第玖話 delayed brain

 午後三時半。

 駅前のビルの連なりは、未だ高い太陽の光を受けて、ぎらぎらと輝く。

 夏。F県波夏多はかた市の、夏。

「あづいねぇ……」

 七月になった。夏休みももう一ヶ月足らずでやってくる。間近に迫った期末試験のことを考えつつ、弥生と葉月は処凛を待つ。じわりと全身を覆う熱気。学校から駅へ歩いただけでも十分に汗ばむ季節。額の雫を、拭う。

「処凛さん、遅いね」

「いつもいろいろ忙しそうだしね~。だらだらする時間とかなさそう」

「漫画も読まないって言ってたしね……」

 弥生はぼんやりと交差点の往来を眺める。忙しそうな早足のサラリーマン、どこか苛立ちの伺える大学生、制服姿の中学生の群れ。忙しなく、いつも通り、流れてゆく人波。

 ああ、何気ない日常だ、としみじみ思う。


「――?」


 そしてその視線は、その交差点の真ん中に、ぽつりと佇む人影を捉える。

 佇む?

 交差点は通過する場所で、立ち止まるような場所じゃない。その違和に、目を凝らす。


 そこにいたのは、ぼんやりとどこか虚空を見つめる、気怠げな少女。制服姿で、両手を桃色のカーディガンのポケットに突っ込んで、煙草を咥えて――

「あ」

 目が合った。彼女の前を次々と人間が横切っては、彼女は見えなくなって、過ぎ去ればまた同じ場所に彼女は現れて、そして、彼女は、

「あ……れ……?」

 視界がぼんやりとする――いや違う。焦点が定まらない? 何故だろう。彼女の姿が正確に捉えられない。蜃気楼か、陽炎か――ゆらゆらと、それは、――言うなれば、

 透明――?

「んん……?」

 透けている。彼女の姿が、確かに透けている――ように、弥生には見えた。

 ふっと、彼女が笑いかけてきたような気がして、次の瞬間には、消えていた。

 幻?


「弥生ちゃん? どうしたの?」

「ん……あ、いや、なんでもない……」

「?」

 ああ、きっと幻だったのだ。弥生はそんな風に納得して、葉月の方へ振り返る。彼女の背後に小さく見える、見慣れた制服姿。

「あ、きたきた。お~い!」

 弥生のその声で、処凛は二人に気づき、合流する。

「ごめんなさい、遅くなってしまって」

「ううん、大丈夫だよ~」

「先に行ってもらえばよかったかしら。私は走っていけば多分電車より早く着くし……」

「う~ん。改めて考えると激ヤバいよねそれ」

「葉月さんも多分、出来ると思うけれど」「ええ……」

 三人は仲睦まじく、改札を抜ける。


     ■


「あれが、中尾真由美の通う高校よ」

 鈍行列車で一時間ほど揺られ、降り立った狗瑠眼くるめ駅からさらにバスで十分ほど。ようやく辿り着いた目的地、狗瑠眼西高校。

 電車の中では弥生、葉月はそれぞれなんとなくテスト勉強を行い、処凛はF県における、ここ数年で起きたナンバーガールが関わっていそうな事件の絞り込みをしていた。調査の結果、連続性を持った大きな事件は今回の発狂事件程度で、それ以外には特にぱっと目を引くような類のものはなかった。しかし中にはいくつか、犯人の判明がなされていないもの、動機の不明瞭なものなどもあり、それらにはチェックを付けさらに詳しく調べていくのであった。そして何より、不可思議な事件――これこそが最も、その関連を大きく疑わせるものなのだった。


