第13話;誤解、和解、そして理解(後編)

 次の日の朝、駅で待ち伏せしていた白江に迫られた。僕は黙って取り分を差し出し、大声をあげる彼を止める事が出来なかった。


「どうした?その傷?」


 飛び跳ねて止まない彼を呆れて傍観していると、手首と首筋の絆創膏に気付いた。尋ねると、イベント参加者全員の血を集めたと言う。各人が血を流し、配られた布に染みさせたと言うのだ。


「………。」


 言葉を失った。いや、それ以上の何かを失った。それが何なのかは分からないけど、きっと僕は、言葉以上の何かを失った。もはや…これは事件だ。来年も、イベント会場は変更になるだろう。そして僕は、『信じる人』になれたとしても、『信じるもの』は慎重に選ばなければならない事を学んだ。


「でさ、集めた布を祭壇で燃やして…」


 要らない導線に火を付けた。白江の話が止まらない。数週間は悪夢を見そうな内容だ。しかし夢の中に悪魔だのサタンだのは出て来ないだろう。身の毛も弥立つ気味悪い話を、これほど清々しい笑顔で語り続ける白江の姿が出てきそうだ。

 昔、何処かの国のロックスターが語った話を思い出す。狂信的なファンを持つバンドの一員で、とあるコンサートでの恐怖体験を語っていた。コンサート自体は盛り上がり、最高のパフォーマンスで終了を迎えた。彼が恐怖を感じたのはその後の事だ。…想像してしまったのだ。もしコンサート中にファンに向けて『殺し合え!』と一言叫べば、その場は血の海に化していたはずだと。狂信的なファンと、彼らを扇動出来る自分が怖かったと言うのだ。

 話を聞いた時は馬鹿な事をと思っていたけど、今の白江を見ると、あり得る事だと思える。


「そこで叫んだんだ。『サタンよ!姿を現したまえ!』って。そしたら…」


 呪文が止まらない。朝一番から、こんなに気分が悪い事はない。さっさと学校に行きたいと思ったけど、そうもいかない事に気付く。1時間目は自習だ。そうなると彼は、教室の中で語り続ける事だろう。彼の趣味は皆が知るところだけど、その話し相手が僕だと思われるのは頂けない。自分を守る為にも覚悟を決め、自らが生贄になる事を決めた。教室には入らず、非常階段で悪魔崇拝者の雄叫びを聞き続ける事にしたのだ。彼のテンションが2時間目まで続かない事を願いながら。




やがて、1時間目終了のチャイムが鳴った。


「『血だ!血が足りないんだ!』…何をしても姿を現さないサタンに俺は、思わずそう叫んだね。すると会場にいる皆が…」


 しかし話は、止まないどころか最高潮を向かえている。休み時間にはここに来る人がいるはずなので、僕は何かを思い出したかのように階段を降りて逃げ去った。

 1階まで下りて正面玄関に向かい、そこから校舎内の階段を登って、自分の教室に戻ろうとする。


「あっ…井上君…。」


 玄関を抜けたところで、声を掛けてきた男子がいた。杉村と言う同級生だ。


「…杉村君…。久しぶり…。」


 息が止まった。戸惑うだけ戸惑った。…彼とは先日、校門ですれ違った。橋本のおかげで少しはマシになったはずなのに、体は緊張していた。何を話せば良いのか分からなかった。

 すると彼から、思わぬ提案が出た。


「そうだ!井上君。今度、パスの練習に付き合ってよ?」

「えっ!?」


 僕は、ラグビー以外の話題を探していた。だけど僕らの間に他の共通点なんてない。

 彼からラグビーの話題が出るのは当然だけど、その内容に驚かされた。練習相手になってくれと言う。


「パスの練習?僕が?…他のメンバーとすれば良いんじゃないの?」


 平常心を取り戻す事に必死だった。落胆していた。彼の話に驚くよりも悲しくなった。部活の方針は、相変わらず昔のままだった。


 彼が、僕の退部理由を知っているのか気になる。無言で部活を辞めたけど、引き止める部員に噛みついていた。『スタメン候補以下の部員には、ボールも触らせないのか?』と。『仲間意識を、何故蔑ろにするのか?』と。部員の中には、退部の原因が彼にあると思った人がいるかも知れない。僕としては他の誰かを見ても退部したはずだから、彼に責任を感じて欲しくなかった。


