を街の人に聞き回った時の事を思い出します。


 悪魔は愛情を知りません。


 悪魔の体は憎しみや苦しみ、絶望の感情を糧としています。それでも、悪魔はあの時確かにおじいさんから温かいもの自分に感じていました。


 ♪ 悪魔カロン、その力はどこからくる?

 人間の憎しみ、苦しみ、絶望?


 地上の悪魔の王様カロン、その力はどこからくる?それは記憶、女の子を愛した人達の優しい気持ち。


 彼は悪魔を退治したよ、おかしいよ、おかしいね。彼も悪魔なのに。絶望を糧とする悪魔なのに。


 今は僕等の英雄だ ♪


  囁き程の妖精達の歌が聞こえてきました。悪魔カロンは自分の力の源は絶望の力だと思っていました。あのおじいさんの絶望、その絶望が自分を強くしたのだと。


 でもそれは……愛情だったのでしょうか?


 大悪魔カロンは自分がおかしくなったのだと思いました。悪魔とは本来愛情とは無縁の存在だからです。


 自分の目的を達成したカロンは他にやる事も無くなったので、自分の中に流れる変な感情、その正体を突き止める為にもう一度だけおじいさんの家を訪ねる事にします。


 数年経った現在でも、おじいさんはあの家に変わらず住んでいました。


 しかし悪魔カロンはおじいさん今更合わす顔がありません。本来ならそんな感情悪魔には湧かないはずなのですが、どうしてもカロンは罪悪感に苛まれてしまい、会う事ができないでいました。悪魔が罪の意識を抱くのは変ではありますが。すぐそこにおじいさんが居るというのにどうしてもその一歩が踏み出せません。


 そこでカロンは窓からこっそりとおじいさんの事を覗き見る事にしました。


 何体もの人形が並ぶ部屋は相変わらずでしたが、驚いたのはおじいさんがあの女の子そっくりな女の子の人形を造ろうとしていたことでした。


 おじいさんはまだ諦めていませんでした。


 孫の魂はそこにあると気付き、そして彼女の朽ちてしまった肉体の代りを造ろうとしています。


 でも、それだけでは足りません。


 記憶が、女の子の記憶が必要なのです。


 それに最後の仕上げとして肉体と魂と記憶とを繋ぐ魔法の力が必要でした。それは人間には到底真似出来ない事です。


 カロンは考えます。


 あの人形が完成した果てにおじいさんは何を思うのだろう

 動かない人形、足りない条件、守られ無かった約束。


 カロンは再びおじいさんが絶望する姿を思い浮かべます。本来ならそれは悪魔にとっては喜ばしい事のはずなのですが、カロンにとってはとても嫌な事のように思えました。


 おじいさんの喜ぶ顔がみたい。大悪魔カロンは心の底からそう思いました。


 条件の3つめ、記憶。


 女の子に対する周りの人間の記憶はカロンの体内にあります。ですがそれだけでは足りなかったのです。


 女の子本人の記憶がどうしても必要なのです。それが出来ないからカロンはおじいさんとの約束を破り、姿を消したのでした。


 女の子の記憶がある場所はある程度の見当はついていました。けれどもその場所は神様や天使達が厳重に管理している所です。うかつに近付けません。当然、悪魔が天使に見つかってしまっては戦いは避けられないからです。


 カロンは悩みます。


 人間の為に永遠にも近い自らの命を差し出す。そんな馬鹿な事をよりによって悪魔がするなんてカロン自身も聞いた事がありません。再び窓からおじいさんを眺めます。そこでふと気付きます。窓辺には何故かカロンがとりついていた人形が窓の方を向いてきちんと座らされていました。


 それを不思議に思いながらもカロンは窓越しにおじいさんの姿を確認します。


 額に汗をかきながらも、おじいさんは一生懸命女の子の人形の肉体を造っていました。その眼にあるのはもうかつての絶望ではありませんでした。女の子が生き返ると信じて。自分の元を去った悪魔との約束を信じてその眼は希望と生きる力に満ちていました。