 少し離れた場所から、三人は調査対象の通う学校の校門を確認する。

「……弥生ちゃん?」

「……何を、しているの?」

「何じゃないよ! ほら、二人とも電柱とか茂みとかに隠れないと!」

 ひとり、謎にハットを被り、電柱の影に身を潜める弥生。やっぱりちょっと楽しんでいるなぁ、と葉月。

「ほら、葉月ちゃんも!」

「…………」

 その無邪気な笑顔に、思わず照れてしまう葉月。赤面しながら、弥生を真似て心持ち電柱に身を寄せる。何をしているのか把握できず、無感情でそれを眺める処凛。

「あ、ここの高校は女子もネクタイなんだねぇ。なんか新鮮」

 ぽつぽつと、まばらに下校していく生徒たち。弥生たちと同じ公立高校であり、時間割りもほとんど同じだということは処凛の調査によって判明していた。

「その真由美って子が、まだ学校に残ってたらラッキーだけど」

「そうね」

「しばらく、張りますか?」

 校門と道路を挟んだ向かいにある公共施設の花壇に腰かけ、三人は校門から流れてくる高校生たちを目で追う。

「あついねぇ」

「そうね」

「処凛さんってそういうの全然顔に出さないよね」

「……それは、どういう意味?」

「う~ん、いつも気を張ってる? というか」

「…………――――だってそれは」

 私には使命があるから――。眉をひそめ、処凛は改めて父の遺言を思い返す。

「ほら、また難しい顔してる」

「え……?」

 気づけば、自分の顔を覗き込む弥生。心配そうに、でもどこか陽気に、そのあどけない表情は――

「もう少し気楽にしても、いいんじゃない?」

「――そうは言っても」

「だって、私たち、女子高生!」

「……はい?」

「女子高生は、よく学び、よく遊び、よく笑うべきなのです」

「……」

「処凛さんは、よく学んでしかいませんね?」

「……馬鹿に、しているの?」

「違う~!」

 そう言って膨れて、弥生は処凛の頬へ両手を伸ばす。ぐに、と唇の両端をつまみ上げる。

「よく笑うと、もっといいと思います」

 じっと、大きなふたつの瞳が、処凛を捉えて離さない。

「あ、あなたはもっとよく学んだ方がいいと思うとかってツッコミは心イタイから禁止ね」

 むにむにと、弥生は処凛の頬で遊ぶ。校門から目を逸らさず、真顔で遊ばれる処凛。

「……その、手を、離してもらえるかしら」

「むう、仕方ない。今回のところは釈放です」

 どう対応していいか分からない処凛。実際のところ、幼い頃から武道と勉強に一筋で、超が付くほどの真面目な性格をしていた処凛は、思春期のありふれた交遊関係に疎かった。大切なことだからと教わった武術や学問、育ててくれた岸田家への恩義、そしてその使命が、失われたはずの家族との絆が、より一層彼女を、気高い孤高に向かわせたのである。

 弥生も、処凛も、葉月も、それぞれ違った交友関係、生活、趣味、意見を持ちながらも、その芯には通底するものがあった。――ぼんやりとした、しかし決定的な、孤独感。明確に気づいている者もいれば、なんとなく分かっているような者もいて、そして、そんなもの自分は抱えてすらいないと思っている者もいて――。

 しかし、だからこそ、この三人でいるのは、他の友人たちといる時とは違うのかもしれない。どこか安心感を覚える所以なのかもしれない。弥生はそんな風に思う。


「――どうやら私たち、運がよかったようね」

 張り込みに飽き始めた弥生が携帯電話をいじり出した頃、校門を見据えた処凛が口を開いた。

「ん?」

「あれが、中尾真由美よ」

「――え? どれどれ!?」

 弥生と葉月は処凛が指すその方向に目をやる。見えたのは、縮こまるように背中を丸め、ぽつり俯いて歩く眼鏡の少女。黒い薄手のパーカーを羽織っている。

「あ……――――」

 弥生はほとんど直感的に、遠く伺える彼女が抱く、何かしらの悲しみを感じ取った。それは全くの錯覚であるかもしれなかったが、何故だかぎゅっと、胸が締めつけられた。

「追ってみましょうか」

「……え?」

 閉口する弥生と、葉月にかけられる言葉。

「家は一応判明しているのだけれど、何か手がかりになるものがあればと思うし」

「……もう所在地も割れてるの? 処凛さんほんと何者……」

「行きましょう」


 一定の距離を取りながら、三人は真由美の後を追う。先程まで率先して先頭を歩いていた弥生は、どこか気の抜けたように、ゆっくりと処凛と葉月の背中を追う。


「あ、お店に入るね」

 しばらく追跡して、三人と真由美は信号に隔てられる。尾行されていることなど知りもしない少女はずんずんと歩いていき、そして。

「本屋ですね」

「……しばらく外で待ちましょうか」

 横断歩道を渡り、本屋の前で立ち止まる三人。弥生と葉月に至っては、なんとなく期末試験前の貴重な時間を無駄にしているかもしれないなんていう想いに後ろ髪を引かれつつ、処凛の言葉に従って、駐車場の石垣に適当に腰掛ける。