「他のメンバーとも練習するんだけど…皆、上手じゃないから…。井上君に教えてもらった方が、上手になれるかなぁ…って。」

「……。」


 部活を辞めて正解だ。少なくとも、同級生同士の繋がりは深いと思っていた。スタメン候補以上の部員はそれ以下の仲間を見下しているのだ。


(それじゃ…出る芽も出ないじゃないか…。)


 今すぐ校舎中を駆け回り、最初に見つけたスタメン部員を思いっきり殴ってやろうかと思った。


「出来れば…早く教えて欲しいな。」

「………。」


 しかし彼が嘆願する。『早く』…その言葉が胸を刺す。彼にはもう、時間が残されていないのだ。


「週末なら…時間作れるよ。日曜日なら、いつでも構わない。」


 迷ったけど、誰かに背中を押された気がしてお願いを聞いてあげる事にした。


「それじゃ、今週末はどう!?」

「………。」


 脳裏に小百合ちゃんの姿が浮かぶ。約束を断るのはこれで2回目で、しかも2連続だ。しかもその時、『来週は、必ず勉強会をしよう』と約束したのだ。その約束さえも破る事になる。でも彼には時間がない。勉強会より杉村君の方が比重は重い。




「あっ、井上君!今日はありがと!」


 週末の早朝、地元の駅で杉村君と落ち合った。

 勉強会は中止になったけど、僕に自責の念はない。小百合ちゃんからお断りが出たのだ。昨日の勉強会中、深川さんが手料理を差し入れに、小百合ちゃんの家を訪れた。深川さんは本当に優しい人だ。全く、うちの母親も見習って欲しい。


「そうだ。小百合ちゃん、もう1度冒険しない?」


 その深川さんが、耳を疑う発言をした。なんと小百合ちゃんを冒険に誘ったのだ。そしてあろう事か、小百合ちゃんはそれを快諾したのだ!僕が側にいるにも関わらずだ!僕と一緒に本を読んでいたのにも関わらずだ!…妖精探しは山に登る。しかし最近は、彼らからの挨拶がない。繁華やマンションの敷地内で小人や妖怪を探す冒険なら、深川さんにも無理がないのだ。

 僕にも罪があった。先週末、退屈だった小百合ちゃんは深川さんを誘って、マンションで妖怪探しを行ったらしい。約束は、その延長として交わされた。


(どうして、先週の内に妖怪を探し出せなかった!?だったら今日の約束はなかったはずなのに!)


 理不尽で不可能な願いだけど、そんな気にもなった。とにかく今日は、ガッチリと杉村君の相手をしてあげられる。深川さんに対する嫉妬もあって今日一日を、とことん充実した日にしてやろうと思った。



「杉村君、こうだよ。こう!」


 最近は挨拶もない裏山、頂上にある休憩所でパスの練習を行なう。小百合ちゃんは今日、ここには来ない。深川さんに無理をさせられないし、昨日、妖精さんの挨拶は確認出来なかった。挨拶がない限り、彼女は山に入る事はない。

 練習を通して感心させられた事と、憤慨した事がある。僕は駅からこの裏山まで自転車に乗り、杉村君は走って来た。それでも息が上がっていない。基礎体力は、充分身に着いているのだ。


「難しいな…。コントロールが定まらないや…。」


 1年前とは違う彼がいた。…しかしそれに伴わず、パスは素人のままだ。今から学校に行って一晩張り込み、朝一番に登校した部員の誰かをぶん殴ろうと考えたけど、今日の時間を無駄には出来ない。杉村君には、僕が教えてあげるのだ。


 パスのコツは、手首と手の平にある。腕や肩の力を利用して振りかぶったところで、実はボールは遠くまで飛ばない。コントロールも定まらない。手首のスナップと、ボールを押し出す指の力があれば充分で、コントロールもそれだけで定まるのだ。


