第3話 姫子の家へ

 八代姫子の家は達也や久志の家、及び彼らが通う高校の最寄駅より乗り換えなしで五駅先にあった。達也達の家の周辺のようにマンションと坂だらけではなく、一軒家が多く並び道も平坦なところばかりだった。

 姫子の母親に電話した久志は、午後二時に彼女の家へと訪問する約束を取り付けた。そのため達也と久志は一旦別れ、それぞれ昼食をとった後に再び駅で待ち合わせ、二人で姫子の家へと向かったのであった。

 姫子の家は大通りから二本程脇道へ入っていったところにあった。大きくもなく、かといって小さくもない洋風で平凡なデザインの、車庫と小さな庭がある平凡な一軒家だった。

「はい。あなたが遠野君?」

 インターホンを押し数秒待った後に聞こえてきた姫子の母親と思われる女性の声は、久志達が要件を告げる前にそう言葉を発した。おそらくカメラ付きのインターホンで、姫子の母親側からは久志と達也の姿が確認できるのだろう。

「そうです。僕が遠野久志です。お電話でお話した通り、姫子さんのことが心配でいても立ってもいられず、どうにか彼女の行方を知る手掛かりはないかということでお伺いさせてもらいました」

 久志は臆することなく、ハキハキとしっかりした大きな声で流暢に答えた。

「今ドアを開けるから少し待っていて」

 ブツリとインターホンの受話器を置く音が聞こえた後、ドアの向こうから足音が響いてきた。徐々に大きくなった足音が止まり、鍵が開錠される音がするとすぐにドアが開き、四十代ぐらいのふくよかな、姫子の母親らしき女性が出てきた。

「こんにちは、初めまして。姫子さんのクラスメイトで仲良くさせてもらっている遠野久志と申します」

「こちらこそ、初めまして。姫子の母です。そっちの子は?」

 姫子の母親は怪訝そうな視線を達也の方へ遣った。

「彼は僕の親友の赤井達也です。頼りになるので一緒に来てもらいました」

「どうも。赤井達也といいます」

 達也は少し固くなりながらも頭を下げた。

「そう。とりあえず中へ入って。せっかくここまで来てくれたんだし、姫子がいなくなった経緯について詳しくお話するわ」











 姫子の母の案内で達也と久志はリビングに通され、着てきたコート類をコート掛けにかけさせてもらい、テーブルへと着かされた。

 リビングは西日が差し込み、とても明るく開放感があった。陽光をよく取り入れられるようにあると思われる大きな窓と、立地条件の良さがこの快適な空間を作り出す主な要因なのだろう。白、ベージュ、茶色辺りの色で統一されたソファ、テーブル、絨毯等、全体的に柔らかい色合いの調度品やアクセントになるように置かれた観葉植物が部屋を温かく安らぎのある空間にしていた。

 達也達が着いたテーブルからは壁に掛けられた外国のどこかと思われる場所の綺麗な雪景色の写真付きの、一ヶ月ごとにめくっていくカレンダーが見えた。日にち欄の空白には姫子や彼女の父親の夕飯の有無や、打ち上げや忘年会、料理教室の予定等姫子とその両親各々の重要な予定がボールペンで書かれていた。

「お友達のお家に連絡してみても誰も姫子の行方すら知らなかったから、てっきり遠野君とどこかへお泊りでもしに行って仲良くしているんじゃないかと思っていたんだけど違ったようね」

