第16話;雪の妖精

 時間の流れは早く、いつの間にか体育祭が終わり、文化祭も終了した。体育祭では棒倒しの守備で活躍し、文化祭では…何故か女装をさせられた。…細かい話はしたくない。忌々しい過去でもあり、この物語とは全く無縁な話である。橋本が、化粧道具片手に魔女の犬歯を見せながら、楽しそうに僕の顔を弄んだ事に腹が立った。それだけ言っておこう。

 勉強会は続いたものの、冒険の数は減った。妖精の挨拶が減った事、深川さんの介入が増えた事が原因だ。最近の冒険先は、繁華街やマンションの敷地に変わりつつあった。


 更に時間は流れ、修学旅行の準備に忙しくなった。旅先はスキー場だ。父親の時代は奈良や京都、広島などを辿る旅をしたと言い、時期は、3年生の頃だったらしい。僕らの時代は多種多様だ。1年生の間に修学旅行を済ませる高校もあれば、旅行先が海外と言う高校もある。もはや習慣すらない。時代が変わると、常識や習慣すら変わってしまうものなのだ。


「お?俺達、同じ班だな?」


 ホームルームでスケジュールを組む。班分けで白江と同じになった。食事をするのもスキーをするのも、部屋での就寝も…常に行動を共にしなければならない。クラスの男子を二分割しただけなので50%の確率なのだけど、衝撃的だった。彼はあの日以来、悪魔召喚に夢中だ。例の机は、人知れず増殖している事だろう。彼が、旅行中に何か仕出かすのではないかと心配になる。あり得る話だ。


「楽しみだね!修学旅行。井上君はスキー出来るの?」


 会話に橋本が混じる。体育祭、文化祭を通して、僕はクラスの和に馴染むようになっていた。橋本とも普通に話す。但し、超能力や幻想生物の話題は厳禁だ。

 スキーの経験はない。白江も橋本もそうだ。僕らの地域に雪は降らない。スケートの経験はあるにしろ、スキーの経験は皆無だ。多分、クラスメイトの殆どがそんな感じだろう。初心者ばかりがスキーの実習を行うのである。それも修学をする旅でだ。




 週末が訪れ、勉強会が開かれた。最近はドラゴンやミノタウロス、ジャイアントなどの、巨漢で凶暴なモンスターばかりを勉強している。小百合ちゃんは怖がったり、退屈がったりだ。それを知りながらも僕は夢中になった。この時ばかりは、訂正ノートで初めて知った事実を素直に受け止め、興奮していた。

 この種の幻想生物の勉強は、僕が勧めた訳ではない。順番が巡ってきただけだ。本は、カテゴリー別に幻想生物を紹介している。最初は幻想生物に関する概要。表や年表などと共に、専門的な事が書かれている。次に神話や伝承。この辺までは余り目を通していない。内容が難し過ぎるのだ。続いてドラキュラや狼男、フランケンシュタインなどの、近年に誕生した幻想生物の紹介に至る。小百合ちゃんの母親が、架空の存在とする生物ばかりだ。次に妖精、妖怪と続いて今に至る。このカテゴリーが終わると神話の話に戻り、ペガサスやメドゥーサ、オーディンなどが紹介される。母親が、存在に首をかしげる生物達だ。最後には聖書などの紹介と共に、天使と悪魔の紹介で幕を閉じる。勢力図や、年表などが書かれている。

 まだまだ先かも知れないけれど、それでも遠くない内に本は読み終えてしまう。同時に勉強会も、終わりを迎えるかも知れない。だからどうしても、小百合ちゃんの気が進まないこのカテゴリーを飛ばす訳にはいかなかった。出来ない話術を使って、彼女の関心を引き出そうと努力していた。


「ねぇ、お兄ちゃん。スキーに行くんでしょ?」


 誰から聞いたのか、彼女は修学旅行に行く事を知っていた。小百合ちゃんにスキーの経験はない。幼いからではなく、母親の事情で遠出の旅行や寒い地域には行けないのだ。

 彼女がスキーの話を持ち出したのは、雪に関心があったからだ。


「雪の妖精って…いるのかな?」


 彼女が久しぶりに笑う。嬉しい事だけど僕は落ち込んだ。このカテゴリーがよほど退屈なのだろう…。もっと話術を鍛えなければならない。


 雪の妖怪なら聞いた事がある。雪女、雪ん子…。UMAでは雪男やイエティだ。でも確かに、雪の妖精とは聞いた事がない。本にも記述がなかったはずだ。そして驚く事に、彼女の母親ですら心当たりがないと言う。全ての妖精を知っている訳でもないだろうけど、僕にとっては驚きだった。


