第15話;UFO

 家に帰り、部屋で呆然とする。2日連続だ。夜更かし一家の僕らは夕食も遅い。それまで何も考えずに過ごす事にした。窓の外、本や訂正ノートも見たくなかった。


 10時を過ぎ、一家の食事が始まった。だけど僕と母親しかいない。いつもこんな感じだ。父親は仕事で帰りが遅く、直ぐ下の弟は部活で忙しい。一番下の弟はゲームに夢中で、部屋から出て来ない。(ところで母さんは、何故弟に甘い…?)


 母親だけとの食事は気が乗らない。成績の事を聞かれるわ、愚痴を聞かされるわで…会話が辛いのだ。

 食卓に皿を並べた母親が、溜息混じりに何か話し始める。どうやら今日は愚痴を聞かなければならないようだ。


「はぁ…。せっかく良い所に越して来たのに…」


 女性は、いつになっても核心からものを言わない。僕はそう思っている。遠回しに話を始め、聞き手から質問されるのを待つのだ。


「……。」


 しかし僕は無言で食事を始める。母親の声が、もう1つ大きくなる。


「昔は緑も少なくてさ…息苦しかったのよ。だから越して来たのは正解だと思っていたのに…。」

「……。」

「裏の山が、開発なんだって!ごっそり削って、なくなるらしいよ!」


 聞こえない振りをする僕の耳元で、痺れを切らした母親が大声で叫んだ。


「……。」


 それでも食事を続けた。山が開発される事ぐらい、既に知っている話だ。


(…?山が、開発?なくなる?)


「えっー!?」


 突然のニュースに、母親よりも大きな声で叫んだ。そして次の瞬間、目の前が暗くなった。


「ご飯食べてる時は、黙って食べな!五月蝿いよ!」


 母親の平手が後頭部を直撃したのだ。…理不尽過ぎる…。僕の母親は、余りにも理不尽過ぎる…。2人の女性から受けた仕打ちよりも、遥かに理不尽過ぎる…。




 食事を終えて部屋に戻る。後頭部の痛みはまだ治まらない。加減も知らない力で打たれた。

 避けていた窓を開けて、山を眺めた。今後、窓からは夜空の星ではなく夜景が映し出される。ここと同じようなマンションが何個も建てられるらしい。


(………。開発が進むと、妖精はいなくなるかも知れない。本やノートにも書かれていた事だ。妖精は人を避ける。何よりも緑がなくなると、飲み水が作れない。)


 山を見ながらふと、2人の話は本当だったと思い始めた。結論はこうだ。小百合ちゃんの母親は、僕らと別れた後に挨拶を見たと言った。普通に考えてあり得る話だ。だけどその事を、小百合ちゃんや深川さんに伝えていない。では次に、何故深川さんはそれでも山に登ったのか?久しぶりの冒険が楽しくなり、懐かしくもあり、無理を承知で山へ向かったと考えればこれも理解出来る話だ。深川さん自らも言っていた。確かに、最近の深川さんは顔色が良い。今後は回復の一途を辿るかも知れない。

 そして妖精との対面…。小百合ちゃんには申し訳ないけど、(妖精が存在するとして)彼らは誰かに挨拶を送っていたものの、彼女に送っていたのではない可能性がある。若しくは妖精は(存在すると仮定して)人を、特に大人を避ける。側には深川さんがいた。小百合ちゃんに会いたいと思っていたにも関わらず、妖精は(存在すると仮定して…だ)深川さんを見て逃げたとも考えられる。

 こうやって整理して行くと、彼女らの話は辻褄が合って矛盾がない。しつこいけど、妖精がいるかどうかは別として、彼女らの話を認めざるを得なくなる。

 全く、人間とは適当なものだ。同じ事柄に対して、見方1つで結果を180度変えてしまう。


(いや…やっぱりおかしい…。)


 しかし新たに浮かんだ疑問を前に、またもや逆の事を考えるようになった。彼女達の嘘が見えたのである。何かと言えば…何故、小百合ちゃんは深川さんのお誘いを受けて妖精探しに向かったのか?…だ。そこに疑問が生じる。小百合ちゃんの母親は、冒険前日に妖精の挨拶を見たと言う。深川さんが知らなかった事は重要ではなく、それが本当だったなら、次の日は小百合ちゃんの方から山に行こうと申し出ていたはずなのだ。小百合ちゃんは長い間、妖精との出会いを望んでいる。それは母親が一番よく知っている事で、妖精のおやつを2年以上も作り続けているのは、他の誰でもなく彼女なのだ。挨拶があった事を伝えないなんて…絶対にあり得ない話だ。彼女の性格を考えれば、尚更の事あり得ない。