 達也と久志の前に紅茶と切り分けられたショートケーキの乗った皿を置き、姫子の母親は彼らの向かい側へと座った。

「僕はそんなご両親に無断で外泊させるような真似はさせません。それに姫子さんと外泊なんてだいそれたこと自体僕にはできませんから」

「別に遠野君と姫子が何をしていようが私は咎めないけど。本当、あの子はどこに行っちゃったんだか。……紅茶とケーキ、遠慮してないで食べて。そのために出したんだし」

「ありがとうございます」

「あ、ありがとうございます。俺らのためにここまでして下さって」

「ケーキのこと? だったら気にしないで。せっかくのクリスマスだしってことで昨日作ったんだけど、結局姫子もあの人も帰ってこなくて余っちゃってたの」

 恐縮する達也に姫子の母親はなんでもないことのように笑いかけた。「あの人」というのはおそらく姫子の父親のことだろう。

「久志から八代さん、じゃなくて姫子さんが三日前のクリスマスイブから行方不明だと聞いたんですが、その日、姫子さんはどんな感じだったんですか?」

 達也は姫子の母親へと質問した。

「いつも通りだったわ。別に何も不審な点なんてなかったわ、私が見た限り。ちょっと出掛けてくるって言ってそのまま三日間何の連絡もなしなの」

「あの、言いにくいんですが、警察とかには連絡しましたか? 何か事件に巻き込まれた可能性もあるんじゃないかって思うんですけど」

「まだしていないわ。下手に大騒ぎして、もしもひょっこり姫子が帰ってきたりでもしたら、面目ないじゃない」

「……姫子さんは過去にも突然、何の音沙汰もなく姿を消したことがあるんですか?」

「……どうして?」

 姫子の母親は目を見張り、声音をわずかに固くした。

「子供が、特に女の子が突然何の連絡もなしに帰ってこなかったりしたら、普通はすぐに警察へ連絡すると思うんです。しかも姫子さんが姿を消してからもう三日も経ちますから。それに久志にあまり騒ぎ立てないように本当に彼女と仲が良い子だけにと釘を刺したそうですし。そうするってことは、姫子さんが過去にも同じようなことをして、けれど無事に帰ってきて体面を悪くされたことでもあるんじゃないかって考えたんです」

 達也は姫子の母親をまっすぐ見つめながら言った。

「赤井君は鋭いのね。お恥ずかしながらあなたの言う通りよ。と言っても姫子が中学生の時ぐらいまでの話よ。あの子は普段、門限とかをきちんと守る子なんだけど、たまにすごく、こっちが何かあったんじゃないかと心配になるほど遅れて帰ってきたり、あと中学の時に二回程、私達に無断で友達の家に泊まったりしたこともあったのよ。叱ると反省した素振りを見せるんだけど、今度もまたいなくなってしまったのよ。本当にどこにいるのやら。遠野君達がここまで来ちゃうぐらい心配されてるっていうのにね」

 姫子の母親はため息を吐いた。どうやら姫子の母親は彼女が何かの事件に巻き込まれたのではなく、自発的に姿を消したのだと考えているようだった。











「姫子の部屋はニ階にあるの。私があの子の部屋を探した限りじゃ特に行き先がわかるようなものはなかったけれど、見たいっていうのならせっかくここまで来てくれたんだし見せてあげるわ。女の子の部屋だしあまり漁って欲しくはないけれど、あなた達を信じるわ。遠野君達に見られたくないものがあったとしても、いなくなった姫子が悪いんだし」

 姫子の部屋に何か手掛かりがあるかもしれないから見せて欲しいという旨を達也が告げると、姫子の母親は彼女の部屋へと案内してくれた。姫子の母親の後ろから達也と久志はニ階にあるという彼女の部屋へと通じる階段を登った。

「そこじゃないわ。姫子の部屋はもう一つ奥よ」

 階段を上がってすぐのところにあったドアのドアノブに手を掛けようとした達也に、姫子の母親は言った。

「ここは何の部屋なんですか?」

 達也は尋ねる。

「ここは帝(みかど)――姫子の兄の部屋よ。今は大学に通うために一人暮らししていてここには住んでいないんだけどね。姫子の部屋はこっち」

 姫子の母親はそう言ってもう一つ隣にある部屋のドアを開けた。

 姫子の部屋はアイボリー色を基調とした、全体的に光のような温かみのある部屋だった。アイボリー色の絨毯が敷いてあるその部屋にはベッドに学習机、本棚にたんす、そして部屋の隅の壁に、白色の折りたたみ式の小さなテーブルが脚を折られた状態で立てかけられていた。ベッドの上には一体の白いうさぎのぬいぐるみが、ベッドサイド辺りにはベージュの座布団代わりにするであろうクッションが三つほど重ねて置いてあった。

