第11話;魔法

「週末、お店に行こうと思うんだけど…。」


 橋本が指揮を執る。


「今週末か?都合が合わないな…。」


 だけど白江が顔を曇らせる。

 彼はさっきまでオークションサイトを閲覧していた。もっと高く売ろうとしたのか、それとも、自分も努力しているとアピールがしたかっただけなのか…。


「何かあるのか?」


 演技が上手い彼に週末の予定を尋ねる。


「年に1度のイベントがある。」

「イベントって…何の?」

「召喚術!皆で集まって、サタンとの対話を試みる。」

「……。」

「……。」


 要らない事を聞いてしまった。いよいよ彼の性格、いや、正体が分からない。下手をすると、小百合ちゃんや彼女の母親以上に分からない。分かった事は、黙ってカードを売ろうとしたのは危険過ぎる行為だったと言う事だ。

 白江は、毎月購入しているオカルト雑誌社主催のイベントに参加するらしく、それはいつも遠方で行われるそうだ。彼が取り分に固着している理由が分かった。旅費が必要なのだ。

 それにしても…果たしてどんなイベントなのだろう…?彼曰く、大型の祭壇や道具を用いるらしいけど、それに本気で参加する人の気持ちも分からないし、そんなイベントに場所を提供する会場側の心境も分からない。今年になって、イベント会場が変更されたらしい。恐らく去年にでも、会場側がイベントを打ち切りにしたいほどの事件が発生したのだろう…。


「それじゃ、行ってきな。頑張ってな。」

「サタンと…話せると良いね…。」


 結局、お店へは僕と橋本で行く事になった。




 掃除の途中だった。話し合いが終わると僕は教室に戻った。しかし既に誰もおらず、黒板には『どこに行った?これお願い。』と書き置きがあり、続けて書かれた矢印の先には、ゴミ袋が置かれていた。


「……。」


 罰を受け入れ、ゴミ袋を取りに教壇に向かう。その途中で白江の机に気付いた。考えてみるとさっきの机は、彼が座っている席ではない。この1週間、僕は監視され続けたのだ。机の位置は知っているはずだった。


(机の落書きは…確実に増殖してる…。)


 教壇に向かいながら、机の側を通り過ぎる。予想通り、『呪』と言う刻印が確認出来た。下手したら彼は、この教室に悪魔を呼び寄せる気なのかも知れない…。


 それから間もなく、橋本が教室に入って来た。彼女は黒板とゴミ袋を見て、そして僕を見た。


「一緒に行こっか?」


 15分は掛かるゴミ捨て場までの道を一緒に歩いてくれると言う。週末のスケジュールを確認したいのだろう。お店へは、繁華街まで足を運ぶ必要がある。ゲームやコスプレ、アニメや漫画に関した商品やサービスが集中する地域だ。そんな所に行かない限り、おまけのカードを高額で買ってくれる店などないのだ。


「とりあえず、子供染みた服装だけは避けて。それで充分だと思う。」


 ゴミ捨て場に向かいながら橋本が、僕の体格と顔を確認してそう言う。僕も異議は唱えない。どうやらお店には、大人の振りをして行くみたいだ。委任状は、店側が求めないらしい。ただ、見た目で学生と思われるような格好はするなと言う。


 今度は僕が、橋本の容姿を確認する。…背が高く、才女みたいな雰囲気で…大学生のお姉さん?と言う感じだ。老けて見えるのではなく、大人びた雰囲気を持っている。今更になって思う事だけど、彼女は本当に綺麗だった。彼女の表情には何度もドキドキした事があるけど、この時改めて美人だと言う事に気付いた。

 …何やら緊張してきた。彼女は日曜日、どんな服装で現れるのだろう?それでは僕は、どんな服装で会えば良いのだろう?未成年に見られないようと言うけど、違った意味で服装が気になる。




 ゴミ捨て場で用を済まし、来た道を戻る。校門に向かって歩いていると、運動場が見え始めた。放課後だ。運動部が練習に夢中になっている時間だ。僕は視野の右側でそれを確認しながら、退部を決意した下校道を下っていた。