 その姿を見た悪魔カロンは何かの感情が自分の中で芽生えるのを感じました。そしてカロンは決心します。


 何があってもおじいさんとの約束は果たす。そう決心しました。


 窓際に座らされている自分が昔とりついた人形を眺めます。なぜこの人形は窓の外を向いて居るのか、カロンには解った気がしました。


 カロンはおじいさんに見つからないように窓を開けると静かにその人形を持ち去りました。もちろんおじいさんに声はかけません。悪魔カロンが次に声をかけるのはあの女の子が蘇った時だと。そう心に決めていました。


 しかし、おじいさんは気付いていました。


 開けっ放しになった窓、置いてあったはずのあの人形が無くなったという事。悪魔カロンがここにやってきたという証拠です。


 今日もおじいさんは人形を創ります。


 悪魔が約束を果たしてくれると信じて。女の子との約束を果たす為に。


 さて悪魔であるカロンは、当然天使や神様に頼る事は出来ません。同じ悪魔の仲間に声をかけますが、誰1人として解決策を答えられる者はいませんでした。


 どうしようも無く途方に暮れるカロン、1人森の湖で蹲ってしまいます。忍耐強い方では無いカロンはそのまま眠くなり、なんだかどうでもよくなってきました。


 うつらうつらとしていると、綺麗な女の人の姿をした精霊ニンフが湖の中から現れました。


「お困りですか?我らの英雄、悪魔の王カロン」


 妖精の間でカロンは英雄です。ですから湖のニンフは見過ごせませんでした。カロンは、妖精に事情を話すのは少し小恥ずかしい気はしましたが頼る相手がもういないカロンは人間の記憶が保管されている場所がどこにあるか訪ねます。


 しばらく考え事をした後、ニンフはこう答えます。


 妖精の間でも、世界の何処かにはありとあらゆる生物の記憶の痕跡が保管されている事は知れ渡っています。しかし、その場所を知る妖精は1人としていません。


 悩む悪魔カロンに対して森の妖精ニンフはこう答えます。神様へお祈りしてお伺いしては如何がでしょうか?


 その提案に悪魔カロンは困ってしまいます。


 神様に祈った事など無いからです。


 戸惑うカロンにニンフはお手本を見せます。


 見よう見真似で祈るカロン。大事なのは気持ですとニンフは優しく語りかけます。

「私はあなたの祈りが届くように祈らせて頂きますね」と微笑むニンフ。


 目を瞑り、必死におじいさんの事を考えます。彼の願いを叶えてあげたい。その事だけを考えます。


 カロンにとって誰かの為に何かをするという事は一度もありませんでした。


 それは悪魔が抱くはずの無い感情です。

 全身全霊を込めて祈りを捧げるカロンですが一向に神様からの返事はありません。諦めかけたその時、辺り一杯に光が広がっていきます。目を開けて辺りを見渡すと先程までそこにいたニンフや木々、湖すらも消え去っていました。


 そこにあるのは白い光だけです。


 ふと後ろに気配を感じて振り返ってみると1人の少年がそこに立っていました。会った事も無い、顔も知らない少年でしたが、一目でかれが神様だという事がカロンには解りました。


 無意識のうちにカロンはその少年に跪き、涙を流してしまいます。そうしてしまった理由も解りません。


 それは初めて愛に触れたからでした。


 顔を上げるようにと直接心に神様は訴えかけてきます、それに素直に従うカロン。


 その少年の顔は誰よりも美しく、光輝き愛に満ちていました。


「私への祈りの果て、その願い聞き入れた」


 神様の口から発せられた言葉を聞いた後、

 カロンの頭の中に見た事も無い情景が流れ込んできます。


 光に包まれた場所、力強く根をはる大きな木、そこに実る黄金の果実、1人の少女、隔たれた3つの門、教会、大海原、草原、一面の花畑、天使、宇宙、空。


 それらの光景は、人々の記憶が保管されている場所でした。


 徐々に光が弱まっていきます。


 気がつくと隣にはニンフがいました。周りの光景は森と湖があり、カロンは元の場所に戻ってきていました。


 いいえ、カロンは元からその場所に居たのです。


 頭の中で神様からの声が響きます。


 その場所へ行くのは我らには容易い、しかし、お前にとっては最も苦痛に満ち、耐えがたい困難を強いられるだろう。気を付けて参れ。ニンフは優しくカロンに笑いかけます。上手くいったでしょと。