「姫子さんらしくて可愛らしい部屋ですね。姫子さんは白色が好きなのかシャープペンや小物も白やそれに類似したアイボリー色やベージュ系で統一していますよね」

 姫子の部屋を一通り見回した久志はそう口にした。

「そうね。なるべく部屋の調度品は姫子の希望を聞いて揃えたし、あの子自身が買った物もあるわね。姫子のことをよく見ていたのね、遠野君は」

「一応姫子さんとお付き合いさせてもらっていますから」

「そのわりに赤井君ばかり姫子について尋ねてきたから、あなたは実はそれほどあの子に関心がないんじゃないかって思っちゃった」

「……達也に発言させていたのはその方が円滑に物事が進むんじゃないかと思ったからです。彼は僕よりもこういうことに関してはずっと冴えているので」

「あの、部屋の物、触ったりしていいですか?」

 微笑みながら会話する久志と姫子の母親に向かって達也は訊いた。

「良識の範囲内ならどこをいじってくれても構わないわ。部屋を見ただけじゃどうしようもないでしょうし、私が何も手掛かりになるようなものはなかったって言っても納得しないでしょう」

「ありがとうございます」

 達也は礼を告げると、姫子の学習机に近づいた。姫子の学習机は木製で、机自体に教科書類が収納できる本棚が付いていているフォーマルなものだった。達也はその学習机の本棚にある物を引き出し、確認していく。高校の教科書にノート、参考書等の勉強用具にプリクラが貼ってある手帳、さらに数枚、今流行りの歌手やグループアーティストのCDがそこにはあった。

 手帳類を漁っていくと、達也はA5サイズのおこづかい帳と白っぽい茶色の革張りのアドレス帳を見つけた。アドレス帳の方は何年も使い続けているものなのか、少し黒ずんでいた。

「何かめぼしい物でも見つかったかい?」

 後ろから久志が達也の方を覗き込んできた。

「いや、まだだが。とりあえずお前はこっちを見てくれ」

 達也はおこづかい帳の方を久志に渡し、彼自身はアドレス帳の方を開いた。アドレス帳には姫子の母親、父親、兄と家族の名前と携帯電話やスマートフォンのだと思われる電話番号とメールアドレスから始まり、その後に続く友達や知り合いだと思われる人間のには電話番号とメールアドレスだけでなく、住所欄も、シャープペンによって手書きで記入されていた。全体的に綺麗ながらも細長いこの筆跡はおそらく姫子自身のものだろう。

「姫子は昔から友達のアドレスとかをきちんとアドレス帳に記入していく子なの。携帯やスマートフォンを持つようになってからも。ちなみにそこに記されている子達には全員連絡したけど、誰も姫子の行方を知らなかったわ」

 ドア付近に立ったまま達也と久志の様子を見守っていた姫子の母親がそう口を挟んだ。

「連絡したのはここに記載されている姫子さん友達だけですか? 一人暮らしされているお兄さんには尋ねてみましたか?」

 達也はアドレス帳から顔を上げ振り返り、姫子の母へと質問した。

「もちろんよ。けれど来てないって言ってたわ」

「そうですか……」

 もう一度だけ最初の書き出しのページを見て、達也はアドレス帳を閉じた。

「そっちはどうだ?」

「おこづかい帳みたいできちんと記入してあるけど、雑貨だとかわりとアバウトな感じに書いてあるし、特にこれといって姫子の行方を知る手掛かりになるような記載はないよ」

おこづかい帳を達也の方へ久志は遣った。渡されたおこづかい帳を達也も見てみたが久志の言う通り、手掛かりになりそうな記述は何もなかった。

「姫子さん自身のお金ってここに記載されている金額で全部ですか?」

 達也は再び姫子の母親の方へ首を捻り、尋ねた。

「いいえ。私達親からあげたおこづかいやお年玉以外に、姫子がお祝いとかで祖父母や親戚からもらったりしたお金は全てあの子の将来のために銀行へ預けてあるわ。でも通帳は私が管理しているし、パスワードも秘密にして、今はまだ姫子には引き落とせないようにしてあるの。だから、姫子が自分で使えるお金は、赤井君達が今見てるおこづかい帳に記してある金額だけだと思うわ」

 姫子の母親の返事を聞いた達也は最新のおこづかい合計額の記入を再び見た。一万数千円ある手持ちの貯金は、おこづかい帳に記載されている月々のおこづかい三千円と両親からのお年玉一万円だけでやりくりしているなら、かなり貯めている方だと言えた。

 達也と久志はアドレス帳とおこづかい帳を元の場所に戻した後、学習机の引き出しや、本棚、ベッド等を見たが、めぼしい物を発見することはできなかった。ただ姫子が機能性よりも可愛いくデザイン性の良い物を選ぶ傾向にあることと、話題になっている少女漫画や恋愛小説を中心に集めているという本人の嗜好がわかっただけであった。












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