「う~ん…………」

 腕を組み、独り考え込む弥生。

 いじめ、亡くなった母親、新しい家族、彼女に感じたその影は――――

「弥生ちゃん? さっきから妙に静かだけど、大丈夫?」

 沈黙、そして、思いついた弥生が声を上げる。

「……ねえ、私、真由美ちゃんに声かけてくる」

「え……?」

 ぱっと表情を切り替えて、勢いよく立ち上がり、二人に向き合って弥生は言う。

「いっそ仲良くなっちゃえばいいんだよ! そしてもし彼女がナンバーガールだったら処凛さんが話をすればいいし、例の事件ともナンバーガールとも無関係だったらそのまま友達! どう? この作戦」

「……なるほど」

 それは、今後事実を確実に掴み切るために実際の接触も視野に入れていた処凛にとって、全くなかった視点だった。

「どう? 処凛さん」

「いいんじゃないかしら。ただ、もし能力者だった場合には、あなたの身にも危険が降りかかるかもしれないということは、重々承知しておいて」

「分かってる! よし、じゃあ、行ってくる!」

 そう言って、弥生は颯爽と本屋に消えた。

「……とは言ったものの、どうやって接触するのか……」

「弥生ちゃんなら、大丈夫です」

 葉月が自信ありげに、処凛に言う。

「――そうね」


     ■


「……とは言ったものの……」

 書店内の本棚の影から、真由美を覗く少女。店員の中年男性が訝しげな目を向ける。

 漫画の単行本コーナーで、並べられた本を手に取っては戻す真由美を、じっと見つめるは、弥生。

 どのように声をかけようか、と弥生は悩む。勢いで飛び出したものの、具体的なことは何も考えていなかった。


 ――でも、なんだか、放っておけない気がしたから。

 その両肩に圧し掛かる孤独を、感じ取った気がするから。


「……よし」

 弥生は一歩を踏み出す。緊張の面持ちで、何気なさを装って、真由美の隣へ歩み寄る。

「…………」

 来ちゃったけど、何も思いつかない。なんて声をかけたらいい、急げ、早くしないと行っちゃうかもしれない――

「あの!」

「……?」

 怪訝そうな顔で、真由美が振り向く。睨み付けるような目。予想以上にきついその目力に、思わず弥生はたじろぐ。

「う……あ、えっと……」

「何ですか?」

 小さい声で真由美は呟く。その言葉に込められた殺気にも近い、他人を寄せ付けない意志の強さに、弥生はその奥にある何かを感じずにはいられなかった。

「えっと、その」

 嫌な静寂が流れる。

 これまで、初対面の人間でも話しかければ親しげな返事が返ってくるようなタイプだった弥生にとって、そのはっきりとした拒絶の態度は、十分に衝撃だった。

 後ろでひとつ縛りにした髪。どことなく影を落とした顔つき。明るく笑えばきっと可愛らしいはずなのに、と弥生は思う。小柄な体つきだが、どこか全身に色気を漂わせているかのような、そんな独特の空気を纏っていた。