 ほぼ1年前、足に故障を抱えて練習を見学していた。運動場には、スタメンとスタメン候補の連中が練習をしていた。その時まで気付かなかった。それ以外の部員が、運動場での練習に参加していない事を…。背後にある坂道を、駆け足で走る集団がいた。ラグビー部のメンバーだ。初心者と、残念ながら運動能力が足りない部員達がそこにいた。僕は彼らが通り過ぎるのを、肩を縮めて待っていた。それから30分程経った頃、背後に1人の部員が現れた。同い年の、初めてラグビーをプレイする同級生だ。彼は運動音痴で、それは見た目でも分かった。

 彼と目が合ってしまい、『何故1人でここにいる?』と尋ねた。


「まだまだ、皆に追い付けないや…。」


 そう答える彼は笑っていたけど、表情は苦かった。練習に付いて行けないのだ。学校の外周をランニングした帰りだと言っていた。


「……。」


 それから数日後、僕は部活のメンバーに尋ねた。彼は何故、あの時1人でいたのか…?答えは寂しいものだった。『能力がない者は放っておく』。それが顧問の考えだ。その言葉を聞いた時、僕は誰に相談する事なく、顧問に報告する事もなく、部活に顔を出さなくなった。2学期が終わるまで先輩や同級生から部へ戻るよう薦められたけど、頑なに拒否した。そして部員達に問い詰めた。『何故、彼を待たなかった?練習なら彼を待ちながら、その場で出来たはずだ』と。あの日、ゴール地点には部員どころかマネージャーすらいなかったのだ。僕の質問に、他の部員は彼らなりの理由で返事をくれた。だけど僕には、全てが言い訳にしか聞こえなかった。3学期が始まる頃には声を掛ける部員は誰もいなくなり、それで安心した。僕のラグビー人生はそこで幕を閉じた。


 その後は帰宅部で落ち着き、この時間帯に運動場の側を通るのは久し振りの事だった。

 感慨深く下校道を下る。やがて運動場は、視界から見えなくなった。校門が目の前まで近付き、体の緊張は解けた。…と同時に、駆け足で校門を通り過ぎる誰かとすれ違った。


「……。」


 通り過ぎた人とは目が合わなかった。僕は多分、下を向いて歩いていた。それでなくとも間には橋本がいて、姿がよく見えなかった。相手は、校門の影から突然現れた。しかも駆け足だった。


(………。)


 相手が見えなかった言い訳をこれだけ述べても、立ち止まって振り向き、通り過ぎた人が誰だったのかを確認しなかった。勇気がなかった。


「どうかした?井上君?」


 橋本が、僕の目尻に気付いた。我慢したつもりが感傷的になった。


「いや、何でもない…。」


 それを手で拭う事は、自白と一緒だった。精一杯何食わぬ表情を作って、下校道を下り続けた。




 やがて週末が訪れ、約束の日を迎えた。勉強会を断ったのは、今回が初めてだ。小百合ちゃんには寂しそうな顔をされたけど次の約束をすると、笑って許してくれた。家を出る前に、母親の鏡の前で自分の姿を確認した。だけどその目的は何だったのか、今でもよく分からない。その日の服装は、大好きなジーンズに黒のTシャツ、そして黒とグレーの、チェックの半袖シャツだった。黒系の服を着れば大人びて見える…。単純な発想だった。


 家を出て駅に向かう。繁華街は学校と反対の路線になるので、ホームで橋本が待っている約束だ。


「…………………………………………………。」


 約束の時間から、30分が過ぎた。そこでやっと人混みにいる橋本の姿を確認した。目が合うと僕らは、閉まり掛けた扉に飛び込んだ。


「ゴメン。待った?」


(…?橋本…?)