(絶対に何か隠してる。やっぱり彼女達は小百合ちゃんに嘘をつき、その嘘は僕に暴かれたのだ。)


 僕は結局、そう結論を出した。…だけど、結論に達したところで2人を責める勇気がない。後に起こる展開を処理する能力が、僕にはないのだ。小百合ちゃんが親を恨む姿なんて見たくもないし、彼女の夢を壊したくもない。いつか、2人が今日の嘘を謝ってくれる事を願った。ならば僕も、こんな返事をしようと考えた。


『酷いな…。正直に教えてくれたら、僕だって嘘に合わせられたのに…。』


 笑って、そう答えようと思った。嘘は小百合ちゃんの夢を叶える為だったと捉え、寛大に受け止めようとした。2人は…山の開発が始まったら彼女の夢が叶わないと考えたのだ。だったら嘘をついてでも、最後に小百合ちゃんを喜ばせたかったのだろう。2人もきっと、苦渋の決断をしたのだ。そう思う事にして、僕は推理を終わらせた。


「…?うん?…あれ??」


 でも、やっぱりそうは行かない。最後の最後で見つけた矛盾を、どうしても飲み込めない。小百合ちゃんの母親は何故、前日の晩に挨拶があった事を伝えなかったのだろうか?全ての謎がそこにある…訳でもないけど、どうしても腑に落ちない。とても腑に落ちない。


「あ~!もう良い!充分だ。寝る!」


 ベッドに飛び乗り、体を丸めて頭まで布団を被る。電気は消さない。そのまま寝てやるのだ。

 2週間のブランクが、これほどまでとは思わなかった。あの親子と付き合うのは…あっ、深川さんを含めて彼女達の相手をする事はとてつもない苦労だ。


「博之!寝るなら電気消しなさい!お風呂にも入らないで!」


 眠っていたはずだ。だけど、何らかの衝撃を感じて目が覚めた。目の前には、この世で一番恐ろしい存在がいた。

 頭の頂上が、ジワジワと痛みを訴え始める。状況を理解した僕は、そそくさと部屋を出てお風呂場に向かった。




 次の日、橋本と話を交わした。勿論、学校ではなくいつもの公園でだ。杉村君の事は、未だに報告出来ずにいた。話せば大目玉を食らってしまう。また、出来るなら練習を重ねて、彼が成長した姿を橋本に教えてあげたいとも思っていた。

 橋本は超能力を信じている。だったら妖精の存在も信じるはずだ。だけどそんな彼女が妖精との遭遇を否定したなら、深川さん達が話した事を嘘だと確信し…理解するつもりでいた。


「へぇ~、妖精に会えたんだ…。」


 だけど案の定、橋本は嬉しそうに反応する。


「いや…もうちょっと何か…こう…」

「?もうちょっと、何よ?」

「橋本は…妖精を信じるの?」


 今更のように、基本的な質問をする。彼女は溜め息をついて、質問で返してきた。


「井上君は、UFOを信じる?」


 その内容は、とても衝撃的だった。もう頭がパンクしそうだ。妖精、妖怪、小人、魔術、超能力…そしてUFOまで…。


「UFOってさ、実在するんだよ?」

「……。」


 やはり彼女も間違いなく、小百合ちゃんや彼女の母親のような不思議ちゃんだ。白江までは行かなくとも…。才女だと思っていたのも間違いだ。実際、英語で赤点を取っている。

 橋本の話は続いた。僕は、少し身構えた。


「UFOは、未確認飛行物体。宇宙人の乗り物だったのか、飛行機やヘリコプターだったのか、何かの光が反射したものなのか、ただの見間違えだったのか分からない飛行物体…。それがUFOなの。だから実在するの。」

「あ…。」


 彼女の説明はこうだ。本来、UFOは『正体不明な空飛ぶ物体』と言う意味で、フライング・ソーサーやエイリアン・クラフトが、本当の意味での宇宙船だと言う。赤点を取った橋本が教えてくれた。

 だけど彼女が言いたかったのはそこではなく、未確認、正体不明の物体に対して、人は宇宙船だと思ったり、見間違いだと思ったりすると言う事だ。例えば僕が数名の人間と、空に浮かぶ何かを見たとする。僕がそれを『宇宙船だ』と言うと、隣の人は『飛行機だった』と言う。もう1人は『雲に反射した光だ』と予想し、最後の1人は大きな声で、『浮かぶものなんてなかった。見間違えだ』と言う。…果たして正解は?