 お礼を言ったあと、大きな黒い翼を広げたカロンはあの女の子の記憶が眠る場所へと飛び立ちました。


 今のカロンにとって空を飛ぶ事などなんて事はありません。その大きな黒い翼は空を震わせ天を切り裂きます。


 地上を離れ雲を突き抜け、宇宙空間まで飛び出すと方向感覚は無くなってしまいます。


 上手くバランスの取れないカロンですが、

 魔法の力を使い、目的の場所まで突き進みます。今度は光の速さを越えて流星の様に漆黒の宇宙を跨いでゆきます。


 もといた場所から離れて何日が経過したでしょうか。時間の感覚が解らなくなってきた頃、漆黒の闇が支配していた世界が明けて光溢れる世界にカロンはやってきました。


 そこは恐らく天使が住むとされる世界なのでしょう。大きな緑の大地が中に浮かび、虹の架け橋が島々を繋ぎます。澄んだ川の水の流れ、白い小鳥たちの囀り、悠然と浮かぶ雲々、聞こえてくるのは天使達の美しい歌声です。


 よく見渡すと木々には豊かな果実が豊富に実り、よく手入れされた庭園までもがあります。


 そこは七層からなる天界の中で第3層めに位置し、行ないの良い人間のみが立ち入る事を許されている楽園でした。


 人間からは天国と呼ばれている場所です。


 そんな理想的な楽園を目の前にしても、カロンの気持は揺らぎませんでした。それに絶望と恐怖を糧とする悪魔とは無縁の場所だったからです。


 目もくれずに、神様に教えて貰った場所へと向かいます。


 第三層めの天界を進んでいくと今度は一転して、暗雲が立ちこめてきます。時折、雷鳴が轟く黒雲は地上に雨と雷を降らします。


 目を凝らして下を見ると、その地上には深い霧が立ち込め、恐ろしく寒く、全く光の射さない場所の様でした。


 光の代りに、大地からは灼熱の炎が絶えず吹き出し、そこに住む住人を何者かが追いまわし、苦しめています。


 カロンの住む世界に近いものがありました。そう、人間からは地獄と恐れられている場所がそこにありました。天使の歌声の代りに、そこの住人の苦しみに悶える叫び声が絶えず聞こえてきます。


 悪魔にとっての楽園、地獄の風景はカロンにとっては懐かしく思えましたが、そこで苦しむ者達を見ると、人間であるおじいさんを思い出してしまい嫌な気分になりました。


 薄暗い地獄の端にやってくると、場違いなぐらいに光輝く老人がそこに立っていました。


 カロンは急いでいましたが、好奇心からその光輝く老人に声をかけます。


「じいさん、そんなとこで何してる?」


 どうやらその老人は、天国に住む人間が間違って地獄に迷いこまないように見張りをしているようでした。興味ついでに地獄の住人についてカロンは質問します。


「この奥で苦しめられている人間は何をした?」


 光輝く老人はこう答えました。


「地上で悪い行ないをした人間がここに連れてこられるんじゃ。犯罪を犯した者や、不信仰な人間、欲深い者達が連れて来られ、この先ずっと苦しめ続けられるのじゃ、まぁ悪魔であるあんたにゃ天国だろうよ」


 カロンは嫌な予感がして訪ねます。


「例えばの話だが、悪魔と契約をした人間はどうなる?」


 老人は声を張り上げて一笑いし、呆れるように悪魔に答えます。


「文句なしにここへ招待されるじゃろうよ」


 そうだよなと、少しカロンは残念そうに返事します。


 老人に別れの挨拶を済まし、飛び立とうとする間際、カロンは最後に老人に質問します。


「死んだ人間に会いたくて、悪魔に騙されてしまった人間はどうなる?」


 老人は呆れたような顔をして首を横に振ります。


「人を惑わし、騙す事を生業とする悪魔であるお前さんが心配する事では無かろう」


 そうだなと造り笑いをしてその場を離れるカロン。その表情は晴れません。自分のしようとしている事が正しい事かどうか解らなくなったからです。


 自問自答しながらも、悪魔カロンは神様に教えて貰った場所へと続く入口へと辿り着きました。

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