 橋本が乗る車両に向かった。彼女の血色は酷過ぎた。どうやら朝に弱いようだ。いや、酷かったのは顔色だけではない。彼女の服装は黒いズボンにグレーのTシャツ、そして、黒い薄手のジャケットだった。サングラスも掛けていた。その姿は、一言で怪しい人だ。

 黒系の服を着て、サングラスを掛ければ大人びて見える…。何とも安易な発想だ。


「あ…いや、全然…。」


 彼女の格好と様子に戸惑いながら繁華街に向かった。駅を降りるまで、橋本はずっと苦しそうな表情をしていた。『朝が辛い』と、体全身で語っていた。

 彼女には、色んな彼女がいる。物静かに学校に通う彼女、超能力を信じ、テンションが異常に高い彼女、無邪気な笑顔で僕をからかう彼女、厳しい訓練をさせる彼女、朝が辛く、眠たそうにする彼女、そして、間違った服装で大人の振りをする彼女。あっ、後、現金な彼女…。


(………。)


 本当の彼女は…一体誰なんだろう?移動中、僕はずっと彼女を眺めていた。




 電車を乗り継ぎ、目的地に到着。繁華街を歩く。週末なので街は騒いでいた。コスプレをする人や大きな荷物を抱えて歩く人…。それぞれがそれぞれの趣味に没頭していた。

 そんな人達を見ながら、僕らは目的のお店に辿り着いた。中は鍵付きのショーケースに保管されたカードでいっぱいだった。値段も様々で、100円から始まり、数万円にもなるカードが売られていた。


「電話でお話ししてた橋本ですが…。」


 橋本が、お店の主人に声を掛ける。店主は名前を聞くと顔色を変え、僕らを奥へと案内した。


「それで…例のカードは?」


 向き合ったソファー越しに、店主は興奮していた。このカードは本当に貴重みたいだ。

 橋本が目配せをする。僕は焦ってカバンからカードを取り出し、店主の前に差し出した。


「ちょ、ちょっと、触らしてもらっても良いかな?」


 店主は確認を取ると、虫眼鏡を片手にカードを持ち上げ、それを隈なく調べ始めた。カードが本物かどうかを調べているのだ。何処をどう見たら本物と判断出来るのか分からない。ただただ初めて見る『鑑定』と言う行為に、僕は緊張していた。


「うわ~、本物だ!よく手に入れたね?」


 店主は喜び、白江から聞いたような説明を始めた。自分の事も話し始めた。カードを転売するつもりはなく、自身で所有するつもりとの事。だから高値で取引してくれるのだ。僕は現金に興味はあるけど、カードには全く興味がない。数万円の価値があるカードも、売ってこそ価値を見出せるのではないだろうか?そう思っていた。まぁ最も、コレクターがいた上での価格にはなるのだけど…。


「それにしても保存状態が良いね?」


 店主の、カードへの賞賛は続く。状態が良いも悪いも、カードは1週間ほど前に手に入れた。


「良し!買った!8万円でどうだろう!?」

「!!」


 良好なカードに太鼓判を押す店主の口から、更なる大金が提示された。驚いた。橋本も同じだったと思う。顔色を伺う余裕などなかった。即答も出来なかった。8万円と言う金額は、余りにも現実離れした数字だ。ようやく返事をするその間に、数十秒の時間が流れた気がする。


「交渉成立ですね?それじゃ…」


 戸惑う僕を無視して、橋本がカードを差し出す。店主は小さい金庫を持ち出し、中にある現金を数え始めた。僕は息を飲んだ。初めての事だった。高校生には刺激が強過ぎる。


「ところで、身分証明はあるかな?」


 お金を数え終えた店主が、突然そんな事を口にした。疑っているのだ。僕のせいではない。橋本の服装のせいだ。あからさまに怪しい。


「!!?」


 再び息を飲んだ。この時は橋本の顔を覗いた。橋本も僕の顔を伺っていた。『話が違う』と彼女を見たけど、向こうも同じ表情でこっちを見ていた。


「君達、ひょっとして…」

「7万円で結構です!それで…手を打ちませんか…?」


 眉間に力が入った店主の言葉が終わる前に橋本が立ち上がり、身を乗り出してそう提案した。




「…だから思ったんだ。キツい格好だって。不自然だよ、その服装…。」


 店を後にした僕らは、コーヒーショップで反省会を開いた。橋本は甘ったるそうなコーヒーを飲み、僕はオレンジジュースを飲みながら彼女の服装を非難した。

 