「本当だね。雪の妖精って、聞いた事ないね?」


 答えではなく、素朴な疑問を返す。僕自身も気になり始めた。


「分かった。お兄ちゃんが調べてみる。」


 その返事に、小百合ちゃんは笑顔で頷いた。そして勉強会は再開されると同時に、再び黙り込んだ。


(………。)


 話術のスキルアップは、急を要する。




「雪の妖精?」


 次の日、白江に同じ質問を投げ掛けた。


「雪…。雪の妖精…?聞いた事ないかも…。」


 その返事も意外だった。彼は魔術専門であるが、オカルト全般に深い関心と知識を持っているのだ。


「何?雪の妖精を召喚したいの?雪でも降らせて、スキーの練習とか?お前ん家の裏にある山で?」

「…まぁ、そんなところだ。そう思ってもらって構わない。」


 白江は、何でもオカルト話へと移行させる癖がある。嘘の返事をし、彼も彼で返事をまともに受け取らなかった。


「了解。調べてやるよ。」

「ありがと。」


 彼はこれまでに購入したオカルト雑誌を、全て保管していると言う。いつから集め始めたか知らないけど、相当な量を所有しているはずだ。オカルト仲間にも妖精に詳しい人がいるかも知れない。

 少しでも情報が欲しかった。それで1回分の勉強会が稼げるなら、今のカテゴリーも続けられる。良い生き抜きになるはずだ。そうでないと、勉強会の終わりが早まってしまう。




 2週間後、白江の家に出向く事にした。報告をくれない彼に苛立ったところ、本の数が大過ぎて調べ切れないと言うのだ。部屋にお邪魔するのは気が引ける。見てはいけない物を、数多く見てしまう気がするのだ。入ったら最後、抜け出せないかも知れない。

 白江は、僕が住む地域よりも緑が多く、田んぼや畑も拝める場所に住んでいた。2階建ての一軒家で庭もあり、かなり広々とした家だ。しかし庭は盆栽や木で茂っており、人が歩き回れる余裕がなかった。祖母の趣味でそうなったらしい。2階のベランダには、これまた足の置き場に困る程の野菜が育っていた。母親の趣味だそうだ。書斎もあり、そこに集めた本を保管していると思ったけど、書斎は父親のものらしい。古い本が、大量に並べられていた。…彼の性格は遺伝みたいだ。父親の興味は歴史で、書斎には世界中の有名人の伝記、とある国の国史、知らない国の、知らない地域の歴史を紹介した本までが揃えられていた。時として洋書も見つかった。


(………。)


 数え切れない本の中に1つ、目に留まった本があった。『アトランティス、滅亡の謎』。…白江のオカルトへの関心は、多分ここから始まった。本人には確認しない。話が長引きそうだ。


 そしていよいよ、彼の部屋へと案内される時がきた。心臓が止まりそうになる。固い唾を飲んだ。喉が渇き、首の後ろに冷たい汗を感じた。扉はまだ、開かれてもいないのに…。


「さっ、入れよ。散らかってるけどな。」


 遂に、その扉が開かれた。


(………。予想…以上だ…!)


 最初に見えたのは、僕を睨みつける悪魔の姿だ。赤と黒だけで描かれた、山羊か羊の角を生やしたマッチョな悪魔のポスターが正面の壁に貼られていた。

 それに気を取られて何も見えなかったけど、次第に視野が広がり背筋に強い寒気が走った。何度も…何度もだ。扉を閉めるのが怖かった。右の壁には黒く塗られた魔方陣が描かれ、ベッドは赤い蝋燭で囲まれていた。左の壁一面にはぎっしり詰まった本棚が並び、手前には、それでも入りきらない本が積み上げられていた。壁紙は全て深い赤紫色で統一され、カーテンは黒く、外部の光を一切遮断していた。天井からは不気味なフィギィアが吊り下げられ、カーペットには何処で購入出来たのか…魔方陣が描かれていた。唯一正常なのは机周りだけだ。毛嫌いしている教科書が、カンダタの蜘蛛の糸のように思える。ただ、側にあるタンスは気持ち悪いポスターや落書きで原型を留めていない。中には果たして、服が入っているのだろうか?