 先程までの勢いも失って、尻込みしてしまう。今回は失敗か、そう諦めかけた時――――


「あ…………」

 弥生は、彼女がずっと手に持ったままの漫画に気づく。

 それは、彼女が先日葉月に貸した、クラスメイトたちにもずっとオススメしてきた、大好きな漫画。その第四巻、発売されたばかりの最終巻だった。

「ねぇ――! その漫画、好きなの?」

 自然と言葉が出た。真由美が少しだけ、驚いたように目を見開く。

「あ……いきなりごめんなさい、その漫画、読んでる人全然いないからつい……」

 真由美は左手に持つ漫画に視線を落とす。再び顔を上げ、弥生を見る。

 弥生よりすこし低い身長。上目遣いのような視線の高さから、彼女をじっと見つめる真由美。

「その制服って、狗瑠眼西?」

 弥生は、処凛から知らされていた高校名をさりげなく尋ねる。ここで会話を繋げなければ。

「…………」

「ネクタイって珍しいよね」

「…………」

「あー…………っと」

 一言も言葉を発さない真由美。焦る弥生。ああ、えっと、その――――


「三巻の主人公覚醒シーン超泣けるよね」


 頭が真っ白になった弥生が、間抜けにも発した何気ない一言。


「…………うん」


 その一言に、中尾真由美は、返事をした。


     ■


「あ、弥生ちゃんからメール」

「……物陰にいて?」

 真意も分からず唐突に届いたメールに、とりあえず従う処凛と葉月。本屋の駐車場の端に停まっている車の陰に身を隠す。

「まさか――弥生さん、何か……」持ってきていた竹刀ケースをぎゅっと握る処凛。

「あっ、来ました……」葉月が小さな声で書店の入り口を指差す。


「――!?」処凛が目を見張る。目線の先には、ぎこちなくも会話しながら店を後にする、制服姿の二人の少女――弥生と真由美。

「弥生ちゃん、スゴイ……」葉月が小さく感嘆を漏らす。

 常に真っ直ぐ前を見据えて歩く真由美、それに声をかけ続ける弥生。真由美は真顔ながら、決して迷惑そうではなく、時折弥生に向けて返事を返している様が見て取れる。

 そのまま通りの交差点に向かって歩いていく弥生と真由美。その二人を少し後ろから追いかける処凛と葉月。

 一度弥生が、ちらりと背後を伺った。二人に気づくと、真由美の背負うリュックの陰で、小さく親指を突き立てた。

「成功……みたいだね……」


 しばらく歩いて、小道に入っていく真由美を見送る弥生。小さく手を振って微笑む。

 真由美が見えなくなったのを確認して、後をつけていた処凛と葉月の方を向く。

 びしぃ、と右手を差し伸ばし親指を突き立てる。駆け寄る葉月。

「すごい! もうあんな風に関われるなんて」

「SPACE GIRL!」

「え?」

「あの子も好きだった!」

「ああ……! なるほど」

 疑問符を浮かべる処凛に構わず、大きく頷き合う二人。処凛が尋ねれば、

「ほら、この前葉月ちゃんと話してた漫画のこと!」

「ああ、なるほど……」

「たまたまその最終巻を手に持ってて、ほんとすごい偶然!」

「連絡先の交換は?」

「え……?」

「していないの……?」

 処凛が溜息をつく。「もしかしてそういうの必要だった?」と弥生。

「まあでも、接点を作れたことだし、最後に彼女の自宅を確認して今日は帰りましょうか。お疲れさま」


     ■


 一人になった帰路を、静かに歩いていく真由美。

 並木の通りは、その緑を目いっぱい広げ、橙色の木漏れ陽がさらさらと泳ぐ。

 久しぶりに、敵意のない、悪意のない人間と関わったような気がする。

 本当に、久しぶりに……。

「弥生……」

 彼女はそう名乗った。あの制服は、どこの学校だろう。

 まさか、あの漫画の話ができる人がいるなんて思ってもいなかった。

 そもそも、好きな漫画の話を誰かとしたことなんて……。

 話を聞くに、随分と漫画には詳しいみたいで、今までそういう人と関われたこともなくて……

 ――違う、それだけじゃない。何故か、何故か彼女は、他の人とは違った気がしたんだ。

 何が? それは、分からないけれど……――

『また話そうね』――彼女はどこまでも無邪気に、そう言った。

 約束? それは約束? 約束だなんて、そんなものはもうずっと――


「気を付けてね。人間はその裏側に、何を隠しているか分からないんだから」


 右肩で声がする。その言葉に、真由美の表情は影を作る。

「……分かってるよ、ゴン」

「ボクは、ボクだけは、君の味方だからね」


      ■[about 6 months ago]