「良いじゃない!?交渉は成立したんだから!」


 橋本の言葉に、僕の口角が上がる。そう、交渉は成立した。財布から、今まで知らなかった温もりを感じた。


「委任状の事もそうだろ?橋本が説明してたくせに、どうして準備しなかったんだよ?おかげで1万円も損したっちゃじゃないか…?」

「それでも最初に話してた、7万円は手に入れたじゃないの!?」


 上がったままの口角で責め続けた。橋本は頬を膨らます。その表情を見た僕は、別の意味で口角を上げていたと思う。

 未成年だと言う事はばれてしまった。良くない事なのだが、個人経営のお店では確認せずにカードの売買をする事が多いそうだ。しかし訪れたお店の主人は真面目で、そんな行為を嫌っていた。値段を下げた時点では素直に了承してくれず、頭を悩ませていた。橋本の値段交渉は、未成年だと言う自白以外の何物でもなかったからだ。そこで橋本が反撃に出た。他のお店でカードを売ると言い出したのだ。これには流石の店主も焦ったみたいで、どうにか交渉が成立した。彼は経営者としての正義を貫けず、コレクターとしての欲を優先したのだ。それ程までに、欲しがる人は欲しがるのだ。これはもう、魔法としか考えられなかった。


 そう…魔法なのだ。僕は、輝いた目で現金を受け取る橋本を横目に、このカードには魔法が掛けられていると考えた。魔法には、人を魅了させる術もある。このカードが正しくそれだ。カードを作る時に、お菓子会社が魔法を掛けたのだ。


「私の努力も認めてよね?井上君は、何もしていないのよ?」

「カードの持ち主は僕でした。」


 ずっと顔を膨らます橋本に、悪戯な言葉と表情を返す。でも、心の中では感謝していた。尊敬もしていた。それを知らない橋本が、手元のゴミを僕の顔に投げつける。


「で…井上君は何に使うの?そのお金。」


 頬を膨らますのを止めた彼女が、改まって尋ねる。


「僕?何に使おうかな…。橋本は?」


 使い道がない事を確認した僕は質問返しをした。橋本はニヤッと笑い、洋服を買いたいと言い出した。目に適った秋物があって、誰かに取られる前に手に入れたいらしい。どうやらその服は、高校生には少し遠い存在のようである。金額的にだ。大人びた彼女には、むしろ高校生らしい服装は似合わない。今日の取り分とお小遣いを足すと、その服を手に出来る言う。


「お小遣いは、そのまま残しておきなよ。足りない分は、僕が出してあげる。」


 さっきの悪戯を清算するつもりもあったし、思わぬ大金が入ったけど、正直、僕には荷が重過ぎた。罪悪感に似た何かを感じていた。それを少しでも軽くしたい気持ちがあった。初めての経験もさせてもらった。橋本のおかげだ。だから彼女に、何かお返しがしたかった。


「えっ?良いの?ホントに!?」


 唖然とする彼女だったけど、直ぐに嬉しそうな声を上げた。




 場所を移動し、昼食を済ませる。繁華街には何でも揃っている。橋本が欲しがる服も、ここで見つけたらしい。昼食は、彼女の薦めで洋食屋に入った。パンとコーヒー、それに合う料理が苦手な僕は嫌がったけど、彼女はパスタが食べたいと言って提案を聞いてくれなかった。

 食事も終わり、もたれる胃を押さえながら洋服店に足を運ぶ。おっさん臭い男子が入るには、かなり抵抗がある店だった。


「どうしたの?入らないの?」


 だけど僕ではなく、橋本がお店の前で立ち止まった。深刻な顔をしている。僕はてっきり、欲しい服が売れてしまったと思った。


「うん…実は……。店に入る前に、話しておきたい事があるの…。」


 彼女が、申し訳なさそうな顔で僕を見る。どうやら目的の服は、まだ無事なようだ。


「話しておきたい事?」

「うん……。」

「………?」


 一体どうしたのだろう?僕は、いつまでも何かを言い出せない橋本を不思議そうに見た。


「あのね…」


 そして橋本が、やっと重い口を開いた。僕は、彼女の話に大きなショックを受けた。

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