 宇宙船であった事を証明する為には、その証拠が必要になる。飛行機だと言った人を否定するにも、飛行機ではなかったと証明しなければならない。でも、残念ながらその両方も出来ない。肯定の証明も、否定の証明も出来ないのだ。何故なら皆で見たものは、『未確認飛行物体』だったのだから。満場一致で『飛行機だった』と言えば、その未確認な飛行物体は飛行機になる。だけど実は、ヘリコプターだったのかも知れない。でも、間違いでありながらも同じ見解を持った人同士の間では、『それはヘリコプターではなく、飛行機だった』と言う事実が成立する訳だ。

 彼女の話、理解出来るだろうか?僕はこの時、ついて行けなかった。


「妖精じゃないと証明出来ないなら、否定も出来ないって事。」


 彼女が補足をする。そこでどうにか話を理解し始める。


「井上君は、妖精の姿を知ってる?」


 その言葉に、本に載っている多くの妖精の姿を思い浮かべた。


「あっ…。」


 閃いた。妖精自体…UFOと同じ存在なのだ。色んな姿をした妖精が存在するけど、どれが本当の妖精の姿なのか…?妖精は、本当に色んな種類がいるのだろうか?世界中を探しても妖精が一種類しかいないと仮定したら、本に載っている様々な姿の妖精は、どれが本物なのだろうか?正しく未確認だ。つまり見たと思った人、実際に見てようが見間違いであろうが『見たと思った人』が、これが妖精の姿だと言えばそれが妖精の姿になる。だから本には、様々な妖精の絵が描かれているのだ。


「姿も知らないのに、それは妖精じゃないって言えるかな?」


 橋本が説明を続ける。少し、会話の中身が曇ってきた。


「小百合ちゃんが妖精を見たって思ったのなら、それを否定する材料も持たない人達が、『それは妖精じゃない』って言う資格は…ないよね?」

「…?」


 また迷宮入りする。言葉の続きは、先ほどまで推理していた内容とは違う方向に向かっていた。橋本の言っている事が分からない。


「井上君は、本当に分かってないなぁ…。欲張りだよ。」

「……。」


 財布が災難に遭った時、彼女に言われた言葉だ。欲張り…どう言う事だ?その意味も全く分からない。続いて橋本は、『もっと楽に考えろ』とも言った。これも以前に言われた言葉だ。そして同じく理解出来ない。


「井上君は…そう言うところあるよね。男の子は、皆そうなのかな?何故、結果を求めるの?大切なのは気持ちじゃない?目に見えるものが全てで、それが結果や成果として現われなければ、納得出来ないのかな?」

「……。」


 何か、怒られている気がする。いや、怒られているのだろう…。だからと言って、反省した顔をしても答えは出て来ない。


「小百合ちゃんが妖精だと思えたのなら、それは妖精なんだよ。それを否定したいなら、妖精は存在しないって証拠、若しくは見たものは妖精じゃなかったって証拠、見せてみなよ?」

「……。」


 最後の説明で、彼女の話をやっと理解した。先ほどまでの推理は、かなり的外れだった。


「でも妖精なんて…本当にいるのかな…?」


 ポツリと、そんな言葉をこぼしてしまう。彼女の話は理解出来たけど、出来たからこそ不透明になった。


「だから!それは井上君が信じるかどうかに掛かってるの!それを他人や他の何かに答えを求める事が、それが欲張りなの!誰かが正解を教えてくれても井上君が信じない限り、疑ったままじゃない?」

「……。」


 僕は黙ったままだった。橋本は話を続ける。


「証拠なんて必要ないの!小百合ちゃんや彼女のお母さんが証明してるじゃない?妖精はいるって、証明してくれてるじゃない!?」

「でも…」

「井上君は、それを信じられないんでしょ?んじゃ、どうしたら信じられるのかな?」

「いや…例えば写真とか…研究論文とか…。」

「それがあれば信じるの!?んじゃ、その写真や論文が偽物だって可能性?もし偽物でも、井上君はそれを信じるの?」

「……。」

「小百合ちゃんが言ってる事と論文に書いてる事、そんなに差があるのかな?疑い続ければ、『私は妖精です!』って名乗り出た人すら疑っちゃう。だったら、信じ続けるのも…それと同じじゃない?」