「マユミ~」

 真由美の椅子に、ガンガンと振動が加わる。軸足を蹴り入れるのは、女子生徒。

「暇だからアンタいじめていい?」

 道理の通らない言葉を、彼女は笑いながら言う。クスクスと笑う取り巻き。傍観を決め込むクラスメイト。

 真由美は返事も返さず、次の授業の支度をする。

「シカトすんなよ」

 女子生徒がドスの利いた声で呟く。派手に着崩した制服や色の抜けた髪が、真由美を威圧する。

 しかし真由美はやはり、無反応を貫く。

「あー、そういえばあたし次の授業の教科書忘れちゃったんだよね~。マユミ、貸してよ」

 真由美の反応に構わず、女子生徒は、真由美の机に出された教科書とノートを床に向けて手で投げ払った。

「あっ、ごっめ~ん! 手がすべっちゃったぁ!」

 ゲラゲラと下品に笑う彼女。

 真由美は、右手に持ったボールベンを逆手でぐっと握り直し、右方向――茶髪の彼女目がけて水平に薙ぐ。

「――ッ!?」

 伸びてきた腕に女子生徒はとっさに一歩下がったが、左手の親指はペン先に抉られた。

「いっ……てぇ! ハァ!? てめぇ何してんだよ!」

 左手を抑えて激しい剣幕を見せるクラスメイトを、真由美は黙って睨みつける。その形相もまた、怒りを露わにしていた。

 教室が静まり返る。

「反抗されないとでも思ってた?」

 静寂に、真由美の低い声が響く。

「てめぇ……調子乗ってんじゃねぇぞ!」


     ■


 放課後。昼間の騒動に逆上した女子生徒は、帰宅しようとする真由美を強引に体育器具室へ連れ出した。

「最近調子乗ってるからシメる」

 二人の男子生徒と、二人の女子生徒が真由美を囲む。真由美は黙ったまま、四人を睨みつける。


 真由美が彼女らに目を付けられたのは、入学してしばらくしてのことだった。寡黙な真由美はそもそもあまりクラスに馴染むタイプではなかったが、その無愛想さを気に入らなかった男女のグループが、彼女をからかうようになった。そのグループはクラスでも大きな発言権を持つ――正確にはそのたちの悪さから、みな賛同せざるを得ないような厄介な存在だった。

 学校全体にも素行の悪い生徒がそこそこいる真由美の高校では、いじめなども深刻な問題となっており、真由美の入学する数年前にはいじめによる自殺者も出ているほどだった。

「とりあえずさぁ、どうする」

「んー、アンタたちがテキトーにトラウマでも与えたら」

 感情だけで動く無計画な彼女らが話し合う。

「……犯す?」「マジで言ってるわけ?」「あーじゃあそれでいいわ」「やだよ俺牢屋入りたくねぇよ」「ほらよくあんじゃん写真撮って脅すやつ、あれでいけんべ」「あーエロ漫画のやつ?」「じゃあアンタたちがそれしたらあたしともヤラせてあげるよ」「え、それマジで?」「うん」「やる! やるやる!」「先にマユミね」「あー……」「ま、でもこいつ胸でけーしいんじゃね」「確かに」「よく見たら顔も悪くない?」

「じゃ、あたしたち駅前のカラオケいるから、終わったら来て」

「やったらほんとにヤラせてくれるんだろーな」

「うん、いいよ」

 女子生徒二人はその場を後にする。薄暗い体育器具室には男二人と、逃げ出す隙を伺う真由美。

 強姦? 何考えてんのこいつら、本当に頭の弱いクズね――

 思い切って駆け出そうとする。

「おっと」しかしそれは力の強い彼らに容易く遮られてしまった。


「さて、まぁ、やれって言うし」

「なんだかんだ俺らも溜まってるしな」

 ――ちょっと、嘘でしょ? 倫理感の欠片もないわけ? 本当に?

「――ッ!」

 男の手が真由美の肩を掴む。「触らないで――!」真由美は声を上げ抵抗する。

「まぁまあ、優しくするから……さッ!」

 ぐい、と両肩を強く押され壁に背中がつく。抵抗ができない。両手の空いたもう一人の男がブラウスに手をかける。

「――ッ! やめて!」

「うっせーよ」男は真由美の頬を平手打ちした。

 先程のニヤついた表情は冷酷に切り替わり、いやらしい手つきが身体を這う。

「っチ――ボタン面倒くせぇ!」ブラウスが勢いよく引っ張られる。

「ひょーデケー。やっぱ前々から思ってたけどこいつエロい身体してるよな」

「しゃー、んじゃ、ヤリますかぁ」

「――ッ、こんなことして! ただで済むと思ってんの!」

「あ? 黙れよ」

 みぞおちに、両肩を押さえつける男の膝がめり込む。

「――ッぐ」

「反抗すんじゃねーよ」


「……ね」

「あ?」

 俯いた真由美が、聞こえるか聞こえないかぎりぎりの声量で、何かを呟いた。

「――ね」

「あ? なんだよ」

「死ね」

「死ね?」

「死ね!!!!!」

 死ね、消えろ、失せろ、もう限界だ、何もかも、世界中、どいつもこいつも、クズ、ゴミ、全部消えろ、全員死ね、死ね、狂え、狂え、狂え、狂え狂え狂え狂え狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂!!!!!!!!!!!!


「――痛っ、あ、いてぇ、いて、う、あ、なんだこれ……」

 その時、目の前に迫った男子生徒の一人が、頭を抱えうずくまった。膝をつき、項垂れる。

「いてぇいてぇいてぇなんだこれ……ア、あ、阿……」

「お、おいリョウジ……どうしたんだよ」

 その異変に、真由美を抑え込んでいた男子生徒が拘束を緩め、うずくまる彼に近寄る。

「あ……ア……阿亜吾あ唖亞ァ亜ァああ阿」

 彼は友人が差し伸べた手を叩き払い、次第にがくがくと震え始める。

「ちょ……おい、リョウジ! おい!」

「くる、くるくるくるくるくる狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂!!!!」

 歯をガチガチと打ち鳴らし、少年の瞳孔は大きく開かれる。全身が波打つように大きく跳ね、だらしなく涎が滴る。


 狂え、狂え狂え狂え!