「コントロールは後回しだよ。先ずは、指と手首のスナップを練習しよう。ほら、見て。」


 頭を悩ませる杉村君に、ボールの扱い方を見せる。楕円形のボールの、尖っていない部分を両手で掴み、お盆を持ったウェイトレスみたいな姿勢を執る。肩も肘も、腕も手首も動かさずに、指だけでボールを押し上げるように浮かす。ボールは頭を通り過ぎる。今度は手首のスナップを利用してボールを押し出す。するとボールは、2メートル以上も跳ねた。


「うわぁ…。凄いや…。」


 彼は驚いた。悲しくなったけど、これ以上、部活のやり方を責めても始まらない。


「ね?だから腕に力を入れて振り回したって意味がないんだよ。腕だけで投げようとするから、むしろコントロールが定まらない。それに杉村君はフォワードなんだから、バックスみたいな遠距離パスを投げる機会は殆どない。近距離で、相手が受け易い場所に正確に投げてあげる事が大切なんだよ。」

「バックスとフォワードで、パスの投げ方が違うんだね?」

「……。」


 さっき決めたばかりの覚悟が揺らぎそうだった。でも時間を有効に使いたい。コツだけを教えて、次の練習に取り組む。タックルやスクラムの練習も行う。杉村君は基礎体力が出来ているので、今日の練習程度では疲れを見せない。でも飲み込みは残念ながら悪く、それ以前に、知らない事が多過ぎた。



「今日はありがとうね。おかげで色々と勉強になったよ。」


 練習は9時間にも及んだ。暗くなる前に山を降り、僕らは駅前の中華屋で夕食を食べる事にした。それぞれがラーメンを頼む。僕はそこに餃子とライスを頼み、彼は大盛りライスと餃子2人前、そしてから揚げを注文した。これで、カードで儲けたお金はなくなった。


「それにしても杉村君、体からして変わったね?」


 正直、入部間もない頃の体型は覚えていない。印象としては、運動とは無縁な小太り以上の体型だった。今でも小太りは変わってないけどお腹が出ているだけで、大きな体の殆どが筋肉で出来ていた。

 テーブルがお皿でいっぱいになる前に、腕相撲勝負を申し出た。結果は僕の完敗だ。筋力だけなら、僕よりも上を行っている。完敗を宣言すると、彼は優しい笑顔で照れていた。


「ねぇ…杉村君。1つ…聞いても良いかな?」

「?」


 食事の間、僕らはラグビーの話題で盛り上がった。久しぶりにラグビーを近くに感じた。楽しかった。ラグビーが嫌いになった訳ではない。今の高校ではプレイしたくないだけなのだ。


「今、杉村君は…部活でどうなのかな?」

「どう…とは?」


 勇気を出して尋ねたのに、彼は察してくれない。更に勇気を絞り切って、露骨な質問を投げる。


「いや、だから…何て言うのかな…。レギュラー…狙えそう?」


 傷付くだろうと思った。覚悟の上での質問だ。しかし彼の反応は、予想していたものと違った。


「はははっ!まだまだ無理だよ!」


 最初は、その高笑いが理解出来なかった。心配を他所に、彼は何の悩みもない人のように笑った。


「……。」


 だけど全て理解した。彼は、自身がレギュラーからほど遠い事を知っている。それどころか、練習試合も出来ない事も知っているはずだ。でも、その彼が笑った。負け惜しみではない、満面の笑顔で笑った。笑うと、とても愛嬌がある顔になる。印象的だった。


 部活での立場や状況も教えてくれた。彼はやっぱり今でもグラウンドで練習した事がなく、常に他の補欠部員と、ラグビーとは直接繋がりがない練習をしているそうだ。メンバーの変化も教えてくれた。僕も知る同級生がスタメンに昇り詰めた事、1年生に上級者がいて、その子は即スタメンとして起用された事、そして、杉村君が狙うポジションには…まだまだ競争者が多い事…。


 彼が狙っている…と言うか、配置されそうなポジションは背番号1から3までの、プロップとフッカーと呼ばれるものだ。残念ながらそこに配置される人間は容姿が悪い。4、5番のポジションであるロックには、身長が高くて細身の人が選ばれる。そして、6、7、8番はフランカーと呼ばれる、走りに自信がある人のポジションで、特に8番のポジションはナンバーエイトと称され、フォワードの花形的なポジションである。