「何か…凄過ぎない?お前の部屋…異常過ぎるよ。」

「はははっ!凝りに凝った仕上がりだろ?」


 僕の反応に、部屋の主人は何故か自慢げだ。どうやら『異常』と言う言葉が褒め言葉に聞こえるようだ。


「……。本を探そう…。」


 足下に気を付け、本棚に向かう。壁一面に並んだ本棚は、隣の部屋にいる妹への防音効果を狙っての事だそうだ。向こうの声が五月蝿いのか…こちら側で、知られたくない魔術でも唱えているのか…。

 部屋は広い。その一面の殆どが本で埋め尽くされている。


(部屋の主人は例の雑誌を、創刊号から集めているのだろうか?それとも途中から?魔術に興味を持ち始めたのは…いつ頃なんだろう…?)


 雑誌も雑誌で長続きしている。それだけ、オカルトに関心を持つ人が多いと言う証拠だ。


「これが、毎月集めてる本な…。」


 部屋の主人が、棚から本を引き抜く。見覚えある名前の本だ。だけど馴染みの雑誌だけでなく、同じ会社が出版した別冊や増刊号、他社の本もあるそうだ。少しだけ安心したのは、漫画もあった事。少しだけしか安心出来なかった理由はタイトルからして、普通の人が読まないものばかりだったからだ。


「ここまでは、どうにか調べたんだ。」

「えっ?ここまで調べたの?全部って事じゃないの?」


 主人が『ここまで』と示した範囲は広かった。しかし多くは魔術関連のもので、妖精の記述がある本はなかったそうだ。


「まだ全部じゃない。後、これだけ残ってる。」


 主人が、まだ確認していない本を棚から引き抜く。その数、およそ20冊。


「あっ、妖精に関して何か書いてた本は、こっちに集めておいたから。」


 次に、棚の前に積み上げられた本を指差す。これも数にして約20。但し、1度主人が目を通している。つまり雪の妖精に関した記事は見当たらなかった分だ。


「えっ?それじゃ、残りはこれだけ?」

「そうだよ。」

「…ほぼ終わってるじゃん?」

「そうだよ。」

「今日か明日にでも終わりそうな感じじゃないのか?」

「?そうだよ。」

「…それじゃ何で、僕はここに来たのかな?」

「??お前が来るって言ったから…じゃないの?」

「……。」




「う~ん…。やっぱりないな…。」


 結局、雪の妖精に関した資料は見当たらず、主人の知人にも知る人はいないそうだ。妖怪の話なら幾つもあったけど、それを妖精と認めるのは無理がある。雪女は妖精ではなく妖怪で、雪ん子は妖精に近い存在と思われるけど、誰かさんからすればそれも違うはずだ。そもそも雪ん子が妖精なら質問もなかったはずだし、頭を悩ませる必要もない。


 妖精は、西洋文化に深く根付いている。水や火、土や風の化身と呼ばれる妖精がいる。そこが腑に落ちない。西洋は寒い地域だ。ならば雪の妖精の話があって然りだけど、それが見つからない。面白い話もあった。ハワイには雪の女神がいるらしい。常夏の島に何故雪が?と思うけど、実はハワイにも冬が来る。すると雪が積もる山があるそうだ。

 …と、そんな話はどうでも良い。とにかく『雪の妖精』、『雪の化身』とされる存在が確認出来ない。質問されてから2週間が経つ。これ以上、小百合ちゃんを待たせる訳にはいかない。この間の勉強会でも退屈そうにしていた。何らかの答えを出さなければならない。…若しくは話術の上達を狙うかだ。


(………。)


 自信がない。僕はもう1度資料を漁った。


「駄目だ…残念!」


 ハワイの話は面白かったけど、それは収穫ではない。僕は本を閉じ、顔を下に向けた。


「ところでさ、黒魔術の話なんだけど…。」


 諦め切った僕に、部屋の主人が新しい話題を持ち込む。


「………。」


 突然、部屋の空気が重くなる。何らかの理由を付けて、部屋から逃げ出す事を考えた。


「お腹減ったな~!そろそろ帰らなきゃ…。今日はありがと。」

「おい!ちょっとは聞いて行けよ!見てみな、あの壁。」


 お腹を擦る僕に、主人は反対側の壁を指差した。黒く描かれた魔方陣が見える。


「あれが何?大体何で、部屋に2つも魔方陣があるの?」

「カーペットのは、でたらめな魔方陣だ。これじゃ悪魔は呼べない。本当に呼びたいなら…壁の魔方陣を使わなきゃ…。」

「……?」


 不気味な声が部屋に響く。主人は既に、呪文を唱え始めているのかも知れない。


「あれ…俺の血で描いたの。7歳の頃からコツコツ始めて…もう少しで描き終える…。」

「!!」


 命の危険を感じた。部屋の主が、この上ない笑顔を披露する。魔方陣が後どれくらいで完成を迎えるかなんて知った事ではないけど、黒いペンキだと思っていたものは、主が流した血だと教えられた。