 真由美は無我夢中で、その言葉を脳内で何度も何度も繰り返す。

 全身が熱い。鼓動がどんどん早くなっていく。その拍動を感じる。

 キィィ、と耳鳴りがする。構わない。こいつを、こいつらを――――


「ア、ア、アアア、心臓は……ウ宇宙のの……でででで電波に……あ阿あアルみホゐルが……六角、ロロろロッカク」

 のたうち回る、リョウジと呼ばれた男子生徒。その姿を見て狼狽うろたえるもう一人の男子生徒は、訳も分からず真由美に向かって吠える。

「おい中尾! てめぇ今リョウジになんかしたか!」

 リョウジを睨み付けたままの真由美は、その声すらも聞こえない。

「あひ、ヒ、ひゃ、ぎ、ぎぎぎぎ……毒、アるミ、くる、ぐる、ぐるぐるぐる、狂!!!!!!!!」

 狂ったように頭を掻き毟り、叫び声を上げながら、リョウジは駆け出した。しかしすぐに転んでは、また呻くを繰り返す。

「あっ! リョウジ! ……おい! 中尾! 中尾ォ!」

 返事をしない真由美に、ほとんど混乱したその男子生徒は詰め寄る。

「お前がなんかしたのかって訊いてんだよ! おい! おい!」

 ほとんど焦りながら、真由美に向かって言葉を投げる。

「おい! 訊いてんのか!」

 胸倉を強引に掴まれる真由美。しかし真由美は一種のトランス状態のように、ブツブツと何かを呟き続ける。目の間で喚く男子生徒を気にも留めず、その視線はリョウジに向かっている。

「おい、てめ……ッ! こっち見やがれ!」

 男子生徒が真由美の頬を掴み、目を合わせるように強引に顔を動かす。

「……ッ!」

 目が合う二人。瞬間、男子生徒は恐怖した。どろりと濁った瞳。そしてぽつりと発される言葉。

「お前も……お前も、」

 目の前で戦慄する男子生徒に向けて、真由美はゆっくりと右手をかざす。


 ――お前も、お前も……狂ってしまえ!!!!!


 渦巻く憎悪の塊をぶつけるように、真由美は眉間に皺を寄せ、強く念じる。

 狂え、狂え、狂え狂え狂え狂え狂え!!!!!!!!!

「あ……いてっ、なんだよ、何だよこれ……おおおおおままままままえええええええ」

 男子生徒が真由美の胸倉から手を離す。それはほとんだ脱力だった。やがて震え出す。崩れ落ちるように膝をつき、地面を這い回る。

「いてぇ、いてぇ、やめろ、やめろ、……なっ、なんだよこれ……」

 慌てながらきょろきょろと辺りを見回す。眼球が忙しなく右往左往する。

「あっ、やめろ! ああ!」

 彼はやがてがりがりと全身を掻き毟るように、或いは何かを払い落とすように、両手を振り回し暴れ出す。

「入ってくるな、ああ! やめろ! 離れろ! 来るな! 来るなぁぁぁぁぁぁぁあああああああああ亜阿ア…………唖ァああああああああああああああああ」

 何かに恐れるように虚空を凝視する。血走った眼。ガクガクとなおも震えながら、見えない何かから逃げるようにもつれた足で駆け出す。体育器具室の扉を乱暴に開き、堰を切ったかのように飛び出す二人。


 錯乱したふたつの叫び声が遠ざかり、やってきた静寂。


 そして中尾真由美は、我に返る。


 ――今、何が起きた?


 荒くなった呼吸。上下する両肩。


 ――私が、何かした?


 右の手に、視線を落とす。

 嫌な耳鳴りが続く。しばらく立ち尽くして、無我夢中だった先程の数分間を、思い出す。


 私を犯そうとした男たちが……狂った?


 その手に残るのは、他人に影響を及ぼしたのだという確かな実感。


 夕暮れが世界を染める。渦巻く感情。力、狂気、破壊衝動。

 どこかでカラスが鳴いた。

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NUMBER SIX NUMBER GIRL 蒼舵 @aokaji_soda

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