 僕は彼とポジションを争った。僕は1番のポジションを期待された、体型が見事に不細工な人間と言う訳だ。体型がずんぐりむっくりであればあるほど、1、2、3番のポジションに振り分けられる。弁解を言うようだけど、身長で言えば4、5番でも充分だった。ただ横幅もあったので(当時は筋肉でがっしりしていた。今の体型は…何を言われても仕方ない。)、1番の位置を期待されたのだ。杉村君は僕より20センチほど背が低く、しかし横幅は僕よりも広い。皮肉な話をしているのではなく、彼は僕よりも1番のポジションに、体系的には合っているのだ。


 話を元に戻して…彼が狙えるポジションは、4人の同級生でスタメンが確保され、3人のスタメン候補がいるらしい。ラグビーはウィンタースポーツだけど、僕らの高校は進学に力を入れているので、3年の春が終わると全ての生徒は、問答無用で部活を辞めなければならない。季節は既に秋…。半年と少しすれば、杉村君も引退を迫られる。彼のレギュラー入りは…ほぼ不可能だ。


「僕はただ…やれる事をやるだけだから…。」

「でも、おかしいと思わないか?ラグビーを習いに入部したのに、今の今まで試合に参加出来ないばかりか、ボールの扱い方も教えてもらえないなんて…。」


 近況報告を聞いた後、部活に対しての愚痴や、僕が持つ理想論を語り始めた。おっとりした性格のせいか、杉村君は嫌がる事なく聞いてくれた。


「他の部員が、凄過ぎるからね…。」


 だけど同意はしてくれない。確かに僕らの部は、公立高校の割に良いメンバーが揃っている。公式試合で残した結果も良い。僕もそれを魅力に感じて、かなり無理な入試に挑んだ。おかげで部活を辞めた今でも赤点に苦しんでいる。


「だからと言って、練習内容が公平じゃないのはおかしいよ。」


 僕の理想論を、もう1度彼に叩きつける。彼は困った顔をするけど、態度は依然と変わらない。


「それでも、僕がラグビーを学べる環境は部活だけだから…。それ以外に方法がないし、今のやり方でも、僕は満足しているよ。メンバーのプレイを見ているだけでも楽しいんだ。僕も一緒に、ラグビーをプレイしているメンバーの1人なんだって思える…。それに、試合が全く出来ない訳じゃない。練習を頑張って認められれば、いつだってレギュラーになれるチャンスはあるはずだよ。」

「……。」


 彼は、僅かしか残っていない希望を捨てずにいる。だから尚更、怒りが込み上げてくる。そして反省もした。…いつの間にか僕は、橋本に言われた事を忘れて彼の事情に割り入り、自分勝手な願望を押し付けていた。



「今日は、本当にありがとう。教えてくれた事を、他のメンバーと練習してみるよ。ある程度仕上がったら、また練習相手になってくれるかな?」


 苛々する僕に気付いたのか、杉村君は話を切り上げ席も立った。

 外は真っ暗だった。彼は、もう1度お礼を言って駅に向かった。僕は彼が駅に入る姿を確認してから自宅までの道程を、色々と考えながら自転車を走らせた。冷静になると橋本の顔が思い浮かび、頭の中で説教が始まる。…ばつが悪い。ひょっとしたら杉村君もさっきを振り返り、僕が放った愚痴や催促に、腹を立てているかも知れない。…どんどんばつが悪くなっていく。

 でも、今日ほど彼と語り合った事はない。彼の考えには納得は出来なかったけど、理解は出来た。彼にはもう、部活でラグビーをやり続ける覚悟、つまり、信じ抜く心があるのだ。


「心実…か…。」


(次、練習に誘われたら首相撲を教えてあげよう。)


 首相撲とは、スクラムを組む形で四つん這いになり、お互いの首を相手の胸まで突っ込み、鹿や牛の喧嘩みたいに、首の力で相手の上半身を持ち上げる練習だ。僕らには、なくてはならない技術である。それを体得する事で、フォワードとしての価値が一気に上がるのだ。


 次のお誘いを期待し、頭の中では既に特訓のメニューを考えていた。胸が高まり、心地良い感情が込み上げてくる。もう1度、ラグビーを好きになれそうだ。

 …だけど彼からのお誘いはその日以来、3年の夏が終わっても…来る事はなかった。

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