「思い出した!今晩のおかずは、大好物のハンバーグだ!急いで帰らなきゃ!」


 慌てて部屋を飛び出す。主の呼び止めを無視し、どうにか家を脱出した。電車に駆け込み、自転車に乗り換え、家のチャイムを押すまで背中に彼の存在を感じていた。家に入る前に、清め塩を振りたかった。それはないけどただ、シャツには白い粉がべったりと付いていた。


 部屋に戻り、安堵の溜め息をつく。母親が、大きな声で僕を呼ぶ。食事の時間だ。


「……。」


 しかし食欲が湧かない。母親が気に掛ける。


「…?どうしたの?食べないの?あんたが大好きなハンバーグだよ?」

「……。」


 彼の家を出る為に放った言葉は出任せだった。まさか、本当にハンバーグが食卓に並ぶとは…。だけど箸が進まなかったのは、予知能力がどうたらではない。ハンバーグを切った時、赤いままのお肉が残っているのを見てしまったからだ。




 次の日、白江が昨日の愛想なしを突っついた。


「何で昨日は、さっさと帰ったんだよ!?」

「ハンバーグが…本当にハンバーグがおかずに出たからだよ。」

「?」


 昨晩から食欲がない。隣にいる男のせいだ。朝もろくに食べられなかった。彼の顔を見ると更に食欲が落ちる。


「うちの親も、せっかく得意料理作ってたのに…。」

「得意料理って、何?」

「ボルシチ!自家製野菜たっぷりの。」

「……。」


 ボルシチは確か、真っ赤なスープだ。赤カブを使ってそんな色になる。尚更食べられない。大体昨日は、突然お邪魔したのだ。僕の分を準備していたはずがない。


「ところで…どうする?雪の妖精の件。」

「いないって言うのは辛いから、分からないって言うしかない…。」

「ハワイの話は?」

「あれは雪の女神だろ?ポリアフ…って言ったけ?何か、スケールがでか過ぎる。小百合ちゃんは、もっと小さい妖精が見たいんだよ。」

「それは彼女の勝手だろ?『妖精にも物凄い奴がいて、女神と言われてるんだ』って説明しろよ。」

「…分かんない。彼女は細かいところがあるから…。女神は女神、妖精は妖精なんじゃないかな?」


 例の本の最後には、神々に関する記述がある。そこにポリアフの事が書かれていれば、教えた事が嘘になる。ポリアフが妖精だと言い張る事は危険だ。


「そうか…。でもちょっと…残念なんだよな…。」


 白江が突然、溜め息混じりに愚痴をこぼした。


「何が?」

「妖精の事だよ。あの後も調べたけど、本当に見つかんないの。雪の妖精って…。」

「何か…悪いな。」

「構わないさ。俺も気になったし。」


 彼は…いや、彼の家族は興味を持ったものに夢中になり過ぎる傾向がある。昨日、この目で確認した。


「雪の妖精は見つかんないのに…雪の魔女とか、化け物とか、そんなのはいっぱいいるんだ。」

「…?」


 雪は、美しい姿を見せてくれるものの人々の暮らしを不便にする。ヨーロッパ辺りの寒い地域では問題が切実で、雪に悪いイメージを持っている。だから雪の妖精の伝承はなく、魔女や化け物だけが伝承として存在すると彼は言う。確かに、雪を崇めるのは僕らが知るところ、常夏のハワイだけである。そこでは雪の被害がなく、積もった雪は神々しく見えるのだろう。


「雪の妖精はいるんだ。必ず存在する。」

「……。」

「でも、彼らを嫌う人間が化け物扱いして、それが伝承として残ってるんだ。ひょっとしたら雪の魔女が、実は雪の妖精なのかも知れない。」

「……。」


 見た目や自分勝手な価値観に囚われては、対象が持つ本当の価値を見い出せない。偏見や先入観が、あの時のUFOの話みたいに、雪の妖精を化け物に変えてしまったのだ。


「授業が始まる。そろそろ席に戻りなよ。」


 少し、ほんの少しだけ彼を見直した。心の中で礼を言う。

 小百合ちゃんには、素直に分からなかったと答えよう。彼女の母親さえも知らない事だ。僕が知らないと言ったところで、怒りはしないだろう。しかしそうなると、今のカテゴリーを続ける勉強会は限界かも知れない。