 橋本が声を大きくする。興奮している姿は初めて見た。ずっと、僕の態度が気に入らなかったのだろう。僕は、初めて会った時に言われた彼女の言葉を、未だに実行出来ていないのだ。


「ご免…。」


 そう考えると、自分の間違いに気付く。僕は何も変わっていない。こんな感じでは、杉村君の話だってまだまだ報告出来ない。

 顔を下に向ける僕を見て、橋本は落ち着いてくれた。そして、笑いながら教えてくれた。


「そんなに難しい事じゃないよ。もうちょっと肩の力を抜いて…。井上君になら、きっと出来るから。」


 言い過ぎた事を反省してか、彼女の言葉は優しかった。でも優しい分だけ、心が痛くなった。

 それでもヒントは得た気がする。『疑い続ける事も信じ続ける事も、基本は同じ動作で、ベクトルの方向が違うだけなのだ』と…。




 家に帰って、部屋の中で一息つく。

 暫くして台所に出て、炭酸飲料をガブ飲みしようとした。最近の事を考えると、10リットル一気飲みでも足りないくらいだ。


「あっ、お帰り。今日は早いんだね?」


 缶を取り出して冷蔵庫を閉めると、応接間で横になる父親が目に入った。仕事が早く終わったようで、いつもは見ないテレビを見ていた。

 炭酸飲料の蓋を勢い良く開け、一気に飲む。


「骨…弱くなるぞ。」


 それを見ていた父親が注意する。今は普通に炭酸飲料を飲んでいる僕を知らないのだ。


「それは昔の話でしょ?炭酸で、骨なんか弱くならないよ。」

「テレビでも言ってるぞ。骨が弱くなるって。」

「それも、お父さんの時代の話でしょ?今は迷信だって証明されているよ。」

「そんな話、信じてどうする?製造会社がばら撒いた嘘かも知れないんだ。」

「化学的にも証明されたよ。」

「それ自体が、会社が流したデマかも知れないだろ?とにかく、炭酸は控えなさい。」

「…了解。」


 中身を全て飲み干し、嘘を返す。おかげでゲップが楽しめない。明日も明後日も、僕は炭酸を止めない。

 父親の知識は古い。仕事熱心で、テレビも滅多に見ない。携帯電話を持っているけど使い方をよく知らない。申し訳ないが父親は、時代に遅れた人なのだ。


(まぁ、仕方がない。お父さんは、そう教育されて来たんだから…。)


 哀れむと同時に父親をかばう。


「………。」


 父親が、古い迷信を持ち出した。今でもそれを信じている。だから僕の話を否定した。いや、間違っている可能性を指摘した。しかし僕には、それを否定出来る材料がない。父親は習った事を正しいと思い、その後の話を信じない。年を取って、頭が固くなっただけかも知れない。でも、人とはそう言うものだ。

 橋本が教えてくれた事を、少しは理解出来た気がした。


「お父さん!『妖精はいる』って思う?」


 横になる父親の隣に座って尋ねる。その時は『しまった!』と思わなかった。ただ返事が欲しかった。


「妖精?何だ…急に?」

「良いから答えて。いると思う?いないと思う?」

「さぁ……。いるんじゃないのか?」


 僕に本を買い与えたのは、他の誰でもない父親だ。


「どうしてそう思う?」

「えっ?どうしてって…どうしてだろうね?」


 父親が、少し困った顔をする。


「分からないけど…いるんじゃない?」


 父親が搾り出した答えは、漠然としたものだった。でも、一番聞きたかった答えかも知れない。さっきの話みたいに、理屈でどうたらを議論したい訳ではなかった。

 父親は、更に言葉を続けた。


「いた方が何か…世の中面白いじゃないか?人間が知らない事がまだまだあった方が、ワクワクするんじゃないのかな?」


 父親は、本を買ってくれた時の父親のままだった。


「ありがと!」


 僕はそう言って部屋に戻った。


 僕の身長は父親譲りだ。父親も背が高く、弟達も皆同じだ。さっきの会話は180センチ近い大の男が、2人して話す内容ではなかった。小学校の頃、僕がまだ小さかった頃にでも話す内容だった。

 少し自信が付いた。橋本の言葉の意味を、さっきより理解している僕がいる。父親との会話が楽にさせてくれた。僕を幻想好きにさせた、張本人との会話だった。

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