 週末になり、勉強会が開かれた。小百合ちゃんには、雪の妖精の事は良く分からないと答えた。気を付けたのは、決して『いない』とは言わない事。彼女は残念がったけど、責める事はしなかった。


「ところで勉強会の事なんだけど…今、勉強しているところ…面白くないよね?飛ばそうか?」


 そして次のカテゴリーを薦めた。よく見ると残り2章は内容が豊富だ。ギリシャ神話や北欧神話、日本神話も書かれていて、ただただ生物の紹介をするカテゴリーより時間が稼げると思えた。

 だけど彼女から、思ってもいない反応が返ってきた。


「どうして?勉強は、キチンとしないと…。」

「えっ?だって小百合ちゃん、ドラゴンとかミノタウロスとか、面白くなさそうだから…。」

「う…ん…。だって、会えないから…。日本にはいないんでしょ?」

「あっ…。」


 彼女がこのカテゴリーに、退屈を覚える理由を知った。単純な理由だった。内容が難しいとかモンスターが怖いとかが理由ではなく、冒険先で出会えるかどうかが興味の基準だったのだ。


「でも…いつか会えるかも知れないから、勉強しないと駄目だよ!」

「………。」


 小百合ちゃんに叱られた。それなのに嬉しかった。彼女はとことん、幻想生物を信じている。全ては『幻想生物は実在する』と言う前提を下に、勉強に励んでいるのだ。その、何とも彼女らしい返事に、彼女らしい単純で純粋な思いに、僕は優しい気持ちになれた。


(………。)


 そしてこの時悟った。今までは分からなかった事、何度説明されても、実感として湧かなかった事…。それが分かった気がする。

 だから僕は…少し考えた。今考えた事を、実行しようかどうか迷った。頭の中で何度もシュミレーションを試みる。しようとしている事が正解なのかどうか、失敗しないかどうか…。彼女を失望させないかどうか…時間を掛けて考えた。

 小百合ちゃんが僕の顔を伺う。僕は彼女と目線を合わせて…まだまだ考えていた。


「…どうしたの、お兄ちゃん?」

「…うん?…いや…あの、小百合ちゃん…」

「?」


 僕は…こっちを見て不思議そうな顔をする小百合ちゃんが大好きだ。無邪気で一直線で、時には単純で、時には賢い彼女に魅力を感じている。だから、勝手な言葉は掛けたくはない。嘘をつきたくない。でも、今から話そうとしている事は、まともな話ではない。実現するかどうかも分からない。いや多分、不可能な事なのだろう。

 でも…1度はその気になって努力してみたい。橋本の顔が浮かぶ。小百合ちゃんの母親も登場して、僕を厳しい目で見ていた。

 2人の姿に怯んだけど、僕は…勇気を出して声にしてみた。


「小百合ちゃん…。僕が、雪の妖精を探し出してあげる。」


 声に出た。出してしまった。もう取り返しはつかない。何らかの答えを出すしかない。でも、嘘はつきたくなかった。

 いるはずもない。でも、それを承知で探してみたい。存在を信じて、彼女の為に探し出してみたかった。旅行先でこっそり抜け出し、冒険なんかに出る機会などないかも知れない。でも挑戦するのだ。彼女の後ろに付いて回る子守役としてではなく、僕が自ら…冒険に出るのだ。こんなにも無邪気で素直な彼女を見ていると、いつも妹のように僕を癒してくれる彼女を考えると、それが恩返しなんだと思う。


「えっー!本当に!?やった~!」


 小百合ちゃんが大声で喜ぶ。その姿も素敵で無邪気だ。でもその無邪気さが、僕に大きな責任を感じさせる。


「………。」


 彼女は、何の疑いもなく妖精を、幻想生物の存在を信じている。僕自身が変わったかと聞かれれば、『分からない』、若しくは『変わっていない』と答えるだろう。でも今、小百合ちゃんを見てはっきりと分かった事がある。どうして、今の今まで気付かなかったのだろう…?橋本に礼が言いたかったし、謝りたかった。

 初めて小百合ちゃんに出会った時、僕は分からなかった。これまで一緒に勉強もしたし、冒険にもいっぱい出掛けた。それでも分からなかった。でも今…やっと分かった。彼女の素朴な返事1つで、僕にはそれが…やっと分かったのだ。


 彼女は…『信じる人』なのだ。

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